西洋では太陽男神月女神で東洋では太陽女神月男神が多いけど
ツクヨミ様伝承少なすぎて性別不明扱いなんだよね……
ツクヨミの渡来起源と海洋民信仰
神道・神社信仰 › 神道論
ツクヨミ渡来系説・壱岐の月読神社→松尾社への勧請・月を読む=暦=支配権力・卜部氏と中臣氏の史官的性格・秦氏の海洋民因子・藤原不比等とのつながり
◆ 其の十四(スレ14)>>605–650
月に対してはちょっと伝承少ないよね、変若水とかあるけど
ひょっとしたら意図的に消されてたりして
ツクヨミはあれでいろんな側面がある神様だけど、実は渡来系の神である可能性もあるんだよね
京都・松尾大社の摂社に月読神社があるが、現在松尾社がある一帯は渡来系の秦氏の根拠地だった。
松尾社の祭神は秦氏の氏神とされる大山咋神と中津島姫命だが、この中津島姫命とは宗像三女神の一柱・市杵島姫命の別名。
つまり松尾社は、北九州から瀬戸内海沿岸を経て畿内まで至る海神系(宗像系)神社ラインの終点に当たる神社だったりする。
そんなところに月読神社がぽつんとあるのは不思議に見えるが、実は京都の月読神社は元々壱岐国(今の長崎県壱岐市)に鎮座する
月読神社から勧請したもの(『日本書紀』顕宗紀)だったりする。
ツクヨミの語源は月を読む、すなわち月の満ち欠けによって潮の流れを読み、また船の運行に関わる順風や台風の季節を記録する(暦)技術だという説があり、
これらは外洋を航海するのには欠かせない海の民の技術でもあった。つまり、壱岐島系のツクヨミは渡来系も含む海洋民の神だった可能性が高い。
同じく航海の神とされる宗像神や住吉神(こちらは東方でもお馴染み)と合わせて、列島と半島・大陸との間の交易や外交に従事したと思われる秦氏が祀るのは
むしろ当然ともいえる位置にあるわけだ。
ちなみに、壱岐島を本拠地とする氏族には卜部氏がいるが、この卜部氏は上記のツクヨミの末裔とされる一方で、
天児屋命12世の孫・雷大臣を先祖とする中臣氏系であるという伝承もあったりする。
卜部というのは文字通り卜(大陸由来の亀卜や、日本の鹿の骨を使うフトマニなどの占い)を職能とした一族で、
古代中国で甲骨文字が占いに使われていたように、占い=記録即ち歴史の編纂でもあったから、
卜部氏を含む中臣氏は元々占いや祭祀を通じて歴史を司る史官としての性格を持っていた可能性がある。
で、まあもう読めたと思うけど、うん、またなんだ。すまない。
中臣氏の末裔であるところの我らが淡海公・藤原不比等が中国の律令制度や政治システムに精通してたり
『日本書紀』を編纂したりした背景には、こういう海洋系の民の因子が隠されているのではないかという、そういう妄想話。
京都・松尾大社の摂社に月読神社があるが、現在松尾社がある一帯は渡来系の秦氏の根拠地だった。
松尾社の祭神は秦氏の氏神とされる大山咋神と中津島姫命だが、この中津島姫命とは宗像三女神の一柱・市杵島姫命の別名。
つまり松尾社は、北九州から瀬戸内海沿岸を経て畿内まで至る海神系(宗像系)神社ラインの終点に当たる神社だったりする。
そんなところに月読神社がぽつんとあるのは不思議に見えるが、実は京都の月読神社は元々壱岐国(今の長崎県壱岐市)に鎮座する
月読神社から勧請したもの(『日本書紀』顕宗紀)だったりする。
ツクヨミの語源は月を読む、すなわち月の満ち欠けによって潮の流れを読み、また船の運行に関わる順風や台風の季節を記録する(暦)技術だという説があり、
これらは外洋を航海するのには欠かせない海の民の技術でもあった。つまり、壱岐島系のツクヨミは渡来系も含む海洋民の神だった可能性が高い。
同じく航海の神とされる宗像神や住吉神(こちらは東方でもお馴染み)と合わせて、列島と半島・大陸との間の交易や外交に従事したと思われる秦氏が祀るのは
むしろ当然ともいえる位置にあるわけだ。
ちなみに、壱岐島を本拠地とする氏族には卜部氏がいるが、この卜部氏は上記のツクヨミの末裔とされる一方で、
天児屋命12世の孫・雷大臣を先祖とする中臣氏系であるという伝承もあったりする。
卜部というのは文字通り卜(大陸由来の亀卜や、日本の鹿の骨を使うフトマニなどの占い)を職能とした一族で、
古代中国で甲骨文字が占いに使われていたように、占い=記録即ち歴史の編纂でもあったから、
卜部氏を含む中臣氏は元々占いや祭祀を通じて歴史を司る史官としての性格を持っていた可能性がある。
で、まあもう読めたと思うけど、うん、またなんだ。すまない。
中臣氏の末裔であるところの我らが淡海公・藤原不比等が中国の律令制度や政治システムに精通してたり
『日本書紀』を編纂したりした背景には、こういう海洋系の民の因子が隠されているのではないかという、そういう妄想話。
これも全部不比等ってやつのしわざなんだ
月は日本神話でびっくりするほど冷遇されてるし、
星は標準語に特定の星を指す言葉が殆ど残ってないほど語られていない。
航海技術もずっと原始的な、陸を目印にしたものだったらしいし、
星辰とかに嫌な思い出でもあるのだろうか。
それとも、太陰の知識は陰陽師とかが独占してればいいってことか。
星は標準語に特定の星を指す言葉が殆ど残ってないほど語られていない。
航海技術もずっと原始的な、陸を目印にしたものだったらしいし、
星辰とかに嫌な思い出でもあるのだろうか。
それとも、太陰の知識は陰陽師とかが独占してればいいってことか。
眺めてきれいだなーって思う程度で、そこまで気にするようなものじゃなかった
or
執筆された当時、単純に夜に出歩くことが少なかった
適当に思いついた説を晒してみる
or
執筆された当時、単純に夜に出歩くことが少なかった
適当に思いついた説を晒してみる
月とか星とかが必要なかったんじゃなかろうか
じつはそんなに農耕してなかったりとか
じつはそんなに農耕してなかったりとか
そういえば、素戔嗚尊は彗星の神って話があったな。
>>605
性別不明なんて女にしようと文句ないだろうから
男として伝えられてた聖徳太子以上に東方に出られる要素なのに東方じゃ名前だけという
二次創作じゃ適当なシルエットな顔グラにされ、特別な事情があって顔だしできないとかあるし
性別不明なんて女にしようと文句ないだろうから
男として伝えられてた聖徳太子以上に東方に出られる要素なのに東方じゃ名前だけという
二次創作じゃ適当なシルエットな顔グラにされ、特別な事情があって顔だしできないとかあるし
国産の星の名称って「すばる」くらいか
金星をゆうづつ(夕星)とか呼んでたらしいとか、適当にうぃきぺでぃあさんを漁ると出てくるが
素人には、それの実際の有無や詳細は分からないわけで、後はエキスパートに託す…
素人には、それの実際の有無や詳細は分からないわけで、後はエキスパートに託す…
マイナーだが天文民俗学という学問ジャンルもちゃんとあるんだぜ
以下俺がよく見てる参考サイト
『東亜天文学会民俗課』
ttp://www2a.biglobe.ne.jp/~kitao/oaa.htm
『古天文の部屋』
ttp://www.kotenmon.com/
『星の民俗館』
ttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/starlore/
『琉球の天文記録・星の神話伝説』
ttp://www.ryukyu.ne.jp/~tomori/
以下俺がよく見てる参考サイト
『東亜天文学会民俗課』
ttp://www2a.biglobe.ne.jp/~kitao/oaa.htm
『古天文の部屋』
ttp://www.kotenmon.com/
『星の民俗館』
ttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/starlore/
『琉球の天文記録・星の神話伝説』
ttp://www.ryukyu.ne.jp/~tomori/
以前も述べたがツクヨミ神にあまり個性がないのは
とにかくアマテラス神とスサノオ神の間に
兄弟という設定でもう一人挟んで入れようとしたためだという説を聞く
まあ実際、ギリシア十二神とか天龍八部とか、数合わせのためか
ぱっとしないのが入っててその数に含まれる以外の方に
民間の伝承や信仰のネタが多い神というのはときどきいるし
あと男女どっちの神かわからぬときはヘルマプロディトスということでw
ふたなりの神様って他の地域にいたっけ? インドとかいそうだけど
>>617
602ですでにヒミカという名にハニワ原人かというツッコミが入っている
とにかくアマテラス神とスサノオ神の間に
兄弟という設定でもう一人挟んで入れようとしたためだという説を聞く
まあ実際、ギリシア十二神とか天龍八部とか、数合わせのためか
ぱっとしないのが入っててその数に含まれる以外の方に
民間の伝承や信仰のネタが多い神というのはときどきいるし
あと男女どっちの神かわからぬときはヘルマプロディトスということでw
ふたなりの神様って他の地域にいたっけ? インドとかいそうだけど
>>617
602ですでにヒミカという名にハニワ原人かというツッコミが入っている
黄河流域やナイル川流域で盛んに天文を観たのは
洪水の季節を的確に予測するのがきっかけだったか
日本の場合は自然災害はそのまま受け入れるがゆえに
暦学が生まれなかったのかもしれない
洪水の季節を的確に予測するのがきっかけだったか
日本の場合は自然災害はそのまま受け入れるがゆえに
暦学が生まれなかったのかもしれない
>>621
神ではないけどユダヤ教の天使は両性具有じゃなかったっけ?
日本神話だと造化三柱は性別なかったはず
あと両性具有ではないが観音菩薩も男女双方の姿を持ってたような
アマテラスも女性的性質と男性的性質の両方を持ってるという説あるけど、どうだろうね
江戸時代の国学者の間には「天照大御神は女神か男神か」で論争起きてたらしいし
神ではないけどユダヤ教の天使は両性具有じゃなかったっけ?
日本神話だと造化三柱は性別なかったはず
あと両性具有ではないが観音菩薩も男女双方の姿を持ってたような
アマテラスも女性的性質と男性的性質の両方を持ってるという説あるけど、どうだろうね
江戸時代の国学者の間には「天照大御神は女神か男神か」で論争起きてたらしいし
農業やってる以上、災害がなくても暦は最重要なはずなんだが
風とか自然植物だけで季節を読んでたんだろうか。
風とか自然植物だけで季節を読んでたんだろうか。
季節がはっきりしてるからでは?
出雲国風土記には月女神が出てくるよ
ただツクヨミの別名なのか別の神なのかはよくわからなかった
ただツクヨミの別名なのか別の神なのかはよくわからなかった
いくら四季の区別がはっきりしてるからって、さすがに暦が全くなかったとは考えにくい
文献上は残っていなくても何らかの暦的なものはあったんじゃないか?
文献上は残っていなくても何らかの暦的なものはあったんじゃないか?
ご免、頭が回ってなかった
日本は春一番とか梅雨とか時雨とかがあるから分かりやすいのかもね
天気予報でも梅雨明け宣言とかあるし
日本は春一番とか梅雨とか時雨とかがあるから分かりやすいのかもね
天気予報でも梅雨明け宣言とかあるし
>>622の書き込みが言葉足らずだったようなので補足
さすがに農業を始めている時代だから素朴な暦はあったんだろうけど
精密な観測を伴う暦学は古代日本には存在しないだろうと推測しただけのことで
古代エジプト人はシリウスの動きから1年=365.14日と割り出していたが
さすがに農業を始めている時代だから素朴な暦はあったんだろうけど
精密な観測を伴う暦学は古代日本には存在しないだろうと推測しただけのことで
古代エジプト人はシリウスの動きから1年=365.14日と割り出していたが
農耕民族を征服したての狩猟民族が慌てて歴史を作ったから農業は詳しくないよ説
中央は狩猟や周囲のムラから米を献上させて永らえてたので天文は気にしなかったとか
まぁ何か起こっても不比等がなんとかしてくれるし
中央は狩猟や周囲のムラから米を献上させて永らえてたので天文は気にしなかったとか
まぁ何か起こっても不比等がなんとかしてくれるし
古代のメソポタミアやエジプトではそりゃ弥生期の日本より人口も多く
農耕の規模も国家が収穫を管理するシステムも発達の必要があったろうけど
隋唐からの諸制度の移入以前の日本だとまだ人口や国家規模も小さく
稲作以外にも雑穀も食べられてたから暦がなくても何とかなったのでは
少し前までのアフリカや中南米先住民の生活からみると
”人口が一定以上増えすぎない限り"(←ここが重要)
正確な暦のない原始的な農業でもなんとかなりそう
農耕の規模も国家が収穫を管理するシステムも発達の必要があったろうけど
隋唐からの諸制度の移入以前の日本だとまだ人口や国家規模も小さく
稲作以外にも雑穀も食べられてたから暦がなくても何とかなったのでは
少し前までのアフリカや中南米先住民の生活からみると
”人口が一定以上増えすぎない限り"(←ここが重要)
正確な暦のない原始的な農業でもなんとかなりそう
二十四節季とか日本の暦もなかなか面白いのだけれど
>>613
おカイコ様はいいよね
カイコの女神様である馬鳴菩薩の化身・金色姫は、4度の大苦難を体験したとされる
・鷹に襲われる
・虎に襲われる
・うつほ舟で海に流される
・地中に生き埋めされる
これらはカイコが脱皮の為に4度の「眠」を行うことにちなんでいるとか
>>613
おカイコ様はいいよね
カイコの女神様である馬鳴菩薩の化身・金色姫は、4度の大苦難を体験したとされる
・鷹に襲われる
・虎に襲われる
・うつほ舟で海に流される
・地中に生き埋めされる
これらはカイコが脱皮の為に4度の「眠」を行うことにちなんでいるとか
>>632
二十四節季って季節感があっていいよね。
あまり使われないけど、
四月頃に恵みの雨が降る時期を 『穀雨』 とか
稲の種まきの時期を 『芒種』 とか
冬が過ぎ、虫達が地中から出てくる時期を 『啓蟄』(リグルが喜びそうな時期だ) とか面白いと思ったよ。
今はサービス停止した中華風のネトゲで覚えたなぁ。(いわゆる魔法の名前が二十四節季由来だった)
二十四節季って季節感があっていいよね。
あまり使われないけど、
四月頃に恵みの雨が降る時期を 『穀雨』 とか
稲の種まきの時期を 『芒種』 とか
冬が過ぎ、虫達が地中から出てくる時期を 『啓蟄』(リグルが喜びそうな時期だ) とか面白いと思ったよ。
今はサービス停止した中華風のネトゲで覚えたなぁ。(いわゆる魔法の名前が二十四節季由来だった)
月を読む=暦を手中に収める=時を操れる=支配者である
それが太陽神である天照大神を頂点に据えるヤマトの政権には都合が悪いから、
月読命にまつわる伝承が消されたんじゃないか、なんて話も
裏
咲夜さんが時止めできるのはまさか
裏
それが太陽神である天照大神を頂点に据えるヤマトの政権には都合が悪いから、
月読命にまつわる伝承が消されたんじゃないか、なんて話も
裏
咲夜さんが時止めできるのはまさか
裏
タイミングよく本日の日経新聞文化欄に福岡・元岡古墳群から出土した
西暦570年を示す「庚寅」が記された銘文の刻まれた太刀の記事があって
古代日本の暦普及についての疑問が氷解した
中国の太陰太陽暦が日本で使われ始めたのは倭の五王の時代(5世紀)と推測されており
当時は百済の暦博士に暦の作成を頼っていたらしい
古墳から出土した銘文といえば稲荷山古墳が有名でワカタケル大王(雄略天皇)の
名が記されているけど、宋書の倭王武と同一と推測されるから魏武曹操を連想してしまう
関係ないがレス番大化の改新と
西暦570年を示す「庚寅」が記された銘文の刻まれた太刀の記事があって
古代日本の暦普及についての疑問が氷解した
中国の太陰太陽暦が日本で使われ始めたのは倭の五王の時代(5世紀)と推測されており
当時は百済の暦博士に暦の作成を頼っていたらしい
古墳から出土した銘文といえば稲荷山古墳が有名でワカタケル大王(雄略天皇)の
名が記されているけど、宋書の倭王武と同一と推測されるから魏武曹操を連想してしまう
関係ないがレス番大化の改新と
どうも十七条憲法とか、乙巳の変とか、大化の改新とか、藤原京とかブツ切れで教えられるから困る
あれらは一連の流れとして理解すべき変革のプロセスで、トグルスイッチ切り替えるみたいなものじゃない
以前、このスレでちょっとネタが出たが、古墳の時代は鉄はもっぱら大陸や半島からの輸入が主で、だから九州が出雲が力を持てたと
鉄の板や塊(当時のインゴット)はなかば貨幣として流通していたともいう
古墳の副葬品としてバカみたいな数の鉄の矢じりや矛や槍、剣などが埋められたが、それだけ贅沢が出来るという示威だったとされる
国産による鉄器ほか金属製錬技術は、遅くとも飛鳥時代には伝来し確立されていたことが遺跡調査で確認された
飛鳥寺の南東に広がる「飛鳥池工房遺跡」からは精錬に伴う残滓や、製品類、さらには「様」と呼ばれるモックアップ、
形状や寸法を指定した木製の製品模型(仕様の指示に用いる)が多数出土しており、飛鳥寺で必要とされる金具類を越えて、
公的な為に用いる金属器や貨幣等も鋳造していたらしい(鉄器や銅器以外にも金銀ほかや、ガラスや宝玉類の加工品まで生産)
お寺に当時の大工業団地が付属していたようだ
あれらは一連の流れとして理解すべき変革のプロセスで、トグルスイッチ切り替えるみたいなものじゃない
以前、このスレでちょっとネタが出たが、古墳の時代は鉄はもっぱら大陸や半島からの輸入が主で、だから九州が出雲が力を持てたと
鉄の板や塊(当時のインゴット)はなかば貨幣として流通していたともいう
古墳の副葬品としてバカみたいな数の鉄の矢じりや矛や槍、剣などが埋められたが、それだけ贅沢が出来るという示威だったとされる
国産による鉄器ほか金属製錬技術は、遅くとも飛鳥時代には伝来し確立されていたことが遺跡調査で確認された
飛鳥寺の南東に広がる「飛鳥池工房遺跡」からは精錬に伴う残滓や、製品類、さらには「様」と呼ばれるモックアップ、
形状や寸法を指定した木製の製品模型(仕様の指示に用いる)が多数出土しており、飛鳥寺で必要とされる金具類を越えて、
公的な為に用いる金属器や貨幣等も鋳造していたらしい(鉄器や銅器以外にも金銀ほかや、ガラスや宝玉類の加工品まで生産)
お寺に当時の大工業団地が付属していたようだ
冶金学的には青銅器時代を助走期間として鉄器時代に移るとうのが基本らしいんだけど
なんか日本の遺跡では青銅器造り始めたそばから鉄器造ってる形跡が少なからずあって
つまりどういうことだってばよ?という状況だとどこかで聞いた記憶が
なんか日本の遺跡では青銅器造り始めたそばから鉄器造ってる形跡が少なからずあって
つまりどういうことだってばよ?という状況だとどこかで聞いた記憶が
>>648
推察するに、どうやら一気に入って来たらしいな、各種金属の当時における先進的精錬・冶金技術は
飛鳥時代、早ければ6世紀、遅くとも7世紀後半~8世紀はじめには上の遺跡他にもいくつか当時の溶鉱炉や、
加工工場の遺跡が見つかっているそうだ
白村江の敗戦=百済からの亡命者の到来が、我が国金属精錬技術の飛躍的進歩のもと説があるが、やはり可能性はある
(半島における日本の権益=鉄インゴットの安定的入手は不安定化した代償に、先進的な金属精錬技術は手に入った)
原料・鉱石の調達先とかまだ曖昧な部分はあるのだけれども、考古学的な物証は発掘されつつあると
推察するに、どうやら一気に入って来たらしいな、各種金属の当時における先進的精錬・冶金技術は
飛鳥時代、早ければ6世紀、遅くとも7世紀後半~8世紀はじめには上の遺跡他にもいくつか当時の溶鉱炉や、
加工工場の遺跡が見つかっているそうだ
白村江の敗戦=百済からの亡命者の到来が、我が国金属精錬技術の飛躍的進歩のもと説があるが、やはり可能性はある
(半島における日本の権益=鉄インゴットの安定的入手は不安定化した代償に、先進的な金属精錬技術は手に入った)
原料・鉱石の調達先とかまだ曖昧な部分はあるのだけれども、考古学的な物証は発掘されつつあると