かつての日本は、周りの国やら神話やらを取り入れて出来あがった国家だから
「終末」なんて話を出すと
「何時かは終わる国に与するのは嫌だ」と地方が反発するだろうし
その神と繋がりのある天皇家が中心に居るのはおかしい!と
くだらない事を考える奴等が出てきてもおかしくない。
他の神話なら「神や世界はそういうモノだよ」で済むが
「天照神は皇室の祖神」と繋がりが、しっかり書かれている分
その神の統治能力に疑惑を生むと、天皇の統治そのものに疑惑が生まれちゃう。
だから「終末」ネタなんて出しようがないんじゃないかな?
日本神話の終末論の欠如
比較宗教・哲学 › 一神教vs多神教
日本神話・記紀 › 古事記・日本書紀
古事記・日本書紀の世界観に北欧のラグナロクや聖書の黙示録のような終末論が存在しない理由。天照神が皇室祖神として直結するため世界の終わりを設定すると政治的に危険だったという論。仏教の末法思想(源信・往生要集)が日本の終末論担当になった経緯。
◆ 其の弐(スレ2)>>384–395
>>382
>世の中(世界?)はどんどん生み出され発展していくべきだという思想
大筋はそれで当たってると思うが、少し補足的に。
天孫降臨と国譲りの神話に見られるように、『古事記』や『日本書紀』の世界観ではその「世界」を主導(これもちと語弊はあるがまぁ便宜的な表現)する存在は割とコロコロ変わるけど、しかし「世界」をぶち壊そうとか考える神々は確かにいない。
その理由は俺が思うに、日本人(というか古代アジア人全部か?)の思考様式の根本に「循環」という観念があるからじゃないだろうか。
日本は当然として、大陸やインド北部には季節が廻りめぐる自然環境が存在した。
ハルマゲドーンが信じられた中東や北アフリカの砂漠地帯とか、ラグナロクが語られた北欧の極寒地とは違って、一年のなかで自然が絶えず移り変わり、春→夏→秋→冬ときてまた春が来る、そういう自然の循環の中で各民族は自分たちの精神文化を育んだ。
つまり「現在は辛く厳しい夏(もしくは冬)だが、もう少し耐えれば秋(もしくは春)がやって来る、だから頑張ろう」っていう経験則的な「未来の保証」という観念があった。
だから、例えばスサノオがどれだけ大暴れしようが即粛正という方向にはならないし、政治的に対立する大国主とも(形式だけでも)話し合いによる事態解決を目指そうとする。健御名方みたいな強硬派ですら、両腕もがれて逃げた挙句でも降参すれば見逃される。
悪く言えば優柔不断なんだろうけど、別の見方をすればえらく暢気で牧歌的なんだよね。ヨーロッパも今でこそガチガチのキリスト教文化圏だけど、それ以前には日本みたいな素朴な自然信仰があったらしい事が判っている。
それもこれも「季節の循環」という自然環境から派生した「未来の保証」があればこその「余裕」なんだと思う。
ついでに言うと、この「循環」の思想は生き物の生死にも適用されてる。輪廻転生とか、>>375が述べた「屍体から生ずる(てか涌く)新たな神々」なんかはまさにそれだよね。要は「死」んだら終わり、じゃなくてその後に必ず「再生」がセットになってる事が重要なわけ。
で、ここまで言った事って全部東方の世界観に当て嵌まるんだよね。まぁ神主がストーリーや設定に組み込んだ元ネタが、そもそもその辺を使ってるから当たり前なんだけど。
蓬莱人を除いて、人間にも妖怪にも神様にも「死」の概念自体はあるんだけど、彼岸の死後裁判や冥界の描写を見るとよっぽどでない限りは「転生=再生」がきっちり保証されてる。命がちゃんと「循環」してる。
だからこそ、あの暢気というか余裕さが生まれてくるんじゃないかと、まぁ俺はそう考えてるんだけどね。
ごめんちょっと長くなっちまった……
>世の中(世界?)はどんどん生み出され発展していくべきだという思想
大筋はそれで当たってると思うが、少し補足的に。
天孫降臨と国譲りの神話に見られるように、『古事記』や『日本書紀』の世界観ではその「世界」を主導(これもちと語弊はあるがまぁ便宜的な表現)する存在は割とコロコロ変わるけど、しかし「世界」をぶち壊そうとか考える神々は確かにいない。
その理由は俺が思うに、日本人(というか古代アジア人全部か?)の思考様式の根本に「循環」という観念があるからじゃないだろうか。
日本は当然として、大陸やインド北部には季節が廻りめぐる自然環境が存在した。
ハルマゲドーンが信じられた中東や北アフリカの砂漠地帯とか、ラグナロクが語られた北欧の極寒地とは違って、一年のなかで自然が絶えず移り変わり、春→夏→秋→冬ときてまた春が来る、そういう自然の循環の中で各民族は自分たちの精神文化を育んだ。
つまり「現在は辛く厳しい夏(もしくは冬)だが、もう少し耐えれば秋(もしくは春)がやって来る、だから頑張ろう」っていう経験則的な「未来の保証」という観念があった。
だから、例えばスサノオがどれだけ大暴れしようが即粛正という方向にはならないし、政治的に対立する大国主とも(形式だけでも)話し合いによる事態解決を目指そうとする。健御名方みたいな強硬派ですら、両腕もがれて逃げた挙句でも降参すれば見逃される。
悪く言えば優柔不断なんだろうけど、別の見方をすればえらく暢気で牧歌的なんだよね。ヨーロッパも今でこそガチガチのキリスト教文化圏だけど、それ以前には日本みたいな素朴な自然信仰があったらしい事が判っている。
それもこれも「季節の循環」という自然環境から派生した「未来の保証」があればこその「余裕」なんだと思う。
ついでに言うと、この「循環」の思想は生き物の生死にも適用されてる。輪廻転生とか、>>375が述べた「屍体から生ずる(てか涌く)新たな神々」なんかはまさにそれだよね。要は「死」んだら終わり、じゃなくてその後に必ず「再生」がセットになってる事が重要なわけ。
で、ここまで言った事って全部東方の世界観に当て嵌まるんだよね。まぁ神主がストーリーや設定に組み込んだ元ネタが、そもそもその辺を使ってるから当たり前なんだけど。
蓬莱人を除いて、人間にも妖怪にも神様にも「死」の概念自体はあるんだけど、彼岸の死後裁判や冥界の描写を見るとよっぽどでない限りは「転生=再生」がきっちり保証されてる。命がちゃんと「循環」してる。
だからこそ、あの暢気というか余裕さが生まれてくるんじゃないかと、まぁ俺はそう考えてるんだけどね。
ごめんちょっと長くなっちまった……
まあ終末論担当が仏教だったって事情もあるんだろうけど。
お盆に死者が戻ってくるという、仏教の天国地獄設定からすると変な信仰が残ってるあたりから言っても、
結局日本は気に入らない信仰を受け入れないって事なんじゃないかな、とも思うし。
お盆に死者が戻ってくるという、仏教の天国地獄設定からすると変な信仰が残ってるあたりから言っても、
結局日本は気に入らない信仰を受け入れないって事なんじゃないかな、とも思うし。
>>388
日本の仏教が終末論(いわゆる末法思想)的な事言い出したのは平安時代中期、藤原道長とか紫式部が生きてた頃だな。
その頃流行った浄土教は中国に伝えられた時点である程度そういう性格持ってたらしい。
で、それを更に煽ったのが源信って坊さんが書いた『往生要集』。
末法の世を苦に満ちた「穢土」だと断じ、だから楽に満ちた「浄土」に行かなきゃ救われないぞ、と。
ちなみに『往生要集』の地獄描写は当時から迫力があって人気?があったらしく、これの記述に基づいて「地獄絵」がたくさん描かれた。
この辺の思想が、平安末期から中世にかけての社会不安と重なって日本人の死生観にいくらか変化を加えたらしい。
一例を挙げると「死者が帰ってくる」時期は今でこそ夏のお盆や春秋のお彼岸が普通だが、中世以前ではお正月がその時期だったとか。
あと、ちょっと話が戻るけど>>373
先日考古学やってる教授から聞いたんだが、
諏訪地方周辺の遺跡から、カエルを象ったらしい文様の入った縄文土器が出土してるらしい。
ググってみたらヒット↓
ttp://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/daabii12.html
諏訪の古伝承では、侵略してきた諏訪明神に対抗した洩矢神?はカエルの姿だった。
そして縄文時代の遺物にはカエルらしき文様がある。
神主がどこまで知識持ってるのか判らんが、ひょっとして本当に洩矢の神は……
日本の仏教が終末論(いわゆる末法思想)的な事言い出したのは平安時代中期、藤原道長とか紫式部が生きてた頃だな。
その頃流行った浄土教は中国に伝えられた時点である程度そういう性格持ってたらしい。
で、それを更に煽ったのが源信って坊さんが書いた『往生要集』。
末法の世を苦に満ちた「穢土」だと断じ、だから楽に満ちた「浄土」に行かなきゃ救われないぞ、と。
ちなみに『往生要集』の地獄描写は当時から迫力があって人気?があったらしく、これの記述に基づいて「地獄絵」がたくさん描かれた。
この辺の思想が、平安末期から中世にかけての社会不安と重なって日本人の死生観にいくらか変化を加えたらしい。
一例を挙げると「死者が帰ってくる」時期は今でこそ夏のお盆や春秋のお彼岸が普通だが、中世以前ではお正月がその時期だったとか。
あと、ちょっと話が戻るけど>>373
先日考古学やってる教授から聞いたんだが、
諏訪地方周辺の遺跡から、カエルを象ったらしい文様の入った縄文土器が出土してるらしい。
ググってみたらヒット↓
ttp://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/daabii12.html
諏訪の古伝承では、侵略してきた諏訪明神に対抗した洩矢神?はカエルの姿だった。
そして縄文時代の遺物にはカエルらしき文様がある。
神主がどこまで知識持ってるのか判らんが、ひょっとして本当に洩矢の神は……
仏教は六道輪廻を苦と考えて、それからの解脱と涅槃への到達を目指したわけだが
そこにある種の自殺願望、希死念慮のようなものを感じてしまう
そこにある種の自殺願望、希死念慮のようなものを感じてしまう
仏教やキリスト教なんかだと、現世は神や仏の教えを守って生きていき、
死後に魂の救済を求めるんだよな。
でも神道だと別にそんなことなくて、現世で清く正しく生きなさい。
死んだら神霊となって子孫を見守る、だからな。
>>387
神道の教えを見るに、「循環」という理念はもともと日本人にはなかったんじゃなかろうか。
巡る季節も、循環ではなく規則正しい流れ。
円ではなく波。
であればこそ、他の宗教のような世界の滅亡→再生という神話がなかったのではないかと思う。
死後に魂の救済を求めるんだよな。
でも神道だと別にそんなことなくて、現世で清く正しく生きなさい。
死んだら神霊となって子孫を見守る、だからな。
>>387
神道の教えを見るに、「循環」という理念はもともと日本人にはなかったんじゃなかろうか。
巡る季節も、循環ではなく規則正しい流れ。
円ではなく波。
であればこそ、他の宗教のような世界の滅亡→再生という神話がなかったのではないかと思う。
諏訪大戦とかも上手に決着つけたよなぁ
もし、神奈子と諏訪子が北欧とかヘブライとか終末論を持つ神族だったら、
どちらかが死に絶えるまで人間を殺し合いさせてるだろうし、
決着付いたら、勝った側が負けた側の土地を完膚なきまでに焼き尽くし、
新たな自分好みの世界に作り変えてる。(それを“浄化”と言うらしいが。)
もし、神奈子と諏訪子が北欧とかヘブライとか終末論を持つ神族だったら、
どちらかが死に絶えるまで人間を殺し合いさせてるだろうし、
決着付いたら、勝った側が負けた側の土地を完膚なきまでに焼き尽くし、
新たな自分好みの世界に作り変えてる。(それを“浄化”と言うらしいが。)
>>392
うーん、いや今日における「神道」の教説は確かにその通りなんだが…
歴史的にみると日本の神信仰には少なくとも5度の画期があって、
1 縄文弥生以来の地域・部族ごとに別れたアニミズム的自然信仰←>>387
↓
2 国家的な祭祀を伴う中央集権型神祇信仰(「記紀」成立~)
↓
3 伊勢神道や両部神道の流れを組む本地垂迹説に基づく神仏習合(鎌倉南北朝~)
↓
4 賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤が起こした「国学」の思想に基づく復古神道(江戸後期~)
↓
5 4を天皇制近代国家のいわゆる「国教」として推し進めた国家神道(明治~)
という流れがあり、現代日本の神道はだいたい4or5付近で唱えられた「教説」が基軸になってる。
そもそも1とか2辺りの時代の人々にとって、前の世代から語り伝えられてきた神話は本当に「歴史」だったんだな。
そこに仏教やら儒教やら陰陽五行やらが入ってきて思想的な「解釈」が行われていく。
で、近世の国学→復古神道に到って「現世を清く正しく~~」という「教説」が生み出されていくのね。
ただ日本らしさというか他の地域や民族と違って面白いのは、いかに3とか4が興隆しても古い1や2が失われない点だと思う。
東方の世界観は、おおむね1を基本として2~4辺りの良さげな所を適時追加してる感じかな。
うーん、いや今日における「神道」の教説は確かにその通りなんだが…
歴史的にみると日本の神信仰には少なくとも5度の画期があって、
1 縄文弥生以来の地域・部族ごとに別れたアニミズム的自然信仰←>>387
↓
2 国家的な祭祀を伴う中央集権型神祇信仰(「記紀」成立~)
↓
3 伊勢神道や両部神道の流れを組む本地垂迹説に基づく神仏習合(鎌倉南北朝~)
↓
4 賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤が起こした「国学」の思想に基づく復古神道(江戸後期~)
↓
5 4を天皇制近代国家のいわゆる「国教」として推し進めた国家神道(明治~)
という流れがあり、現代日本の神道はだいたい4or5付近で唱えられた「教説」が基軸になってる。
そもそも1とか2辺りの時代の人々にとって、前の世代から語り伝えられてきた神話は本当に「歴史」だったんだな。
そこに仏教やら儒教やら陰陽五行やらが入ってきて思想的な「解釈」が行われていく。
で、近世の国学→復古神道に到って「現世を清く正しく~~」という「教説」が生み出されていくのね。
ただ日本らしさというか他の地域や民族と違って面白いのは、いかに3とか4が興隆しても古い1や2が失われない点だと思う。
東方の世界観は、おおむね1を基本として2~4辺りの良さげな所を適時追加してる感じかな。
>393
まあ、当時(縄文時代終期)の日本は現代人が考えている以上に豊かだった
(というか土地に対して人が少なすぎた)らしいし、当時の欧州とかの戦争理由だった
「限り有る住める土地の奪い合い」自体、意味が薄い行為だったからね。
諏訪大戦は、住民にとっては単に新しいルールを受け入れるか否かの諍いに近いニュアンスだったんじゃないかな。
神職や権力者はそれなりに必死だったが、住民にはさして一大事とは見ていなかったのでは?
だから諏訪大戦の概要が、スペカ決闘みたく力の見せ合いで早々に決着がついたんだろう。
住民の支持を得た時点で勝利であり、戦争というよりアピール合戦に近いものだったのかも知れない。
まあ、当時(縄文時代終期)の日本は現代人が考えている以上に豊かだった
(というか土地に対して人が少なすぎた)らしいし、当時の欧州とかの戦争理由だった
「限り有る住める土地の奪い合い」自体、意味が薄い行為だったからね。
諏訪大戦は、住民にとっては単に新しいルールを受け入れるか否かの諍いに近いニュアンスだったんじゃないかな。
神職や権力者はそれなりに必死だったが、住民にはさして一大事とは見ていなかったのでは?
だから諏訪大戦の概要が、スペカ決闘みたく力の見せ合いで早々に決着がついたんだろう。
住民の支持を得た時点で勝利であり、戦争というよりアピール合戦に近いものだったのかも知れない。