某ゲームじゃ邪神あつかいだけど、地元じゃ祭祀の中心存在であるし、
何か神事をやるときもまずミシャグジを降ろしてからだな。
(現在、御頭郷の下諏訪町と岡谷市長地には境締めの結界が設けられ、氏子衆にミシャグジが憑いた状態にある)
「守矢文書を読む(細田貴助著/ほうずき書籍)」によると、ミシャグジは御佐口神,みさく神とも書かれるが、
神という字にじの音をあててあるだけで、降ろしたり憑けたり上げたりする辺り、
神と言うよりは精霊に近いナニかだという説明があった。
ミシャグジ神・洩矢文書と諏訪の先史
神道・神社信仰 › 諏訪信仰
ミシャグジ神の本質(石神・精霊・広域分布する土着神)と洩矢神(モレヤ神)との関係。守矢文書を読む(細田貴助著)の内容紹介。チカト・ソソウ・モレヤという先住民族の三神層。タケミナカタ征服後の神長官(早苗)と大祝(現人神)の役割分担。佐奈伎鈴(ミシャグジ神器)の解説。神主の諏訪解釈への評価と、東方による諏訪信仰の啓蒙効果。
◆ 其の壱(スレ1)>>456–499
馬の神社が競馬の神社になるようなこんな世の中じゃ
東方でも設定ではミシャグジ様はすごい恐怖をもって崇められていた神って書いてある。
モレヤ神=ミシャグジ様だけど、設定読む限りでは諏訪子自身はミシャグジを「束ねて」いて、それをコントロールできる唯一の存在、それは実のところ神主オリジナルの神だから
ミシャグジ様やモレヤ神と諏訪子を=では結べないんじゃないかと思う。
今まであらゆるものをキャラ化(輝夜とかまんま本人と言ってるし、八坂の名を借りたとはいえタケミナカタを神奈子にしてるし)してきた神主が、
なぜミシャグジ様をそのままキャラ化せずに(むしろミシャグジ様の自体の設定はそのまま)、わざわざ間接的なキャラを生み出したんだろう。
上に書いたけど、東方におけるミシャグジ様の設定は、やはりリアルと同じ認識の「すんごい怖い祟り神」なんだわ。
そこで生まれ育った神主にとって、やはりミシャグジ様をそのまま持ってくるというのは、さすがの神主でも畏れおおかったんじゃないかと妄想した。
モレヤ神=ミシャグジ様だけど、設定読む限りでは諏訪子自身はミシャグジを「束ねて」いて、それをコントロールできる唯一の存在、それは実のところ神主オリジナルの神だから
ミシャグジ様やモレヤ神と諏訪子を=では結べないんじゃないかと思う。
今まであらゆるものをキャラ化(輝夜とかまんま本人と言ってるし、八坂の名を借りたとはいえタケミナカタを神奈子にしてるし)してきた神主が、
なぜミシャグジ様をそのままキャラ化せずに(むしろミシャグジ様の自体の設定はそのまま)、わざわざ間接的なキャラを生み出したんだろう。
上に書いたけど、東方におけるミシャグジ様の設定は、やはりリアルと同じ認識の「すんごい怖い祟り神」なんだわ。
そこで生まれ育った神主にとって、やはりミシャグジ様をそのまま持ってくるというのは、さすがの神主でも畏れおおかったんじゃないかと妄想した。
>>459
カエルの神様は神主オリジナルじゃないぞ。
地元の伝承に蛙の神と建御名方神が戦ったバリエーションがある。
あった気がする。少なくとも蛙の神が登場する伝承はある。
地元の研究者が書いた論文を読むのが手っ取り早い。
神主はミシャグジ神と地元の土着神をほぼ生で持ってきてる。
あー、諏訪へ行きたい
カエルの神様は神主オリジナルじゃないぞ。
地元の伝承に蛙の神と建御名方神が戦ったバリエーションがある。
あった気がする。少なくとも蛙の神が登場する伝承はある。
地元の研究者が書いた論文を読むのが手っ取り早い。
神主はミシャグジ神と地元の土着神をほぼ生で持ってきてる。
あー、諏訪へ行きたい
そういう細かい伝承の採話は地元民ならではだろうな。
俺も今いる土地の伝承を色々調べるか。
俺も今いる土地の伝承を色々調べるか。
>>459
いや、モレヤ神は諏訪の神だけどミシャグジ信仰はもっと広域に分布する
単純にモレヤ神=ミシャグジではない
さらにミシャグジは土地によって神性に違いがあるが、モレヤ神はその殆どを有する
これらの点を神主はモレヤ神=多数のミシャグジを束ねる頂点と解釈したわけで
洩矢諏訪子=モレヤ神∈ミシャグジ
でいいだろう
いや、モレヤ神は諏訪の神だけどミシャグジ信仰はもっと広域に分布する
単純にモレヤ神=ミシャグジではない
さらにミシャグジは土地によって神性に違いがあるが、モレヤ神はその殆どを有する
これらの点を神主はモレヤ神=多数のミシャグジを束ねる頂点と解釈したわけで
洩矢諏訪子=モレヤ神∈ミシャグジ
でいいだろう
>>472
地霊殿のテーマは祇園祭にかなり近い。
だから、これ関連だと主張してきたから当たったらいいな。
あと、モレヤ神がまんま諏訪子だと俺も思う。
ミシャクジ様は石神信仰とも同一視されるから、信仰としては幅広いし有象無象の神。
地霊殿のテーマは祇園祭にかなり近い。
だから、これ関連だと主張してきたから当たったらいいな。
あと、モレヤ神がまんま諏訪子だと俺も思う。
ミシャクジ様は石神信仰とも同一視されるから、信仰としては幅広いし有象無象の神。
ゆっくりやドナルドなんて、2月前にはなかったけどいつの間に増えたのか。
持っている人は持っているであろう「某資料館のしおり」の一部要約。
もっと細かい本もあるけどね。
・口伝伝承によると、洩矢という長がいる先住民族がいて、それを出雲族のタケミナカタが
制圧した。洩矢の他にも佐久良、蟹河原、五十集、武居、須賀などといった長がいた。
・ミシャグジとは笹や木石、大祝などに降りる精霊の総称。 洩矢神⊆ミシャグジ。
汎神論、シャーマニズムに近い、もしくはそのものだったと思われる。
・明治初頭の法令による一子相伝の廃止。事実上口伝を受けているのは76代目まで。
78代時点では全ての口伝を受けていない、ほぼ名目上の当主である。
(という話を知っておくと、風神録と「幻想郷内の」早苗さんについても視点が変わるかも)
・初代は洩矢神。ちなみに、資料館は敷地内。
さて、週末は那智、熊野に行ってくる予定です。
持っている人は持っているであろう「某資料館のしおり」の一部要約。
もっと細かい本もあるけどね。
・口伝伝承によると、洩矢という長がいる先住民族がいて、それを出雲族のタケミナカタが
制圧した。洩矢の他にも佐久良、蟹河原、五十集、武居、須賀などといった長がいた。
・ミシャグジとは笹や木石、大祝などに降りる精霊の総称。 洩矢神⊆ミシャグジ。
汎神論、シャーマニズムに近い、もしくはそのものだったと思われる。
・明治初頭の法令による一子相伝の廃止。事実上口伝を受けているのは76代目まで。
78代時点では全ての口伝を受けていない、ほぼ名目上の当主である。
(という話を知っておくと、風神録と「幻想郷内の」早苗さんについても視点が変わるかも)
・初代は洩矢神。ちなみに、資料館は敷地内。
さて、週末は那智、熊野に行ってくる予定です。
「洩矢資料館のしおり」だけならまだしも「洩矢文書を読む」まで持ってる輩が
研究者以外にいようとは思わなかった(笑)
実際の諏訪では、神長官=早苗は現人神じゃないんだよね。
現人神はタケミナカタの後裔である神氏で、神長官はあくまでもそれを補佐する審神者。
とはいえ、実際に祭祀を取り仕切っていたのは神長官なわけだから、
あながち間違いでもないのかな?
研究者以外にいようとは思わなかった(笑)
実際の諏訪では、神長官=早苗は現人神じゃないんだよね。
現人神はタケミナカタの後裔である神氏で、神長官はあくまでもそれを補佐する審神者。
とはいえ、実際に祭祀を取り仕切っていたのは神長官なわけだから、
あながち間違いでもないのかな?
現人神なのは神長官じゃなくて大祝の方だからな
東方の早苗はこの二つの立場を統合したような存在になっている
東方の早苗はこの二つの立場を統合したような存在になっている
◆ 其の壱(スレ1)>>542–548
そういや、古代の諏訪にはチカト神・ソソウ神・モレヤ神というのがいたというのを聞いた気がする。
それが集合されていってモレヤ神に統一されてタケミナカタに融合されてあげく天皇族にあぼんか。
諏訪子と戦ってるときに背景に出てくる三匹の蛙がこれだとすると>>462の言う伝承というのがすごい気になるな。
ミシャクジ様を束ねるっていう表現が土着神を束ねる→国津神を束ねるとなると諏訪子はタケミナカタどころかスサノオか。
それが集合されていってモレヤ神に統一されてタケミナカタに融合されてあげく天皇族にあぼんか。
諏訪子と戦ってるときに背景に出てくる三匹の蛙がこれだとすると>>462の言う伝承というのがすごい気になるな。
ミシャクジ様を束ねるっていう表現が土着神を束ねる→国津神を束ねるとなると諏訪子はタケミナカタどころかスサノオか。
「ちなみ」使いすぎw。
>>542
国津神は土着といっても出雲の神様だよ。諏訪などの土着神は縄文の神とでも言って区別すればいいのか
新潟など一体に諏訪にまつわる地名があるらしく、大国があったのは間違いない。
出雲(といってもそのころにはJR西日本地域)と高天原(九州?朝鮮?大和?)が早いうちに合併してしまって
東国支配に乗り出したんだろうね。
ZUN説は、古事記中のタケミナカタは捏造という説をとってる訳だ。
戦争で勝ったが、諏訪を実行支配できないから八坂刀売神を諏訪に送り込んで養子縁組ってところかな。
国津神は土着といっても出雲の神様だよ。諏訪などの土着神は縄文の神とでも言って区別すればいいのか
新潟など一体に諏訪にまつわる地名があるらしく、大国があったのは間違いない。
出雲(といってもそのころにはJR西日本地域)と高天原(九州?朝鮮?大和?)が早いうちに合併してしまって
東国支配に乗り出したんだろうね。
ZUN説は、古事記中のタケミナカタは捏造という説をとってる訳だ。
戦争で勝ったが、諏訪を実行支配できないから八坂刀売神を諏訪に送り込んで養子縁組ってところかな。
スサノオの子孫である大国主やその一族も国津神と呼ばれるが、そもそも国津神とは土着の神々の事だぜ
当然諏訪の神も国津神だ
当然諏訪の神も国津神だ
なるほど、国津神は広範囲な言葉なんだな。スサノオ一族は出雲神話系の神々というべきか。
◆ 其の壱(スレ1)>>611–617
守矢の佐奈伎鈴は鉄板をメガホン状に曲げたものを束ねた代物で、ミシャグジ神器の一つ。
誓約するときに神を証人として鳴らす物らしく、湛え神事んときや、協定締結んなんかの時に使い、
違約あるときはミシャグジのタタリがあると信じられた。
守矢資料館にはレプリカが展示してあり、本物のうち幾つかは上社本宮に保管されている。
(守矢家にもあるっぽい)
以上、資料館のしおりより。
基本的に銅鐸,鉄鐸の類をサナギと言うらしい。
誓約するときに神を証人として鳴らす物らしく、湛え神事んときや、協定締結んなんかの時に使い、
違約あるときはミシャグジのタタリがあると信じられた。
守矢資料館にはレプリカが展示してあり、本物のうち幾つかは上社本宮に保管されている。
(守矢家にもあるっぽい)
以上、資料館のしおりより。
基本的に銅鐸,鉄鐸の類をサナギと言うらしい。
龍ってか蛇は、一撃で人を殺せるパワーがあるから崇められてる節もある
インド方面ではパワーがある=善だから
地方では蛇のことを「ナギ」って言って、クサナギの剣も実はそこから来てるらしいが
>>611のサナギとはなんか関係ないかな?俺は実物見た事無いから分からないけど
インド方面ではパワーがある=善だから
地方では蛇のことを「ナギ」って言って、クサナギの剣も実はそこから来てるらしいが
>>611のサナギとはなんか関係ないかな?俺は実物見た事無いから分からないけど
銅鐸 蛇 信仰の勢力を大和勢力が降伏させた象徴とか?
さなぎ なぎ
ある一定の時期から銅鐸は使われなくなったり、
故意に埋められた形跡があるみたいだし。
さなぎ なぎ
ある一定の時期から銅鐸は使われなくなったり、
故意に埋められた形跡があるみたいだし。
風神録にもある通り、伝承では諏訪は鉄器なんだよね。
ちなみに日本は銅器が伝わるのが遅かったせいで、銅と鉄の間に間隔がない特殊な事情があるから
色々考察できるんだろうけど
ちなみに日本は銅器が伝わるのが遅かったせいで、銅と鉄の間に間隔がない特殊な事情があるから
色々考察できるんだろうけど
渡来系の神が諏訪を経由してったってどこかで見たな
天白羽神だったか
天白羽神だったか
◆ 其の弐(スレ2)>>38–52
話変わるがなんで神主は諏訪信仰をマイナーとか言ってたんだろうな。
稲荷と八幡で全体の半分を占めるとはいえいくらなんでもマイナーの部類にははいらんのでは・・・
稲荷と八幡で全体の半分を占めるとはいえいくらなんでもマイナーの部類にははいらんのでは・・・
まず一般的な諏訪信仰ってのがどんなものかがよく判らないんでアレだが、
タケミナカタvsモリヤの神話認識度が全国区でどの程度かで考えると、
地元の信仰はかなーりマイナーな部類だと思うぞ。
タケミナカタvsモリヤの神話認識度が全国区でどの程度かで考えると、
地元の信仰はかなーりマイナーな部類だと思うぞ。
前後の文がわからないけど
今、諏訪っていったらタケミナカタ信仰だが
それに比べたら古いモリヤ信仰はマイナーってことでは
今、諏訪っていったらタケミナカタ信仰だが
それに比べたら古いモリヤ信仰はマイナーってことでは
>>39
神主の地元も諏訪信仰だけど、建御名方神vs洩矢神なんて話は民間伝承には全然なくて
大学生になって関東に出てきてから調べたら、子供の頃聞いてた雨の神としての諏訪大明神が全然登場しなくて
地元でずっと伝わってるものと諏訪神話は違うものなんだと思った、ってインタビューで言ってたな
神主の地元も諏訪信仰だけど、建御名方神vs洩矢神なんて話は民間伝承には全然なくて
大学生になって関東に出てきてから調べたら、子供の頃聞いてた雨の神としての諏訪大明神が全然登場しなくて
地元でずっと伝わってるものと諏訪神話は違うものなんだと思った、ってインタビューで言ってたな
文系でもない一般人からしたら
諏訪信仰はマイナーじゃないか?
日本三大祭だってあやふやな人が多いんだ。
諏訪に纏わる伝承や神話なんてマイナーもいいところでね?
と理系の俺が口を出してみる。
諏訪信仰はマイナーじゃないか?
日本三大祭だってあやふやな人が多いんだ。
諏訪に纏わる伝承や神話なんてマイナーもいいところでね?
と理系の俺が口を出してみる。
諏訪のは口承の部分がかなり強いそうだな
ついでにタケミナカタ信仰は今も昔もどマイナーなようだぞ
諏訪の神様は諏訪の神様らしい
ついでにタケミナカタ信仰は今も昔もどマイナーなようだぞ
諏訪の神様は諏訪の神様らしい
たまたま諏訪系の神社の宮司さんの話を聞く機会があったんだが、
信仰の面から見ればタケミナカタも大和の神様を諏訪の外から持ち込んだ形で、諏訪信仰の根底にあるのはミシャグジ信仰だって言ってたな。
メモが今手元にないが、ほかにも色々聞けてなかなか興味深かった。
信仰の面から見ればタケミナカタも大和の神様を諏訪の外から持ち込んだ形で、諏訪信仰の根底にあるのはミシャグジ信仰だって言ってたな。
メモが今手元にないが、ほかにも色々聞けてなかなか興味深かった。
日本の神社は約8万社、そのうち諏訪神社は約2500社
神主がマイナーっていうのは地元の人間だからこそかもしれんね
逆に「諏訪信仰はメジャーですから!」とか発言したらお国自慢ぽくなるし
逆に「諏訪信仰はメジャーですから!」とか発言したらお国自慢ぽくなるし
下諏訪駅の前の茅野駅のChinoが
Chirnoに見えたから凍らされてくる
Chirnoに見えたから凍らされてくる
諏訪は「日本のへそ」などと呼ばれていてだな・・・・
諏訪が解れば日本の歴史がわかると言われてるような重要な箇所であるらしい。
まぁ、俺も又聞きなので信憑性のほどは確かでは無いがその道の人間には興味をそそる土地ではあるんじゃね。
諏訪が解れば日本の歴史がわかると言われてるような重要な箇所であるらしい。
まぁ、俺も又聞きなので信憑性のほどは確かでは無いがその道の人間には興味をそそる土地ではあるんじゃね。
基本は長野周辺に多いけどな。あと島津家の関係で鹿児島にも。
神社本庁に登録されてる諏訪神社の数は約5700社
稲荷、八幡、天満宮に続いて第4位だな
稲荷、八幡、天満宮に続いて第4位だな
南方神社だっけ
何で名前変えたんだろう
何で名前変えたんだろう
◆ 其の弐(スレ2)>>390–390
>389
リンク先の主張を鵜呑みにするなら、太古の精霊信仰では『雨を降らす神の使いは蛙』ってのが基本だったのかもね。
それを踏まえれば、征服者がそれを覆すために蛙の天敵である蛇を信仰対象にしたのは非常に納得できる。
諏訪七不思議の一つに「元旦の蛙狩」とかあるしね。
そう考えると、神主は真面目に調査・研究した上で「フィクションとして」ミジャグジ様を蛙にしたのかも・・・・・
リンク先の主張を鵜呑みにするなら、太古の精霊信仰では『雨を降らす神の使いは蛙』ってのが基本だったのかもね。
それを踏まえれば、征服者がそれを覆すために蛙の天敵である蛇を信仰対象にしたのは非常に納得できる。
諏訪七不思議の一つに「元旦の蛙狩」とかあるしね。
そう考えると、神主は真面目に調査・研究した上で「フィクションとして」ミジャグジ様を蛙にしたのかも・・・・・
◆ 其の参(スレ3)>>560–590
流れをぶった切ってすまんが、いわゆる「諏訪大戦」は神代とか縄文弥生の太古ではなく、
実は飛鳥時代(6,7世紀)ぐらいに起きたんではなかろうかと思いついた。
主な根拠としては、
・『続日本紀』養老五年(721)六月二十八日条によると、同日付で信濃国から「諏方国」が分立されている事。
・諏訪地方で唯一の前方後円墳である青塚古墳(場所は下諏訪町、諏訪大社下社秋宮の近所)の年代が6世紀末と推定されている事。
6世紀末から8世紀というと、中央では壬申の乱が起こって天智系の近江朝が滅び、代わって天武が即位して律令国家体制が本格的に
始まった時代。ちなみに「日本」という国号が使われ始めたのも天武の頃から。
その息子が守矢氏に養子入りしたという物部守屋も大体この頃の人物。そして諏訪大社上社大祝を代々務める諏訪氏は、中世以前は「神氏(みわうじ)」
と名乗っていて、どうも大和の大神神社を司る三輪氏(みわうじ)と関係があるらしい。天武は大神神社の祭祀をかなり重要視していたらしく、
壬申の乱での天武側協力者にも「三輪子首」という三輪氏の人物が居たり、自分の宮殿も三輪山から近い飛鳥に置いていたりする。
そして663年には白村江の惨敗があり、大和王権は製鉄資源の豊富な朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、国内での鉄資源の確保を余儀なく
された。ケロちゃんのスペルや風神録のおまけテキストで語られている事からもうかがえるように、当時の諏訪は鉄の生産あるいは加工において優れた
技術力を持っていたと考えられるから、これに目を付けた大和王権が諏訪への干渉を強めようとした動機は十分にある。
諏訪側でも、大和と敵対して全面戦争やるよりは、味方に付いといて鉄関係の交易やる方がいいと判断する連中(例えば下社大祝の金刺氏とか)がいて、
こいつ等と縄文以来諏訪を治めてきた守矢氏(=洩矢神&ミシャグジさま)とが対立した。前者が擁する大和・三輪系の神(=神奈子様)と後者が擁する
洩矢神(=ケロちゃん)との間で起こったのが、「諏訪大戦」だったのではないか……
ここまで妄想して力つきた。
ちなみに「諏方国」はその後10年間存続して、731年に再び信濃国に吸収されているんだけど、これは入植してきた大和族が支配統治を安定させるために
一時的に信濃国の税制なんかから独立し、生産が軌道に乗ったのを見計らって元の体制に戻した結果じゃないかと推測。
まぁこじつけにも程があるよねってぐらいテキトーな妄想なんだけどね。
流れぶった切ってすまんかった。
実は飛鳥時代(6,7世紀)ぐらいに起きたんではなかろうかと思いついた。
主な根拠としては、
・『続日本紀』養老五年(721)六月二十八日条によると、同日付で信濃国から「諏方国」が分立されている事。
・諏訪地方で唯一の前方後円墳である青塚古墳(場所は下諏訪町、諏訪大社下社秋宮の近所)の年代が6世紀末と推定されている事。
6世紀末から8世紀というと、中央では壬申の乱が起こって天智系の近江朝が滅び、代わって天武が即位して律令国家体制が本格的に
始まった時代。ちなみに「日本」という国号が使われ始めたのも天武の頃から。
その息子が守矢氏に養子入りしたという物部守屋も大体この頃の人物。そして諏訪大社上社大祝を代々務める諏訪氏は、中世以前は「神氏(みわうじ)」
と名乗っていて、どうも大和の大神神社を司る三輪氏(みわうじ)と関係があるらしい。天武は大神神社の祭祀をかなり重要視していたらしく、
壬申の乱での天武側協力者にも「三輪子首」という三輪氏の人物が居たり、自分の宮殿も三輪山から近い飛鳥に置いていたりする。
そして663年には白村江の惨敗があり、大和王権は製鉄資源の豊富な朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、国内での鉄資源の確保を余儀なく
された。ケロちゃんのスペルや風神録のおまけテキストで語られている事からもうかがえるように、当時の諏訪は鉄の生産あるいは加工において優れた
技術力を持っていたと考えられるから、これに目を付けた大和王権が諏訪への干渉を強めようとした動機は十分にある。
諏訪側でも、大和と敵対して全面戦争やるよりは、味方に付いといて鉄関係の交易やる方がいいと判断する連中(例えば下社大祝の金刺氏とか)がいて、
こいつ等と縄文以来諏訪を治めてきた守矢氏(=洩矢神&ミシャグジさま)とが対立した。前者が擁する大和・三輪系の神(=神奈子様)と後者が擁する
洩矢神(=ケロちゃん)との間で起こったのが、「諏訪大戦」だったのではないか……
ここまで妄想して力つきた。
ちなみに「諏方国」はその後10年間存続して、731年に再び信濃国に吸収されているんだけど、これは入植してきた大和族が支配統治を安定させるために
一時的に信濃国の税制なんかから独立し、生産が軌道に乗ったのを見計らって元の体制に戻した結果じゃないかと推測。
まぁこじつけにも程があるよねってぐらいテキトーな妄想なんだけどね。
流れぶった切ってすまんかった。
唐突に済まないんだが。
諏訪の土着神話について書いてある本ってどんなのがある?
近所の本屋にはそれらしき物はないし…
…できれば解説じゃない物が良いです。
諏訪の土着神話について書いてある本ってどんなのがある?
近所の本屋にはそれらしき物はないし…
…できれば解説じゃない物が良いです。
>>560
古事記(712)が書かれたよりも後というのはさすがに無理があるかな。
ただ、6世紀~7世紀に諏訪が力を持ってた根拠にはなると思う。古事記に対してもかなりの発言権があっただろうね。
応神天皇のの朝鮮出兵 4世紀末~5世紀
ヤマトタケルにまつわる静岡の古墳 4世紀末
だから、日本で鉄が必要な時期、争ってた時期は古墳時代あたりにやっぱりなってくると思う
古事記(712)が書かれたよりも後というのはさすがに無理があるかな。
ただ、6世紀~7世紀に諏訪が力を持ってた根拠にはなると思う。古事記に対してもかなりの発言権があっただろうね。
応神天皇のの朝鮮出兵 4世紀末~5世紀
ヤマトタケルにまつわる静岡の古墳 4世紀末
だから、日本で鉄が必要な時期、争ってた時期は古墳時代あたりにやっぱりなってくると思う
>>560です。みんなレスありがとう。
>>562
蝦夷族と諏訪族の関係は、実際のところよく分からないんだよね。
蝦夷との関係が指摘されるアラハバキって神様は、ミシャグジ信仰とも繋がる説はあるんだが。
ちなみにアラハバキは、鬼だとも蛇神だとも言われてるから製鉄絡みで鬼伝説と繋がるかもしれない。
>>565
『古事記』に対する影響はどうだろう?最近は偽書説も結構強く言われてるし。
俺としては、どちらかと言うと『風土記』(713)や『日本書紀』(720)編纂の前後だというのが怪しく思えるんだ。
天武・持統の政策から方向修正が起こって平城京遷都や養老律令制定が行われる過渡期でもあるし。
ついでに仏教勢力や渡来人が政治的に発言力を増してくるのもこの時期からなんだよね。色々ありそうに見えて仕方ない。
鉄資源に関しては、大体7世紀ぐらいまではほとんど朝鮮半島から原材を輸入して、列島各地の職人集団が加工を行うって状況だったらしい。
それだけ日本の任那経営や対百済外交が安定してたって事で、逆に白村江以降はかなり深刻な鉄不足に陥った可能性もあるわけだ。
あと天武の時期は、それまで認められた「国造」を廃止したり中央主導で「八色の姓」を制定したりと、
地方豪族に対する諸改革がかなり急速に強行された時期でもある。
というわけで、やっぱり天武朝から奈良時代初頭付近に、諏訪も含めた中央VS地方のごたごたが何かあったじゃないかなと。
そういや『竹取物語』も、年代的に天武・持統・文武の辺りが舞台なんだよね。
『竹取』自体は平安前期の成立だが、やっぱこの時代は何かしら日本史上のターニングポイントと考えられたのかな。
>>562
蝦夷族と諏訪族の関係は、実際のところよく分からないんだよね。
蝦夷との関係が指摘されるアラハバキって神様は、ミシャグジ信仰とも繋がる説はあるんだが。
ちなみにアラハバキは、鬼だとも蛇神だとも言われてるから製鉄絡みで鬼伝説と繋がるかもしれない。
>>565
『古事記』に対する影響はどうだろう?最近は偽書説も結構強く言われてるし。
俺としては、どちらかと言うと『風土記』(713)や『日本書紀』(720)編纂の前後だというのが怪しく思えるんだ。
天武・持統の政策から方向修正が起こって平城京遷都や養老律令制定が行われる過渡期でもあるし。
ついでに仏教勢力や渡来人が政治的に発言力を増してくるのもこの時期からなんだよね。色々ありそうに見えて仕方ない。
鉄資源に関しては、大体7世紀ぐらいまではほとんど朝鮮半島から原材を輸入して、列島各地の職人集団が加工を行うって状況だったらしい。
それだけ日本の任那経営や対百済外交が安定してたって事で、逆に白村江以降はかなり深刻な鉄不足に陥った可能性もあるわけだ。
あと天武の時期は、それまで認められた「国造」を廃止したり中央主導で「八色の姓」を制定したりと、
地方豪族に対する諸改革がかなり急速に強行された時期でもある。
というわけで、やっぱり天武朝から奈良時代初頭付近に、諏訪も含めた中央VS地方のごたごたが何かあったじゃないかなと。
そういや『竹取物語』も、年代的に天武・持統・文武の辺りが舞台なんだよね。
『竹取』自体は平安前期の成立だが、やっぱこの時代は何かしら日本史上のターニングポイントと考えられたのかな。
>>560
大神と諏訪の関係は注目すべき点だな。
信濃国造の多氏が三輪山祭祀にかかわっていること
多氏一族の太安万侶が稗田阿礼にかわって古事記の編纂をおこなっていること
日本書紀にはなぜ建御名方神にまつわる神話の記述がないのかを
読み解くカギはその辺にあるのかも
大宝律令成立の首謀藤原不比等と稗田阿礼が同一人物という説を導入したらさらに面白い。
信憑性はわからんが
大神と諏訪の関係は注目すべき点だな。
信濃国造の多氏が三輪山祭祀にかかわっていること
多氏一族の太安万侶が稗田阿礼にかわって古事記の編纂をおこなっていること
日本書紀にはなぜ建御名方神にまつわる神話の記述がないのかを
読み解くカギはその辺にあるのかも
大宝律令成立の首謀藤原不比等と稗田阿礼が同一人物という説を導入したらさらに面白い。
信憑性はわからんが
>>566です。
>>567
多氏一族は割と各地に末裔がいるみたいだけど、中でも関東から中部に多いみたいね。
有名な千葉一族なんかも桓武平氏を名乗る以前は多氏を称していたらしい。
ちなみに『常陸国風土記』によれば、多氏一族の氏神はあの鹿島神宮だとか。
諏訪に関係深いタケミナカタの仇敵・タケミカヅチの本拠なのは勿論だが、藤原氏の氏神・春日大社の勧請元も此処だったりする。
そして多氏の中でも有名な太安万侶と共に『古事記』編纂に尽力した稗田阿礼は、藤原不比等と同一人物とも囁かれていると……
どういうわけか、多氏を中心として色々な事が繋がってくるんだよねぇ。
諏訪関連だと、多氏の末裔だと言われているのは信濃国造の流れを組む金刺氏(下社大祝家)だな。
実は諏訪信仰も一枚岩ではなくて、三輪氏系の上社大祝家と信濃国造系の下社大祝家ではかなり昔から対立があった模様。
仮に三輪氏・多氏が後から諏訪地方に入植したものとすると、土着の諏訪族(守矢氏とか)との軋轢以外に入植側内部での
氏族対立や抗争もあった可能性が高い。結構ドロドロっぽいんだよねぇ……
あとタケミナカタ神話について。
太安万侶は、天皇の命を受けて養老五年(721)宮中において、前年完成したばかりの『日本書紀』を講筵(貴族に対して
書物の内容を講義する事)を行っている。この時に「養老私記」(講義内容の参考プリントみたいなもの)を作っているん
だが、その内容は『古事記』とも幾つか重複しているらしい。
但し現存はしていない(他の書物に若干引用が見える程度)ため、詳しい全体は不明。
もしも『古事記』が後年編纂された偽書だとすると、その執筆には安万侶が遺した「養老私記」が使われている可能性は高い。
ちなみに、藤原不比等が亡くなったのはこの講筵が行われる前年(720)なんで、残念ながら参加していない。
>>567
多氏一族は割と各地に末裔がいるみたいだけど、中でも関東から中部に多いみたいね。
有名な千葉一族なんかも桓武平氏を名乗る以前は多氏を称していたらしい。
ちなみに『常陸国風土記』によれば、多氏一族の氏神はあの鹿島神宮だとか。
諏訪に関係深いタケミナカタの仇敵・タケミカヅチの本拠なのは勿論だが、藤原氏の氏神・春日大社の勧請元も此処だったりする。
そして多氏の中でも有名な太安万侶と共に『古事記』編纂に尽力した稗田阿礼は、藤原不比等と同一人物とも囁かれていると……
どういうわけか、多氏を中心として色々な事が繋がってくるんだよねぇ。
諏訪関連だと、多氏の末裔だと言われているのは信濃国造の流れを組む金刺氏(下社大祝家)だな。
実は諏訪信仰も一枚岩ではなくて、三輪氏系の上社大祝家と信濃国造系の下社大祝家ではかなり昔から対立があった模様。
仮に三輪氏・多氏が後から諏訪地方に入植したものとすると、土着の諏訪族(守矢氏とか)との軋轢以外に入植側内部での
氏族対立や抗争もあった可能性が高い。結構ドロドロっぽいんだよねぇ……
あとタケミナカタ神話について。
太安万侶は、天皇の命を受けて養老五年(721)宮中において、前年完成したばかりの『日本書紀』を講筵(貴族に対して
書物の内容を講義する事)を行っている。この時に「養老私記」(講義内容の参考プリントみたいなもの)を作っているん
だが、その内容は『古事記』とも幾つか重複しているらしい。
但し現存はしていない(他の書物に若干引用が見える程度)ため、詳しい全体は不明。
もしも『古事記』が後年編纂された偽書だとすると、その執筆には安万侶が遺した「養老私記」が使われている可能性は高い。
ちなみに、藤原不比等が亡くなったのはこの講筵が行われる前年(720)なんで、残念ながら参加していない。
>>564
地元茅野市の教員(すでに鬼籍)竹村良信氏が発刊していた「諏訪の民話」「諏訪のでんせつ」「諏訪のむかし話」3部作。
子供の頃に読んだっきりだが、諏訪大戦のくだりとかも載っていたはず(でなければ風神txt見て、すぐにピーンと来るはずがない)。
残念なことに既に絶版で、平成19年に限定復刊したが入手は難しいと思われる(買っときゃよかった……orz)。
なお、諏訪郡内の図書館には現在も所蔵されているので、読めないということはない。
ちなみに富士山vs八ヶ岳(背比べに負けた富士山の女神が八ヶ岳を蹴り崩す)の話が印象深かった。
地元茅野市の教員(すでに鬼籍)竹村良信氏が発刊していた「諏訪の民話」「諏訪のでんせつ」「諏訪のむかし話」3部作。
子供の頃に読んだっきりだが、諏訪大戦のくだりとかも載っていたはず(でなければ風神txt見て、すぐにピーンと来るはずがない)。
残念なことに既に絶版で、平成19年に限定復刊したが入手は難しいと思われる(買っときゃよかった……orz)。
なお、諏訪郡内の図書館には現在も所蔵されているので、読めないということはない。
ちなみに富士山vs八ヶ岳(背比べに負けた富士山の女神が八ヶ岳を蹴り崩す)の話が印象深かった。
>富士山vs八ヶ岳(背比べに負けた富士山の女神が八ヶ岳を蹴り崩す)の話
幼い頃に読んで、子供心に酷い話と思ったもんだw
幼い頃に読んで、子供心に酷い話と思ったもんだw
ttp://www.janis.or.jp/users/taketo4/Books1.htm
「白馬の民話」を読んだことある人いる?
雨降宮(嶺方諏訪社)にどんな話があるのかすごい気になる
「白馬の民話」を読んだことある人いる?
雨降宮(嶺方諏訪社)にどんな話があるのかすごい気になる
神社の対立の話は少なくないようだね。
諏訪で言えば、下社の事代主神は国つ神だが
金刺氏はご指摘の通り大和系の多氏。
他にも日御碕は天照大神を祀っていて、出雲と仲が悪かったり。
あとは、出雲大社と物部神社の対立とか。
ところで、諏訪は物部系であり
建御雷神は中臣。
古事記でも最も話題になる国譲りについて疑問があるんだが・・・
建御雷神が建御名方神を追い落としたというのは
一見、蘇我が物部を追い落とした史実を思い起こさせるが
実際には建御雷神を祀るのは蘇我ではなく中臣であり
その中臣氏は排仏派だ。
ところが、蘇我を滅ぼした乙巳の変、そして大化の改新の後には
中臣氏は仏教の布教に積極的な行動を取り
結果として、不比等の時代には、蘇我の後を継いだような位置に収まる。
ここに日本史の大きな謎が隠されているように思う・・・。
諏訪で言えば、下社の事代主神は国つ神だが
金刺氏はご指摘の通り大和系の多氏。
他にも日御碕は天照大神を祀っていて、出雲と仲が悪かったり。
あとは、出雲大社と物部神社の対立とか。
ところで、諏訪は物部系であり
建御雷神は中臣。
古事記でも最も話題になる国譲りについて疑問があるんだが・・・
建御雷神が建御名方神を追い落としたというのは
一見、蘇我が物部を追い落とした史実を思い起こさせるが
実際には建御雷神を祀るのは蘇我ではなく中臣であり
その中臣氏は排仏派だ。
ところが、蘇我を滅ぼした乙巳の変、そして大化の改新の後には
中臣氏は仏教の布教に積極的な行動を取り
結果として、不比等の時代には、蘇我の後を継いだような位置に収まる。
ここに日本史の大きな謎が隠されているように思う・・・。
日本書紀に書かれてないんだから、
過去の歴史より古事記と日本書紀の作られた事情にどちらかといえばキーがあるんじゃない
>>572
咲夜は関係ありそうだったけど、儚月抄でコノハナサクヤヒメもイワナガヒメも登場しちゃったからねえ
名前の一致がどれだけの意味があるのかわからなくなってしまった
過去の歴史より古事記と日本書紀の作られた事情にどちらかといえばキーがあるんじゃない
>>572
咲夜は関係ありそうだったけど、儚月抄でコノハナサクヤヒメもイワナガヒメも登場しちゃったからねえ
名前の一致がどれだけの意味があるのかわからなくなってしまった
>>574
およそ藤原氏がそのまま中臣氏の後継と考えられがちだけど実は違う。
藤原鎌足死後、中臣=藤原氏を継承したのは中臣金(なかとみのかね)。
彼は鎌足の従兄弟にあたる人物だけど、天智天皇と大友皇子に重用されている。
で、壬申の乱で大友皇子側について敗北。処刑。
これに際して中臣氏も大半が壬申の乱で没落したと考えられる。
そもそも、壬申の乱自体が旧豪族vs天皇側近みたいな様相を呈していたから、
旧豪族である中臣氏も当然大友皇子側だった。
ちなみに、蘇我氏没落最大の原因も壬申の乱。
乙巳の変はトップが消されただけで、以後も蘇我氏はそれなりの勢力を保っていたから。
そこで、没落した中から不比等は才で這い上がってきて藤原氏総帥となり、
その結果として鎌足─不比等の子孫しか藤原氏が名乗れなくなった。
こういう経緯があるから、藤原氏は実質的に不比等によって作られた氏族と言うことができる。
中臣と藤原を連続した存在と捉えることはできないのではないかと思っている。
あくまで壬申の乱前後で断絶があると考えるべきではないかなぁ。
古代史は思想によって変化してしまうから難しい……
およそ藤原氏がそのまま中臣氏の後継と考えられがちだけど実は違う。
藤原鎌足死後、中臣=藤原氏を継承したのは中臣金(なかとみのかね)。
彼は鎌足の従兄弟にあたる人物だけど、天智天皇と大友皇子に重用されている。
で、壬申の乱で大友皇子側について敗北。処刑。
これに際して中臣氏も大半が壬申の乱で没落したと考えられる。
そもそも、壬申の乱自体が旧豪族vs天皇側近みたいな様相を呈していたから、
旧豪族である中臣氏も当然大友皇子側だった。
ちなみに、蘇我氏没落最大の原因も壬申の乱。
乙巳の変はトップが消されただけで、以後も蘇我氏はそれなりの勢力を保っていたから。
そこで、没落した中から不比等は才で這い上がってきて藤原氏総帥となり、
その結果として鎌足─不比等の子孫しか藤原氏が名乗れなくなった。
こういう経緯があるから、藤原氏は実質的に不比等によって作られた氏族と言うことができる。
中臣と藤原を連続した存在と捉えることはできないのではないかと思っている。
あくまで壬申の乱前後で断絶があると考えるべきではないかなぁ。
古代史は思想によって変化してしまうから難しい……
>>576
古代史はとにかく史料が少ないからねぇ。
主なところは日本書紀以下の六国史、古事記、風土記、古語拾遺、先代旧事本紀、万葉集、懐風藻くらいか。
最近は木簡なんかもだいぶ数は出てるけど、整理分析はまだまだ遅れてるし。畿内でそんな感じだから、まして東国の諏訪は……
あとは民俗学と考古学の成果に賭けるしかないけど、こっちはこっちで裏付けがねぇ……
古代史はとにかく史料が少ないからねぇ。
主なところは日本書紀以下の六国史、古事記、風土記、古語拾遺、先代旧事本紀、万葉集、懐風藻くらいか。
最近は木簡なんかもだいぶ数は出てるけど、整理分析はまだまだ遅れてるし。畿内でそんな感じだから、まして東国の諏訪は……
あとは民俗学と考古学の成果に賭けるしかないけど、こっちはこっちで裏付けがねぇ……
>>576
いや、実はつい先日その資料は読んだんだ。
ただ、前半部分はおぼろげだったので勉強になった。ありがとう。
神社といえば
石上神宮と鹿島神宮、香取神宮の勢力が無視できないが
何故不比等の日本書紀において、石上神宮こそが重く扱われたのか
というのもちょっと気になっている。
いや、実はつい先日その資料は読んだんだ。
ただ、前半部分はおぼろげだったので勉強になった。ありがとう。
神社といえば
石上神宮と鹿島神宮、香取神宮の勢力が無視できないが
何故不比等の日本書紀において、石上神宮こそが重く扱われたのか
というのもちょっと気になっている。
いやいや、あくまで私の歴史観の入ったものだから、詳しくは様々な史料で調べてくれ。
私なりの歴史観が全て通用するかどうかもわからないから。ここは一次史料を全く当たってないので、推測混じってるし。
で、石上神宮の重用された理由だけど、これは石上麻呂の存在が大きいのではないかな?
石上神宮といえば物部氏の神社として有名だけど、物部氏本宗家は蘇我氏によって誅殺された。
でも分家が生き残っていて、その子孫が麻呂。彼は近江朝側に居ながら異例の出世を遂げている。
なにせ不比等より上の位に居る。
そういうわけで、麻呂と関係の深い石上神宮も重用されるようになったのだろう。
さらにいうと、元来物部氏と中臣氏はともに斥仏派として蘇我氏と共闘していた過去もある。
共に連(むらじ)の家でもあるし、関係は深かったのではないだろうか?
麻呂は不比等と一緒に、輝夜に求婚に行っているしね。
私なりの歴史観が全て通用するかどうかもわからないから。ここは一次史料を全く当たってないので、推測混じってるし。
で、石上神宮の重用された理由だけど、これは石上麻呂の存在が大きいのではないかな?
石上神宮といえば物部氏の神社として有名だけど、物部氏本宗家は蘇我氏によって誅殺された。
でも分家が生き残っていて、その子孫が麻呂。彼は近江朝側に居ながら異例の出世を遂げている。
なにせ不比等より上の位に居る。
そういうわけで、麻呂と関係の深い石上神宮も重用されるようになったのだろう。
さらにいうと、元来物部氏と中臣氏はともに斥仏派として蘇我氏と共闘していた過去もある。
共に連(むらじ)の家でもあるし、関係は深かったのではないだろうか?
麻呂は不比等と一緒に、輝夜に求婚に行っているしね。
>>560
微妙に亀だけど似たような感じに弥生-古墳あたりなんじゃないかなに一票。
そういえば今週長野行ってきたんだが色々面白い発見があってホルホルだった。
つても本宮と手長と春宮と秋宮しか行けなかったが。春宮改修中でうヴぉあーだったし。
神社も入れないところがわりかしあったりでなかなかアレだった。前宮と足長も行きたかったなぁ(^q^
春宮の改修は後一年か二年かかるらしいから次の御柱にも間に合わなそう。
全部回ってまったり見たいなら車で計画的に動いて二泊三日ぐらいないと足りない悪寒。
シーズンじゃなければ一泊10kぐらいでそこそこの宿あるし行って見るのも面白いかもしれんね。
微妙に亀だけど似たような感じに弥生-古墳あたりなんじゃないかなに一票。
そういえば今週長野行ってきたんだが色々面白い発見があってホルホルだった。
つても本宮と手長と春宮と秋宮しか行けなかったが。春宮改修中でうヴぉあーだったし。
神社も入れないところがわりかしあったりでなかなかアレだった。前宮と足長も行きたかったなぁ(^q^
春宮の改修は後一年か二年かかるらしいから次の御柱にも間に合わなそう。
全部回ってまったり見たいなら車で計画的に動いて二泊三日ぐらいないと足りない悪寒。
シーズンじゃなければ一泊10kぐらいでそこそこの宿あるし行って見るのも面白いかもしれんね。
歴史学的にいうならば、応神朝~雄略朝期ではなかろうか >諏訪大戦
古事記・日本書紀によれば、この時期に豪族の討伐が行われている。
また、倭五王の武(=雄略?)の宋への書簡に各地を討伐を行ったとある。
さらに言うと、埼玉県稲荷山古墳・熊本県江田船山古墳の「ワカタケル」銘武具出土から、ヤマト王権の拡大が考古学的にもわかる。
以上の事から、この時期にヤマト王権が各地の豪族を制圧、傘下に収めていったということが考えられている。
諏訪の攻略もこの時期に行われたのではないだろうか?
傘下に収めながらも地方の統治はあくまで豪族にゆだねられ、余りヤマトが介入できなかったと推測されることも、
諏訪子と神奈子の関係と丁度マッチしているような気もするし。
上社に私も行ったよ。良い所だし東方的には聖地なのかもしれないけれど、やっぱり諏訪大明神は諏訪大明神。
いくらモチーフであるとはいえ、あれだけの痛絵馬はちょっといかがなものか、と思ったり。
割と神様を信じているだけに。
余談申し訳ない。
古事記・日本書紀によれば、この時期に豪族の討伐が行われている。
また、倭五王の武(=雄略?)の宋への書簡に各地を討伐を行ったとある。
さらに言うと、埼玉県稲荷山古墳・熊本県江田船山古墳の「ワカタケル」銘武具出土から、ヤマト王権の拡大が考古学的にもわかる。
以上の事から、この時期にヤマト王権が各地の豪族を制圧、傘下に収めていったということが考えられている。
諏訪の攻略もこの時期に行われたのではないだろうか?
傘下に収めながらも地方の統治はあくまで豪族にゆだねられ、余りヤマトが介入できなかったと推測されることも、
諏訪子と神奈子の関係と丁度マッチしているような気もするし。
上社に私も行ったよ。良い所だし東方的には聖地なのかもしれないけれど、やっぱり諏訪大明神は諏訪大明神。
いくらモチーフであるとはいえ、あれだけの痛絵馬はちょっといかがなものか、と思ったり。
割と神様を信じているだけに。
余談申し訳ない。
まぁ、痛絵馬は俺もうわぁ・・・って感じだったけどやっぱ雰囲気が良かったなぁ。
少し前のレスで木は龍ってのがあったけど、本宮のやたらでかい木を見るとなんかわかるような気もした。
あと上社も良いけど下社面白いよ下社。
万冶の石仏とかフーンって感じに思ってたけど実際目の前に立つと謎の威圧感を感じたりするし。
秋葉大権現の石碑がさりげなくあったり、恵比寿の社があったのも吹いた。
それと地元の人に話聞けたのも面白かったなぁ。
ボート屋のおっちゃん曰く、上社の神様が下社の女神様にお湯を持っていった時に零れたお湯が今の温泉なんだとかなんとか。
上社行く途中の道に普通に鳥居があったりで昔の信仰がところどころに残ってるような雰囲もなんかえがったな。
あと御柱はやっぱ凄まじいらしい。御柱ルートのあちこちで酒配ってるからツマミだけあれば十分とか言ってた。おっちゃんが。
少し前のレスで木は龍ってのがあったけど、本宮のやたらでかい木を見るとなんかわかるような気もした。
あと上社も良いけど下社面白いよ下社。
万冶の石仏とかフーンって感じに思ってたけど実際目の前に立つと謎の威圧感を感じたりするし。
秋葉大権現の石碑がさりげなくあったり、恵比寿の社があったのも吹いた。
それと地元の人に話聞けたのも面白かったなぁ。
ボート屋のおっちゃん曰く、上社の神様が下社の女神様にお湯を持っていった時に零れたお湯が今の温泉なんだとかなんとか。
上社行く途中の道に普通に鳥居があったりで昔の信仰がところどころに残ってるような雰囲もなんかえがったな。
あと御柱はやっぱ凄まじいらしい。御柱ルートのあちこちで酒配ってるからツマミだけあれば十分とか言ってた。おっちゃんが。
俺は下社の神様が上社から下社に引っ越すときに綿から染み出た水が今の温泉だと聞いたが
綿に湯を染み込ませて持っていったとのこと。
いくらか零して(上諏訪温泉)、最終的に置いた場所が綿の湯(下諏訪温泉)ってことらしい。
参照「諏訪のでんせつ」より。
ttp://grappa60.at.webry.info/200703/article_9.html
いくらか零して(上諏訪温泉)、最終的に置いた場所が綿の湯(下諏訪温泉)ってことらしい。
参照「諏訪のでんせつ」より。
ttp://grappa60.at.webry.info/200703/article_9.html
>>579
だがちょっと待ってほしい
後期の藤原不比等と石上麻呂の関係は良好とは言い難かったのではないかな
文武天皇の崩御で元明天皇が急遽即位したウラには不比等の存在を感じる。
元明といえば天皇系譜でも異例の皇后経験なしの女帝。
それを押し通したのには首皇子をどうしても天皇の地位に据えたい
という不比等の思惑があったんだろう。
(首皇子の母は不比等の娘。当然首皇子が即位すれば藤原家の影響力は鰻登り)
麻呂は反対派の一人だったが結局不比等のシナリオ通りに
藤原京から平城京に遷都するときも推進派だった不比等に対し、反対していたのは麻呂。
遷都後麻呂は藤原京の留守番役に(事実上の左遷)
立場上は左大臣だった麻呂が上位にいたがこの時すでに右大臣不比等が権限を掌握。
躍進を重ねる後輩に対して麻呂がいい感情を持ってたとは思えない。
だがちょっと待ってほしい
後期の藤原不比等と石上麻呂の関係は良好とは言い難かったのではないかな
文武天皇の崩御で元明天皇が急遽即位したウラには不比等の存在を感じる。
元明といえば天皇系譜でも異例の皇后経験なしの女帝。
それを押し通したのには首皇子をどうしても天皇の地位に据えたい
という不比等の思惑があったんだろう。
(首皇子の母は不比等の娘。当然首皇子が即位すれば藤原家の影響力は鰻登り)
麻呂は反対派の一人だったが結局不比等のシナリオ通りに
藤原京から平城京に遷都するときも推進派だった不比等に対し、反対していたのは麻呂。
遷都後麻呂は藤原京の留守番役に(事実上の左遷)
立場上は左大臣だった麻呂が上位にいたがこの時すでに右大臣不比等が権限を掌握。
躍進を重ねる後輩に対して麻呂がいい感情を持ってたとは思えない。
麻呂と不比等の関係については全くそちらが正しい。こちらの勉強不足でした。
その上で、710年ごろ編纂された諸史で石上神宮が優遇される理由にはやはり麻呂が欠かせないと考える。
朝廷内の権力は実質的に不比等によって握られていたとはいえ、麻呂は形式的にトップだった。
不比等がトップにたたなかったのはおそらく石上氏と麻呂の勢力の大きさを鑑みたからと考えられる。
とすれば、いくら不比等にとって麻呂がジャマとはいえ、彼の傘下で行われている歴史編纂において石上氏を全く放置するわけにはいかなかったのではないだろうか。
そういう勢力バランスの統制に長けた不比等が、仮にも朝廷総帥であり大きな力を持つ石上氏を歴史編纂で重用し、石上氏の不満反らしに使ったと考えることもできると思う。
詳しくは原史料を一言一句逐一読まなければ不比等の意図なんてわからないけれど。
その上で、710年ごろ編纂された諸史で石上神宮が優遇される理由にはやはり麻呂が欠かせないと考える。
朝廷内の権力は実質的に不比等によって握られていたとはいえ、麻呂は形式的にトップだった。
不比等がトップにたたなかったのはおそらく石上氏と麻呂の勢力の大きさを鑑みたからと考えられる。
とすれば、いくら不比等にとって麻呂がジャマとはいえ、彼の傘下で行われている歴史編纂において石上氏を全く放置するわけにはいかなかったのではないだろうか。
そういう勢力バランスの統制に長けた不比等が、仮にも朝廷総帥であり大きな力を持つ石上氏を歴史編纂で重用し、石上氏の不満反らしに使ったと考えることもできると思う。
詳しくは原史料を一言一句逐一読まなければ不比等の意図なんてわからないけれど。
石上重用の背景はその辺りにおさまるだろうね
また石上神宮といえば神剣神宝の管理が行われてきた云わば朝廷の武器庫
祭祀を担当していた物部氏が朝廷の軍事をも担当する程に重要な性質をもってたことからも
すでに石上神宮の存在感は相当大きかったということもあるのかも
また石上神宮といえば神剣神宝の管理が行われてきた云わば朝廷の武器庫
祭祀を担当していた物部氏が朝廷の軍事をも担当する程に重要な性質をもってたことからも
すでに石上神宮の存在感は相当大きかったということもあるのかも
建御名方神と御穂須須美神の関係を調べれば調べるほど頭がおかしくなって死ぬ。
まず御穂須須美神が男神か女神かはっきりしてくれと…。
まず御穂須須美神が男神か女神かはっきりしてくれと…。
石上神宮といえばフツノミタマってマジで現存してんのかな
◆ 其の四(スレ4)>>361–372
唐突な質問だが、風神と蛇ってどんな対応関係にあるんだ?
諏訪と風神を扱ったサイト見ると
蛇神であることを風神たる根拠に数えているが
なぜ風神が蛇と対応するのかイマイチわからない
諏訪と風神を扱ったサイト見ると
蛇神であることを風神たる根拠に数えているが
なぜ風神が蛇と対応するのかイマイチわからない
グーグル先生曰く
ttp://www.eps4.comlink.ne.jp/~suiou/kitamura-1.html
「日本書紀」に持統天皇五年八月二十三日
「使者を遣わして、竜田風神、信濃の須波(諏訪)水内等の神を祭らしむ」とあり、
8月末の台風の季節に持統天皇が風神・竜田神社と信濃諏訪神に使いを派して祭らせて風封じをしていると言う。
諏訪神の本質は蛇神で、「蛇即風」で風神でもあり諏訪大社の「風祝」にもつながると言う。
そして陰陽五行で風は「四録木気、東南、巽」で
風の仲間は細くて長いもの、蛇、髪、反物などで、
この「木気」に勝つもので「金気」・金物、刃物に通じ、
風祭呪術として薙鎌の古木への打ち込みや風切り鎌に現れていると言う。
ttp://www.eps4.comlink.ne.jp/~suiou/kitamura-1.html
「日本書紀」に持統天皇五年八月二十三日
「使者を遣わして、竜田風神、信濃の須波(諏訪)水内等の神を祭らしむ」とあり、
8月末の台風の季節に持統天皇が風神・竜田神社と信濃諏訪神に使いを派して祭らせて風封じをしていると言う。
諏訪神の本質は蛇神で、「蛇即風」で風神でもあり諏訪大社の「風祝」にもつながると言う。
そして陰陽五行で風は「四録木気、東南、巽」で
風の仲間は細くて長いもの、蛇、髪、反物などで、
この「木気」に勝つもので「金気」・金物、刃物に通じ、
風祭呪術として薙鎌の古木への打ち込みや風切り鎌に現れていると言う。
失礼します。
いつもこちらのスレでは勉強させて戴いております、しがなき二次制作者なのですが、
諏訪の神格について調べていたところ
南方刀美命=御野縣主(刀美)=阿遅?高日子根神
という説があったのですが、これってどうなんでしょうか?
…当方に基礎的な知識が無いせいか、少々飛躍し過ぎでは、と思えるのですが…。
出典は「信濃郷土史研究叢書 第1編 信濃郷土史研究会,大正5 栗岩英治編」
です。
国立国会図書館のデジタルライブラリーから見ることが出来ます。
ttp://kindai.ndl.go.jp/index.html
いつもこちらのスレでは勉強させて戴いております、しがなき二次制作者なのですが、
諏訪の神格について調べていたところ
南方刀美命=御野縣主(刀美)=阿遅?高日子根神
という説があったのですが、これってどうなんでしょうか?
…当方に基礎的な知識が無いせいか、少々飛躍し過ぎでは、と思えるのですが…。
出典は「信濃郷土史研究叢書 第1編 信濃郷土史研究会,大正5 栗岩英治編」
です。
国立国会図書館のデジタルライブラリーから見ることが出来ます。
ttp://kindai.ndl.go.jp/index.html
…すみません。文字化けしますね。
南方刀美命=御野縣主(刀美)=アヂスキタカヒコネ
です。
南方刀美命=御野縣主(刀美)=アヂスキタカヒコネ
です。
138頁の祭神論(下)の辺りですか。
私も知識無いけど、読んでみた感想では無茶なつなげ方だと思います。
前論となっている国譲り抗争が出雲ではなく濃尾駿遠三のあたりだとする説も、他では
聞いたことないなあ。
その辺詳しい人がいたら意見聞きたいですね。
122頁の「信濃なる木曽路の櫻咲きにけり風の祝にすきまあらすな」の歌がなんか妙に
ウケましたw
私も知識無いけど、読んでみた感想では無茶なつなげ方だと思います。
前論となっている国譲り抗争が出雲ではなく濃尾駿遠三のあたりだとする説も、他では
聞いたことないなあ。
その辺詳しい人がいたら意見聞きたいですね。
122頁の「信濃なる木曽路の櫻咲きにけり風の祝にすきまあらすな」の歌がなんか妙に
ウケましたw
津田左右吉以前でも、結構神話の裏読みはやってたんだなー。
ただ「ミナカタ=ミノアガタ」は出雲系氏族の畿内を経由しての撤退を前提にしないと
こじつけの域は出ないと思う。風雨神であることは分かってるんだから、素直に
「ミナカタ=水潟」でいいような。
出雲―大和―東海道にまたがる旧出雲系大勢力ってのもロマンだけど、さすがに現在
では支持する人いないでしょう。
「ミナカタ=アヂスキタカヒコネ」にしても美濃の神という前提が怪しいし。
>>371
風祝の百日潔斎は、密室でやってたみたいな記述があって、どうも隙間から陽光が
入ったりすると効果がなくなるらしいです。
一生懸命目貼りとかしてたのかなー、と思うと、非の諏訪子の「うちの神社には貴方の
忍び込む隙間は無いわよ」みたいな台詞も味わいが深いです。
ただ「ミナカタ=ミノアガタ」は出雲系氏族の畿内を経由しての撤退を前提にしないと
こじつけの域は出ないと思う。風雨神であることは分かってるんだから、素直に
「ミナカタ=水潟」でいいような。
出雲―大和―東海道にまたがる旧出雲系大勢力ってのもロマンだけど、さすがに現在
では支持する人いないでしょう。
「ミナカタ=アヂスキタカヒコネ」にしても美濃の神という前提が怪しいし。
>>371
風祝の百日潔斎は、密室でやってたみたいな記述があって、どうも隙間から陽光が
入ったりすると効果がなくなるらしいです。
一生懸命目貼りとかしてたのかなー、と思うと、非の諏訪子の「うちの神社には貴方の
忍び込む隙間は無いわよ」みたいな台詞も味わいが深いです。
◆ 其の五(スレ5)>>663–665
-チラシの裏-
諏訪地方は水分中の鉄濃度が高く、そのため水辺に生える葦なんかの根元には鉄化合物が析出するらしい。
それらのことを褐鉄鉱、又の名を高師小僧といい、場合によっては根元をぐるりと取り囲んで円柱状に成長するとの事。
出典「御柱祭 火と鉄と神と-縄文時代を科学する-」
鉄の鐶ってこれじゃね?
まぁ古文書に書かれた諏訪対戦で守矢側が用いた道具の鉄鐶も、
実際の所は「鐶」の文字の偏が金では無く車にちかいらしく本当に鐶なのかは議論の余地が在るとか無いとか。
後、鉄鐶も藤の蔓も呪術道具だったのではないかとか。
でも幻想郷のけろちゃんは鉄鐶で戦ったって言うしまぁ良いや。
出典「県宝守矢文書を読む」
-チルノの背中-
諏訪地方は水分中の鉄濃度が高く、そのため水辺に生える葦なんかの根元には鉄化合物が析出するらしい。
それらのことを褐鉄鉱、又の名を高師小僧といい、場合によっては根元をぐるりと取り囲んで円柱状に成長するとの事。
出典「御柱祭 火と鉄と神と-縄文時代を科学する-」
鉄の鐶ってこれじゃね?
まぁ古文書に書かれた諏訪対戦で守矢側が用いた道具の鉄鐶も、
実際の所は「鐶」の文字の偏が金では無く車にちかいらしく本当に鐶なのかは議論の余地が在るとか無いとか。
後、鉄鐶も藤の蔓も呪術道具だったのではないかとか。
でも幻想郷のけろちゃんは鉄鐶で戦ったって言うしまぁ良いや。
出典「県宝守矢文書を読む」
-チルノの背中-
◆ 其の五(スレ5)>>711–723
御柱祭参加して柱引いてきたどー。
なんでこの祭りが廃れずに残ってるかは理解できた気がする。
これだけ多くの氏子が参加して祭りをやっているのに
諏訪大社とか神様とか、そう言うのはあまり考慮されてない。
神奈子も引越しを考えるわけだなぁと思った。
なんでこの祭りが廃れずに残ってるかは理解できた気がする。
これだけ多くの氏子が参加して祭りをやっているのに
諏訪大社とか神様とか、そう言うのはあまり考慮されてない。
神奈子も引越しを考えるわけだなぁと思った。
>>709
出雲国造家の千家と北島のことかな?
どちらも、日本では皇室に次ぐ歴史を持った家ではある
明治が始まるまでは、月ごとに祭祀を交代で執り行っていたらしい
現在の出雲大社の宮司は千家家で、北島家の方は同じ出雲大社を信仰する
宗教法人出雲教の責任者を務めている
余談ではあるけれど、出雲大社の宮司、出雲国造は明治のころまで(地元じゃ今もかな)
本物の「現人神」で、国造が踏んだ筵や、風呂の残り湯がお守り代わりに奪い合いになったなんて話もある
天穂日命の子孫だから早苗さんタイプの現人神であると同時に
神の憑坐「御杖代」ともされるから、霊夢タイプでもあると言える
出雲国造家の千家と北島のことかな?
どちらも、日本では皇室に次ぐ歴史を持った家ではある
明治が始まるまでは、月ごとに祭祀を交代で執り行っていたらしい
現在の出雲大社の宮司は千家家で、北島家の方は同じ出雲大社を信仰する
宗教法人出雲教の責任者を務めている
余談ではあるけれど、出雲大社の宮司、出雲国造は明治のころまで(地元じゃ今もかな)
本物の「現人神」で、国造が踏んだ筵や、風呂の残り湯がお守り代わりに奪い合いになったなんて話もある
天穂日命の子孫だから早苗さんタイプの現人神であると同時に
神の憑坐「御杖代」ともされるから、霊夢タイプでもあると言える
>>713
本当の話でしたか!有難うございます。
俺は島根県に生まれて久しいが、石見の人間で、分社が浜田にはあるが詳しく無いのは、恥知らずもいいところだ。無知を知ることは良いことだ。と、思った。もっと地元を知らなくては!
ちなみに、皇室の御方が嫁いだ時に、相当現地ではお祭り騒ぎになったそうですよ。
本当の話でしたか!有難うございます。
俺は島根県に生まれて久しいが、石見の人間で、分社が浜田にはあるが詳しく無いのは、恥知らずもいいところだ。無知を知ることは良いことだ。と、思った。もっと地元を知らなくては!
ちなみに、皇室の御方が嫁いだ時に、相当現地ではお祭り騒ぎになったそうですよ。
>>678
いや、出雲大社はどちらかと言えば平地っぽくて
諏訪大社の上社とは全く雰囲気が違うよ
山というより丘程度しかない
俺としては出雲はまさに瑞穂の国といった印象だ
山国の諏訪とはぜんぜん違う
しかも出雲の創建に関しては6~7世紀という説が今日では有力になっている
実際には杵築大社(出雲大社)より前に
熊野大社(和歌山とは別物)が存在し、そちらに居た勢力が6世紀ごろ移動して
出雲大社を作ったという説がある
かつて熊野大社が出雲国一宮だったのもそうした理由あってのものだという
神社が豪族の武器庫というか、砦のような存在だったというのは賛同するけど。
神社の造は高床式で、穀物倉だったとも考えられる。
鹿島、香取や鹽竈神社は蝦夷の脅威に対する前線だったと考えられる。
話は変わるが、諏訪大社では
「下社(の祭神)は中央が送ってきた監視役」
という見方が存在するのだと聞いたことがある
本当かどうかは分からんが
いや、出雲大社はどちらかと言えば平地っぽくて
諏訪大社の上社とは全く雰囲気が違うよ
山というより丘程度しかない
俺としては出雲はまさに瑞穂の国といった印象だ
山国の諏訪とはぜんぜん違う
しかも出雲の創建に関しては6~7世紀という説が今日では有力になっている
実際には杵築大社(出雲大社)より前に
熊野大社(和歌山とは別物)が存在し、そちらに居た勢力が6世紀ごろ移動して
出雲大社を作ったという説がある
かつて熊野大社が出雲国一宮だったのもそうした理由あってのものだという
神社が豪族の武器庫というか、砦のような存在だったというのは賛同するけど。
神社の造は高床式で、穀物倉だったとも考えられる。
鹿島、香取や鹽竈神社は蝦夷の脅威に対する前線だったと考えられる。
話は変わるが、諏訪大社では
「下社(の祭神)は中央が送ってきた監視役」
という見方が存在するのだと聞いたことがある
本当かどうかは分からんが
>>711
あれは神遊び的要素のみ突出してる感があるからな。
何のためにどうして行っているのか、さっぱり判らない異質な祭りだ。
たいていの祭りには豊作祈願とかの意味があるはずだが、御柱にはそういったテーマがない。
行われてる神事も大祓やミシャグジ降ろしなど、曳航の安全や進行に関与する祈祷ばっかり。
(尤も豊作祈願系神事は年中行事として別に行われているが……)
莫大な信仰を放出しているかもしれないが、その向け先が不明という「信仰心空回り」の状態だ。
あれは神遊び的要素のみ突出してる感があるからな。
何のためにどうして行っているのか、さっぱり判らない異質な祭りだ。
たいていの祭りには豊作祈願とかの意味があるはずだが、御柱にはそういったテーマがない。
行われてる神事も大祓やミシャグジ降ろしなど、曳航の安全や進行に関与する祈祷ばっかり。
(尤も豊作祈願系神事は年中行事として別に行われているが……)
莫大な信仰を放出しているかもしれないが、その向け先が不明という「信仰心空回り」の状態だ。
>>718
諏訪大社の祭祀者一族には出雲大社と同じく(>>713)二つの系統あって、
しかもこちらの場合は先祖自体が別々の、本来は全く異なる出自の一族なんだよね。
上社の大祝を伝承する諏訪氏は、タケミナカタの末裔を称する神氏(みわうじ)の嫡流を名乗る。
一方、下社の大祝を伝承する金刺氏は、科野国造氏の流れを汲む金刺舎人の末裔を称している。
どっちも平安末期には武士化して系譜が混乱した上に、それ以前から信濃国に土着した清和源氏その他の貴族とも
姻戚関係を結んだりしてもう真相はわからん状態だけど・・・
ちなみに下社の金刺氏は苗字を「手塚」とも称してるんだけど、源平合戦の頃、この一族から
木曾義仲の忠臣として名高い手塚太郎光盛が出た。平家方の勇将・斎藤実盛を討った逸話は『平家物語』の名場面の一つでもある。
さらに、この光盛の遠い子孫に当たるのが何と漫画の神様・手塚治虫その人である、らしい。
そのためかどうか、『火の鳥』乱世編には手塚先生の自画像そのまんまな光盛がキャラクターとして登場していたりする。
って途中から東方も民俗も全然関係ないねごめんなさい
諏訪大社の祭祀者一族には出雲大社と同じく(>>713)二つの系統あって、
しかもこちらの場合は先祖自体が別々の、本来は全く異なる出自の一族なんだよね。
上社の大祝を伝承する諏訪氏は、タケミナカタの末裔を称する神氏(みわうじ)の嫡流を名乗る。
一方、下社の大祝を伝承する金刺氏は、科野国造氏の流れを汲む金刺舎人の末裔を称している。
どっちも平安末期には武士化して系譜が混乱した上に、それ以前から信濃国に土着した清和源氏その他の貴族とも
姻戚関係を結んだりしてもう真相はわからん状態だけど・・・
ちなみに下社の金刺氏は苗字を「手塚」とも称してるんだけど、源平合戦の頃、この一族から
木曾義仲の忠臣として名高い手塚太郎光盛が出た。平家方の勇将・斎藤実盛を討った逸話は『平家物語』の名場面の一つでもある。
さらに、この光盛の遠い子孫に当たるのが何と漫画の神様・手塚治虫その人である、らしい。
そのためかどうか、『火の鳥』乱世編には手塚先生の自画像そのまんまな光盛がキャラクターとして登場していたりする。
って途中から東方も民俗も全然関係ないねごめんなさい
いや、続けてくれ
>>711
大半の日本人は昔からどんな神がいるとか神の名前とか気にしなかったって鎌田東二が言ってた。
民衆の信仰なんて昔からそんなもんだろ。
神の存在を前提にしつつもそれについて深く考えない。
現代人の多くが自然研究に数学的諸概念を適用できると考えつつもその事に疑問を持たないようにな。
大半の日本人は昔からどんな神がいるとか神の名前とか気にしなかったって鎌田東二が言ってた。
民衆の信仰なんて昔からそんなもんだろ。
神の存在を前提にしつつもそれについて深く考えない。
現代人の多くが自然研究に数学的諸概念を適用できると考えつつもその事に疑問を持たないようにな。
◆ 其の六(スレ6)>>453–460
>>453
その説はねーな・・・
色んな意味で無理がある。
諏訪はとにかく柱があれば信仰になるという土地。
でも御柱が今でも存続してるのは
アレが地域対抗柱運び合戦だからだと思う。
6年に一度の大運動会は楽しいぜ
その説はねーな・・・
色んな意味で無理がある。
諏訪はとにかく柱があれば信仰になるという土地。
でも御柱が今でも存続してるのは
アレが地域対抗柱運び合戦だからだと思う。
6年に一度の大運動会は楽しいぜ
手段が目的そのものに成り代わってるよなあ、あのお祭り
>>453
石棒っつってな、まぁ縄紋時代から伝わるモノがあってな、
まぁ俺らのマグナムをかたどった呪術器(一体どんな儀式なんだw)なんだが、
御柱は1mmでも大きくという願いの末に生まれた(生えたか?w)ものだと思うんだ
ナニが言いたいかと言うと皆考えることは一緒なだけだったっていう
石棒っつってな、まぁ縄紋時代から伝わるモノがあってな、
まぁ俺らのマグナムをかたどった呪術器(一体どんな儀式なんだw)なんだが、
御柱は1mmでも大きくという願いの末に生まれた(生えたか?w)ものだと思うんだ
ナニが言いたいかと言うと皆考えることは一緒なだけだったっていう
>>455
どうかな。お祭りの目的が何なのかって話じゃないの。
ハレの日の理由付けとして存在するのが神という考え方もある。
一見目的のようでも、ただの建前というものは多い。
祝い事だから酒を呑むのか、酒を飲みたいから祝うのか
そこには切っても切れない縁がある
どうかな。お祭りの目的が何なのかって話じゃないの。
ハレの日の理由付けとして存在するのが神という考え方もある。
一見目的のようでも、ただの建前というものは多い。
祝い事だから酒を呑むのか、酒を飲みたいから祝うのか
そこには切っても切れない縁がある
それこそ、これも民俗学的思考の一面だが
祭の成立背景や存続の条件を考えるときは
その宗教的意義や由来という精神面もさることながら
それが地域共同体での生活や労働環境の中でどのような意味を持っているか
といった首から下の部分での条件も重要だ
御柱祭が地域対抗柱運び合戦になることで
地元共同体の活性化になっているというのなら大いに必然はある
逆に言えば、どんなに高貴な由来の祭でも首から下の事情で
存続できない事情があれば廃れるのにも必然があり
反対に、宗教的意義や由来の精神面は弱くとも
地域環境や行動形態のために一定の普及を果たす祭の形もある
明治~高度経済成長期なら炭坑節踊りとか、今ならよさこいソーランとか
祭の成立背景や存続の条件を考えるときは
その宗教的意義や由来という精神面もさることながら
それが地域共同体での生活や労働環境の中でどのような意味を持っているか
といった首から下の部分での条件も重要だ
御柱祭が地域対抗柱運び合戦になることで
地元共同体の活性化になっているというのなら大いに必然はある
逆に言えば、どんなに高貴な由来の祭でも首から下の事情で
存続できない事情があれば廃れるのにも必然があり
反対に、宗教的意義や由来の精神面は弱くとも
地域環境や行動形態のために一定の普及を果たす祭の形もある
明治~高度経済成長期なら炭坑節踊りとか、今ならよさこいソーランとか
>>458
曲水の宴とかまさにそれだよなぁ。
平安以前の宮廷行事が中世に入ってどんどん廃絶or縮小されたのは
結局予算上の都合とやる余裕や意味を無くしたからだし。
逆に、現代において地方の祭や行事の復活がなさてるのも、
過疎化が酷くてこのままだと地域そのものが消えてなくなりそうだから
(建前上はともかく)祭でもやって出て行った地元出身者を呼び戻したり、
観光客を引き寄せて地域経済の活性化を促すためである場合が殆ど。
純粋な神仏への信仰心からやってる祭は、今やごく少数派になってると思うよ。
リアルな話、カネとヒトがなきゃ祭や行事なんてそもそも出来ないからなぁ。
曲水の宴とかまさにそれだよなぁ。
平安以前の宮廷行事が中世に入ってどんどん廃絶or縮小されたのは
結局予算上の都合とやる余裕や意味を無くしたからだし。
逆に、現代において地方の祭や行事の復活がなさてるのも、
過疎化が酷くてこのままだと地域そのものが消えてなくなりそうだから
(建前上はともかく)祭でもやって出て行った地元出身者を呼び戻したり、
観光客を引き寄せて地域経済の活性化を促すためである場合が殆ど。
純粋な神仏への信仰心からやってる祭は、今やごく少数派になってると思うよ。
リアルな話、カネとヒトがなきゃ祭や行事なんてそもそも出来ないからなぁ。
阿波踊りも全国に大部普及したな
最初は国における憂さ晴らしの行事でもあったんだが
だから阿波踊りの音楽はちょっとトランス系のリズムが入ってたりする
諏訪において最近加わった吹奏楽の木遣りのリズムもそうだね
ハレの日というのは良く言われるけど非日常への接近が目的なんだろうな
最初は国における憂さ晴らしの行事でもあったんだが
だから阿波踊りの音楽はちょっとトランス系のリズムが入ってたりする
諏訪において最近加わった吹奏楽の木遣りのリズムもそうだね
ハレの日というのは良く言われるけど非日常への接近が目的なんだろうな
◆ 其の九(スレ9)>>883–889
以前何かで読んだんだが、諏訪神社って上社が諏訪子様ので下社が神奈子様のなの?
諏訪子をミシャグジ、神奈子を八坂刀売とするなら大凡その通り。
朝廷が諏訪を支配下にした証にタケミナカタを諏訪神として祀らせたものの、
どーにも上手く(実質的にミシャグジ祭祀)いかなかったので、牽制に下社勢を送り込んだって説話だったかと。
朝廷が諏訪を支配下にした証にタケミナカタを諏訪神として祀らせたものの、
どーにも上手く(実質的にミシャグジ祭祀)いかなかったので、牽制に下社勢を送り込んだって説話だったかと。
神社のかたちとしては、大三輪(大神)同様、守屋山の山体そのものを祀る古い様式
古代人にとっての山とは、三輪山や守屋山、筑波山のような里山の中の傑出したもので、
富士山や八ヶ岳のような高山は、神威、ひいては不吉の象徴ですらあったという説もある
人がみだりに近づいてはならない領域、恐るべき境界ということらしい
古代人にとっての山とは、三輪山や守屋山、筑波山のような里山の中の傑出したもので、
富士山や八ヶ岳のような高山は、神威、ひいては不吉の象徴ですらあったという説もある
人がみだりに近づいてはならない領域、恐るべき境界ということらしい
◆ 其の十一(スレ11)>>605–610
ttp://genjin.cool.ne.jp/zatugaku/tate.htm
古事記ではかませ役、地元のはずの諏訪でも「誰それ?」「外人?」「歌?」「ウチの祭神はミシャグジ様だから」状態
タケミナカタェ・・・
古事記ではかませ役、地元のはずの諏訪でも「誰それ?」「外人?」「歌?」「ウチの祭神はミシャグジ様だから」状態
タケミナカタェ・・・
東方でも建前の祭神なんて言われてるし、現実での扱いをネタに取り入れたのだろうか。
こうして扱いが軽くなる悪循環?信仰されるってのも難しいですなー
こうして扱いが軽くなる悪循環?信仰されるってのも難しいですなー
「わーん! スワえもーん!」
「ネコ型ロボみたいな名前で呼ぶんじゃないよ。どうしたの急に」
「皆が、私のことをいじめるのよ。お前なんか、初めから存在しない神だって」
「あーはいはい。私の力をあげるから、それで畏れを、謂れを取り戻しなさい」
「ああ、ああ、ありがとう、諏訪子。いつも本当に、ありがとう」
「うんうん、大丈夫、大丈夫。いつだって私が手伝ってあげるからね」
きゅっと私の手を握る神奈子の肩をさすりながら、私は子守唄を歌ってやった。
しばらくして安心したのか、すぅすぅと寝息を立て始める神奈子。
すっと指で彼女の涙をぬぐうと、ぺろりと舐める。
じわっと、口の中にしょっぱい味が広がる。
「ふふ、かわいいかわいい、ゴミクズの神奈子」
私は神奈子の耳元でそっと囁くと、神奈子を抱きしめた。
「ネコ型ロボみたいな名前で呼ぶんじゃないよ。どうしたの急に」
「皆が、私のことをいじめるのよ。お前なんか、初めから存在しない神だって」
「あーはいはい。私の力をあげるから、それで畏れを、謂れを取り戻しなさい」
「ああ、ああ、ありがとう、諏訪子。いつも本当に、ありがとう」
「うんうん、大丈夫、大丈夫。いつだって私が手伝ってあげるからね」
きゅっと私の手を握る神奈子の肩をさすりながら、私は子守唄を歌ってやった。
しばらくして安心したのか、すぅすぅと寝息を立て始める神奈子。
すっと指で彼女の涙をぬぐうと、ぺろりと舐める。
じわっと、口の中にしょっぱい味が広がる。
「ふふ、かわいいかわいい、ゴミクズの神奈子」
私は神奈子の耳元でそっと囁くと、神奈子を抱きしめた。
記紀神話に基づくタケミナカタ信仰はむしろ諏訪以外の地域に広まっている
日本各地の諏訪神社にはオオクニヌシやコトシロヌシを合祀している社もあり
タケミナカタは出雲系の神として信仰されていることがわかる
出雲大社はスサノオを祭神としていた時期がある
現在も社殿の背後にスサノオを祭る素鵞社があり
拝殿から参拝するとオオクニヌシではなくスサノオを拝む形になる
鹿島神宮の社殿も出雲と同様に神座が横を向いている
しかも大鳥居から見ると社殿は横向きになっているので
タケミカヅチは完全に鳥居に背を向けた状態になっている
社殿が北向きであるのは諏訪大社とも共通するという
これらの要素から諏訪・出雲・鹿島は本来の信仰対象であった土着神を
隠蔽・封印するような祭祀方法がとられているのではないかという見方も存在する
日本各地の諏訪神社にはオオクニヌシやコトシロヌシを合祀している社もあり
タケミナカタは出雲系の神として信仰されていることがわかる
出雲大社はスサノオを祭神としていた時期がある
現在も社殿の背後にスサノオを祭る素鵞社があり
拝殿から参拝するとオオクニヌシではなくスサノオを拝む形になる
鹿島神宮の社殿も出雲と同様に神座が横を向いている
しかも大鳥居から見ると社殿は横向きになっているので
タケミカヅチは完全に鳥居に背を向けた状態になっている
社殿が北向きであるのは諏訪大社とも共通するという
これらの要素から諏訪・出雲・鹿島は本来の信仰対象であった土着神を
隠蔽・封印するような祭祀方法がとられているのではないかという見方も存在する
まあ香取は元々土着の神だったのを改めたのではないかとか
イハヒノウシはタケハツチの事じゃないかとかあるけど
イハヒノウシはタケハツチの事じゃないかとかあるけど
鹿島、香取の両神宮は、北の蝦夷に対する重要な拠点でもあったというな
神宮という社格の高さや、社殿の方位もそのためかもしれない
両社に関係する息栖神社と側高神社の方位は忘れたけれども、
鳥居は社殿と正対していた記憶がある
ネイティブ・フェイスが取り込まれた例なのかも
神宮という社格の高さや、社殿の方位もそのためかもしれない
両社に関係する息栖神社と側高神社の方位は忘れたけれども、
鳥居は社殿と正対していた記憶がある
ネイティブ・フェイスが取り込まれた例なのかも
◆ 其の二十五(スレ25)>>429–447
民俗とは直接関係ない、歴史学の話だけど、諏訪に関して興味深い話聞いたから投下しとく。
一般に、上社大祝・諏訪家は「諏訪大明神の子孫」として連綿続いてきたとされる。
でもこの家が、鎌倉初期に下社大祝・金刺家に乗っ取られてるのではないか、という説があるらしい。
というのも、鎌倉初期に義仲の元で活躍する手塚光盛とか、頼朝にムチャぶりされる諏訪盛澄とか、みな下社系金刺氏。
で、そのあと活躍する、御内人の諏訪盛重が「上社大祝」として出てくる。
「盛」が共通していて、こちらが親子じゃないか、と。盛重の子も「盛経」だし。
盛重が御内人として権力を振るったことで、北条氏を通して諏訪大社が大きな力を持った、という背景がある。
だから、盛重が幕府での立場を背後に、上社大祝に就任しちゃった、と推測できる。
諏訪社が、全国的な信仰を得て勢力を拡大するのも、北条氏のおかげ。
執権北条氏の所領に、諏訪社が多いというのも、よく言われるし。
つまりこの時期に、諏訪社が大きく変化してるのよね。
要するに、「諏訪氏は古代から連綿と続く」という話は、後世、盛重たちや円忠に作られた「後付」ではないか、と。
むしろ、鎌倉幕府と深く関わることで、この家は「大祝」になり、諏訪の中での地位を固めた、という説。
守矢とかには関係ないのだけど、諏訪信仰=古代以来、という話に一石を投じていそうなので、書いておいてみた。
長々失礼。もろえの皆さんの、なにか参考になればよいと思うけど。
一般に、上社大祝・諏訪家は「諏訪大明神の子孫」として連綿続いてきたとされる。
でもこの家が、鎌倉初期に下社大祝・金刺家に乗っ取られてるのではないか、という説があるらしい。
というのも、鎌倉初期に義仲の元で活躍する手塚光盛とか、頼朝にムチャぶりされる諏訪盛澄とか、みな下社系金刺氏。
で、そのあと活躍する、御内人の諏訪盛重が「上社大祝」として出てくる。
「盛」が共通していて、こちらが親子じゃないか、と。盛重の子も「盛経」だし。
盛重が御内人として権力を振るったことで、北条氏を通して諏訪大社が大きな力を持った、という背景がある。
だから、盛重が幕府での立場を背後に、上社大祝に就任しちゃった、と推測できる。
諏訪社が、全国的な信仰を得て勢力を拡大するのも、北条氏のおかげ。
執権北条氏の所領に、諏訪社が多いというのも、よく言われるし。
つまりこの時期に、諏訪社が大きく変化してるのよね。
要するに、「諏訪氏は古代から連綿と続く」という話は、後世、盛重たちや円忠に作られた「後付」ではないか、と。
むしろ、鎌倉幕府と深く関わることで、この家は「大祝」になり、諏訪の中での地位を固めた、という説。
守矢とかには関係ないのだけど、諏訪信仰=古代以来、という話に一石を投じていそうなので、書いておいてみた。
長々失礼。もろえの皆さんの、なにか参考になればよいと思うけど。
ちょうど最近鎌倉幕府の御内人を勉強したばっかりだったから
その単語が出て来たのを見てなんか嬉しいw
>執権北条氏の所領に、諏訪社が
へぇ〜
こういうの見てると
教科書なんかの知識が他の知識と繋がってく感覚も楽しいね
その単語が出て来たのを見てなんか嬉しいw
>執権北条氏の所領に、諏訪社が
へぇ〜
こういうの見てると
教科書なんかの知識が他の知識と繋がってく感覚も楽しいね
鎌倉時代だろうが縄文時代以前だろうが似たようなもんだろ
どうせ神の子孫とか権威付けの俗信だし
どうせ神の子孫とか権威付けの俗信だし
聖性が俗信とはこれいかに
まぁ、信仰そのものは権威付けになる程度に古くからあったんだろうな。
>>429
そんなこと言ったら今の神社本庁然り神道自体が儒教(儒家神道)に乗っ取られてるしな
神道は本来、伊勢神宮を中心として体系化された信仰ではなく
諏訪信仰や出雲信仰、熊野信仰など信仰も祭祀も儀礼も全てその土地独自の別々のものだったが
明治四年の太政官布告によって神職の世襲が禁止されたことで各神社独自の祭祀や儀礼が破壊され
儒教ベースの中央集権的なインスタント宗教にすり替えられたわけでな
そのインスタント宗教の主催者だった神祇院の流れを汲む神社本庁からすれば
戦勝国による不当な押し付けらしいがGHQの神道指令のおかげで
日本古来の宗教観が多少持ち直したのは皮肉なものだ
そんなこと言ったら今の神社本庁然り神道自体が儒教(儒家神道)に乗っ取られてるしな
神道は本来、伊勢神宮を中心として体系化された信仰ではなく
諏訪信仰や出雲信仰、熊野信仰など信仰も祭祀も儀礼も全てその土地独自の別々のものだったが
明治四年の太政官布告によって神職の世襲が禁止されたことで各神社独自の祭祀や儀礼が破壊され
儒教ベースの中央集権的なインスタント宗教にすり替えられたわけでな
そのインスタント宗教の主催者だった神祇院の流れを汲む神社本庁からすれば
戦勝国による不当な押し付けらしいがGHQの神道指令のおかげで
日本古来の宗教観が多少持ち直したのは皮肉なものだ
「古代以来不変の日本固有の神道」が、「明治の国家神道」で破壊された、というのは、少し違うと思う。
429の諏訪の話は、神道も時代に応じて変化するもので、「古代以来不変」ではないという例になるとおもう。
鎌倉の段階で、信仰の規模が変化すれば、祭祀様式も大きく変化している可能性があるし。
そも、黒田俊雄にいわせれば、神道も東アジア各地に存在する土俗信仰の一形態だし。
それが、仏教の論理によって説明されるようになるのが神仏習合。
おまけに中世には、「中世日本紀」と呼ばれる、古代にはなかったような神話が存在してたりする。
国学・儒家神道にしても、華夷変態による江戸中期の自国意識の高まりが背景だよね。
その上での、中央集権国家体制を作る為の国家神道。
信仰が、時代とともに変遷するのは当然だし、何が「本来の信仰」とかそういう話は、あまり意味がない気がする。
私の考えは史学寄りだから、是非、民俗の詳しいもろえの意見をうかがいたいところ。
429の諏訪の話は、神道も時代に応じて変化するもので、「古代以来不変」ではないという例になるとおもう。
鎌倉の段階で、信仰の規模が変化すれば、祭祀様式も大きく変化している可能性があるし。
そも、黒田俊雄にいわせれば、神道も東アジア各地に存在する土俗信仰の一形態だし。
それが、仏教の論理によって説明されるようになるのが神仏習合。
おまけに中世には、「中世日本紀」と呼ばれる、古代にはなかったような神話が存在してたりする。
国学・儒家神道にしても、華夷変態による江戸中期の自国意識の高まりが背景だよね。
その上での、中央集権国家体制を作る為の国家神道。
信仰が、時代とともに変遷するのは当然だし、何が「本来の信仰」とかそういう話は、あまり意味がない気がする。
私の考えは史学寄りだから、是非、民俗の詳しいもろえの意見をうかがいたいところ。
確かに"本来"なんてものは有って無いようなものだね
私は仏教あんまり好きじゃないから「神仏習合以前の神祀りが日本古来の宗教の姿だ!」とか勢いで言いたくなるけど、
その神祀りだって日本列島各地や渡来系の信仰形態が習合に習合を重ねたものだろうし
私は仏教あんまり好きじゃないから「神仏習合以前の神祀りが日本古来の宗教の姿だ!」とか勢いで言いたくなるけど、
その神祀りだって日本列島各地や渡来系の信仰形態が習合に習合を重ねたものだろうし
◆ 其の十九(スレ19)>>222–222
>>217
まあ、諏訪の事は分らないことが多くて正解がまだない状態なので何とも言えないけど
画詞より前だと諏訪信重解状が一応あるね、100年以上前だがそんなに変わらないけど
その時に脚色して創作したって感じだとさすがに無理がある気がするし新しいってこともないんではないの?
諏訪社の成立やそれを取り巻く環境(摂社・末社、大祝・神長の関係、祭祀など含む)
をみるとそれなりに古いような気がするけどねー
まあ、諏訪の事は分らないことが多くて正解がまだない状態なので何とも言えないけど
画詞より前だと諏訪信重解状が一応あるね、100年以上前だがそんなに変わらないけど
その時に脚色して創作したって感じだとさすがに無理がある気がするし新しいってこともないんではないの?
諏訪社の成立やそれを取り巻く環境(摂社・末社、大祝・神長の関係、祭祀など含む)
をみるとそれなりに古いような気がするけどねー
◆ 其の壱(スレ1)>>444–455
将門の祟りは有名だしそれこそ日本的な祟りじゃないかな
しかしまぁ、ミシャグヂ様はうしとらとかで紹介されて強そうに描かれたものの
実際諏訪のタケミとヤサカの神さんには敵わないからなぁ
崇めれば力があり、崇めなければ祟りが・・・って言っても
信仰心の薄い今の日本じゃ国家神道側が前に出るのは必然なのかな・・・
しかしまぁ、ミシャグヂ様はうしとらとかで紹介されて強そうに描かれたものの
実際諏訪のタケミとヤサカの神さんには敵わないからなぁ
崇めれば力があり、崇めなければ祟りが・・・って言っても
信仰心の薄い今の日本じゃ国家神道側が前に出るのは必然なのかな・・・
戦いの強さと、住人への恩恵の大きさは別なんじゃね?
戦いになれば仮にも軍神と言われるようになるタケミナカタが強いのは当然だが、
民衆に喜ばれる農業や狩猟に役立つ能力はミシャグジサマが高かった、ってことじゃないかな。
ところでミシャグジってうしとらに出たっけ?
戦いになれば仮にも軍神と言われるようになるタケミナカタが強いのは当然だが、
民衆に喜ばれる農業や狩猟に役立つ能力はミシャグジサマが高かった、ってことじゃないかな。
ところでミシャグジってうしとらに出たっけ?
いやー、全国的な知名度と信仰の集まり方で強い弱いって意味だったんだ
うしとらに出てなかったっけ?勘違いだったかもしれない
うしとらに出てなかったっけ?勘違いだったかもしれない
>>442
そりゃあんなエログロな扱いすれば怒られると思うわ
今なお諏訪に留まり諏訪を見守ってきた神として紹介したのは神主が初めてじゃないか?
これほど明るく茶目っ気のある「ミシャグジ様」は今までのゲームじゃ無かったと思う
東方でお諏訪様を家に迎えた人も多いだろうな
そりゃあんなエログロな扱いすれば怒られると思うわ
今なお諏訪に留まり諏訪を見守ってきた神として紹介したのは神主が初めてじゃないか?
これほど明るく茶目っ気のある「ミシャグジ様」は今までのゲームじゃ無かったと思う
東方でお諏訪様を家に迎えた人も多いだろうな
◆ 其の二十四(スレ24)>>44–55
グーグル先生も知らないとの事なので諸兄にお尋ねしたいのだが
『諏訪大明神絵詞』の現代語完訳版ってまだ作られてないのかしら?
もし誰も手をつけてなくて需要がありそうなら、来年の例大祭あたりで出してみようと思うのだが
『諏訪大明神絵詞』の現代語完訳版ってまだ作られてないのかしら?
もし誰も手をつけてなくて需要がありそうなら、来年の例大祭あたりで出してみようと思うのだが
>>44
Ciniiに翻刻・訓読されたものはあるけれども、現代語訳のものはないかもしれないなぁ。
訳本作るなら、協力したいねぇ。ちょっと今は忙しいから無理っぽいのが残念……。
作るからには、本文もきちんとのっけて、諸本の異同校閲とか、注釈とかもしてくれるといいかなー、って。
ともあれ、頑張ってください。
諏訪に限らず、特に元寇についてはその詳しい様相を伝える唯一の日本史料だから、訳は結構意味があると思うし。
Ciniiに翻刻・訓読されたものはあるけれども、現代語訳のものはないかもしれないなぁ。
訳本作るなら、協力したいねぇ。ちょっと今は忙しいから無理っぽいのが残念……。
作るからには、本文もきちんとのっけて、諸本の異同校閲とか、注釈とかもしてくれるといいかなー、って。
ともあれ、頑張ってください。
諏訪に限らず、特に元寇についてはその詳しい様相を伝える唯一の日本史料だから、訳は結構意味があると思うし。
絶対買ってしまうから、出すなら是非書店委託を頼む。
段組でも別頁でも構わないんだが、原文と訳文の両方が欲しいなと贅沢を言ってみる。
あと主観的な意見なく、史料として使える客観的文体なら言うことなしなんだが・・・望みすぎかな。
手伝えそうにないからじっと応援してる。
段組でも別頁でも構わないんだが、原文と訳文の両方が欲しいなと贅沢を言ってみる。
あと主観的な意見なく、史料として使える客観的文体なら言うことなしなんだが・・・望みすぎかな。
手伝えそうにないからじっと応援してる。
諏方大明神画詞の縁起編五巻・諏訪祭り編七巻の一部分の
原文と現代語訳の本を出しているサークルさんがいたので手元にあるよ
ちょっと質問だが東方風神録から諏訪の信仰や歴史に興味を持って
かなりガチでいろいろの勉強やフィールドワークしたいと言う人っているのかな?
まあ、もともと何となく知っている人が多いかもしれないけど
自分は地元民で昔から興味があったので
信仰史や郷土史の研究会みたいなやつに入っているんだけど
自分も30代なのであまり言えないが皆おじさんばかりなのよ
(なんで郷土史等の集まりってだいたいオッチャンなんだろw)
東方で興味を持ったと言ってくれる人はなんとなく若いイメージがあるので
そう言う若者にも入ってもらえたら良いなーと思っているのだが
原文と現代語訳の本を出しているサークルさんがいたので手元にあるよ
ちょっと質問だが東方風神録から諏訪の信仰や歴史に興味を持って
かなりガチでいろいろの勉強やフィールドワークしたいと言う人っているのかな?
まあ、もともと何となく知っている人が多いかもしれないけど
自分は地元民で昔から興味があったので
信仰史や郷土史の研究会みたいなやつに入っているんだけど
自分も30代なのであまり言えないが皆おじさんばかりなのよ
(なんで郷土史等の集まりってだいたいオッチャンなんだろw)
東方で興味を持ったと言ってくれる人はなんとなく若いイメージがあるので
そう言う若者にも入ってもらえたら良いなーと思っているのだが
>>52
おお、嬉しいねー
将来の話だが諏訪信仰を研究して本とか書いちゃう人が
きっかけは東方なんですよって言うのもありだと思っている
ちなみに研究会のオッチャン達は東方のことを認識していて
「ネットを見るといろいろ考察している人がいるなー」とか
「ゲームの人達がガチで諏訪の事やってくれると良いな」と言っていた
あと諏訪考察のサイトやっている人が風神録が出てからアクセス数が増えたと言っていた
おお、嬉しいねー
将来の話だが諏訪信仰を研究して本とか書いちゃう人が
きっかけは東方なんですよって言うのもありだと思っている
ちなみに研究会のオッチャン達は東方のことを認識していて
「ネットを見るといろいろ考察している人がいるなー」とか
「ゲームの人達がガチで諏訪の事やってくれると良いな」と言っていた
あと諏訪考察のサイトやっている人が風神録が出てからアクセス数が増えたと言っていた
まぁ諏訪とかどこそことか遠くて行けないよって人は
自分の地元の歴史に興味を持ってそれを調べてみるのもいいものよ
自分の地元の歴史に興味を持ってそれを調べてみるのもいいものよ
◆ 其の二十(スレ20)>>168–172
昨日たまたま神長官守矢史料館に行って来たので
ttp://momijitocirno.sakura.ne.jp/remilia/uploader2/src/remy20228.jpg
史料館の中には、郷土史研究系の展示会やセミナーののチラシに混じって東方系イベントのチラシが
ttp://momijitocirno.sakura.ne.jp/remilia/uploader2/src/remy20229.jpg
ttp://momijitocirno.sakura.ne.jp/remilia/uploader2/src/remy20228.jpg
史料館の中には、郷土史研究系の展示会やセミナーののチラシに混じって東方系イベントのチラシが
ttp://momijitocirno.sakura.ne.jp/remilia/uploader2/src/remy20229.jpg
どちらかというと、探訪スレ向き話題だな
まあ個人的には東方のルーツを探る姉妹スレだと思ってるけれど
しかし、目通りがm級のカジノキってすごいな
実はクワと似てとても甘いのだが、棘があり、食べてはいけない
口の中がチクチクし続ける
焼酎に漬けて果実酒にするそうだ
まあ個人的には東方のルーツを探る姉妹スレだと思ってるけれど
しかし、目通りがm級のカジノキってすごいな
実はクワと似てとても甘いのだが、棘があり、食べてはいけない
口の中がチクチクし続ける
焼酎に漬けて果実酒にするそうだ
御左口神!御左口神じゃないか!
俺が資料館行ったときは突然とんでもない大雨が降ってきて、御頭御社宮司総社には参拝できなかったんだよなぁ・・・
ミシャグジさまって水神的な性格もあるし、もしかして俺嫌われてる?
俺が資料館行ったときは突然とんでもない大雨が降ってきて、御頭御社宮司総社には参拝できなかったんだよなぁ・・・
ミシャグジさまって水神的な性格もあるし、もしかして俺嫌われてる?
◆ 其の壱(スレ1)>>493–498
ゆっくりやドナルドなんて、2月前にはなかったけどいつの間に増えたのか。
持っている人は持っているであろう「某資料館のしおり」の一部要約。
もっと細かい本もあるけどね。
・口伝伝承によると、洩矢という長がいる先住民族がいて、それを出雲族のタケミナカタが
制圧した。洩矢の他にも佐久良、蟹河原、五十集、武居、須賀などといった長がいた。
・ミシャグジとは笹や木石、大祝などに降りる精霊の総称。 洩矢神⊆ミシャグジ。
汎神論、シャーマニズムに近い、もしくはそのものだったと思われる。
・明治初頭の法令による一子相伝の廃止。事実上口伝を受けているのは76代目まで。
78代時点では全ての口伝を受けていない、ほぼ名目上の当主である。
(という話を知っておくと、風神録と「幻想郷内の」早苗さんについても視点が変わるかも)
・初代は洩矢神。ちなみに、資料館は敷地内。
さて、週末は那智、熊野に行ってくる予定です。
持っている人は持っているであろう「某資料館のしおり」の一部要約。
もっと細かい本もあるけどね。
・口伝伝承によると、洩矢という長がいる先住民族がいて、それを出雲族のタケミナカタが
制圧した。洩矢の他にも佐久良、蟹河原、五十集、武居、須賀などといった長がいた。
・ミシャグジとは笹や木石、大祝などに降りる精霊の総称。 洩矢神⊆ミシャグジ。
汎神論、シャーマニズムに近い、もしくはそのものだったと思われる。
・明治初頭の法令による一子相伝の廃止。事実上口伝を受けているのは76代目まで。
78代時点では全ての口伝を受けていない、ほぼ名目上の当主である。
(という話を知っておくと、風神録と「幻想郷内の」早苗さんについても視点が変わるかも)
・初代は洩矢神。ちなみに、資料館は敷地内。
さて、週末は那智、熊野に行ってくる予定です。
「洩矢資料館のしおり」だけならまだしも「洩矢文書を読む」まで持ってる輩が
研究者以外にいようとは思わなかった(笑)
実際の諏訪では、神長官=早苗は現人神じゃないんだよね。
現人神はタケミナカタの後裔である神氏で、神長官はあくまでもそれを補佐する審神者。
とはいえ、実際に祭祀を取り仕切っていたのは神長官なわけだから、
あながち間違いでもないのかな?
研究者以外にいようとは思わなかった(笑)
実際の諏訪では、神長官=早苗は現人神じゃないんだよね。
現人神はタケミナカタの後裔である神氏で、神長官はあくまでもそれを補佐する審神者。
とはいえ、実際に祭祀を取り仕切っていたのは神長官なわけだから、
あながち間違いでもないのかな?