日本の王朝交代の特異性(天皇制と権力移行・易姓革命なし)
日本神話・記紀 › 歴史的背景
日本で易姓革命が起きなかった理由(天皇と政権担当者の分離構造・政権交代しても天皇家は続く)。藤原氏・武家政権・明治維新いずれも天皇を利用した形での権力移行。「万世一系」という概念の政治的機能(正統性の担保装置)。中国・朝鮮との比較で見る日本の権威と権力の分離という特異な統治形態。神話的な連続性を現実の政治秩序に利用する日本独自のメカニズム。
◆ 其の八(スレ8)>>33–55
そういや、日本て、どんな感じで王朝(?)みたいのが変わっていったんだっけ
古代はうろだが、
物部氏→蘇我氏
戦争。蘇我氏が皇族(聖徳太子)を抱き込んだ
蘇我氏→天皇
クーデター。所謂大化の改新
天皇→藤原氏
婚姻政策による取り込み。
藤原氏→平家
?
平家→源氏
武力征伐
源氏→北条氏
幼年将軍擁立による傀儡化
北条氏→後醍醐帝
腐敗+武力+裏切り
後醍醐帝→足利氏
武力だが、足利自体にも内ゲバが発生。
足利氏→織田家
応仁の乱から始まり、追放でケリ。
織田家→豊臣家
秀吉が武力で後継者戦争を制す
豊臣家→徳川家
鳴くまで待ったホトトギス
徳川家→明治政府
武力征伐
藤原から平家の流れが分からん。
物部氏→蘇我氏
戦争。蘇我氏が皇族(聖徳太子)を抱き込んだ
蘇我氏→天皇
クーデター。所謂大化の改新
天皇→藤原氏
婚姻政策による取り込み。
藤原氏→平家
?
平家→源氏
武力征伐
源氏→北条氏
幼年将軍擁立による傀儡化
北条氏→後醍醐帝
腐敗+武力+裏切り
後醍醐帝→足利氏
武力だが、足利自体にも内ゲバが発生。
足利氏→織田家
応仁の乱から始まり、追放でケリ。
織田家→豊臣家
秀吉が武力で後継者戦争を制す
豊臣家→徳川家
鳴くまで待ったホトトギス
徳川家→明治政府
武力征伐
藤原から平家の流れが分からん。
藤原から平家はあれだ、荒事任せてる間に実権握られちゃうパターンだ
北条氏→後醍醐帝にはさらに元寇の恩賞絡みの財政難が入るかな?
こうしてみると外国絡みで政権交代が起こったのは、拡大解釈しても
北条氏→後醍醐帝
徳川家→明治政府
明治政府→現代
くらいよね
本当日本史は驚くべき独立性だわあ
北条氏→後醍醐帝にはさらに元寇の恩賞絡みの財政難が入るかな?
こうしてみると外国絡みで政権交代が起こったのは、拡大解釈しても
北条氏→後醍醐帝
徳川家→明治政府
明治政府→現代
くらいよね
本当日本史は驚くべき独立性だわあ
古代では、大伴氏→物部氏も外国がらみといえるかな
武烈天皇が跡継ぎなく亡くなり皇統がとだえる
→大連・大伴金村が、武烈天皇とは血縁の薄い
応神天皇の5世孫を越前からつれてきて即位させる(継体天皇)
→王権をめぐる混乱
→大伴金村の主導で任那四県を百済に割譲
→新羅が任那に侵攻し併合
→大伴金村は、朝鮮半島政策の失敗・百済から賄賂を受け取っていた問題
を物部尾輿にとわれて失脚
武烈天皇が跡継ぎなく亡くなり皇統がとだえる
→大連・大伴金村が、武烈天皇とは血縁の薄い
応神天皇の5世孫を越前からつれてきて即位させる(継体天皇)
→王権をめぐる混乱
→大伴金村の主導で任那四県を百済に割譲
→新羅が任那に侵攻し併合
→大伴金村は、朝鮮半島政策の失敗・百済から賄賂を受け取っていた問題
を物部尾輿にとわれて失脚
外国がらみではないが、古代の政変では、以下のようなものも
天智天皇が没する(ちなみに継体天皇の系統)
→天智の弟である大海人皇子が、天智の息子の弘文天皇(大友皇子)を討つ(壬申の乱)
→飛鳥で天武天皇として即位、以降の天皇は天武の系統から出る
→元明天皇(天智を父に持つ女帝で、夫は天武の皇子)の代の710年には平城京に遷都(奈良時代)
→政変が続く(長屋王の変・藤原広嗣の乱・橘奈良麻呂の乱・恵美押勝の乱・宇佐八幡宮宣託事件)
この間に皇族も多く粛清される
→式家の藤原百川が、天武系の皇族を避け、天智の孫(当時62歳)を擁立(光仁天皇)
これ以後、天智系の血筋に移行
→皇后・井上内親王が夫を呪ったという罪で廃され、息子である、天武の嫡流の他戸親王も連座
藤原氏の政権は北家から式家に移動
→井上内親王がさらに呪いの罪をかけられ、他戸親王も連座して幽閉・変死
天武の皇統は完全に絶える
→天武系の血筋が入っていない、光仁天皇の皇子が即位(桓武天皇)
→桓武天皇は784年長岡京に遷都、794年に平安京に遷都(平安時代)
天智天皇が没する(ちなみに継体天皇の系統)
→天智の弟である大海人皇子が、天智の息子の弘文天皇(大友皇子)を討つ(壬申の乱)
→飛鳥で天武天皇として即位、以降の天皇は天武の系統から出る
→元明天皇(天智を父に持つ女帝で、夫は天武の皇子)の代の710年には平城京に遷都(奈良時代)
→政変が続く(長屋王の変・藤原広嗣の乱・橘奈良麻呂の乱・恵美押勝の乱・宇佐八幡宮宣託事件)
この間に皇族も多く粛清される
→式家の藤原百川が、天武系の皇族を避け、天智の孫(当時62歳)を擁立(光仁天皇)
これ以後、天智系の血筋に移行
→皇后・井上内親王が夫を呪ったという罪で廃され、息子である、天武の嫡流の他戸親王も連座
藤原氏の政権は北家から式家に移動
→井上内親王がさらに呪いの罪をかけられ、他戸親王も連座して幽閉・変死
天武の皇統は完全に絶える
→天武系の血筋が入っていない、光仁天皇の皇子が即位(桓武天皇)
→桓武天皇は784年長岡京に遷都、794年に平安京に遷都(平安時代)
継体天皇以前は系譜が明らかでないが、史料上系譜が明らかな期間に
かぎっても、男系1500年の王朝が続いているのが日本
中国では王朝ごとひっくりかえしてしまうけど、
日本では天皇家の血筋(権威)は続けながら、
他の人間が「権力」を握ろうとしてきた点が中国と対照的なんだろうな
かぎっても、男系1500年の王朝が続いているのが日本
中国では王朝ごとひっくりかえしてしまうけど、
日本では天皇家の血筋(権威)は続けながら、
他の人間が「権力」を握ろうとしてきた点が中国と対照的なんだろうな
権力握ってる者を倒してトップの座を奪い取るよりは、
最高の権威を懐柔し、それを盾に振りかざせば楽に権力を手にできるといったことか
最高の権威を懐柔し、それを盾に振りかざせば楽に権力を手にできるといったことか
中国でも春秋戦国あたりまではそんな感じだったよな
諸侯会盟の盟主である覇者とは武力だけで選ばれるものではなく、周王室を天子として立て尊王を旗印にしていないといけなかったから
諸侯会盟の盟主である覇者とは武力だけで選ばれるものではなく、周王室を天子として立て尊王を旗印にしていないといけなかったから
>34,35
藤原から院政(白河・鳥羽)をはさんで平家だよ
崇徳と後鳥羽の身内の争いに、武家を巻き込んで
起こったのが保元の乱
藤原から院政(白河・鳥羽)をはさんで平家だよ
崇徳と後鳥羽の身内の争いに、武家を巻き込んで
起こったのが保元の乱
平安~平氏までの流れは、大ざっぱに
810年、薬子の変で式家没落、代わって北家が台頭
→藤原北家による他氏排斥
→10世紀前半、醍醐・朱雀・村上帝の天皇親政の時代(延期・天暦の治)
→再び北家の時代、北家内部で権力を争い、最後に勝者となった道長の時代が絶頂(11世紀はじめ)
地方では開発領主たちが武士団に成長、中央貴族の血を引く源氏・平氏が台頭
→摂関家を外戚としない後三条天皇の即位、北家の権力低下(11世紀後半)
→白川・鳥羽の院政期(12世紀)、海賊平定など、平氏が院の近臣として重用される
→1156年、天皇家の争いに摂関家の争いがからんでの保元の乱が勃発、
天皇家・藤原氏・平氏・源氏がそれぞれ二つに分かれて争う
勝利したのは、後白河天皇・藤原忠通・平清盛・源義朝の陣営
→1159年、後白河の近臣間で対立があり、藤原信頼・源義朝が平治の乱を起こす
平清盛がこれを討ち、子の源頼朝は伊豆に流される
→清盛は後白河上皇を武力で支えて昇進、平氏一族が高位高官にのぼる
「平氏にあらずんば人にあらず」
810年、薬子の変で式家没落、代わって北家が台頭
→藤原北家による他氏排斥
→10世紀前半、醍醐・朱雀・村上帝の天皇親政の時代(延期・天暦の治)
→再び北家の時代、北家内部で権力を争い、最後に勝者となった道長の時代が絶頂(11世紀はじめ)
地方では開発領主たちが武士団に成長、中央貴族の血を引く源氏・平氏が台頭
→摂関家を外戚としない後三条天皇の即位、北家の権力低下(11世紀後半)
→白川・鳥羽の院政期(12世紀)、海賊平定など、平氏が院の近臣として重用される
→1156年、天皇家の争いに摂関家の争いがからんでの保元の乱が勃発、
天皇家・藤原氏・平氏・源氏がそれぞれ二つに分かれて争う
勝利したのは、後白河天皇・藤原忠通・平清盛・源義朝の陣営
→1159年、後白河の近臣間で対立があり、藤原信頼・源義朝が平治の乱を起こす
平清盛がこれを討ち、子の源頼朝は伊豆に流される
→清盛は後白河上皇を武力で支えて昇進、平氏一族が高位高官にのぼる
「平氏にあらずんば人にあらず」
原典をそのまま引用したほうがよかったかな
平家物語で、平時忠の言葉として、
「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」
平家物語で、平時忠の言葉として、
「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」
「殿上人(五位以上だったっけか)であらずば人で非ず」というのは
古くからの宮中での一般常識の様なものだったから
実は当時の感覚では間違ったことは言っていないんだけどね
少しショッキングな物言いだからちょくちょく槍玉に挙げられるけど
どっちにしろ「貴族気取り」って事だし
古くからの宮中での一般常識の様なものだったから
実は当時の感覚では間違ったことは言っていないんだけどね
少しショッキングな物言いだからちょくちょく槍玉に挙げられるけど
どっちにしろ「貴族気取り」って事だし
> 藤原から平家はあれだ、荒事任せてる間に実権握られちゃうパターンだ
末期のローマ帝国がゲルマン人に乗っ取られたみたいな話だw
してみると広義の平安時代は400年近く続いてるので
実権を握る人間が途中で代わるのも無理はないのだが
(内外とも200年以内で王朝や政権が代わることは多い)
平家というのはじつに短期間で台頭したことになる
これは平安時代初期は朝廷の実効支配が及んだ地域は少なかったが
平安時代中に地方の開拓平定と同時に地方武家権力の伸張が進んだためか
末期のローマ帝国がゲルマン人に乗っ取られたみたいな話だw
してみると広義の平安時代は400年近く続いてるので
実権を握る人間が途中で代わるのも無理はないのだが
(内外とも200年以内で王朝や政権が代わることは多い)
平家というのはじつに短期間で台頭したことになる
これは平安時代初期は朝廷の実効支配が及んだ地域は少なかったが
平安時代中に地方の開拓平定と同時に地方武家権力の伸張が進んだためか
【~10世紀】
もともとは大王・豪族が私有地・私有民を持っていた
→646年、中大兄皇子政権で、公地公民制の政策が示される
「班田収受法」 戸籍をつくり、国が人間ごとに口分田を班給、税の人身賦課
しかし、やがて税負担から、農民の浮浪・逃亡・偽籍・私度が増加
→8c前半、口分田不足から、「百万町歩開墾計画」「三世一身の法」
743年、長屋王政権で「墾田永年私財法」 土地の私有が認められ、初期荘園が成立
→戸籍の形骸化は止まらない、班田の不励行、初期荘園の衰退
政府の対応は田地の直接支配、「官田」や「勅旨田」を設置
→有力者が、天皇の名前を使って、土地を集めるようになる
→これに対し、902年には初の荘園整理令(「土地収集をやめろ」)
【10世紀~】
税の人身賦課をついにあきらめ、土地賦課へ
→10世紀前半には、土地に対する課税を国単位で国司に委任する
→国司の徴税請負人化、国司職は利権化
→売位・売官の風潮、受領(任国に赴いた国司の最上級者)の暴政も報告される
→国衙領が成立する一方、受領の徴税攻勢に対抗し、寄進地系荘園が成立
地方の治安悪化にともない、在地領主は武装化→小武士団の形成
これらが武家の棟梁(源氏・平氏など)のもとに統合→大武士団の形成
地方武士団は、朝廷・院・貴族の警護や、諸国の反乱鎮圧に重用されるようになる
【院政期】
貴族への棒禄支給が有名無実化したため、1国の公領からの税を特定個人に与える(知行国制)
→国衙領は知行国主の私領化
平氏の経済的基盤は、全盛期には日本全国の約半分にのぼる知行国・500あまりの荘園
この意味で平氏政権は摂関家に似たもので、貴族的性格が強かった
もともとは大王・豪族が私有地・私有民を持っていた
→646年、中大兄皇子政権で、公地公民制の政策が示される
「班田収受法」 戸籍をつくり、国が人間ごとに口分田を班給、税の人身賦課
しかし、やがて税負担から、農民の浮浪・逃亡・偽籍・私度が増加
→8c前半、口分田不足から、「百万町歩開墾計画」「三世一身の法」
743年、長屋王政権で「墾田永年私財法」 土地の私有が認められ、初期荘園が成立
→戸籍の形骸化は止まらない、班田の不励行、初期荘園の衰退
政府の対応は田地の直接支配、「官田」や「勅旨田」を設置
→有力者が、天皇の名前を使って、土地を集めるようになる
→これに対し、902年には初の荘園整理令(「土地収集をやめろ」)
【10世紀~】
税の人身賦課をついにあきらめ、土地賦課へ
→10世紀前半には、土地に対する課税を国単位で国司に委任する
→国司の徴税請負人化、国司職は利権化
→売位・売官の風潮、受領(任国に赴いた国司の最上級者)の暴政も報告される
→国衙領が成立する一方、受領の徴税攻勢に対抗し、寄進地系荘園が成立
地方の治安悪化にともない、在地領主は武装化→小武士団の形成
これらが武家の棟梁(源氏・平氏など)のもとに統合→大武士団の形成
地方武士団は、朝廷・院・貴族の警護や、諸国の反乱鎮圧に重用されるようになる
【院政期】
貴族への棒禄支給が有名無実化したため、1国の公領からの税を特定個人に与える(知行国制)
→国衙領は知行国主の私領化
平氏の経済的基盤は、全盛期には日本全国の約半分にのぼる知行国・500あまりの荘園
この意味で平氏政権は摂関家に似たもので、貴族的性格が強かった
保元の乱で、貴族社会の争いが、武家の力で解決されることが明らかに
→武家の棟梁の地位が上昇する一方、平治の乱で源氏が衰退
→清盛は後白河を支えて「貴族政権」として繁栄
「愚管抄」(慈円)
さて、大治ののち久寿までは、又鳥羽院、白河院の御あとに世を
しろしめして、保元元年七月二日鳥羽院うせさせ給て後、日本国の
乱逆(保元の乱)と云ことはをこりて後、むさ(武者)の世になりにけるなり。
「平家物語」
六波羅殿の御一家の君達といひてしかば、
花族も栄耀も面をむかへ肩をならぶる人なし。
されば入道相国のこじうと平大納言時忠ののたまひけるは、
「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」とぞのたまひける。
かかりしかば、いかなる人も相構えて其ゆかりにむすぼぼれむとぞしける。……
日本秋津嶋はわずかに六十六箇国、平家知行の国三十余箇国、
既に半国にこえたり。其外庄園田畠いくらといふ数を知ず。
綺羅充満して、堂上花の如し。軒騎群集して、門前市をなす。……
→武家の棟梁の地位が上昇する一方、平治の乱で源氏が衰退
→清盛は後白河を支えて「貴族政権」として繁栄
「愚管抄」(慈円)
さて、大治ののち久寿までは、又鳥羽院、白河院の御あとに世を
しろしめして、保元元年七月二日鳥羽院うせさせ給て後、日本国の
乱逆(保元の乱)と云ことはをこりて後、むさ(武者)の世になりにけるなり。
「平家物語」
六波羅殿の御一家の君達といひてしかば、
花族も栄耀も面をむかへ肩をならぶる人なし。
されば入道相国のこじうと平大納言時忠ののたまひけるは、
「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」とぞのたまひける。
かかりしかば、いかなる人も相構えて其ゆかりにむすぼぼれむとぞしける。……
日本秋津嶋はわずかに六十六箇国、平家知行の国三十余箇国、
既に半国にこえたり。其外庄園田畠いくらといふ数を知ず。
綺羅充満して、堂上花の如し。軒騎群集して、門前市をなす。……
こういったの見ると、徳川幕府の制作ってある意味すごいよな、多少の兆候あったものの、黒船来航まで平穏にやっていけたから
まぁ、その締め付け政策を自分までやったこと、早めに開国出来たはずだった田沼や水野時代に開国出来なかったから、工業力とか色々が劣ったことによる敗戦
というのがあるけど、まぁすごいよなぁ、明治維新もイギリスですら「チート」呼ばわりしているけど
てか、明治維新中妖怪なにしてたんだろ…どこ吹く風で見てたら居場所がなくなったでござるていうオチか?
まぁ、その締め付け政策を自分までやったこと、早めに開国出来たはずだった田沼や水野時代に開国出来なかったから、工業力とか色々が劣ったことによる敗戦
というのがあるけど、まぁすごいよなぁ、明治維新もイギリスですら「チート」呼ばわりしているけど
てか、明治維新中妖怪なにしてたんだろ…どこ吹く風で見てたら居場所がなくなったでござるていうオチか?
明治時代はギリギリ残ってたんじゃないかと思う。
それから時代が下って、昔の文化をボコボコにし始めて消えて無くなったんじゃないかな
それから時代が下って、昔の文化をボコボコにし始めて消えて無くなったんじゃないかな
井上円了が活動を始めるのが、明治維新の終わり頃くらいだったっけ
でも、円了の言うところの妖怪は消えていったんだろうけど、
キャラクターとしての妖怪は円了も好んで使ってたみたいだしなあ
でも、円了の言うところの妖怪は消えていったんだろうけど、
キャラクターとしての妖怪は円了も好んで使ってたみたいだしなあ