かつての日本は、周りの国やら神話やらを取り入れて出来あがった国家だから
「終末」なんて話を出すと
「何時かは終わる国に与するのは嫌だ」と地方が反発するだろうし
その神と繋がりのある天皇家が中心に居るのはおかしい!と
くだらない事を考える奴等が出てきてもおかしくない。
他の神話なら「神や世界はそういうモノだよ」で済むが
「天照神は皇室の祖神」と繋がりが、しっかり書かれている分
その神の統治能力に疑惑を生むと、天皇の統治そのものに疑惑が生まれちゃう。
だから「終末」ネタなんて出しようがないんじゃないかな?
記紀成立の政治的背景
日本神話・記紀 › 古事記・日本書紀
日本神話・記紀 › 歴史的背景
古事記と日本書紀が藤原不比等らの政治的意図で編纂されたこと。日本書紀にタケミナカタが登場しない理由(天皇家体系から排除)。古代の地方有力氏族の神話が中央の都合で書き換えられた経緯。出雲神話の位置付けと国譲りの政治的意味。皇国史観の影響が現代にも残ること。
◆ 其の弐(スレ2)>>384–401
>>382
>世の中(世界?)はどんどん生み出され発展していくべきだという思想
大筋はそれで当たってると思うが、少し補足的に。
天孫降臨と国譲りの神話に見られるように、『古事記』や『日本書紀』の世界観ではその「世界」を主導(これもちと語弊はあるがまぁ便宜的な表現)する存在は割とコロコロ変わるけど、しかし「世界」をぶち壊そうとか考える神々は確かにいない。
その理由は俺が思うに、日本人(というか古代アジア人全部か?)の思考様式の根本に「循環」という観念があるからじゃないだろうか。
日本は当然として、大陸やインド北部には季節が廻りめぐる自然環境が存在した。
ハルマゲドーンが信じられた中東や北アフリカの砂漠地帯とか、ラグナロクが語られた北欧の極寒地とは違って、一年のなかで自然が絶えず移り変わり、春→夏→秋→冬ときてまた春が来る、そういう自然の循環の中で各民族は自分たちの精神文化を育んだ。
つまり「現在は辛く厳しい夏(もしくは冬)だが、もう少し耐えれば秋(もしくは春)がやって来る、だから頑張ろう」っていう経験則的な「未来の保証」という観念があった。
だから、例えばスサノオがどれだけ大暴れしようが即粛正という方向にはならないし、政治的に対立する大国主とも(形式だけでも)話し合いによる事態解決を目指そうとする。健御名方みたいな強硬派ですら、両腕もがれて逃げた挙句でも降参すれば見逃される。
悪く言えば優柔不断なんだろうけど、別の見方をすればえらく暢気で牧歌的なんだよね。ヨーロッパも今でこそガチガチのキリスト教文化圏だけど、それ以前には日本みたいな素朴な自然信仰があったらしい事が判っている。
それもこれも「季節の循環」という自然環境から派生した「未来の保証」があればこその「余裕」なんだと思う。
ついでに言うと、この「循環」の思想は生き物の生死にも適用されてる。輪廻転生とか、>>375が述べた「屍体から生ずる(てか涌く)新たな神々」なんかはまさにそれだよね。要は「死」んだら終わり、じゃなくてその後に必ず「再生」がセットになってる事が重要なわけ。
で、ここまで言った事って全部東方の世界観に当て嵌まるんだよね。まぁ神主がストーリーや設定に組み込んだ元ネタが、そもそもその辺を使ってるから当たり前なんだけど。
蓬莱人を除いて、人間にも妖怪にも神様にも「死」の概念自体はあるんだけど、彼岸の死後裁判や冥界の描写を見るとよっぽどでない限りは「転生=再生」がきっちり保証されてる。命がちゃんと「循環」してる。
だからこそ、あの暢気というか余裕さが生まれてくるんじゃないかと、まぁ俺はそう考えてるんだけどね。
ごめんちょっと長くなっちまった……
>世の中(世界?)はどんどん生み出され発展していくべきだという思想
大筋はそれで当たってると思うが、少し補足的に。
天孫降臨と国譲りの神話に見られるように、『古事記』や『日本書紀』の世界観ではその「世界」を主導(これもちと語弊はあるがまぁ便宜的な表現)する存在は割とコロコロ変わるけど、しかし「世界」をぶち壊そうとか考える神々は確かにいない。
その理由は俺が思うに、日本人(というか古代アジア人全部か?)の思考様式の根本に「循環」という観念があるからじゃないだろうか。
日本は当然として、大陸やインド北部には季節が廻りめぐる自然環境が存在した。
ハルマゲドーンが信じられた中東や北アフリカの砂漠地帯とか、ラグナロクが語られた北欧の極寒地とは違って、一年のなかで自然が絶えず移り変わり、春→夏→秋→冬ときてまた春が来る、そういう自然の循環の中で各民族は自分たちの精神文化を育んだ。
つまり「現在は辛く厳しい夏(もしくは冬)だが、もう少し耐えれば秋(もしくは春)がやって来る、だから頑張ろう」っていう経験則的な「未来の保証」という観念があった。
だから、例えばスサノオがどれだけ大暴れしようが即粛正という方向にはならないし、政治的に対立する大国主とも(形式だけでも)話し合いによる事態解決を目指そうとする。健御名方みたいな強硬派ですら、両腕もがれて逃げた挙句でも降参すれば見逃される。
悪く言えば優柔不断なんだろうけど、別の見方をすればえらく暢気で牧歌的なんだよね。ヨーロッパも今でこそガチガチのキリスト教文化圏だけど、それ以前には日本みたいな素朴な自然信仰があったらしい事が判っている。
それもこれも「季節の循環」という自然環境から派生した「未来の保証」があればこその「余裕」なんだと思う。
ついでに言うと、この「循環」の思想は生き物の生死にも適用されてる。輪廻転生とか、>>375が述べた「屍体から生ずる(てか涌く)新たな神々」なんかはまさにそれだよね。要は「死」んだら終わり、じゃなくてその後に必ず「再生」がセットになってる事が重要なわけ。
で、ここまで言った事って全部東方の世界観に当て嵌まるんだよね。まぁ神主がストーリーや設定に組み込んだ元ネタが、そもそもその辺を使ってるから当たり前なんだけど。
蓬莱人を除いて、人間にも妖怪にも神様にも「死」の概念自体はあるんだけど、彼岸の死後裁判や冥界の描写を見るとよっぽどでない限りは「転生=再生」がきっちり保証されてる。命がちゃんと「循環」してる。
だからこそ、あの暢気というか余裕さが生まれてくるんじゃないかと、まぁ俺はそう考えてるんだけどね。
ごめんちょっと長くなっちまった……
まあ終末論担当が仏教だったって事情もあるんだろうけど。
お盆に死者が戻ってくるという、仏教の天国地獄設定からすると変な信仰が残ってるあたりから言っても、
結局日本は気に入らない信仰を受け入れないって事なんじゃないかな、とも思うし。
お盆に死者が戻ってくるという、仏教の天国地獄設定からすると変な信仰が残ってるあたりから言っても、
結局日本は気に入らない信仰を受け入れないって事なんじゃないかな、とも思うし。
>>388
日本の仏教が終末論(いわゆる末法思想)的な事言い出したのは平安時代中期、藤原道長とか紫式部が生きてた頃だな。
その頃流行った浄土教は中国に伝えられた時点である程度そういう性格持ってたらしい。
で、それを更に煽ったのが源信って坊さんが書いた『往生要集』。
末法の世を苦に満ちた「穢土」だと断じ、だから楽に満ちた「浄土」に行かなきゃ救われないぞ、と。
ちなみに『往生要集』の地獄描写は当時から迫力があって人気?があったらしく、これの記述に基づいて「地獄絵」がたくさん描かれた。
この辺の思想が、平安末期から中世にかけての社会不安と重なって日本人の死生観にいくらか変化を加えたらしい。
一例を挙げると「死者が帰ってくる」時期は今でこそ夏のお盆や春秋のお彼岸が普通だが、中世以前ではお正月がその時期だったとか。
あと、ちょっと話が戻るけど>>373
先日考古学やってる教授から聞いたんだが、
諏訪地方周辺の遺跡から、カエルを象ったらしい文様の入った縄文土器が出土してるらしい。
ググってみたらヒット↓
ttp://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/daabii12.html
諏訪の古伝承では、侵略してきた諏訪明神に対抗した洩矢神?はカエルの姿だった。
そして縄文時代の遺物にはカエルらしき文様がある。
神主がどこまで知識持ってるのか判らんが、ひょっとして本当に洩矢の神は……
日本の仏教が終末論(いわゆる末法思想)的な事言い出したのは平安時代中期、藤原道長とか紫式部が生きてた頃だな。
その頃流行った浄土教は中国に伝えられた時点である程度そういう性格持ってたらしい。
で、それを更に煽ったのが源信って坊さんが書いた『往生要集』。
末法の世を苦に満ちた「穢土」だと断じ、だから楽に満ちた「浄土」に行かなきゃ救われないぞ、と。
ちなみに『往生要集』の地獄描写は当時から迫力があって人気?があったらしく、これの記述に基づいて「地獄絵」がたくさん描かれた。
この辺の思想が、平安末期から中世にかけての社会不安と重なって日本人の死生観にいくらか変化を加えたらしい。
一例を挙げると「死者が帰ってくる」時期は今でこそ夏のお盆や春秋のお彼岸が普通だが、中世以前ではお正月がその時期だったとか。
あと、ちょっと話が戻るけど>>373
先日考古学やってる教授から聞いたんだが、
諏訪地方周辺の遺跡から、カエルを象ったらしい文様の入った縄文土器が出土してるらしい。
ググってみたらヒット↓
ttp://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/daabii12.html
諏訪の古伝承では、侵略してきた諏訪明神に対抗した洩矢神?はカエルの姿だった。
そして縄文時代の遺物にはカエルらしき文様がある。
神主がどこまで知識持ってるのか判らんが、ひょっとして本当に洩矢の神は……
仏教やキリスト教なんかだと、現世は神や仏の教えを守って生きていき、
死後に魂の救済を求めるんだよな。
でも神道だと別にそんなことなくて、現世で清く正しく生きなさい。
死んだら神霊となって子孫を見守る、だからな。
>>387
神道の教えを見るに、「循環」という理念はもともと日本人にはなかったんじゃなかろうか。
巡る季節も、循環ではなく規則正しい流れ。
円ではなく波。
であればこそ、他の宗教のような世界の滅亡→再生という神話がなかったのではないかと思う。
死後に魂の救済を求めるんだよな。
でも神道だと別にそんなことなくて、現世で清く正しく生きなさい。
死んだら神霊となって子孫を見守る、だからな。
>>387
神道の教えを見るに、「循環」という理念はもともと日本人にはなかったんじゃなかろうか。
巡る季節も、循環ではなく規則正しい流れ。
円ではなく波。
であればこそ、他の宗教のような世界の滅亡→再生という神話がなかったのではないかと思う。
諏訪大戦とかも上手に決着つけたよなぁ
もし、神奈子と諏訪子が北欧とかヘブライとか終末論を持つ神族だったら、
どちらかが死に絶えるまで人間を殺し合いさせてるだろうし、
決着付いたら、勝った側が負けた側の土地を完膚なきまでに焼き尽くし、
新たな自分好みの世界に作り変えてる。(それを“浄化”と言うらしいが。)
もし、神奈子と諏訪子が北欧とかヘブライとか終末論を持つ神族だったら、
どちらかが死に絶えるまで人間を殺し合いさせてるだろうし、
決着付いたら、勝った側が負けた側の土地を完膚なきまでに焼き尽くし、
新たな自分好みの世界に作り変えてる。(それを“浄化”と言うらしいが。)
>>392
うーん、いや今日における「神道」の教説は確かにその通りなんだが…
歴史的にみると日本の神信仰には少なくとも5度の画期があって、
1 縄文弥生以来の地域・部族ごとに別れたアニミズム的自然信仰←>>387
↓
2 国家的な祭祀を伴う中央集権型神祇信仰(「記紀」成立~)
↓
3 伊勢神道や両部神道の流れを組む本地垂迹説に基づく神仏習合(鎌倉南北朝~)
↓
4 賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤が起こした「国学」の思想に基づく復古神道(江戸後期~)
↓
5 4を天皇制近代国家のいわゆる「国教」として推し進めた国家神道(明治~)
という流れがあり、現代日本の神道はだいたい4or5付近で唱えられた「教説」が基軸になってる。
そもそも1とか2辺りの時代の人々にとって、前の世代から語り伝えられてきた神話は本当に「歴史」だったんだな。
そこに仏教やら儒教やら陰陽五行やらが入ってきて思想的な「解釈」が行われていく。
で、近世の国学→復古神道に到って「現世を清く正しく~~」という「教説」が生み出されていくのね。
ただ日本らしさというか他の地域や民族と違って面白いのは、いかに3とか4が興隆しても古い1や2が失われない点だと思う。
東方の世界観は、おおむね1を基本として2~4辺りの良さげな所を適時追加してる感じかな。
うーん、いや今日における「神道」の教説は確かにその通りなんだが…
歴史的にみると日本の神信仰には少なくとも5度の画期があって、
1 縄文弥生以来の地域・部族ごとに別れたアニミズム的自然信仰←>>387
↓
2 国家的な祭祀を伴う中央集権型神祇信仰(「記紀」成立~)
↓
3 伊勢神道や両部神道の流れを組む本地垂迹説に基づく神仏習合(鎌倉南北朝~)
↓
4 賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤が起こした「国学」の思想に基づく復古神道(江戸後期~)
↓
5 4を天皇制近代国家のいわゆる「国教」として推し進めた国家神道(明治~)
という流れがあり、現代日本の神道はだいたい4or5付近で唱えられた「教説」が基軸になってる。
そもそも1とか2辺りの時代の人々にとって、前の世代から語り伝えられてきた神話は本当に「歴史」だったんだな。
そこに仏教やら儒教やら陰陽五行やらが入ってきて思想的な「解釈」が行われていく。
で、近世の国学→復古神道に到って「現世を清く正しく~~」という「教説」が生み出されていくのね。
ただ日本らしさというか他の地域や民族と違って面白いのは、いかに3とか4が興隆しても古い1や2が失われない点だと思う。
東方の世界観は、おおむね1を基本として2~4辺りの良さげな所を適時追加してる感じかな。
>>368-369
子沢山ワロタ。だが嫁ぎ先がミナカタじゃなくてミナカタの子供っていう風にワンクッション置いたのは面白いなぁ。
遅くなったがありがとう。やっぱこれぐらいマニアックになってくるとgoogle先生だけじゃきついなぁ。
神社巡りしたいところだけど予算が捻出できないからとりあえず図書館行ってそれっぽいの探してみる。
>>389
ZUN信者なので過大評価かもしれんが神主は相当調べてる気がする。
俺も縄文土器に蛙っぽいのが描いてあるってのは聞いた覚えがあるし(何処で見たか忘れたけど)。
確かそこは一連の国譲り神話の解釈を製鉄民族による統治→農耕民族による統治→外来製鉄民族による統治
という三段階に分けて考察していた気がする。ちなみに東方とは何の関係も無いところ。
ただ、最期の外来製鉄民族ってのはタケミカヅチの逸話を論拠にしたものだから実際は第二段階で終わったのかも。
>>395
たぶんその辺りは食糧難があったんじゃないかと思っている。
ヤマトの勢力拡大の背景には寒冷化や人口増大により安定した食料が維持できなかったというのがあるらしいし。
だから一般住民的には全くの無関心というよりは安定した食料供給が期待できる勢力のほうがメリットがあったのかも。
子沢山ワロタ。だが嫁ぎ先がミナカタじゃなくてミナカタの子供っていう風にワンクッション置いたのは面白いなぁ。
遅くなったがありがとう。やっぱこれぐらいマニアックになってくるとgoogle先生だけじゃきついなぁ。
神社巡りしたいところだけど予算が捻出できないからとりあえず図書館行ってそれっぽいの探してみる。
>>389
ZUN信者なので過大評価かもしれんが神主は相当調べてる気がする。
俺も縄文土器に蛙っぽいのが描いてあるってのは聞いた覚えがあるし(何処で見たか忘れたけど)。
確かそこは一連の国譲り神話の解釈を製鉄民族による統治→農耕民族による統治→外来製鉄民族による統治
という三段階に分けて考察していた気がする。ちなみに東方とは何の関係も無いところ。
ただ、最期の外来製鉄民族ってのはタケミカヅチの逸話を論拠にしたものだから実際は第二段階で終わったのかも。
>>395
たぶんその辺りは食糧難があったんじゃないかと思っている。
ヤマトの勢力拡大の背景には寒冷化や人口増大により安定した食料が維持できなかったというのがあるらしいし。
だから一般住民的には全くの無関心というよりは安定した食料供給が期待できる勢力のほうがメリットがあったのかも。
スサノオが出てくるあたりから日本神話は血なまぐさくなり
天孫降臨から先は殺された神から神が生まれることはなくなっている。
天孫降臨より前は出雲からの引用で、その後は中央が編纂した歴史だからだろうか。
編纂された当時、諏訪といえば流罪の先の一つだったが
(中程度の罪。高貴な人も流されてる)
「ミナカタさんが諏訪に逃げた」というのは、「ミナカタさんがリストラで諏訪に左遷された」
と読み替えることもできるだろうか?
天孫降臨から先は殺された神から神が生まれることはなくなっている。
天孫降臨より前は出雲からの引用で、その後は中央が編纂した歴史だからだろうか。
編纂された当時、諏訪といえば流罪の先の一つだったが
(中程度の罪。高貴な人も流されてる)
「ミナカタさんが諏訪に逃げた」というのは、「ミナカタさんがリストラで諏訪に左遷された」
と読み替えることもできるだろうか?
>>398
たぶん記紀神話と呼ばれるのは天皇族の中央信仰と出雲の神話が良い感じに混ざり合ってるとは思うが、
こっから前は出雲神話でこっから先は実際の歴史って単純に二分化してしまうのも結構危ない気がしないでもない。
共通項が多く見られるのは出雲とヤマトが切迫していた時期があってお互いがお互いの神話のテイストを自分の神話に取り込もうとしたからな気がする。ちょうどギリシア神話とローマ神話みたいな感じで互いに影響与えてたんじゃないかなぁ、だからヤマトが出雲を支配した後もすんなり神話単位で統合できたのかもしれないし。
流刑地としての諏訪については詳しい事がわからないけどいつ頃からそんな感じになったのかも考慮したほうが良いかも。
ミナカタさんについては俺は諏訪と出雲は完全に分断して考えているので良い答えが浮かばないが、後世に流刑地として諏訪が扱われていた事を踏まえるとやっぱり諏訪の地は格下な感じに見られていたのかもね。
むしろ諏訪が流刑地だった事を踏まえると雛の流刑人形のスペカに関係してきそうな気がしてきた。
>>399
ヒント:花びら大回t いや、なんでもない。
左が女性器を表してて左右の土器が対になってるのなら右側は男性器が来そうな気もするけどね。
中国だと月にいるのは蛙らしい。日本でも同じような太陰思想があったかは不明だけど、
仮に日本でも月=蛙だったとすると左の土器が月を右の土器が太陽を示唆しているのかもわからん。
まぁ、独自解釈なので信憑性は皆無でつ。日本の月はおおよそ兎だしね。
たぶん記紀神話と呼ばれるのは天皇族の中央信仰と出雲の神話が良い感じに混ざり合ってるとは思うが、
こっから前は出雲神話でこっから先は実際の歴史って単純に二分化してしまうのも結構危ない気がしないでもない。
共通項が多く見られるのは出雲とヤマトが切迫していた時期があってお互いがお互いの神話のテイストを自分の神話に取り込もうとしたからな気がする。ちょうどギリシア神話とローマ神話みたいな感じで互いに影響与えてたんじゃないかなぁ、だからヤマトが出雲を支配した後もすんなり神話単位で統合できたのかもしれないし。
流刑地としての諏訪については詳しい事がわからないけどいつ頃からそんな感じになったのかも考慮したほうが良いかも。
ミナカタさんについては俺は諏訪と出雲は完全に分断して考えているので良い答えが浮かばないが、後世に流刑地として諏訪が扱われていた事を踏まえるとやっぱり諏訪の地は格下な感じに見られていたのかもね。
むしろ諏訪が流刑地だった事を踏まえると雛の流刑人形のスペカに関係してきそうな気がしてきた。
>>399
ヒント:花びら大回t いや、なんでもない。
左が女性器を表してて左右の土器が対になってるのなら右側は男性器が来そうな気もするけどね。
中国だと月にいるのは蛙らしい。日本でも同じような太陰思想があったかは不明だけど、
仮に日本でも月=蛙だったとすると左の土器が月を右の土器が太陽を示唆しているのかもわからん。
まぁ、独自解釈なので信憑性は皆無でつ。日本の月はおおよそ兎だしね。
◆ 其の弐(スレ2)>>734–778
>>733
上賀茂・下鴨両社は、本来的には賀茂氏の祖神を祀る神社だから違うのでは?
実際、山城国風土記逸文には、賀茂別雷大神が神山(京都市北区の山)に降臨し云々という賀茂神話も記録されているし。
賀茂の神=八咫烏というのは、記紀形成の過程に於いて朝廷が有力氏族たる賀茂氏を取り込むためにつくられたと考えるべきだと思う。
その点では、諏訪神やら出雲神、鹿島神に八幡神等も同じではなかろうか。
実際のところ、日本には一個の確たる神話なぞなく、各地に各地の神様がいる"だけ"であると捉えるべきだと思う。
上賀茂・下鴨両社は、本来的には賀茂氏の祖神を祀る神社だから違うのでは?
実際、山城国風土記逸文には、賀茂別雷大神が神山(京都市北区の山)に降臨し云々という賀茂神話も記録されているし。
賀茂の神=八咫烏というのは、記紀形成の過程に於いて朝廷が有力氏族たる賀茂氏を取り込むためにつくられたと考えるべきだと思う。
その点では、諏訪神やら出雲神、鹿島神に八幡神等も同じではなかろうか。
実際のところ、日本には一個の確たる神話なぞなく、各地に各地の神様がいる"だけ"であると捉えるべきだと思う。
>>734
神話も信仰も常に人間が介在する事で変化し得るもので、ある時点以降の神話は偽物神話で
それ以前の土着信仰は純粋で本来的な本物神話、とか言い切れるようなものじゃない
記紀成立以前と以降では確かに色々大きく変化してるだろうが、変化前・変化後のどちらも
重要な日本の神話であり信仰だぜ
神話も信仰も常に人間が介在する事で変化し得るもので、ある時点以降の神話は偽物神話で
それ以前の土着信仰は純粋で本来的な本物神話、とか言い切れるようなものじゃない
記紀成立以前と以降では確かに色々大きく変化してるだろうが、変化前・変化後のどちらも
重要な日本の神話であり信仰だぜ
>>737
もちろん、どの時点で神話や信仰がどう変化したか、それ以前と以後をそれぞれ検証するのは
重要だし、個人的にも非常に興味深い事だよ
まあ要は「日本には一個の確たる神話なぞなく」にちょっと引っかかったというだけでね
うちの氏神様を祀る神社も「社伝」と「古伝」で神社成立の縁起が全然違うんだよな……
もちろん、どの時点で神話や信仰がどう変化したか、それ以前と以後をそれぞれ検証するのは
重要だし、個人的にも非常に興味深い事だよ
まあ要は「日本には一個の確たる神話なぞなく」にちょっと引っかかったというだけでね
うちの氏神様を祀る神社も「社伝」と「古伝」で神社成立の縁起が全然違うんだよな……
集められた神々もその後にまた離散しているように思える
仏教が国教になり、天皇の神性がほぼ幻想入りした中世を経ると
各地の神々にはもう中央との繋がりがとんと見られなくなる
一応、申し訳程度にはあるんだが信仰の実体にはまったく関わってこない
記紀以前だけじゃなく中世・近世に目を向けることも神々の姿を把握する上では必要だと思う
仏教が国教になり、天皇の神性がほぼ幻想入りした中世を経ると
各地の神々にはもう中央との繋がりがとんと見られなくなる
一応、申し訳程度にはあるんだが信仰の実体にはまったく関わってこない
記紀以前だけじゃなく中世・近世に目を向けることも神々の姿を把握する上では必要だと思う
>>740氏のおっしゃる通り、「日本の神は体系に重きを置かない」ということを言ったつもりでした。
日本の神話を、系統だった物として見るのは、誤解を招くように思うのです。
本来歴史畑の人間でありまして、民族学やら神話学には詳しくないのです。
その上で述べるならば、記紀成立後も本来的な神の姿はそれほど変わらないと思います。
記紀とは、朝廷がある種の恣意を以て編纂したものであります。
それによって、各地の神は一つの神話の上に置かれました。
ですが、今まで中央に依らぬ神・神話を信仰してきた人々が突然それを享受するでしょうか?
おそらくしません。記紀神話の影響とは、当時の支配層に限定されており、信仰を支える地域社会自体は信仰形態を変えなかったでしょう。
諏訪の信仰が、記紀に全く沿わぬもので"あった"(近代に呑み込まれましたが)のも、上記の理由でしょう。
また、八幡などでも同様の傾向が見られます。
中世以降の信仰変化も、結局のところは支配層の地域分解(律令政府の求心力低下)に求められる気がします。
信仰とは地域社会に支えられる地域独自のもの、という記紀以前へと戻ったと言えるでしょう。
もちろん、記紀やら仏教やら儒教やら道教やらの影響を受けて各地の信仰も変化していますが。
長文、失礼しました。
日本の神話を、系統だった物として見るのは、誤解を招くように思うのです。
本来歴史畑の人間でありまして、民族学やら神話学には詳しくないのです。
その上で述べるならば、記紀成立後も本来的な神の姿はそれほど変わらないと思います。
記紀とは、朝廷がある種の恣意を以て編纂したものであります。
それによって、各地の神は一つの神話の上に置かれました。
ですが、今まで中央に依らぬ神・神話を信仰してきた人々が突然それを享受するでしょうか?
おそらくしません。記紀神話の影響とは、当時の支配層に限定されており、信仰を支える地域社会自体は信仰形態を変えなかったでしょう。
諏訪の信仰が、記紀に全く沿わぬもので"あった"(近代に呑み込まれましたが)のも、上記の理由でしょう。
また、八幡などでも同様の傾向が見られます。
中世以降の信仰変化も、結局のところは支配層の地域分解(律令政府の求心力低下)に求められる気がします。
信仰とは地域社会に支えられる地域独自のもの、という記紀以前へと戻ったと言えるでしょう。
もちろん、記紀やら仏教やら儒教やら道教やらの影響を受けて各地の信仰も変化していますが。
長文、失礼しました。
近代以降も、東北の村とかじゃ格式ある神社の神主より
地元のシャーマンの婆さんのほうが崇められてた、という話を聞くな
もっとも、国家イデオロギーに即した神道はあまり受け入れらなかった、
とかいうことより、もっと単純に、憑き物落としやら農作物の豊作祈願やら、
身近な生活に即した祈祷師とかのほうが民衆には親しみ深く
より重要視されていたという話ではないかと
地元のシャーマンの婆さんのほうが崇められてた、という話を聞くな
もっとも、国家イデオロギーに即した神道はあまり受け入れらなかった、
とかいうことより、もっと単純に、憑き物落としやら農作物の豊作祈願やら、
身近な生活に即した祈祷師とかのほうが民衆には親しみ深く
より重要視されていたという話ではないかと
>>741
民衆が壮大な神話体系よりももっと身近な信仰により親しむというのは
道教でも見られる傾向だけど(盤古や伏羲や女カのような浮世離れした神々より
関帝や媽祖なんかの方が人気が高い)、
しかしそういう事と「○○には一個の確たる神話はない」ってのはまた別の話だよ
というか、古代から今に至るも神社神道の基盤として現に存在している日本の神話体系を
あまりにも矮小化しすぎじゃないかと
民衆が壮大な神話体系よりももっと身近な信仰により親しむというのは
道教でも見られる傾向だけど(盤古や伏羲や女カのような浮世離れした神々より
関帝や媽祖なんかの方が人気が高い)、
しかしそういう事と「○○には一個の確たる神話はない」ってのはまた別の話だよ
というか、古代から今に至るも神社神道の基盤として現に存在している日本の神話体系を
あまりにも矮小化しすぎじゃないかと
確かに日本にはアニミズム的な自然崇拝の意識の土壌のほうが大きいようには思う。
逆に言うと俺なんかは神社に日本国旗がぶっ刺さってるの見るとびみょんな感情を抱くし。
鎮守の森とかの存在も踏まえると信仰の舞台は本来自然に対する畏敬であったのだと思う。
なんで、本来神様の由来だの名前だのっていうのはそれほど重要ではないのだろうとも思う。
んで、記紀は>>741の言うように朝廷本位で書かれているというものは間違いないし、
朝廷の恣意を以て編纂された体系に意味を求めるのは違うんじゃねというのもわからんでもない。
そもそも民衆レベルで記紀神話が浸透していたとも思えないし、
庶民が記紀神話の体系を支持していたかどうか以前に記紀神話体系を知らなかった可能性だってある。
なんで、>>783みたく地方にそれぞれ記紀とは異なった由来があるならたぶんそっちのほうが正しいというか古い。
もちろん地方の信仰が記紀成立後に扱いに不満を持って「家はもっとすごいんだぞー」って編纂した可能性もあるが。
んで、それを踏まえた上で>>740の西行法師の歌を語るなら、俺の場合は歌の解釈が>>740とはちょっと違ったり。
西行法師ばりの人物が伊勢の神の名や由来を知らないはずもないっていうのは確かではあると思う。
ただ、伊勢神宮というか記紀の成立に関しては昔から疑問符を唱えるような歴史マニアがわりといたりなんだり。
謡曲「三輪」の中では
『思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や』
と言われてるし記紀を鵜呑みにするのではなく、その奥にある歴史みたいのは古くから興味の対象だったように思う。
なんで、俺が西行法師のその歌を詠みかえるとすれば
『何があったかは私ごときにはわかりようもないが、それでも此処に畏敬の念を感じずにはいられない』
みたいな感じになるんじゃねーかなと思う。
何が祀られているか興味が無いというよりは興味は尽きないけれども尊敬せずにはいられないみたいなニュアンス差異。
ちなみに、この辺りを補足すると俺も三輪の大神神社と伊勢の天照大神は同じものを祀っているように思う。
天照大神の天照っていう神格はどうやら跡付けらしいし、当初は単なる大神だったかもしれないと考えると納得。
後、大神神社の御神体は山そのものという記述見て神奈子の設定思い出したりしてニヨニヨしたりもしたなー。
ちなみに>>741の中世以降の信仰変化のしかたにはどうにも賛同しかねないでもない。
仮にどんなに中央の力が落ちたところで信仰形態はどうあがいても元には戻らないと思う。
まぁ、言葉のアヤだとは思うんだけど仏教の影響力の拡大とかも踏まえるととてもじゃないが原始信仰と同じとは言えない。
逆に言うと俺なんかは神社に日本国旗がぶっ刺さってるの見るとびみょんな感情を抱くし。
鎮守の森とかの存在も踏まえると信仰の舞台は本来自然に対する畏敬であったのだと思う。
なんで、本来神様の由来だの名前だのっていうのはそれほど重要ではないのだろうとも思う。
んで、記紀は>>741の言うように朝廷本位で書かれているというものは間違いないし、
朝廷の恣意を以て編纂された体系に意味を求めるのは違うんじゃねというのもわからんでもない。
そもそも民衆レベルで記紀神話が浸透していたとも思えないし、
庶民が記紀神話の体系を支持していたかどうか以前に記紀神話体系を知らなかった可能性だってある。
なんで、>>783みたく地方にそれぞれ記紀とは異なった由来があるならたぶんそっちのほうが正しいというか古い。
もちろん地方の信仰が記紀成立後に扱いに不満を持って「家はもっとすごいんだぞー」って編纂した可能性もあるが。
んで、それを踏まえた上で>>740の西行法師の歌を語るなら、俺の場合は歌の解釈が>>740とはちょっと違ったり。
西行法師ばりの人物が伊勢の神の名や由来を知らないはずもないっていうのは確かではあると思う。
ただ、伊勢神宮というか記紀の成立に関しては昔から疑問符を唱えるような歴史マニアがわりといたりなんだり。
謡曲「三輪」の中では
『思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や』
と言われてるし記紀を鵜呑みにするのではなく、その奥にある歴史みたいのは古くから興味の対象だったように思う。
なんで、俺が西行法師のその歌を詠みかえるとすれば
『何があったかは私ごときにはわかりようもないが、それでも此処に畏敬の念を感じずにはいられない』
みたいな感じになるんじゃねーかなと思う。
何が祀られているか興味が無いというよりは興味は尽きないけれども尊敬せずにはいられないみたいなニュアンス差異。
ちなみに、この辺りを補足すると俺も三輪の大神神社と伊勢の天照大神は同じものを祀っているように思う。
天照大神の天照っていう神格はどうやら跡付けらしいし、当初は単なる大神だったかもしれないと考えると納得。
後、大神神社の御神体は山そのものという記述見て神奈子の設定思い出したりしてニヨニヨしたりもしたなー。
ちなみに>>741の中世以降の信仰変化のしかたにはどうにも賛同しかねないでもない。
仮にどんなに中央の力が落ちたところで信仰形態はどうあがいても元には戻らないと思う。
まぁ、言葉のアヤだとは思うんだけど仏教の影響力の拡大とかも踏まえるととてもじゃないが原始信仰と同じとは言えない。
「日本の神の中には神話体系を持った特殊なグループがある」
でいいような気がする
たとえば権現思想
本地に仏があるんだけど、前にまず「そこの神様」がある
これは記紀神話に名のある神様にも言える
たとえば水分神
この神様は山の水源なんかに祀られているけども
ここで斎祀られているのは"○○山の水の神様"であって
"ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメの子供"の水分神を主体にしたものではない
水分神の祝詞をあげるのも、本地が観音菩薩の権現に観音経をあげるようなものだ
水分神の名前は他の体系に属す名前に挿げ替えてもよい
その余地がある
浅学の身だが、大半の地方信仰はこのような形態をとっているように思う
ならば、地方信仰の大半は神話体系から独立している
「中央の拝み方」が各地の独立した信仰に輸入された
中央からの技術輸入がなされた
記紀の影響というのも、仏教の影響というのも、それだけなのではないか
このような事情を踏まえれば「日本には一個の確たる神話なぞなく、各地に各地の神様(体系)がいる"だけ"である」
というのも無理からぬことと思うのだが、どうだろう
あと伊勢の内宮はガチで正体不明じゃなかったっけ?
記紀以前の体系がどうもありそうだって話をそこここで聞く
瀬織津姫神かわいいよー
でいいような気がする
たとえば権現思想
本地に仏があるんだけど、前にまず「そこの神様」がある
これは記紀神話に名のある神様にも言える
たとえば水分神
この神様は山の水源なんかに祀られているけども
ここで斎祀られているのは"○○山の水の神様"であって
"ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメの子供"の水分神を主体にしたものではない
水分神の祝詞をあげるのも、本地が観音菩薩の権現に観音経をあげるようなものだ
水分神の名前は他の体系に属す名前に挿げ替えてもよい
その余地がある
浅学の身だが、大半の地方信仰はこのような形態をとっているように思う
ならば、地方信仰の大半は神話体系から独立している
「中央の拝み方」が各地の独立した信仰に輸入された
中央からの技術輸入がなされた
記紀の影響というのも、仏教の影響というのも、それだけなのではないか
このような事情を踏まえれば「日本には一個の確たる神話なぞなく、各地に各地の神様(体系)がいる"だけ"である」
というのも無理からぬことと思うのだが、どうだろう
あと伊勢の内宮はガチで正体不明じゃなかったっけ?
記紀以前の体系がどうもありそうだって話をそこここで聞く
瀬織津姫神かわいいよー
んで、連レスな上に話が変わってすまないが>>741は歴史文献としての記紀神話に興味は無いんだろうか。
確かに記紀神話が大和朝廷のある種の策略を持ってして書かれてるにしても仮にも日本の皇に上り詰めた一族の書籍なわけだし。
阿礼たんだって0から神話体系を創作したわけじゃなく、ある程度は歴史や史実に乗っ取って体系付けしたんだろうし。
逆に大和朝廷の恣意がどこにどのように作用してるかを見極める事によってその当時の勢力とか思惑とか見極める良い材料になると思うんだが。
・「天皇の寿命がやたら長いのは大陸にバカにされないために歴史ある王族として振舞う必要があったからなんだよ」
・「そーなのかー」
みたいな。
ちなみに俺も無条件で記紀神話を迎合しているわけじゃないし、右よりの人に脳味噌見せたら軽くコロコロされるぐらいの事は平気で考えてるが、
少なくとも日本の神話や神というものを考える上に置いて記紀神話を受け入れ過ぎるのも否定し過ぎるのも同じぐらい危いように思うんだぜ。
「メデューサたんは髪の毛が蛇で目を見ると石になってしまうモンスターなんだぜ」←受け入れすぎ
「そーなのかー」
「いや、メデューサたんは河川を司る土着の女神様なんだぜ。モンスターじゃないんだぜ」←否定し過ぎ
「そーなのかー」
「メデューサたんは元々女神様だったけどかくかくしかじかこういうわけでこういう勢力がこういう思惑でモンスターにしたんだぜ」←たぶんこれぐらいが良い
「そーなのかー」
確かに記紀神話が大和朝廷のある種の策略を持ってして書かれてるにしても仮にも日本の皇に上り詰めた一族の書籍なわけだし。
阿礼たんだって0から神話体系を創作したわけじゃなく、ある程度は歴史や史実に乗っ取って体系付けしたんだろうし。
逆に大和朝廷の恣意がどこにどのように作用してるかを見極める事によってその当時の勢力とか思惑とか見極める良い材料になると思うんだが。
・「天皇の寿命がやたら長いのは大陸にバカにされないために歴史ある王族として振舞う必要があったからなんだよ」
・「そーなのかー」
みたいな。
ちなみに俺も無条件で記紀神話を迎合しているわけじゃないし、右よりの人に脳味噌見せたら軽くコロコロされるぐらいの事は平気で考えてるが、
少なくとも日本の神話や神というものを考える上に置いて記紀神話を受け入れ過ぎるのも否定し過ぎるのも同じぐらい危いように思うんだぜ。
「メデューサたんは髪の毛が蛇で目を見ると石になってしまうモンスターなんだぜ」←受け入れすぎ
「そーなのかー」
「いや、メデューサたんは河川を司る土着の女神様なんだぜ。モンスターじゃないんだぜ」←否定し過ぎ
「そーなのかー」
「メデューサたんは元々女神様だったけどかくかくしかじかこういうわけでこういう勢力がこういう思惑でモンスターにしたんだぜ」←たぶんこれぐらいが良い
「そーなのかー」
連レス失礼
×記紀以前の体系が
○記紀以前に全国へ広まっていた体系(拝み方)が
×記紀以前の体系が
○記紀以前に全国へ広まっていた体系(拝み方)が
最初に、>>744氏の指摘について
言い方がまずかったですね。
記紀以前は、各地に独自の信仰体系が維持されていたと考えられます。
それが、一度記紀によって中央へと収束される。
しかし、律令政府の求心力低下と武士政権の確立(=ある種の祭政分離)によって、ふたたび地域ごとに独自の信仰体系が形作られた。
この、形式的変化を「記紀以前へと戻った」と表記したわけです。
もちろん、記紀以前の「信仰体系」と中世の「信仰体系」の中身は全く異なったものであることは私も理解しています。
さて、本題へ。
そもそも、「日本」という概念すらも正確に存在しない状況に於いて、一つの確たる神話があると語る方が無理ではないかと。
記紀神話というものも、本来的には日本列島各地に存在する諸神話のひとつに過ぎないのでしょう。ただ偶然、政府の公式記録である記紀に載ったからこそ、今では中央に扱われているに過ぎないと。
きっと、最初の最初は其処に居る神が信仰されることに始まり、そこから次第に神話が(有力者の恣意を取り込みつつ)発展したのでしょう。ですが、その根本は土着神を拝むことですから、それは戦国時代ごろまで変わらないのではないかと。
また、>>745氏の「>>741は歴史文献としての記紀神話に興味は無いんだろうか」という質問についてですが。
私は、日本中世史(室町政治史)に置こうと考えているので、記紀にはそれほど興味を持っていません。
ただ、中世に出てくる寺社から信仰を捉えるとおもしろそうだなぁ、と思ってます。
諏訪神を信仰しながら諏訪社焼いちゃう信玄さんとか。八幡を信仰しながら八幡社焼いちゃう大友家臣団のみなさんとか。元天台座主なのに、将軍になったら天台座主殺しちゃう義教さんとか。
言い方がまずかったですね。
記紀以前は、各地に独自の信仰体系が維持されていたと考えられます。
それが、一度記紀によって中央へと収束される。
しかし、律令政府の求心力低下と武士政権の確立(=ある種の祭政分離)によって、ふたたび地域ごとに独自の信仰体系が形作られた。
この、形式的変化を「記紀以前へと戻った」と表記したわけです。
もちろん、記紀以前の「信仰体系」と中世の「信仰体系」の中身は全く異なったものであることは私も理解しています。
さて、本題へ。
そもそも、「日本」という概念すらも正確に存在しない状況に於いて、一つの確たる神話があると語る方が無理ではないかと。
記紀神話というものも、本来的には日本列島各地に存在する諸神話のひとつに過ぎないのでしょう。ただ偶然、政府の公式記録である記紀に載ったからこそ、今では中央に扱われているに過ぎないと。
きっと、最初の最初は其処に居る神が信仰されることに始まり、そこから次第に神話が(有力者の恣意を取り込みつつ)発展したのでしょう。ですが、その根本は土着神を拝むことですから、それは戦国時代ごろまで変わらないのではないかと。
また、>>745氏の「>>741は歴史文献としての記紀神話に興味は無いんだろうか」という質問についてですが。
私は、日本中世史(室町政治史)に置こうと考えているので、記紀にはそれほど興味を持っていません。
ただ、中世に出てくる寺社から信仰を捉えるとおもしろそうだなぁ、と思ってます。
諏訪神を信仰しながら諏訪社焼いちゃう信玄さんとか。八幡を信仰しながら八幡社焼いちゃう大友家臣団のみなさんとか。元天台座主なのに、将軍になったら天台座主殺しちゃう義教さんとか。
古い土着信仰や民俗学を研究してると、研究対象への愛着と中央神話への反動から
ついつい記紀神話を低く低く見るようになりがちだから困る
まして歴史学的見地から切り込んだ場合、神話を神話としてではなく、単に歴史の反映か
神話成立当時の政治的意図の所産としか捉えられなくなる嫌いが無きにしもあらず
俺も以前まで、神社の縁起を見て有名な記紀の神の名前があると「ケッ、どうせ
後世に無理矢理関連づけただけだろ……」とか思ってたが、古い土着信仰を
尊ぶあまり今現在の神社信仰を否定するところまで行ったらマズいと思い直したよ
何しろ日本の神社の大部分が、かつてはどうあれ今は記紀の神々を祀っているんだから
これを全部切り捨てて日本の信仰を論ずるのはあまりにも無理がある
ついつい記紀神話を低く低く見るようになりがちだから困る
まして歴史学的見地から切り込んだ場合、神話を神話としてではなく、単に歴史の反映か
神話成立当時の政治的意図の所産としか捉えられなくなる嫌いが無きにしもあらず
俺も以前まで、神社の縁起を見て有名な記紀の神の名前があると「ケッ、どうせ
後世に無理矢理関連づけただけだろ……」とか思ってたが、古い土着信仰を
尊ぶあまり今現在の神社信仰を否定するところまで行ったらマズいと思い直したよ
何しろ日本の神社の大部分が、かつてはどうあれ今は記紀の神々を祀っているんだから
これを全部切り捨てて日本の信仰を論ずるのはあまりにも無理がある
なんというか、国家神道とは正反対の方向に偏向してるだけって感じ
神話の上に信仰が乗っかっているのか信仰の上に神話が乗っかっているのか
ということになるのか、等と嘯いてみたり
ということになるのか、等と嘯いてみたり
おっと阿礼たんの悪口はそこまでにして貰おうかという冗談はさておいて。
>>744だが>>734氏が返してくれたので俺も俺なりの考えを言ってみようかと思う企画。
扱う事柄が事柄なだけに言葉の選び方が難しいというか語弊を承知で言うなら"日本の神話"と"皇室神道"は分断して考えるべきだとは思う。
各地に残る土着信仰の名残も間違いなく"日本の神話"として捉えるべきだしそうであるなら"皇室神道"もその一部に過ぎないというのは同意。
んで、俺にとっての記紀神話はやっぱり歴史(特に縄文・弥生期)を紐解くためのツールっていう認識がやはり大きい。
というのも明確にいつとは言えないがある時期を境に神格は自然神から支配階級の人間を祭るための人格神に移ってきてるように思ったりするわけで。
例えばミシャグジ信仰が自然に対する信仰であったなら洩矢神に対する信仰ってのは人間或いはシャーマン的な存在に対する信仰だったのだと思う。
そう考えると為政者を表す「お上」って言葉と「神」って言葉の発音が同じなのも面白くもある。
自然神じゃなく人格神だと何が違うのかというと、体系付けられた系譜を見ることはつまり支配と従属の歴史が垣間見えるんじゃないかというとこで。
ひいては現在日本と呼ばれる島国の黎明期にどんな人がどんな事を考えて何を選んできたのかっていうのが見えてきたりもしたりなんだり。
なんで、>>749にとって神話と歴史を結びつける行為は懐疑的に見えるかも知れんが、俺は結構意味のある事のような気がする。
ちなみに俺も土着信仰関係を調べ始めた頃は「天皇家氏ね」が口グセで、記紀神話なんて無理やりこじつけただけで読む価値ないわーとも思ってた。
が、色々調べてるうちに記紀もそれほど的外れな事言ってないかも(まぁ、色々してはいるが)と思いなおして改めてみると結構面白かったりなんだりも。
一部族主眼の一信仰ではあるけど日本の王族の記したもんなんだからそこまで過小評価する必要もないかなーと思いなおしたりもしたりわりと忙しい。
土着信仰がその神の裏の姿なら記紀神話の神の姿は表の姿なわけだし、両方とも把握して表裏一体で愛でるのが正しいロリコンの在り方だと思う。
んで、>>748の本題に対する俺なりの結論だけど
語弊を承知で言うなら>>748と同じく日本に一つの確たる神話は無いと言って良いように思う。
そういう意味じゃ"出雲風土記"とかそれこそ"諏訪信仰"とかも記紀信仰と同列に扱われるべきであるとも思う。
ただ、>>748はちょっと記紀神話を過小評価し過ぎな感があるので、全く同じ認識であるかと言われるとちょっと違うような気もする。
んで、中世以降の信仰体系云々については中身はともかくとして機能として本来の意味を取り戻したという意味合いでありそうなのでそこは同意したい。
まぁ、なんにせよ俺が言いたいのは光圀公が無茶やらかしたり、それを根拠に王政復古の大号令と共に明治政府が興って、
明治のお偉いさんが色々無茶やらかしたせいでその意味合いも大分変わっちゃったけど、記紀神話もそれほど馬鹿にしたもんじゃないよという事。
後余談ではるけど戦国時代の話が出たついでに言ってみると
武田が諏訪大明神を祀って、上杉謙信が毘沙門天を名乗ったのは俺から見るとすごく面白い構図だったりする。
んで、リロードついでに>>753
たぶん両方のパターンがあるんじゃないかなぁ。もしくはその両方の複合パターンもあると思う。
>>744だが>>734氏が返してくれたので俺も俺なりの考えを言ってみようかと思う企画。
扱う事柄が事柄なだけに言葉の選び方が難しいというか語弊を承知で言うなら"日本の神話"と"皇室神道"は分断して考えるべきだとは思う。
各地に残る土着信仰の名残も間違いなく"日本の神話"として捉えるべきだしそうであるなら"皇室神道"もその一部に過ぎないというのは同意。
んで、俺にとっての記紀神話はやっぱり歴史(特に縄文・弥生期)を紐解くためのツールっていう認識がやはり大きい。
というのも明確にいつとは言えないがある時期を境に神格は自然神から支配階級の人間を祭るための人格神に移ってきてるように思ったりするわけで。
例えばミシャグジ信仰が自然に対する信仰であったなら洩矢神に対する信仰ってのは人間或いはシャーマン的な存在に対する信仰だったのだと思う。
そう考えると為政者を表す「お上」って言葉と「神」って言葉の発音が同じなのも面白くもある。
自然神じゃなく人格神だと何が違うのかというと、体系付けられた系譜を見ることはつまり支配と従属の歴史が垣間見えるんじゃないかというとこで。
ひいては現在日本と呼ばれる島国の黎明期にどんな人がどんな事を考えて何を選んできたのかっていうのが見えてきたりもしたりなんだり。
なんで、>>749にとって神話と歴史を結びつける行為は懐疑的に見えるかも知れんが、俺は結構意味のある事のような気がする。
ちなみに俺も土着信仰関係を調べ始めた頃は「天皇家氏ね」が口グセで、記紀神話なんて無理やりこじつけただけで読む価値ないわーとも思ってた。
が、色々調べてるうちに記紀もそれほど的外れな事言ってないかも(まぁ、色々してはいるが)と思いなおして改めてみると結構面白かったりなんだりも。
一部族主眼の一信仰ではあるけど日本の王族の記したもんなんだからそこまで過小評価する必要もないかなーと思いなおしたりもしたりわりと忙しい。
土着信仰がその神の裏の姿なら記紀神話の神の姿は表の姿なわけだし、両方とも把握して表裏一体で愛でるのが正しいロリコンの在り方だと思う。
んで、>>748の本題に対する俺なりの結論だけど
語弊を承知で言うなら>>748と同じく日本に一つの確たる神話は無いと言って良いように思う。
そういう意味じゃ"出雲風土記"とかそれこそ"諏訪信仰"とかも記紀信仰と同列に扱われるべきであるとも思う。
ただ、>>748はちょっと記紀神話を過小評価し過ぎな感があるので、全く同じ認識であるかと言われるとちょっと違うような気もする。
んで、中世以降の信仰体系云々については中身はともかくとして機能として本来の意味を取り戻したという意味合いでありそうなのでそこは同意したい。
まぁ、なんにせよ俺が言いたいのは光圀公が無茶やらかしたり、それを根拠に王政復古の大号令と共に明治政府が興って、
明治のお偉いさんが色々無茶やらかしたせいでその意味合いも大分変わっちゃったけど、記紀神話もそれほど馬鹿にしたもんじゃないよという事。
後余談ではるけど戦国時代の話が出たついでに言ってみると
武田が諏訪大明神を祀って、上杉謙信が毘沙門天を名乗ったのは俺から見るとすごく面白い構図だったりする。
んで、リロードついでに>>753
たぶん両方のパターンがあるんじゃないかなぁ。もしくはその両方の複合パターンもあると思う。
>>734
中世史、特に室町政治史をやるのであれば、むしろ『記紀』の事は深く関心を持ってほしいけどなぁ。
例えば足利義満が、あの聖徳太子が書いたという触れ込みの『未来記』(偽書)を割と本気で信じてたという話は有名だし。
例にも挙げていた義教が六代将軍に決まったのは石清水八幡宮(祭神は応神天皇=軍神)の神託によるものだし。
少し遡るが南北朝時代の北畠親房が書いた『神皇正統記』は、記述をわざわざ神代の部分から始めている。
鎌倉時代頃から各地の寺社では盛んに縁起の編纂が始まる(諏訪や春日なんかもそうだ)けど、これに出てくる仏様の垂迹は殆どが記紀の神様なんだよね。
そして知っての通り、伊勢神道や吉田神道や両部神道のような今日で言うところの「神道」の基礎になった宗教が生まれてくるのも、中世以降なわけだ。
これは見方を変えれば、中世ほど「記紀」が政治的注目を集めた時代も無い、という証左と言えるじゃないだろうか。
まぁ『日本書紀』はともかく、『古事記』に関しては当時まだまだ「参考書」扱いで、本格的に注目され出すのは本居宣長を待たなきゃいけないんだけど。
ただ、民衆レベルの信仰では確かに記紀神話はさほど大きな影響力を持たなかったという点は俺も同意する。
伊勢や出雲に庶民が参詣し始めるのは、江戸時代も半ば過ぎてからだし。それにしたって『東海道中膝栗毛』に見られるような観光目的だから。
少し前にも出ていたけど「お稲荷さん」とか「八幡さん」という呼称が広く残っているように、どこそこの神社を指す時は神様の名前じゃなくて「神社そのもの」の名前で呼ぶ事が多いだろ?
名前が気にされる神様といえば、菅原道真とか平将門とか、そういう歴史上に実際いた人物が神格化された場合が殆どだと思う。まあ「住吉さん」みたいな例外も、あるにはあるけど。
で、神社には大体ご利益というものが設定されていて、例えば稲荷社なら大抵は商売繁盛なんかがご利益とされている。
でも『記紀』には、この神様を拝むとこんなご利益が得られます、なんて事は何処にも書いてない。
確かに神様の名前自体は『記紀』から採ってある場合が多いけど、そこに祀られてるのが何処のどんな神様なのかは、どうもあまり気にされないんだな。
問題としては、とにかくそこ(=神社)に行ってお賽銭入れてパンパン拝めば加護が得られるという、構造もしくは機能が重要なわけだ。
つまり何が言いたいかというと、博麗神社のあり方って実はすごく日本的な信仰形態を表してるんじゃね?っていう話。
中世史、特に室町政治史をやるのであれば、むしろ『記紀』の事は深く関心を持ってほしいけどなぁ。
例えば足利義満が、あの聖徳太子が書いたという触れ込みの『未来記』(偽書)を割と本気で信じてたという話は有名だし。
例にも挙げていた義教が六代将軍に決まったのは石清水八幡宮(祭神は応神天皇=軍神)の神託によるものだし。
少し遡るが南北朝時代の北畠親房が書いた『神皇正統記』は、記述をわざわざ神代の部分から始めている。
鎌倉時代頃から各地の寺社では盛んに縁起の編纂が始まる(諏訪や春日なんかもそうだ)けど、これに出てくる仏様の垂迹は殆どが記紀の神様なんだよね。
そして知っての通り、伊勢神道や吉田神道や両部神道のような今日で言うところの「神道」の基礎になった宗教が生まれてくるのも、中世以降なわけだ。
これは見方を変えれば、中世ほど「記紀」が政治的注目を集めた時代も無い、という証左と言えるじゃないだろうか。
まぁ『日本書紀』はともかく、『古事記』に関しては当時まだまだ「参考書」扱いで、本格的に注目され出すのは本居宣長を待たなきゃいけないんだけど。
ただ、民衆レベルの信仰では確かに記紀神話はさほど大きな影響力を持たなかったという点は俺も同意する。
伊勢や出雲に庶民が参詣し始めるのは、江戸時代も半ば過ぎてからだし。それにしたって『東海道中膝栗毛』に見られるような観光目的だから。
少し前にも出ていたけど「お稲荷さん」とか「八幡さん」という呼称が広く残っているように、どこそこの神社を指す時は神様の名前じゃなくて「神社そのもの」の名前で呼ぶ事が多いだろ?
名前が気にされる神様といえば、菅原道真とか平将門とか、そういう歴史上に実際いた人物が神格化された場合が殆どだと思う。まあ「住吉さん」みたいな例外も、あるにはあるけど。
で、神社には大体ご利益というものが設定されていて、例えば稲荷社なら大抵は商売繁盛なんかがご利益とされている。
でも『記紀』には、この神様を拝むとこんなご利益が得られます、なんて事は何処にも書いてない。
確かに神様の名前自体は『記紀』から採ってある場合が多いけど、そこに祀られてるのが何処のどんな神様なのかは、どうもあまり気にされないんだな。
問題としては、とにかくそこ(=神社)に行ってお賽銭入れてパンパン拝めば加護が得られるという、構造もしくは機能が重要なわけだ。
つまり何が言いたいかというと、博麗神社のあり方って実はすごく日本的な信仰形態を表してるんじゃね?っていう話。
記紀についてだけど、確かに統一王権による国家神話編纂という点では重大事だが
規模は違えど同様の事はそれ以前からずっと行われて来てるんだけどね
日本の本当に原初の信仰というのは磐座信仰や神体山信仰といった素朴な
自然崇拝であって、時代が下るにつれて諏訪や宇佐のような地方の豪族が
この自然崇拝と自らの部族の祖先崇拝を統合して神話を形成し、その地方の
最重要信仰と位置付けるようになった
大和朝廷がやったこともこれと同様ではないかというのが大方の歴史家の見解
つまり各地の地方豪族の神話や信仰と、天皇一族の神話や信仰を統合して、
この国の公式神話とした
記紀とそれ以前の神話形成の違いはとにかく規模の違い、これに尽きる
地方の神話が地方限定のものであるのに対し、記紀は日本国公式の神話体系で、
だからこそ日本史で必ず言及されるわけだ
規模は違えど同様の事はそれ以前からずっと行われて来てるんだけどね
日本の本当に原初の信仰というのは磐座信仰や神体山信仰といった素朴な
自然崇拝であって、時代が下るにつれて諏訪や宇佐のような地方の豪族が
この自然崇拝と自らの部族の祖先崇拝を統合して神話を形成し、その地方の
最重要信仰と位置付けるようになった
大和朝廷がやったこともこれと同様ではないかというのが大方の歴史家の見解
つまり各地の地方豪族の神話や信仰と、天皇一族の神話や信仰を統合して、
この国の公式神話とした
記紀とそれ以前の神話形成の違いはとにかく規模の違い、これに尽きる
地方の神話が地方限定のものであるのに対し、記紀は日本国公式の神話体系で、
だからこそ日本史で必ず言及されるわけだ
>>756
記紀は神話(+歴史)の書物であって、細かい祭祀についての書物じゃないからな
祭祀については各々の神社に口伝なり書物なりで伝わってる
日本の神社は、「神社=賽銭入れてパンパン」で片づくようなものでは決してないよ
一般民衆の事と限定して考えても、祭神について何も考えず賽銭放り込んで
パンパン拝んで終わりだっかというと、とてもそうは思えないな
何か願を掛けるために参拝するような大きな神社は大抵、その祭神の属性に基づく
御利益が期待されてるわけだからね
記紀は神話(+歴史)の書物であって、細かい祭祀についての書物じゃないからな
祭祀については各々の神社に口伝なり書物なりで伝わってる
日本の神社は、「神社=賽銭入れてパンパン」で片づくようなものでは決してないよ
一般民衆の事と限定して考えても、祭神について何も考えず賽銭放り込んで
パンパン拝んで終わりだっかというと、とてもそうは思えないな
何か願を掛けるために参拝するような大きな神社は大抵、その祭神の属性に基づく
御利益が期待されてるわけだからね
うわぁ。賀茂神と八咫烏の話が壮絶な話に……
俺のせいか。
本題に。
最初に>>744氏及び>>749氏、>>752氏へ。
確かに、改めて読み直してみれば記紀神話に対する配慮が足りなかったように思います。もちろん、記紀神話は朝廷がれっきとして信仰していた神話であり、奈良以来朝廷内では公式神話たり続けたものですから、影響を軽く述べることはできないでしょう。
記紀神話の影響力の大きさを念頭に置きつつ、しかし、記紀神話と同等に土着神話を見ることが必要であるように思います。
必ずしも「記紀神話だけが中央であり、他の神話が地方だ」という認識は正しくないのではないか、と言いたかっただけであります。
それと、一つ思うのが、祖先信仰は日本古来のものかどうか微妙、ということです。古代中国においては祖先崇拝がまず第一に置かれていました。一方の日本では、自然崇拝に第一が置かれていたのではないかと考えています。もしかすると、春秋戦国の混乱期に移住してきた渡来人によって、祖先信仰が齎され、日本の自然崇拝と混ざったのかもしれません。
余談なうえに妄想に過ぎないですが。
>>756氏へ
中世という時代に記紀が力を持ったという話ですが、私は違う考えを持っております。
中世とは端的にいうと「自力救済」の時代と言えます。様々な面で神を信仰していたりはしても、結局自らの手で解決するという考え方であったように思います。だからこそ、寺社も権門として自らの信仰と権益を守るために武装したのでしょう。
記紀神話も、このような時代状況の中で自らの身を守るための道具に使われたのではないでしょうか? 何らかの大義を持たなければ、当時は信仰すら守れない時代ですから。北畠親房の神皇正統記も、南朝の正統性を示す本であります。記紀神話を利用しつつ、南朝が神の血筋を引いた正式な天皇であると主張する本なのです。両部神道や吉田神道も、その流れで説明できます。
こう書くと、かなり信仰無視と捉えられそうですが、そういう意味ではありません。各神社とも、元からある地元民の信仰を引き留めるために行ったものと考えます。権門となりえたのも、信仰があったからですし。
ええと、歴史学を半分齧った程度の私にはとても手に負えない問題になってきました。というか、「記紀神話成立と土着神話への影響」とか「中世における記紀神話と寺社」なんつうのは、一本論文書けるネタな気がする。
最後になりましたが。
記紀や風土記の成立は、当時の奈良時代の情勢によると思います。乙巳の変・白村江を経て中央集権化を進め、律令国家として体制を整えた朝廷が、同じように神話も統制下に置いて、地方豪族もまとめようとしたのでしょう。
このあたりは泥沼になりそうなので、この程度にしておきます。私も、古代史は門外漢ですし。
俺のせいか。
本題に。
最初に>>744氏及び>>749氏、>>752氏へ。
確かに、改めて読み直してみれば記紀神話に対する配慮が足りなかったように思います。もちろん、記紀神話は朝廷がれっきとして信仰していた神話であり、奈良以来朝廷内では公式神話たり続けたものですから、影響を軽く述べることはできないでしょう。
記紀神話の影響力の大きさを念頭に置きつつ、しかし、記紀神話と同等に土着神話を見ることが必要であるように思います。
必ずしも「記紀神話だけが中央であり、他の神話が地方だ」という認識は正しくないのではないか、と言いたかっただけであります。
それと、一つ思うのが、祖先信仰は日本古来のものかどうか微妙、ということです。古代中国においては祖先崇拝がまず第一に置かれていました。一方の日本では、自然崇拝に第一が置かれていたのではないかと考えています。もしかすると、春秋戦国の混乱期に移住してきた渡来人によって、祖先信仰が齎され、日本の自然崇拝と混ざったのかもしれません。
余談なうえに妄想に過ぎないですが。
>>756氏へ
中世という時代に記紀が力を持ったという話ですが、私は違う考えを持っております。
中世とは端的にいうと「自力救済」の時代と言えます。様々な面で神を信仰していたりはしても、結局自らの手で解決するという考え方であったように思います。だからこそ、寺社も権門として自らの信仰と権益を守るために武装したのでしょう。
記紀神話も、このような時代状況の中で自らの身を守るための道具に使われたのではないでしょうか? 何らかの大義を持たなければ、当時は信仰すら守れない時代ですから。北畠親房の神皇正統記も、南朝の正統性を示す本であります。記紀神話を利用しつつ、南朝が神の血筋を引いた正式な天皇であると主張する本なのです。両部神道や吉田神道も、その流れで説明できます。
こう書くと、かなり信仰無視と捉えられそうですが、そういう意味ではありません。各神社とも、元からある地元民の信仰を引き留めるために行ったものと考えます。権門となりえたのも、信仰があったからですし。
ええと、歴史学を半分齧った程度の私にはとても手に負えない問題になってきました。というか、「記紀神話成立と土着神話への影響」とか「中世における記紀神話と寺社」なんつうのは、一本論文書けるネタな気がする。
最後になりましたが。
記紀や風土記の成立は、当時の奈良時代の情勢によると思います。乙巳の変・白村江を経て中央集権化を進め、律令国家として体制を整えた朝廷が、同じように神話も統制下に置いて、地方豪族もまとめようとしたのでしょう。
このあたりは泥沼になりそうなので、この程度にしておきます。私も、古代史は門外漢ですし。
先祖代々の御霊は故郷の山に登り氏神となる、それが山や祖先への信仰でなんらぶれちゃいないと言ってみる
墓石だってその故郷の山の象徴とも
墓石だってその故郷の山の象徴とも
>>768
東方スレとしては枝葉末節な突っ込みというか横レスかもしれんけど、
中世における寺社勢力(当時は神仏習合だったから、両方一体)は、身を守るというような矮小な勢力ではない。
僧兵を擁して強訴を繰り返す、広大な領地を有し境内都市と呼ばれるようなメガロポリス的なものまで内に抱え、
おまけに幕府の検断権も中には及ばない自治領だったわけだ。
朝廷・武家・寺社という三大勢力に数えられるのに、「信仰を守る」ではいささか過小評価しすぎだろう。
なおかつ、法然、親鸞による浄土宗、浄土真宗の旨とする「他力本願」は阿弥陀仏のお力にすがる他ないってことだが、
それが巷間に広く流布しているにもかかわらず、「自力救済」の時代というのはよくわからん。
寺社が自己の権益を守る、ではなく、権益を更に拡大する、であれば理解はできるが、その権益を得て権門になった理由にしても、
信仰ではなく寺社が保有した荘園や領地と都市による経済力だ。
仮に守るであったとしても、信仰というよりそちらの方ではないかね。
そもそも、そんなに寺社勢力が信仰に篤いのであれば、女犯はする博打はうつ酒は飲むそして武装するなんてことは目いっぱい教義にも反してると思うんだが。
東方スレとしては枝葉末節な突っ込みというか横レスかもしれんけど、
中世における寺社勢力(当時は神仏習合だったから、両方一体)は、身を守るというような矮小な勢力ではない。
僧兵を擁して強訴を繰り返す、広大な領地を有し境内都市と呼ばれるようなメガロポリス的なものまで内に抱え、
おまけに幕府の検断権も中には及ばない自治領だったわけだ。
朝廷・武家・寺社という三大勢力に数えられるのに、「信仰を守る」ではいささか過小評価しすぎだろう。
なおかつ、法然、親鸞による浄土宗、浄土真宗の旨とする「他力本願」は阿弥陀仏のお力にすがる他ないってことだが、
それが巷間に広く流布しているにもかかわらず、「自力救済」の時代というのはよくわからん。
寺社が自己の権益を守る、ではなく、権益を更に拡大する、であれば理解はできるが、その権益を得て権門になった理由にしても、
信仰ではなく寺社が保有した荘園や領地と都市による経済力だ。
仮に守るであったとしても、信仰というよりそちらの方ではないかね。
そもそも、そんなに寺社勢力が信仰に篤いのであれば、女犯はする博打はうつ酒は飲むそして武装するなんてことは目いっぱい教義にも反してると思うんだが。
自力救済というのは例えだろう
それに他力本願と言いつつ彼らがやってたことは当然知ってるはず
寺社が扶持を守るために武装化したのはその通りなんだが
それに他力本願と言いつつ彼らがやってたことは当然知ってるはず
寺社が扶持を守るために武装化したのはその通りなんだが
不安定な世の中だったからこそ
より強く神の力が示される宗教が選ばれた(他力本願)
結局自らの力で解決するというよりは
問題が自らの力で解決できるよりもずっと大きすぎるので
強大な神の力を信仰することによって折り合いをつけたのではないかと。
より強く神の力が示される宗教が選ばれた(他力本願)
結局自らの力で解決するというよりは
問題が自らの力で解決できるよりもずっと大きすぎるので
強大な神の力を信仰することによって折り合いをつけたのではないかと。
寺社勢力が中世に権益を確保し、強大な権力を背景に一勢力として確立していたことはわかっています。
だが、その権益の源泉にあるのは、貴族や開発領主の信仰からくる寄進であるわけです。
確かに、中世人が信仰に篤いか、と言われると違うと思いますが。
ただし、>>770氏のおっしゃる「女犯はする博打はうつ酒は飲むそして武装する」という認識は、過激すぎるのではないかと。
そういう僧がいたことは否定しませんが、全員がそういう僧であったわけではないし、必ずしも中世の寺社が堕落していたわけではないと思うのです。
そのような表現は、敵対勢力によるバイアスが掛かっていることを想定すべきであるように思います。
中世という時代が「自力救済」の時代だ、ということはよく言われます。
中世の定義を「自力救済原理の適用される時代」と言い換えても問題はないと思います。
自力救済の時代であるからこそ、武士は自らの領地を守る・領土を拡大するために戦い、
寺社は自らの権益を守るために戦ったのです。寺社の武装とは、その流れで論じられると思います。
「他力本願」の諸宗が流行ったが故に自力救済は成り立たない、という指摘についてですが、
私としては、そのようなものが流行らざるを得なくなるほどに「自力救済」が貫徹していたものと考えます。
ここで、中世人が信仰に薄いという話とつながります。
自力救済原理が貫徹していたからこそ、寺社をひたすらに信仰して救ってもらおうなどと誰も考えなかったのです。
一通り神を信じたり寺社を信仰したりはしますが、根本の部分では、自力救済原理に染まっていたのです。
私としても、中世人がどの程度神に対して信仰心を持っていたのかは未だに判断付きません。
戦国大名が大義名分として「神籤」を利用していたという点や、寺社に対して寄進を怠らぬ点では信仰は根強い。
一方で、寺社を平然と焼討するとか、邪魔な大宮司や座主を誅殺する点では、とても信仰していたようには思えません。
そもそも、神官一族が内輪もめのウチゲバに走ってたりしますし。
ただ、中世人には全く信仰がなくて全て実利で動いてただとか
中世人は全く信仰のみに動いてただとか
そういう偏見には陥らないようにしているつもりです。
だが、その権益の源泉にあるのは、貴族や開発領主の信仰からくる寄進であるわけです。
確かに、中世人が信仰に篤いか、と言われると違うと思いますが。
ただし、>>770氏のおっしゃる「女犯はする博打はうつ酒は飲むそして武装する」という認識は、過激すぎるのではないかと。
そういう僧がいたことは否定しませんが、全員がそういう僧であったわけではないし、必ずしも中世の寺社が堕落していたわけではないと思うのです。
そのような表現は、敵対勢力によるバイアスが掛かっていることを想定すべきであるように思います。
中世という時代が「自力救済」の時代だ、ということはよく言われます。
中世の定義を「自力救済原理の適用される時代」と言い換えても問題はないと思います。
自力救済の時代であるからこそ、武士は自らの領地を守る・領土を拡大するために戦い、
寺社は自らの権益を守るために戦ったのです。寺社の武装とは、その流れで論じられると思います。
「他力本願」の諸宗が流行ったが故に自力救済は成り立たない、という指摘についてですが、
私としては、そのようなものが流行らざるを得なくなるほどに「自力救済」が貫徹していたものと考えます。
ここで、中世人が信仰に薄いという話とつながります。
自力救済原理が貫徹していたからこそ、寺社をひたすらに信仰して救ってもらおうなどと誰も考えなかったのです。
一通り神を信じたり寺社を信仰したりはしますが、根本の部分では、自力救済原理に染まっていたのです。
私としても、中世人がどの程度神に対して信仰心を持っていたのかは未だに判断付きません。
戦国大名が大義名分として「神籤」を利用していたという点や、寺社に対して寄進を怠らぬ点では信仰は根強い。
一方で、寺社を平然と焼討するとか、邪魔な大宮司や座主を誅殺する点では、とても信仰していたようには思えません。
そもそも、神官一族が内輪もめのウチゲバに走ってたりしますし。
ただ、中世人には全く信仰がなくて全て実利で動いてただとか
中世人は全く信仰のみに動いてただとか
そういう偏見には陥らないようにしているつもりです。
>>734氏。
レスありがとう。
「自力救済」と「他力本願」の点についてもとてもよく納得できた。
中世の人々の信仰心については自分もよくわからん。
あれだけ否定的なこと書いておいて言うのも変だが。
ある意味、大友宗麟と家臣団なんかが当時の信仰心を読み解くキーになったりしてな。
ともあれ、東方と随分離れちゃった話題なのに、丁寧に答えてくれてありがとう。
レスありがとう。
「自力救済」と「他力本願」の点についてもとてもよく納得できた。
中世の人々の信仰心については自分もよくわからん。
あれだけ否定的なこと書いておいて言うのも変だが。
ある意味、大友宗麟と家臣団なんかが当時の信仰心を読み解くキーになったりしてな。
ともあれ、東方と随分離れちゃった話題なのに、丁寧に答えてくれてありがとう。
高師直のような、ばさら大名に関しても掘り下げてみると面白そうだが
こうなるとますます話題がそれていってしまいそうだな
こうなるとますます話題がそれていってしまいそうだな
既に記紀の話は一段落した感はあるけれども、一つ>>757に補足すると、
各地の神話を統合しようという動きははたして記紀が最初で最後、
日本の歴史上唯一無二の事だったのか? という問題がある
最初に言ってしまうと、恐らくそうではなかっただろう
大和に統一される以前の大和以外の勢力にしても、大和と同様に権力の確立と
拡大の過程で各地の神話を統合していたと思われる。王権の正統性の
主張のために大和が神話の利用を計ったとすれば、他の勢力が同じ事を
一切しなかったとは考えにくい
また、そんな勢力拡大やら征服やら以外の場面でも、各地の神話が結びつき
関連づけされていく機会はあっただろう。紀元前数千年の時点で既に日本には
黒曜石や翡翠などの物流があった。当然ながら人的交流もあったわけで、
神話や世界観や祭祀の形態などについて、長年に渡って相互に影響を
与え合っていた事だろう
つまり、「各地で完全に独立し孤立していた土着神話が、記紀によって初めて
統合された」という図式ではなく、恐らく記紀以前の日本の神話世界はもっと遙かに
流動的なもので、相互に絡み合っていた。そして大和統一王権が記紀を確立した
事によってその流動性がひとまず収まった、というのが実際のところじゃないかと思う
各地の神話を統合しようという動きははたして記紀が最初で最後、
日本の歴史上唯一無二の事だったのか? という問題がある
最初に言ってしまうと、恐らくそうではなかっただろう
大和に統一される以前の大和以外の勢力にしても、大和と同様に権力の確立と
拡大の過程で各地の神話を統合していたと思われる。王権の正統性の
主張のために大和が神話の利用を計ったとすれば、他の勢力が同じ事を
一切しなかったとは考えにくい
また、そんな勢力拡大やら征服やら以外の場面でも、各地の神話が結びつき
関連づけされていく機会はあっただろう。紀元前数千年の時点で既に日本には
黒曜石や翡翠などの物流があった。当然ながら人的交流もあったわけで、
神話や世界観や祭祀の形態などについて、長年に渡って相互に影響を
与え合っていた事だろう
つまり、「各地で完全に独立し孤立していた土着神話が、記紀によって初めて
統合された」という図式ではなく、恐らく記紀以前の日本の神話世界はもっと遙かに
流動的なもので、相互に絡み合っていた。そして大和統一王権が記紀を確立した
事によってその流動性がひとまず収まった、というのが実際のところじゃないかと思う
◆ 其の弐(スレ2)>>856–893
タケミナカタが日本書紀の国譲りの段には登場していない所を見ると
本当は出雲の神ではなく古事記では何かしらの理由があって出雲の神という事にしていたって事なのだろうか
本当は出雲の神ではなく古事記では何かしらの理由があって出雲の神という事にしていたって事なのだろうか
格上げしてそれに勝った大和スゲー的な?
あとめんどいから出雲と諏訪ごっちゃにしとけー的な?
おいらは高校の時に網野さんの本を読んで衝撃を受けて
今は日本文化を専攻してます。
専門は思想史?寺子屋とか神仏とか兵法とかグダグダ勉強してる。
つまり武士スキー
妖夢可愛いよ妖夢ハァハァ(´Д`)
あとめんどいから出雲と諏訪ごっちゃにしとけー的な?
おいらは高校の時に網野さんの本を読んで衝撃を受けて
今は日本文化を専攻してます。
専門は思想史?寺子屋とか神仏とか兵法とかグダグダ勉強してる。
つまり武士スキー
妖夢可愛いよ妖夢ハァハァ(´Д`)
博麗神社が修験道系の神社ではないかという話が出ていたけど
昔の神社は修験道系に限らず陰陽道をやってたとこは多かった筈だが
寺でさえ陰陽道やってたくらいだし
昔の神社は修験道系に限らず陰陽道をやってたとこは多かった筈だが
寺でさえ陰陽道やってたくらいだし
正月特番でやってたなー
明治時代以前までは寺も神社もごっちゃごちゃなんだったとかなんとか
なんか都市づくりに陰陽道を使ってて、陰陽道に則って寺や神社をその要素に使っていたならば
逆に寺や神社が陰陽道を使ってもいいんじゃないかな、と思った
明治時代以前までは寺も神社もごっちゃごちゃなんだったとかなんとか
なんか都市づくりに陰陽道を使ってて、陰陽道に則って寺や神社をその要素に使っていたならば
逆に寺や神社が陰陽道を使ってもいいんじゃないかな、と思った
吉田神道の日吉大社事件のせいだろな
しかしあの番組でアマテラスが最高神っていうのがこのスレにいてるせいか、
(´Д`;)ってなった。
このスレでだいぶ議論が熱くなったように
記紀神話とか国家神道ってのはタブーにして最大の問題だな。
しかしあの番組でアマテラスが最高神っていうのがこのスレにいてるせいか、
(´Д`;)ってなった。
このスレでだいぶ議論が熱くなったように
記紀神話とか国家神道ってのはタブーにして最大の問題だな。
そんな面白い番組やってたのか。見たかったぜ……
まぁ、記紀はほんの数十年前に政治に利用されてたっていう経緯があるからタブー的な名残はあるだろうな。
「九州王朝説を批判する奴は国賊」みたいな事が平気で言われてた時代もあったわけだし。
まぁ、それに比べれば自由に議論できるようになった今はだいぶマシになってきたとも言える。
まぁ、出遅れてる感は否めないが俺はいつか中善寺先生が記紀の全容を解明してくれると期待している(ぇ
というか、どういう経緯でアマテラス最高神が(´Д`;)ってなったのか気になるんだがw
まぁ、記紀はほんの数十年前に政治に利用されてたっていう経緯があるからタブー的な名残はあるだろうな。
「九州王朝説を批判する奴は国賊」みたいな事が平気で言われてた時代もあったわけだし。
まぁ、それに比べれば自由に議論できるようになった今はだいぶマシになってきたとも言える。
まぁ、出遅れてる感は否めないが俺はいつか中善寺先生が記紀の全容を解明してくれると期待している(ぇ
というか、どういう経緯でアマテラス最高神が(´Д`;)ってなったのか気になるんだがw
記紀の正統性に疑問を呈したり国家神道を批判したりするのは、今じゃタブーどころか
歴史研究者にとってほとんど平凡陳腐な論と言って良いほどになってるぞ
歴史研究者にとってほとんど平凡陳腐な論と言って良いほどになってるぞ
まぁ、こんなスレがある時点で自由な研究ができる環境にはなってきてるって事だが
今はまだ過渡期にあるんじゃねーかなというのが個人的に思うとこかな
有意義な見解も結構出てきてるもののそれがまだ浸透しきってない感じ
だからまぁ、インパクトだけで反証もしてない付け焼刃のトンデモ論を支持しちゃったり
逆に記紀批判を全部トンデモにして完全に恭順しちゃうような傾向もあるようなないような
俺もたぶん変な事言ってるんだろうなぁ
今はまだ過渡期にあるんじゃねーかなというのが個人的に思うとこかな
有意義な見解も結構出てきてるもののそれがまだ浸透しきってない感じ
だからまぁ、インパクトだけで反証もしてない付け焼刃のトンデモ論を支持しちゃったり
逆に記紀批判を全部トンデモにして完全に恭順しちゃうような傾向もあるようなないような
俺もたぶん変な事言ってるんだろうなぁ
俺家が神社だけど資格持ってないからいまのところ後継ぎができないので神主はできない。
ただ、数年前に他界した父親が神主だったから今年の正月は夜だけ2時間くらい参拝の人を1組1組お祓いしたよ。
地鎮祭や七五三、お宮参りやこれからの時期に多くなる厄除けのお祓いの時などは普段は別の神社の神主さんが来るんだけど。
ただウチの主祭神は学問の神の道真公で他の4つの祭神も東方はあまり関係ないみたいで少し残念。
まぁこんな俺では語ったところでどうにもならないかw。
東方自体が好きになったのも元々シューティングゲームが好きだったのがきっかけだしなぁ。
ただ、数年前に他界した父親が神主だったから今年の正月は夜だけ2時間くらい参拝の人を1組1組お祓いしたよ。
地鎮祭や七五三、お宮参りやこれからの時期に多くなる厄除けのお祓いの時などは普段は別の神社の神主さんが来るんだけど。
ただウチの主祭神は学問の神の道真公で他の4つの祭神も東方はあまり関係ないみたいで少し残念。
まぁこんな俺では語ったところでどうにもならないかw。
東方自体が好きになったのも元々シューティングゲームが好きだったのがきっかけだしなぁ。
>>885
どっちかと言うと出雲&土着スキーだし、
メディアでそういう事言われると意図を感じる気が(気にしすぎかw)
言い方が悪かったかな
歴史・民俗・神話の研究者及びファンの諸兄は
こういう話題は知ってるし、
出雲やら古代日本王国論やら騎馬征服説の問題とか、
知ってる人は多いだろう。
俺の大学の教授だって国学研究をしてるが、
そっちの方が少数なのは教授も言ってた。
それでも一般?の人は結構まだ
国家神道やら皇国史観の影響が残ってるという事かな。
実際興味の無い人(叔父に言ったら凄い勢いで天皇様がどったらて反論された。)
には馴染み無いんじゃなかろうか?
どっちかと言うと出雲&土着スキーだし、
メディアでそういう事言われると意図を感じる気が(気にしすぎかw)
言い方が悪かったかな
歴史・民俗・神話の研究者及びファンの諸兄は
こういう話題は知ってるし、
出雲やら古代日本王国論やら騎馬征服説の問題とか、
知ってる人は多いだろう。
俺の大学の教授だって国学研究をしてるが、
そっちの方が少数なのは教授も言ってた。
それでも一般?の人は結構まだ
国家神道やら皇国史観の影響が残ってるという事かな。
実際興味の無い人(叔父に言ったら凄い勢いで天皇様がどったらて反論された。)
には馴染み無いんじゃなかろうか?
>>888
道真公なら河童と繋がりがあるんじゃないか?
で、神話さっぱりな俺がなのでえらく基本的な質問になるんだが
タケミナカタって名前が登場するもっとも古い類の文献って何?
いつごろから信仰されてた神様なん?
道真公なら河童と繋がりがあるんじゃないか?
で、神話さっぱりな俺がなのでえらく基本的な質問になるんだが
タケミナカタって名前が登場するもっとも古い類の文献って何?
いつごろから信仰されてた神様なん?
現存するっていう意味じゃ古事記以上に遡れる文献は無いんじゃないかな。
なんで、他に文献が無いなら建御名方っていう呼称が確認できるのは712年が最古という事になるんだろうか。
その時点で名前が作られたのか、もっと古くから名前があったのかはわからんが。
ちなみに藤の枝・鉄の輪の話は『諏訪大明神縁起畫詞』が元らしい。これより奥があるかどうかは不明。
こっちに建御名方という名前があるかどうかも未確認。建御名方じゃなくて諏訪明神って書かれてるかも。
なんで、他に文献が無いなら建御名方っていう呼称が確認できるのは712年が最古という事になるんだろうか。
その時点で名前が作られたのか、もっと古くから名前があったのかはわからんが。
ちなみに藤の枝・鉄の輪の話は『諏訪大明神縁起畫詞』が元らしい。これより奥があるかどうかは不明。
こっちに建御名方という名前があるかどうかも未確認。建御名方じゃなくて諏訪明神って書かれてるかも。
◆ 其の四(スレ4)>>3–22
いちおつ
古事記読んでみたかったけど訳されたのがなかったからスルーしてた
しかし本日ついに漫画版を発見!
というか稗田阿礼って男性だったのか…
阿求のイメージが強すぎてずっと女性だと思い込んでた。
しかし女性説もある、とか欄外の解説にあってもうわけわかんね
古事記読んでみたかったけど訳されたのがなかったからスルーしてた
しかし本日ついに漫画版を発見!
というか稗田阿礼って男性だったのか…
阿求のイメージが強すぎてずっと女性だと思い込んでた。
しかし女性説もある、とか欄外の解説にあってもうわけわかんね
稗田という名字を持つ人間が稗田阿礼の他にいないから誰かの偽名か女官だろうね
失礼、誰もいないので先走ってしまってた。前スレもようやく埋まりそうだが
>>3
古事記や日本書紀の現代語訳は版元によって結構記述が違ってて面白いんだがな
そういや漫画版と言えば旧約聖書は藤原カムイが描いたのが結構よかった
>>3
古事記や日本書紀の現代語訳は版元によって結構記述が違ってて面白いんだがな
そういや漫画版と言えば旧約聖書は藤原カムイが描いたのが結構よかった
稗田阿礼女性説はそんな突拍子も無い説じゃないから夢をあきらめるな
稗田といえば諸星大二郎の妖怪ハンター!w
稗田阿礼=藤原不比等説も一部であるよな
一部というか梅原猛だな
あれ、ウィキペだと有力な説の一つみたいに扱われてるけど、実際の学会だとどうなの?
珍説のたぐい?
珍説のたぐい?
ウィキペ見る限りじゃ「そうでないという証拠は無いが、そうであるという証拠も無い」といった感じですかねぇ
天皇家に詳しく、地位があって、記憶力があって仕事を任される人物だろうに後の歴史に残ってないのは不自然だわな。
男ならば、誰かと同一視するほかあるまい。
男ならば、誰かと同一視するほかあるまい。
おのこもすなるこじきといふものを
紀貫之なのか、ふたなり稗田阿礼なのか
複数説(稗田は共同ペンネーム)はないのですか
その中に女性もいた可能性とか
神話や伝承は複数の人間の業績が一人の英雄の話にされる霊も多いし
その中に女性もいた可能性とか
神話や伝承は複数の人間の業績が一人の英雄の話にされる霊も多いし
そういや、一周年じゃなかったか。このスレ。
稗田阿礼の女性説って猿女君が同族だと思われてるからだろ。
でも舎人って普通男だよなぁ。
稗田阿礼の女性説って猿女君が同族だと思われてるからだろ。
でも舎人って普通男だよなぁ。
求聞史記によると阿礼から阿求までは、生まれ変わるたびに
男子になったり女子になったりしてるらしい
それ考えると共同ペンネームでその中に女性もいた説と相性が良いか
奇をてらってふたなり説とか言うんだったらあれだ
出口なお、出口王仁三郎みたいな変成女子、変成男子説だよw
男子になったり女子になったりしてるらしい
それ考えると共同ペンネームでその中に女性もいた説と相性が良いか
奇をてらってふたなり説とか言うんだったらあれだ
出口なお、出口王仁三郎みたいな変成女子、変成男子説だよw
稗田阿礼が男か女かの前に
まず実在して『古事記』にかかわった人物かどうかが問題になりそう
三浦佑之 古事記「序」を疑う
ttp://homepage2.nifty.com/wayway/jyo-wo-utagau.html
あと、上の記事で名前が出てる大和岩雄が今年の4月10日にだした
『新版 古事記成立考』をちょっとだけ読んでみたんだけど
「稗田阿礼の実在を疑う八つの根拠」というのがあって、その中身は
1 序文で天武天皇の勅命で選ばれた稗田阿礼の聡明を激賞しているのに、『日本書紀』の天武紀にはまったく名前がない
2 『日本書紀』『続日本紀』などの全文を検証しても、稗田の姓もでてこない
3 天武天皇の何年に稗田阿礼が誦習したか、明確に書かれていない
4 安万侶は「太朝臣」と「姓」が書かれているのに、稗田阿礼は「氏」のみ
5 男か女かはっきりしない
6 本題にあまり関係ない年齢をはっきり書いている
7 年齢そのものが疑わしい。撰上の日の28日をとって28歳とした(松本清張説)。稗田(猿女)氏は寅の日に深くかかわる氏族なので、 寅の日をヒントにつくられてのではないか(友田吉之助説)
8 稗田阿礼が「舎人」で「年は28」。「目に度れば口に誦み、耳に払れば心にしるしき」「聡明」な人だとする記述は、すべて『文選』の 文章を借用しており、実在性が薄い
というものだった
まず実在して『古事記』にかかわった人物かどうかが問題になりそう
三浦佑之 古事記「序」を疑う
ttp://homepage2.nifty.com/wayway/jyo-wo-utagau.html
あと、上の記事で名前が出てる大和岩雄が今年の4月10日にだした
『新版 古事記成立考』をちょっとだけ読んでみたんだけど
「稗田阿礼の実在を疑う八つの根拠」というのがあって、その中身は
1 序文で天武天皇の勅命で選ばれた稗田阿礼の聡明を激賞しているのに、『日本書紀』の天武紀にはまったく名前がない
2 『日本書紀』『続日本紀』などの全文を検証しても、稗田の姓もでてこない
3 天武天皇の何年に稗田阿礼が誦習したか、明確に書かれていない
4 安万侶は「太朝臣」と「姓」が書かれているのに、稗田阿礼は「氏」のみ
5 男か女かはっきりしない
6 本題にあまり関係ない年齢をはっきり書いている
7 年齢そのものが疑わしい。撰上の日の28日をとって28歳とした(松本清張説)。稗田(猿女)氏は寅の日に深くかかわる氏族なので、 寅の日をヒントにつくられてのではないか(友田吉之助説)
8 稗田阿礼が「舎人」で「年は28」。「目に度れば口に誦み、耳に払れば心にしるしき」「聡明」な人だとする記述は、すべて『文選』の 文章を借用しており、実在性が薄い
というものだった
つまりその時代において稗田阿礼は「幻想」だったから
幻想郷に生み出された、という妄想も出来る訳ですね
地霊殿の核融合の一件で外の世界に存在したものだけでなく
外の世界に存在しないものも幻想入りすることが分かってるし。
幻想郷に生み出された、という妄想も出来る訳ですね
地霊殿の核融合の一件で外の世界に存在したものだけでなく
外の世界に存在しないものも幻想入りすることが分かってるし。
◆ 其の四(スレ4)>>671–688
不比等が天智天皇の御落胤という説があるじゃないですか、
それに基づくとそういうことになるなあと思っただけです。
それに基づくとそういうことになるなあと思っただけです。
中臣氏の話題が出てるので燃料投下してみる
最近、知り合いの大学教授が「中臣氏は司馬遷以来の史官の流れを組む一族」って説を唱えてるんだ。
要するに、『日本書紀』編纂に藤原不比等が絡んでるのはほぼ通説になってるけど、
じゃあ不比等はどこでああいう歴史書を編纂できるだけの知識やノウハウを手に入れたのか?
それは元々、彼の実家の中臣一族がそういう仕事を生業としてたからじゃね?というわけ。
「流れを組む」というのは血脈的な繋がりのことではなくて、職能とか同業者という意味合いね。
その根拠としては、
①中国古代の歴史編纂はそもそも占いや葬祭儀礼の記録をつける目的で始まった
=中臣氏は元来、斎部氏と並んで朝廷関連の卜占や葬礼を司る一族だった
②藤原氏の歴史書『藤氏家伝』で、不比等の父鎌足や長男武智麻呂は文学に優れた人物として描かれている
=日本における歴史書は紀伝道(=文学)のテキストとして受容されていた
③『古事記』編纂で名高い同時代の太安万侶は、中臣氏とも関わりが深い多氏出身
=中臣氏・多氏はともに常陸~房総半島付近に勢力を置いていた一族
④不比等の兄定慧は留学僧として唐に渡り、持ち帰った経典類や漢籍は父鎌足を祀る多武峰(談山神社)に納めている
=歴史書や漢文の書物編纂に必要不可欠な漢籍類を中臣氏(及び不比等)は大量に所有していた
今のところはこんな感じに考えてるそうだ。
ちなみにその先生曰く「『古事記』と『日本書紀』の編纂開始順序はむしろ逆な方が収まりがいい」らしい。
つまり『日本書紀』の草稿ないし第一稿辺りを稗田阿礼に暗記させておき、
先に『日本書紀』を完成・奏上した後で太安万侶に『古事記』を執筆させる。
出来上がった『古事記』は、朝廷内で『日本書紀』を講義する際の補完用テキストとして使ったのではないか、と。
ちなみに不比等は『日本書紀』完成と同じ年に死んでるから、主導したのは父の遺命を受けた武智麻呂あたりと思われる。
まぁこれが正しいとすると、天武天皇の命令云々を主張する『古事記』序文は微妙に嘘を吐いてる事になるわけだが。
で、これを東方に関連づけると、やっぱ稗田阿礼(阿求)と不比等(妹紅の父)の関係が気になり出すのね。
稗田阿礼=女性説は西郷信綱さんとかが前から唱えた気もするが、上記説を踏まえてみると
葬祭儀礼とその記録(当然神託なんかも記録する)に関わる中臣氏と、猿女君の末裔(=巫の家柄)たる稗田氏の因縁が見えてきそうな気が。
ここの住民方はどう思われる?
最近、知り合いの大学教授が「中臣氏は司馬遷以来の史官の流れを組む一族」って説を唱えてるんだ。
要するに、『日本書紀』編纂に藤原不比等が絡んでるのはほぼ通説になってるけど、
じゃあ不比等はどこでああいう歴史書を編纂できるだけの知識やノウハウを手に入れたのか?
それは元々、彼の実家の中臣一族がそういう仕事を生業としてたからじゃね?というわけ。
「流れを組む」というのは血脈的な繋がりのことではなくて、職能とか同業者という意味合いね。
その根拠としては、
①中国古代の歴史編纂はそもそも占いや葬祭儀礼の記録をつける目的で始まった
=中臣氏は元来、斎部氏と並んで朝廷関連の卜占や葬礼を司る一族だった
②藤原氏の歴史書『藤氏家伝』で、不比等の父鎌足や長男武智麻呂は文学に優れた人物として描かれている
=日本における歴史書は紀伝道(=文学)のテキストとして受容されていた
③『古事記』編纂で名高い同時代の太安万侶は、中臣氏とも関わりが深い多氏出身
=中臣氏・多氏はともに常陸~房総半島付近に勢力を置いていた一族
④不比等の兄定慧は留学僧として唐に渡り、持ち帰った経典類や漢籍は父鎌足を祀る多武峰(談山神社)に納めている
=歴史書や漢文の書物編纂に必要不可欠な漢籍類を中臣氏(及び不比等)は大量に所有していた
今のところはこんな感じに考えてるそうだ。
ちなみにその先生曰く「『古事記』と『日本書紀』の編纂開始順序はむしろ逆な方が収まりがいい」らしい。
つまり『日本書紀』の草稿ないし第一稿辺りを稗田阿礼に暗記させておき、
先に『日本書紀』を完成・奏上した後で太安万侶に『古事記』を執筆させる。
出来上がった『古事記』は、朝廷内で『日本書紀』を講義する際の補完用テキストとして使ったのではないか、と。
ちなみに不比等は『日本書紀』完成と同じ年に死んでるから、主導したのは父の遺命を受けた武智麻呂あたりと思われる。
まぁこれが正しいとすると、天武天皇の命令云々を主張する『古事記』序文は微妙に嘘を吐いてる事になるわけだが。
で、これを東方に関連づけると、やっぱ稗田阿礼(阿求)と不比等(妹紅の父)の関係が気になり出すのね。
稗田阿礼=女性説は西郷信綱さんとかが前から唱えた気もするが、上記説を踏まえてみると
葬祭儀礼とその記録(当然神託なんかも記録する)に関わる中臣氏と、猿女君の末裔(=巫の家柄)たる稗田氏の因縁が見えてきそうな気が。
ここの住民方はどう思われる?
>>672
無知蒙昧にして、即答はしかねるのですが、私的に魅力的な説です。
ところで「斎部(忌部?)」って、
「竹取物語」制作に関わったかもと比定される氏族でしょうか?
藤原氏(くらもちのみこ)はじめ、五大氏族をシニカルに描いたあの物語は、
下級氏族の眼の産物だという説もありますね。
無知蒙昧にして、即答はしかねるのですが、私的に魅力的な説です。
ところで「斎部(忌部?)」って、
「竹取物語」制作に関わったかもと比定される氏族でしょうか?
藤原氏(くらもちのみこ)はじめ、五大氏族をシニカルに描いたあの物語は、
下級氏族の眼の産物だという説もありますね。
中国史的に考えて、少しそれはあり得ないのではないかと思う。
そもそも"史官"というのは歴史をまとめる官じゃない。
"史"というのは書記のことで、昔から書記として様々な物を記す官だった。
司馬遷も父・司馬談も「大史公」という官にあるけど、これに至っては儀式を行う官だった。
武帝の封禅の儀式に出られなくて談はショック死してるし。
また、唐代以前の歴史編纂は、個人事業として行われてる。国は全く関与していない。
『史記』にしろ『漢書』にしろ『後漢書』にしろ『三国志』にしろ、司馬遷や班固や范曄や陳寿が、皆個人で編纂したもの。
歴史編纂と史官とは全くつながらない。また、そういうノウハウが官として継承された形跡もない。
昨今、日本書紀の文章を分析し、その結果として
「日本の慣習は正確だが、漢文の文法に間違いがある部分」
「日本の慣習に間違いがあるが、漢文の文法は正確な部分」
の二つに分かれることがわかった。
これが表すのは、日本書記が日本人と中国人とで分割して書いたということ。
これから推測するに、中臣氏が歴史記述のノウハウを持っていたというよりも、歴史記述のノウハウを持つ中国人(渡来人)を雇ったと考える方が妥当だろうと思う。
そもそも"史官"というのは歴史をまとめる官じゃない。
"史"というのは書記のことで、昔から書記として様々な物を記す官だった。
司馬遷も父・司馬談も「大史公」という官にあるけど、これに至っては儀式を行う官だった。
武帝の封禅の儀式に出られなくて談はショック死してるし。
また、唐代以前の歴史編纂は、個人事業として行われてる。国は全く関与していない。
『史記』にしろ『漢書』にしろ『後漢書』にしろ『三国志』にしろ、司馬遷や班固や范曄や陳寿が、皆個人で編纂したもの。
歴史編纂と史官とは全くつながらない。また、そういうノウハウが官として継承された形跡もない。
昨今、日本書紀の文章を分析し、その結果として
「日本の慣習は正確だが、漢文の文法に間違いがある部分」
「日本の慣習に間違いがあるが、漢文の文法は正確な部分」
の二つに分かれることがわかった。
これが表すのは、日本書記が日本人と中国人とで分割して書いたということ。
これから推測するに、中臣氏が歴史記述のノウハウを持っていたというよりも、歴史記述のノウハウを持つ中国人(渡来人)を雇ったと考える方が妥当だろうと思う。
>>673
たぶんその斎部氏です。例の『古語拾遺』を書いた斎部広成の一族。
ちなみに元々は「忌部」だったのを、広成の時代(桓武朝)に「斎部」に改姓してます。
光仁・桓武~嵯峨朝あたりも歴史書マニアにはたまらん時代ですね。
『続日本紀』を始め、『日本霊異記』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『高橋氏文』『新撰姓氏録』など
記紀から微妙にズレた歴史書が大量に出てくる時代ですから。やっぱり中華趣味なのかなぁ歴史書編纂って>桓武や嵯峨
たぶんその斎部氏です。例の『古語拾遺』を書いた斎部広成の一族。
ちなみに元々は「忌部」だったのを、広成の時代(桓武朝)に「斎部」に改姓してます。
光仁・桓武~嵯峨朝あたりも歴史書マニアにはたまらん時代ですね。
『続日本紀』を始め、『日本霊異記』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『高橋氏文』『新撰姓氏録』など
記紀から微妙にズレた歴史書が大量に出てくる時代ですから。やっぱり中華趣味なのかなぁ歴史書編纂って>桓武や嵯峨
>>672
自分程度の知識ではなるほどなぁ、とただ感心することしか出来ないのですが
ただ、古事記と日本書紀を同列の物として扱うのは難しいのでは? と思うくらいです
そもそも書物としての性格がまったく違いますし
片方が編纂されて、それを元にもう片方も、と言うよりは
同時期に平行して作成された、と考えた方が座りもよいかと
でなければ、後世、もう少し古事記の扱いも良かったのではないかと思います
自分程度の知識ではなるほどなぁ、とただ感心することしか出来ないのですが
ただ、古事記と日本書紀を同列の物として扱うのは難しいのでは? と思うくらいです
そもそも書物としての性格がまったく違いますし
片方が編纂されて、それを元にもう片方も、と言うよりは
同時期に平行して作成された、と考えた方が座りもよいかと
でなければ、後世、もう少し古事記の扱いも良かったのではないかと思います
>>674
いや、むしろ中国古代の記録はことごとく王(天子)のための記録なんですよ。
まず中華思想の大前提は「天」から天命を受けた天子(王とか皇帝)が徳をもって国を治める、
というのが建前ですから、国を治める根拠は「天命の有無」と「王の徳の有無」になってくる。
王の有徳の証明は占いとか儀式でしか計れないものだったわけで、だから始皇帝や漢の武帝がやった封禅の儀式も、
やった理由は「俺は天命を受けた徳の有る天子だ!」ってことを証明するためのものです。
あと儀式を実行する事自体が、民衆に天下の支配者を印象付けるパフォーマンスにもなるし、まさに一石二鳥。
そうしたマジカルな行為や現象が王の有徳を表すわけですから、例えば『春秋』などの儒家の影響強い歴史書には
瑞祥(白い亀が現れた)とか災厄(麒麟が道で死んでた)の記事が出てくるわけで。
司馬遷の父が嘆いたのは、むしろ史官として儀式を自分自身で直接見学して記録化できないから、ではないでしょうか?
『史記』や『漢書』や『三国志』はたしかに個人の編纂物ですが、編纂者自身はやはり「その王(王朝)に天命はあったか否か」を
重視しています。特に司馬遷は『史記』冒頭の「伯夷叔斉列伝」で有名な、天道是か非か、というテーマを掲示してますし。
国家主導による歴史書(正史)編纂が、隋唐代から本格化するのは確かです。
ですがそれは、先ず南北朝に王朝が乱立して、しかもその中でも漢民族出身ではない北朝系の王朝である隋や唐だったからこそ、
自分たちの支配が中国古来の思想「天命」に基づく正統なものである事を歴史的に証明しなければならなかったからです。
で、『日本書紀』編纂も当然ながらこうした中華思想に基づいて行われた事業の一つです。
当時の日本は、白村江で唐・新羅に惨敗して朝鮮半島から撤退し、国家としてはかなり危機的な状況であったと思われます。
だから、一刻も早く文明の最先端である唐・新羅と同等ないしそれ以上の国になって、唐や新羅の脅威に対抗しなければならない。
天武や持統や草壁、そして不比等はそんなふうに考えていたんだと思います。
(この辺の状況認識とか心理は千数百年後の幕末明治の志士たちに通じるものがありそうな気がしないでもない)
私としてはむしろ、書紀に見られる「和習」の存在こそが中臣氏等による編纂を示す根拠になると思います。
もし渡来人たちが直接編纂に加わっていたとしたら、そもそも文法の誤りは起きなかったんではないかと。
『日本書紀』はストーリー面においてかなり緻密に編集されてる書物ですから、当然文書校正は厳密に行われたでしょうし、
もしブレーンないし助っ人として漢文の本場から来た渡来人達が加わっていたなら、そこで文法ミスなどは全て修正されるのが普通です。
なのに完成した『日本書紀』には文法ミスが残っている。
これは『日本書紀』が、藤原不比等を中心とする中臣氏系の日本人史官、及び道慈を始めとする遣唐留学僧・留学生によって編纂されたことを
証明している何よりの証拠だと思うのです。ただ、それぞれが持つ漢文知識に差があるので、各人の担当箇所によって各人の書き癖が
残ってしまった、というのが真相なような気がします。
まぁ渡来人の関与は私も完全には否定しないです。たぶん漢籍の提供とか、大陸の情報や神話の伝達等の面では協力してたと思います。
問題は、製作に直接関わっていたか否か、という点で、私は関わっていなかったのではないかと考えます。
いや、むしろ中国古代の記録はことごとく王(天子)のための記録なんですよ。
まず中華思想の大前提は「天」から天命を受けた天子(王とか皇帝)が徳をもって国を治める、
というのが建前ですから、国を治める根拠は「天命の有無」と「王の徳の有無」になってくる。
王の有徳の証明は占いとか儀式でしか計れないものだったわけで、だから始皇帝や漢の武帝がやった封禅の儀式も、
やった理由は「俺は天命を受けた徳の有る天子だ!」ってことを証明するためのものです。
あと儀式を実行する事自体が、民衆に天下の支配者を印象付けるパフォーマンスにもなるし、まさに一石二鳥。
そうしたマジカルな行為や現象が王の有徳を表すわけですから、例えば『春秋』などの儒家の影響強い歴史書には
瑞祥(白い亀が現れた)とか災厄(麒麟が道で死んでた)の記事が出てくるわけで。
司馬遷の父が嘆いたのは、むしろ史官として儀式を自分自身で直接見学して記録化できないから、ではないでしょうか?
『史記』や『漢書』や『三国志』はたしかに個人の編纂物ですが、編纂者自身はやはり「その王(王朝)に天命はあったか否か」を
重視しています。特に司馬遷は『史記』冒頭の「伯夷叔斉列伝」で有名な、天道是か非か、というテーマを掲示してますし。
国家主導による歴史書(正史)編纂が、隋唐代から本格化するのは確かです。
ですがそれは、先ず南北朝に王朝が乱立して、しかもその中でも漢民族出身ではない北朝系の王朝である隋や唐だったからこそ、
自分たちの支配が中国古来の思想「天命」に基づく正統なものである事を歴史的に証明しなければならなかったからです。
で、『日本書紀』編纂も当然ながらこうした中華思想に基づいて行われた事業の一つです。
当時の日本は、白村江で唐・新羅に惨敗して朝鮮半島から撤退し、国家としてはかなり危機的な状況であったと思われます。
だから、一刻も早く文明の最先端である唐・新羅と同等ないしそれ以上の国になって、唐や新羅の脅威に対抗しなければならない。
天武や持統や草壁、そして不比等はそんなふうに考えていたんだと思います。
(この辺の状況認識とか心理は千数百年後の幕末明治の志士たちに通じるものがありそうな気がしないでもない)
私としてはむしろ、書紀に見られる「和習」の存在こそが中臣氏等による編纂を示す根拠になると思います。
もし渡来人たちが直接編纂に加わっていたとしたら、そもそも文法の誤りは起きなかったんではないかと。
『日本書紀』はストーリー面においてかなり緻密に編集されてる書物ですから、当然文書校正は厳密に行われたでしょうし、
もしブレーンないし助っ人として漢文の本場から来た渡来人達が加わっていたなら、そこで文法ミスなどは全て修正されるのが普通です。
なのに完成した『日本書紀』には文法ミスが残っている。
これは『日本書紀』が、藤原不比等を中心とする中臣氏系の日本人史官、及び道慈を始めとする遣唐留学僧・留学生によって編纂されたことを
証明している何よりの証拠だと思うのです。ただ、それぞれが持つ漢文知識に差があるので、各人の担当箇所によって各人の書き癖が
残ってしまった、というのが真相なような気がします。
まぁ渡来人の関与は私も完全には否定しないです。たぶん漢籍の提供とか、大陸の情報や神話の伝達等の面では協力してたと思います。
問題は、製作に直接関わっていたか否か、という点で、私は関わっていなかったのではないかと考えます。
>>672
>>678
司馬に関しては、権力に去勢された私的怨恨ゆえの、
歴史書編纂というお話しもありますね。
あと、あちらの歴史記述のノウハウには、こんなたとえがありますね。
「官の歴史は信用するな。吏の歴史を信用しろ。」
意味は、
時の権力者、政治家や官僚や公的な歴史家など権威者
=その時代の権力連中の歴史は信じるな。
黙々と職責果たした名も無い吏(=事務屋)の記録や帳面を信じろ。
テレビの「相棒」みたいなものですか。
事件の原因や真相なんていくらだって上層部連中が偽れる(笑)
これにに通じるものがありますね。
でも、事務屋は、軍隊動員のための食糧消費、
馬匹や労役人民の調達記録とか、帳簿の真実しか扱えませんし。
死後、映姫さんがどっちの言い分を信じるかってことです。
>>672
やはり忌部(でしたか。ありがとうございます。
あの時代、あそこまで空想と皮肉に満ちた物語を良く作れたものです。
あとおこがましいけれど、「白黒つける程度の能力」なんてないと分かっています。
白黒つけないからこそ、歴史なんではないかと(笑)
>>678
司馬に関しては、権力に去勢された私的怨恨ゆえの、
歴史書編纂というお話しもありますね。
あと、あちらの歴史記述のノウハウには、こんなたとえがありますね。
「官の歴史は信用するな。吏の歴史を信用しろ。」
意味は、
時の権力者、政治家や官僚や公的な歴史家など権威者
=その時代の権力連中の歴史は信じるな。
黙々と職責果たした名も無い吏(=事務屋)の記録や帳面を信じろ。
テレビの「相棒」みたいなものですか。
事件の原因や真相なんていくらだって上層部連中が偽れる(笑)
これにに通じるものがありますね。
でも、事務屋は、軍隊動員のための食糧消費、
馬匹や労役人民の調達記録とか、帳簿の真実しか扱えませんし。
死後、映姫さんがどっちの言い分を信じるかってことです。
>>672
やはり忌部(でしたか。ありがとうございます。
あの時代、あそこまで空想と皮肉に満ちた物語を良く作れたものです。
あとおこがましいけれど、「白黒つける程度の能力」なんてないと分かっています。
白黒つけないからこそ、歴史なんではないかと(笑)
>>676
おっしゃる通り『古事記』の扱いは『日本書紀』のそれと比較して悪いです。
ですが、むしろ『日本書紀』の構想の亜流として作られたのが『古事記』だったと考える方が、
内容の部分的一致や『続日本紀』に古事記が登場しないことの説明がより上手く出来ると思うのです。
奈良~平安時代にかけて、何度か朝廷内で『日本書紀』の講義が行われています。
その際に使われた資料(今でいうプリントみたいなもの)を見ると『古事記』は参考資料としては使われているのです。
つまり正規の教科書はあくまで『日本書紀』で、『古事記』は副読本だったわけです。
中国における歴史は、国家が公式に認可している「正史」と、そうではない「稗史」に分けられます。
日本の場合、正史=書紀で、稗史=古事記だったと思われるわけです。
で、『続日本紀』は書紀の続編として作られた「正史」ですから、当然扱われるべきは同じ正史である書紀に限定される。
『古事記』が歴史書として公式には認められない背景にはこういう理由があったと思われます。
ただ、いかに稗史とはいえ、その内容がもしも書紀の内容と矛盾するような事があったら困るわけです、主に朝廷が。
正史の矛盾は自分たちの正当性の矛盾に繋がりますから、割と致命的。
なので、だったら教科書と矛盾しないような副読本を作ればいいんじゃね?という事で『古事記』は作られたのではないかと。
『古事記』の記事が推古天皇までで止まっているのも、聖徳太子や大化改新や壬申の乱といった天武系の正当性と直結する
危ない事実が多々あったせいではないか、と思うのです。
あと「稗田」と「稗史」って字が共通してますよね。これって偶然なのかなぁと。
おっしゃる通り『古事記』の扱いは『日本書紀』のそれと比較して悪いです。
ですが、むしろ『日本書紀』の構想の亜流として作られたのが『古事記』だったと考える方が、
内容の部分的一致や『続日本紀』に古事記が登場しないことの説明がより上手く出来ると思うのです。
奈良~平安時代にかけて、何度か朝廷内で『日本書紀』の講義が行われています。
その際に使われた資料(今でいうプリントみたいなもの)を見ると『古事記』は参考資料としては使われているのです。
つまり正規の教科書はあくまで『日本書紀』で、『古事記』は副読本だったわけです。
中国における歴史は、国家が公式に認可している「正史」と、そうではない「稗史」に分けられます。
日本の場合、正史=書紀で、稗史=古事記だったと思われるわけです。
で、『続日本紀』は書紀の続編として作られた「正史」ですから、当然扱われるべきは同じ正史である書紀に限定される。
『古事記』が歴史書として公式には認められない背景にはこういう理由があったと思われます。
ただ、いかに稗史とはいえ、その内容がもしも書紀の内容と矛盾するような事があったら困るわけです、主に朝廷が。
正史の矛盾は自分たちの正当性の矛盾に繋がりますから、割と致命的。
なので、だったら教科書と矛盾しないような副読本を作ればいいんじゃね?という事で『古事記』は作られたのではないかと。
『古事記』の記事が推古天皇までで止まっているのも、聖徳太子や大化改新や壬申の乱といった天武系の正当性と直結する
危ない事実が多々あったせいではないか、と思うのです。
あと「稗田」と「稗史」って字が共通してますよね。これって偶然なのかなぁと。
先ほども書きましたが、そもそも"史官"の仕事が異なる。
漢字としての"史"には、本来歴史という意味は全くありません。
『史記』も、本来の『太史公書』という書名の通り、"大史公の記録"という意味しかありませんでした。
しかし、その『史記』が歴史書として抜群の出来であったことから、歴史書としてのスタンダードとなり、
やがて史に歴史という意味が出てきました。
事実、秦代以前にも史官というのはたくさんでてきますが、孰れもただの書記でしかありません。
殷代・周代の、祝詞を捧げるために甲骨文や青銅器の記録係(王の側近)に始まります。
殷代甲骨文の年代同定として、史官の名前を利用しています。
それからわかるように、歴史編纂という事業は史官には関係ない仕事です。
談が落胆したのもやはり、儀式を専門としていたのに参加できなかったが故と考えるのが妥当でしょう。
前四史(史記から三国志までの正史)は孰れも個人編纂であり、個人の歴史観に完徹された書物です。
それゆえ、他の正史と異なって政権批判なども入っている。史記だって、列伝をよく見れば、武帝批判が浮かび上がります。
国の正当性として歴史を利用するようになるのは、唐代以降の国史編纂がはじまってからです。
理由は述べられている通り。拓跋国家の隋唐は、天命を強調しなければならなかったのです。
日本書紀が編纂されたのも、この影響でしょう。国防に対する危機感から、国家をまとめるための編纂であったと言えると思います。
日本書紀に渡来人が参加したかどうかということは、私も良くわからないです。
ただ、渡来人の一族とはいっても、渡来から数代たっている家が漢文法を正確に伝えているとは思えません。
渡来した世代乃至、其の子あたりが参画していたのでは。また、漢文法が正しくなければならないのではなく、日本人に読めればいいので、構成を渡来人が行う必要もなかったでしょうし。
どちらにしろ、私が述べたいのは、中臣氏と史官を結ぶのは難しいのではないか、と言うことです。
中臣氏が日本書紀等に参画していた可能性は否定できないと思いますが、それを中国の史官の流れと定義するのは無理だと思います。
漢字としての"史"には、本来歴史という意味は全くありません。
『史記』も、本来の『太史公書』という書名の通り、"大史公の記録"という意味しかありませんでした。
しかし、その『史記』が歴史書として抜群の出来であったことから、歴史書としてのスタンダードとなり、
やがて史に歴史という意味が出てきました。
事実、秦代以前にも史官というのはたくさんでてきますが、孰れもただの書記でしかありません。
殷代・周代の、祝詞を捧げるために甲骨文や青銅器の記録係(王の側近)に始まります。
殷代甲骨文の年代同定として、史官の名前を利用しています。
それからわかるように、歴史編纂という事業は史官には関係ない仕事です。
談が落胆したのもやはり、儀式を専門としていたのに参加できなかったが故と考えるのが妥当でしょう。
前四史(史記から三国志までの正史)は孰れも個人編纂であり、個人の歴史観に完徹された書物です。
それゆえ、他の正史と異なって政権批判なども入っている。史記だって、列伝をよく見れば、武帝批判が浮かび上がります。
国の正当性として歴史を利用するようになるのは、唐代以降の国史編纂がはじまってからです。
理由は述べられている通り。拓跋国家の隋唐は、天命を強調しなければならなかったのです。
日本書紀が編纂されたのも、この影響でしょう。国防に対する危機感から、国家をまとめるための編纂であったと言えると思います。
日本書紀に渡来人が参加したかどうかということは、私も良くわからないです。
ただ、渡来人の一族とはいっても、渡来から数代たっている家が漢文法を正確に伝えているとは思えません。
渡来した世代乃至、其の子あたりが参画していたのでは。また、漢文法が正しくなければならないのではなく、日本人に読めればいいので、構成を渡来人が行う必要もなかったでしょうし。
どちらにしろ、私が述べたいのは、中臣氏と史官を結ぶのは難しいのではないか、と言うことです。
中臣氏が日本書紀等に参画していた可能性は否定できないと思いますが、それを中国の史官の流れと定義するのは無理だと思います。
いや、中国人のつもりです。
百済人に漢文書かせてもしょうがないし。百済人は百済語ですから
百済人に漢文書かせてもしょうがないし。百済人は百済語ですから
>>680
日本書紀があって、それから古事記がある、という構図よりも
それぞれが、それぞれの意図を持って作成された書物なのではないか、と自分は考えています
正史、稗史と言う分けられ方をなさっていましたが
むしろ、日本書紀のヒストリーに対して、古事記はストーリーだったのではないかと
紀の編纂が国家事業だったのに対し、記の方は、天皇家による天皇家のための私的事業
あるいは、紀が国家としてのアイデンティティーの拠り所として作成された書物
記は天皇家という『家』のアイデンティティーを保つための書物と言い換えられるかもしれません
(これは、天武系の正当を主張するためのプロパガンダとしての側面を否定するものではありませんが)
最初から紀を補完、あるいは従属する物として記の編纂が進められたのであれば
わざわざ読みにくい和漢混交体で書かれる必要性が薄くなりますし
(読みにくい性で古事記は嫌遠されたと言う話もありますので)
仏教など、大陸からの影響を可能な限り排除しようとした意味がわからなくなってしまいます
まあ、排除したからこそ、本居宣長は古事記を重視した訳ですが
日本書紀があって、それから古事記がある、という構図よりも
それぞれが、それぞれの意図を持って作成された書物なのではないか、と自分は考えています
正史、稗史と言う分けられ方をなさっていましたが
むしろ、日本書紀のヒストリーに対して、古事記はストーリーだったのではないかと
紀の編纂が国家事業だったのに対し、記の方は、天皇家による天皇家のための私的事業
あるいは、紀が国家としてのアイデンティティーの拠り所として作成された書物
記は天皇家という『家』のアイデンティティーを保つための書物と言い換えられるかもしれません
(これは、天武系の正当を主張するためのプロパガンダとしての側面を否定するものではありませんが)
最初から紀を補完、あるいは従属する物として記の編纂が進められたのであれば
わざわざ読みにくい和漢混交体で書かれる必要性が薄くなりますし
(読みにくい性で古事記は嫌遠されたと言う話もありますので)
仏教など、大陸からの影響を可能な限り排除しようとした意味がわからなくなってしまいます
まあ、排除したからこそ、本居宣長は古事記を重視した訳ですが
史官の話は長くなりそうなので、先ずこちらから。
>>684
>紀が国家としてのアイデンティティーの拠り所として作成された書物
>記は天皇家という『家』のアイデンティティーを保つための書物
この部分について、私も賛成なのです。
『日本書紀』は、これは唐・新羅に対抗し得る「中華」としての日本を強調するために
編纂された、と考えています。状況なんかは>>678で書いた通り。
一方の『古事記』も、これも>>684さんのおっしゃる通り、天皇家という「家系」の
正当性を示そうとして編纂された書物に違いないと思っています。
あの当時、天皇家(=ヤマトの大王の家)はまだ不安定な基盤しか持っていませんでした。
いつ他の有力豪族から寝首を掻かれるか分かったものじゃあなかったと思います。
蘇我宗家は滅んでますが、まだ大伴・阿倍・巨勢なんかは残ってますから。
ですが、記紀はやはり共通したテーマを持っている書物だと思うのです。
つまり「この国を支配すべき者はいったい誰か?」というテーマです。そしてその答えとは、言うまでもなく
天皇でなければならなかった。しかもそれは、推古でも天智でもなく天武とその血族でなければならない。
『日本書紀』や『古事記』編纂に関わった者達は、みなこの一点を追求していたのだと思います。
ぶっちゃけて言えば、彼らにとって日本列島の歴史とは「天武に繋がる大王家の歴史」でなければならなかったのですよ。
そのための万世一系であり、正史としての『日本書紀』、稗史としての『古事記』だったのだと思うのです。
『古事記』が和漢混淆体で書かれたのは、やはり最初から私的な(「家系」の)歴史書だったからであり、
その後重視されなくなっていくのは、天皇の支配者としての基盤や正当性が確立され、役目を終えていったからだと考えています。
>>684
>紀が国家としてのアイデンティティーの拠り所として作成された書物
>記は天皇家という『家』のアイデンティティーを保つための書物
この部分について、私も賛成なのです。
『日本書紀』は、これは唐・新羅に対抗し得る「中華」としての日本を強調するために
編纂された、と考えています。状況なんかは>>678で書いた通り。
一方の『古事記』も、これも>>684さんのおっしゃる通り、天皇家という「家系」の
正当性を示そうとして編纂された書物に違いないと思っています。
あの当時、天皇家(=ヤマトの大王の家)はまだ不安定な基盤しか持っていませんでした。
いつ他の有力豪族から寝首を掻かれるか分かったものじゃあなかったと思います。
蘇我宗家は滅んでますが、まだ大伴・阿倍・巨勢なんかは残ってますから。
ですが、記紀はやはり共通したテーマを持っている書物だと思うのです。
つまり「この国を支配すべき者はいったい誰か?」というテーマです。そしてその答えとは、言うまでもなく
天皇でなければならなかった。しかもそれは、推古でも天智でもなく天武とその血族でなければならない。
『日本書紀』や『古事記』編纂に関わった者達は、みなこの一点を追求していたのだと思います。
ぶっちゃけて言えば、彼らにとって日本列島の歴史とは「天武に繋がる大王家の歴史」でなければならなかったのですよ。
そのための万世一系であり、正史としての『日本書紀』、稗史としての『古事記』だったのだと思うのです。
『古事記』が和漢混淆体で書かれたのは、やはり最初から私的な(「家系」の)歴史書だったからであり、
その後重視されなくなっていくのは、天皇の支配者としての基盤や正当性が確立され、役目を終えていったからだと考えています。
>>685の続き
むしろ『日本書紀』の方こそがわざわざ純粋漢文(だと編纂者達が考えていたもの)で書かれているのだと思います。
当時の木簡とか、あと時代は下りますが『日本霊異記』などを見るとこの辺は理解し易いと思います。
だってああいうのって、文法とか目茶苦茶ですから(笑)
木簡の解読作業が遅々として進まないのは、漢文の正しい文法を知ってる者から見ると、
いったい何が書いてあるのか判らないからなんですよ。というか、まず漢文として読めない。
読み下しとか文法なんてものは殆ど(或いは全く)考慮されてないんです。
酷いものだと、漢字一文字だけ書いたのに「済」とか書き加えてあるわけで、
もう何がなんだか判らないわけです。
で、何故そんなテキトーなのかというと、あれらは政府の公文書ではないから。
官吏や出入りの業者が、日常の仕事の中で「あれが幾ら欲しい」とか「あの書類○時までに持ってきて」
という遣り取りをするためのメモだからなんです。要するに意味さえ判ればそれで良い。
幸い?漢字は表意文字ですから、その文字が何を意味しているのかさえ知っていれば、それで良かったのです。
現代でいえば地図記号に近い。「文」って書いてあれば「ああ学校があるのね」って判ってしまうでしょう?
あれと同じようなものだったんです。
で、『古事記』はさすがにそこまでテキトーでは無いのですが、元々国家の公式な歴史書にするつもりは
まったく無かった。だから、たぶん太安万侶が一番書き慣れていた和漢混淆体で書かれたわけです。
あと稗田阿礼にわざわざ暗誦させるところを見るに、内容と同時に言葉の読みや発音を重視して
編纂されたものだろうと思います。
『日本書紀』みたいな純粋漢文に近い文体の場合、日本語(訓読)で読もうとすると文字の読みで詰まってしまいがちです。
古典の授業を思い出してください。ある漢字熟語を読むとき、音読すべきか訓読すべきかで迷った経験はありませんか?
実は我々が漢文で苦労していたように、当時の人達も漢文には苦労していたのです。
そもそも漢文って、日本語を中国語で書いて日本語で読もうという、よく考えればかなり無茶な言語方式ですから。
なので、一旦『古事記』という形で言葉の訓読を助けるためのサブテキストを作っておき、
これを『日本書紀』読解の副読本として講義で使っていた、というのがたぶん真相だと思います。
ちなみにこれにも一応根拠はありまして。
『日本書紀』が完成した養老四年(720)の翌年、さっそく高官や貴族を集めて講義が行われますが、
この時の講師役が太安万侶本人なのです。
この時の講義プリントは残念ながら現存していませんが、後に安万侶の子孫・多人長が作った「弘仁私記」というメモには、
どうも『古事記』から引用したらしい文章が幾つか見られるのです。
そういうわけで、私はやっぱり『古事記』は『日本書紀』の亜流的書物として考えたいと思うのであります。
むしろ『日本書紀』の方こそがわざわざ純粋漢文(だと編纂者達が考えていたもの)で書かれているのだと思います。
当時の木簡とか、あと時代は下りますが『日本霊異記』などを見るとこの辺は理解し易いと思います。
だってああいうのって、文法とか目茶苦茶ですから(笑)
木簡の解読作業が遅々として進まないのは、漢文の正しい文法を知ってる者から見ると、
いったい何が書いてあるのか判らないからなんですよ。というか、まず漢文として読めない。
読み下しとか文法なんてものは殆ど(或いは全く)考慮されてないんです。
酷いものだと、漢字一文字だけ書いたのに「済」とか書き加えてあるわけで、
もう何がなんだか判らないわけです。
で、何故そんなテキトーなのかというと、あれらは政府の公文書ではないから。
官吏や出入りの業者が、日常の仕事の中で「あれが幾ら欲しい」とか「あの書類○時までに持ってきて」
という遣り取りをするためのメモだからなんです。要するに意味さえ判ればそれで良い。
幸い?漢字は表意文字ですから、その文字が何を意味しているのかさえ知っていれば、それで良かったのです。
現代でいえば地図記号に近い。「文」って書いてあれば「ああ学校があるのね」って判ってしまうでしょう?
あれと同じようなものだったんです。
で、『古事記』はさすがにそこまでテキトーでは無いのですが、元々国家の公式な歴史書にするつもりは
まったく無かった。だから、たぶん太安万侶が一番書き慣れていた和漢混淆体で書かれたわけです。
あと稗田阿礼にわざわざ暗誦させるところを見るに、内容と同時に言葉の読みや発音を重視して
編纂されたものだろうと思います。
『日本書紀』みたいな純粋漢文に近い文体の場合、日本語(訓読)で読もうとすると文字の読みで詰まってしまいがちです。
古典の授業を思い出してください。ある漢字熟語を読むとき、音読すべきか訓読すべきかで迷った経験はありませんか?
実は我々が漢文で苦労していたように、当時の人達も漢文には苦労していたのです。
そもそも漢文って、日本語を中国語で書いて日本語で読もうという、よく考えればかなり無茶な言語方式ですから。
なので、一旦『古事記』という形で言葉の訓読を助けるためのサブテキストを作っておき、
これを『日本書紀』読解の副読本として講義で使っていた、というのがたぶん真相だと思います。
ちなみにこれにも一応根拠はありまして。
『日本書紀』が完成した養老四年(720)の翌年、さっそく高官や貴族を集めて講義が行われますが、
この時の講師役が太安万侶本人なのです。
この時の講義プリントは残念ながら現存していませんが、後に安万侶の子孫・多人長が作った「弘仁私記」というメモには、
どうも『古事記』から引用したらしい文章が幾つか見られるのです。
そういうわけで、私はやっぱり『古事記』は『日本書紀』の亜流的書物として考えたいと思うのであります。
>>686の続き
追記:
『古事記』に仏教関係の記事がほとんど見られない理由ですが、
これも『古事記』が『日本書紀』訓読のためのサブテキストだったと考えれば、
一応の辻褄は付けられるのです。
仏教用語については、そのまま音読すれば良いわけですから。
もちろん呉音と漢音の違いなんかはありますが、要するに無理して日本語読みしなくても
良かったわけですから、別に『古事記』に書いておく必要性がなかったのではないでしょうか?
いや、かなりトンデモだなぁとは自覚してますが(笑)
追記:
『古事記』に仏教関係の記事がほとんど見られない理由ですが、
これも『古事記』が『日本書紀』訓読のためのサブテキストだったと考えれば、
一応の辻褄は付けられるのです。
仏教用語については、そのまま音読すれば良いわけですから。
もちろん呉音と漢音の違いなんかはありますが、要するに無理して日本語読みしなくても
良かったわけですから、別に『古事記』に書いておく必要性がなかったのではないでしょうか?
いや、かなりトンデモだなぁとは自覚してますが(笑)
なんか渡来人の話が出ていたようなのでひとつ
うちの家の謂れは高句麗で、高句麗滅亡に伴い京都南部、相楽郡に入植したと言われていて
後に武蔵国高麗郡に入植した高句麗王族が日本にやって来た時に受け入れ歓迎したという記録があったりするんだけれど
どちらかと言うと技術の伝来として扱われていて、狛造の姓を賜ったりした訳で
時期が近いと言えばそうなんですけれど言葉や編纂には多分縁がなさそうです
どうでもいいです、はい
その近所の山の中にに松尾神社がありまして
で、いろいろ調べていたら面白いものが
ttp://urano.org/kankou/yamasiro/yama10.html
天武天皇が埋めた宝珠を、701年(大宝元年)秦都理が霊夢によって宝珠を得たということらしいのですが、
この松尾神社、秦氏の氏神でもあり、お酒の神様なんですよね
霊夢にお酒の神様とはなかなかの組み合わせですw
ついでに陰陽玉(?)もとはw
うちの家の謂れは高句麗で、高句麗滅亡に伴い京都南部、相楽郡に入植したと言われていて
後に武蔵国高麗郡に入植した高句麗王族が日本にやって来た時に受け入れ歓迎したという記録があったりするんだけれど
どちらかと言うと技術の伝来として扱われていて、狛造の姓を賜ったりした訳で
時期が近いと言えばそうなんですけれど言葉や編纂には多分縁がなさそうです
どうでもいいです、はい
その近所の山の中にに松尾神社がありまして
で、いろいろ調べていたら面白いものが
ttp://urano.org/kankou/yamasiro/yama10.html
天武天皇が埋めた宝珠を、701年(大宝元年)秦都理が霊夢によって宝珠を得たということらしいのですが、
この松尾神社、秦氏の氏神でもあり、お酒の神様なんですよね
霊夢にお酒の神様とはなかなかの組み合わせですw
ついでに陰陽玉(?)もとはw
◆ 其の五(スレ5)>>208–218
>>205
出雲は当時強い勢力を誇っていた豪族であり
中央がその勢力を平定した際に
地位を与えたという説がある
国譲りに関しては、出雲-越-諏訪の日本海勢力を中央の勢力が打倒したものではないかと考えられる。
崇神天皇は出雲の勢力を内部分裂させ、屈服させた。
国譲りのエピソードはこれと実は同じもののように思う。
ところがその後、疫病が蔓延したことから、崇神天皇は大物主神を祀った。
大物主は大国主の幸魂、奇魂であり和魂でもあるとされるが
祟る神様であり、性質としては荒霊のように思う。
出雲平定を成し遂げた功績があったのが
物部氏であり、出雲を監視する役目として中央は
出雲からほど近い日御碕と石見に監視役を置いたと思われる。
出雲は当時強い勢力を誇っていた豪族であり
中央がその勢力を平定した際に
地位を与えたという説がある
国譲りに関しては、出雲-越-諏訪の日本海勢力を中央の勢力が打倒したものではないかと考えられる。
崇神天皇は出雲の勢力を内部分裂させ、屈服させた。
国譲りのエピソードはこれと実は同じもののように思う。
ところがその後、疫病が蔓延したことから、崇神天皇は大物主神を祀った。
大物主は大国主の幸魂、奇魂であり和魂でもあるとされるが
祟る神様であり、性質としては荒霊のように思う。
出雲平定を成し遂げた功績があったのが
物部氏であり、出雲を監視する役目として中央は
出雲からほど近い日御碕と石見に監視役を置いたと思われる。
アマテラス神を祀ってた集団がヤマト王権の中央にきちんと就いていたかどうか……
てのがどうも心許ないんだよな。そう感じるのは自分だけ?
要は、アマテラス神=伊勢神話を国家神話にしたのは結局、天武・持統・藤原不比等なんでしょう?
するってとその、出雲・越・諏訪を平定した中央畿内勢力ってのは、元々どこの豪族だったんだろう?
卑弥呼に連なる集団?それとも吉備?……よく分からん。
第一、伊勢のアマテルを祀っていたのはそもそも海人系物部氏だったはずだし……
個人的には、出雲の国譲りは不比等の創作で、実際には無かったと思ってる。
もちろん、畿内石上物部を蹴落としたからこそ可能になった創作なのは間違いないんだろうけども。
てのがどうも心許ないんだよな。そう感じるのは自分だけ?
要は、アマテラス神=伊勢神話を国家神話にしたのは結局、天武・持統・藤原不比等なんでしょう?
するってとその、出雲・越・諏訪を平定した中央畿内勢力ってのは、元々どこの豪族だったんだろう?
卑弥呼に連なる集団?それとも吉備?……よく分からん。
第一、伊勢のアマテルを祀っていたのはそもそも海人系物部氏だったはずだし……
個人的には、出雲の国譲りは不比等の創作で、実際には無かったと思ってる。
もちろん、畿内石上物部を蹴落としたからこそ可能になった創作なのは間違いないんだろうけども。
>>209
天照は東海の勢力の祀る神で
おそらくは、壬申の乱の際、天武天皇の勝利に多大な貢献があったことから
我が国第一の神とされたのだろう。
畿内勢力が出雲勢力を圧倒したのは
天照が皇室に取り入れられるよりも
前のエピソードではないだろうか
後付で、天照を神話の中心においたのでは。
建御雷神も後付けで重要な役割を演じているし可能性としてはあると思う
天照は東海の勢力の祀る神で
おそらくは、壬申の乱の際、天武天皇の勝利に多大な貢献があったことから
我が国第一の神とされたのだろう。
畿内勢力が出雲勢力を圧倒したのは
天照が皇室に取り入れられるよりも
前のエピソードではないだろうか
後付で、天照を神話の中心においたのでは。
建御雷神も後付けで重要な役割を演じているし可能性としてはあると思う
記紀神話そのものが、7~8世紀の内憂外患と、それに対処する為に創られた説もあるし。
地方ごとの氏族社会に代わる、中央集権律令体制=天武・持統朝=藤原(不比等)体制の為のもの。
天皇制やそれにまつわる祭祀(伊勢信仰、アマテラス崇拝)がかたちづくられたのもこの時代。
「大唐クライシス」というか、白村江で半島におけるプレゼンスを喪った後、
とにかく中央集権体制にして、それぞれの祖先神をいただいて相争う氏族社会を脱しないと、
日本は自滅するか、外患により征服された可能性もあった訳で。
個人的には黒船から明治維新、近代国家日本誕生に似た構造だなと思ってます。
地方ごとの氏族社会に代わる、中央集権律令体制=天武・持統朝=藤原(不比等)体制の為のもの。
天皇制やそれにまつわる祭祀(伊勢信仰、アマテラス崇拝)がかたちづくられたのもこの時代。
「大唐クライシス」というか、白村江で半島におけるプレゼンスを喪った後、
とにかく中央集権体制にして、それぞれの祖先神をいただいて相争う氏族社会を脱しないと、
日本は自滅するか、外患により征服された可能性もあった訳で。
個人的には黒船から明治維新、近代国家日本誕生に似た構造だなと思ってます。
>>209-210
就いてない
と言うか、大和の王朝自体が機内外も含めた多数の氏族の連合体なわけで、氏族ってのは有名な物部とか中臣に限らず
それぞれ独自に一族の始祖たる祖神や氏神を独自信仰してるし、そこに優劣をつけるのは難しいかと
それが崩れるのは拡大路線の中で律令制をはじめとした唐なんかの強い中央集権制度を研究するようになってからじゃねーかな
元首が文句を言わせない程に力をつけるからこそそれを投影した、あるいは逆に権威付けとして現実に投影させるために神話を構築したと
その投影に都合が良かったのがアマテラスだったって事じゃないかなあ
タケミカズチはまあ、記紀編纂時に全盛期だった不比等が特に保護に力を入れた氏神ってのと無関係ではないんだろうなw
就いてない
と言うか、大和の王朝自体が機内外も含めた多数の氏族の連合体なわけで、氏族ってのは有名な物部とか中臣に限らず
それぞれ独自に一族の始祖たる祖神や氏神を独自信仰してるし、そこに優劣をつけるのは難しいかと
それが崩れるのは拡大路線の中で律令制をはじめとした唐なんかの強い中央集権制度を研究するようになってからじゃねーかな
元首が文句を言わせない程に力をつけるからこそそれを投影した、あるいは逆に権威付けとして現実に投影させるために神話を構築したと
その投影に都合が良かったのがアマテラスだったって事じゃないかなあ
タケミカズチはまあ、記紀編纂時に全盛期だった不比等が特に保護に力を入れた氏神ってのと無関係ではないんだろうなw
天武と東国の関係はちょっと気になるところなんだよなぁ。
あまり注目されてないっぽいが、実は天武って信濃に遷都する構想を立ててたらしいんだよ。
日本書紀に「都に相応しい土地を探すため信濃に使いを出した」と書かれてあったはず。
直後に天武自身が亡くなって持統が称制を布いたから、結局計画は流れたようだが。
壬申の乱前後に伊勢や尾張の勢力を取り込んでるところも併せて見ると、どうも天武は
東国関連で何らかの構想を練っていた節がある。天武の時代に編纂が始まったと思われる
記紀では出雲を追われたタケミナカタが諏訪に逃げ込んだ(古事記のみ)とか、
神武天皇が東征を行ったとか、ヤマトタケルが九州平定後に東国へ派遣されたとか、
「西から東へ向かう」という筋のエピソードが重要事項としてよく語られてる気がする。
東国といえば当時は勿論蝦夷の勢力下にあるわけだが、もしかしたら漢の武帝よろしく、
中華思想的な意味での「天子」として匈奴遠征に見立てた蝦夷征服でも夢みてたんではなかろうか?
大陸方面では朝鮮半島の足掛かりを失って希望は薄いわけだから、それに代わる「夷狄」として
蝦夷をターゲットに据えたのかも。
で、持統・草壁及びそのブレーン的存在の不比等としては、とりあえず国力増強が最優先という
現実主義的政策方針で天武の構想を流したと。
ただし自分達の政権の正当性が「天武が壬申の乱に勝った」という動かしがたい事実がある以上、
天武を必要以上に否定するわけにはいかない。
古事記が推古、日本書紀が持統を最終章部分に持ってくるのは「偉大な男帝の系譜を引く女帝が
国家を最終的に指導する」という歴史の流れ(継体・欽明→推古、天智・天武→持統)に意味を持たせ、
天武自身ではなく、天武の流れを引く女帝持統こそが帝王なのである、という論理を説くため。
その流れを神話的に証明するべく、太陽神であり尚且つ女神であるアマテラスが皇祖神として
採用されたんじゃないかと思う。アマテラスにもイザナギの流れを引く「女帝」という立ち位置を与えた上で。
あまり注目されてないっぽいが、実は天武って信濃に遷都する構想を立ててたらしいんだよ。
日本書紀に「都に相応しい土地を探すため信濃に使いを出した」と書かれてあったはず。
直後に天武自身が亡くなって持統が称制を布いたから、結局計画は流れたようだが。
壬申の乱前後に伊勢や尾張の勢力を取り込んでるところも併せて見ると、どうも天武は
東国関連で何らかの構想を練っていた節がある。天武の時代に編纂が始まったと思われる
記紀では出雲を追われたタケミナカタが諏訪に逃げ込んだ(古事記のみ)とか、
神武天皇が東征を行ったとか、ヤマトタケルが九州平定後に東国へ派遣されたとか、
「西から東へ向かう」という筋のエピソードが重要事項としてよく語られてる気がする。
東国といえば当時は勿論蝦夷の勢力下にあるわけだが、もしかしたら漢の武帝よろしく、
中華思想的な意味での「天子」として匈奴遠征に見立てた蝦夷征服でも夢みてたんではなかろうか?
大陸方面では朝鮮半島の足掛かりを失って希望は薄いわけだから、それに代わる「夷狄」として
蝦夷をターゲットに据えたのかも。
で、持統・草壁及びそのブレーン的存在の不比等としては、とりあえず国力増強が最優先という
現実主義的政策方針で天武の構想を流したと。
ただし自分達の政権の正当性が「天武が壬申の乱に勝った」という動かしがたい事実がある以上、
天武を必要以上に否定するわけにはいかない。
古事記が推古、日本書紀が持統を最終章部分に持ってくるのは「偉大な男帝の系譜を引く女帝が
国家を最終的に指導する」という歴史の流れ(継体・欽明→推古、天智・天武→持統)に意味を持たせ、
天武自身ではなく、天武の流れを引く女帝持統こそが帝王なのである、という論理を説くため。
その流れを神話的に証明するべく、太陽神であり尚且つ女神であるアマテラスが皇祖神として
採用されたんじゃないかと思う。アマテラスにもイザナギの流れを引く「女帝」という立ち位置を与えた上で。
天武帝の東方志向は神仙思想の方じゃねーかなあ
そっち方面にかなりかぶれてた方だし
国家運営における首都運営じゃなく、単に蓬莱山その他を目指す拠点として東に自分の宮を移すって感じの方が強そう
そっち方面にかなりかぶれてた方だし
国家運営における首都運営じゃなく、単に蓬莱山その他を目指す拠点として東に自分の宮を移すって感じの方が強そう
>>214
メキシコにはアステカ神話に出てくるケツアルコアトルが居るよ。名前は「羽毛を持った蛇」
という意味があるらしい。アステカ神話も日本神話と同じく色々異伝があるらしいけど、
その中の一つでは太陽神として語られる場合もあるみたい。
台湾はよく知らんなぁ。道教や仏教が盛んだからそっちの神様が担当してるだろうし、
日本統治時代にはアマテラスを祀る神社も建てられてるから、それが生き残ってるかもしれん。
ただ台湾の場合、漢族移入以前の少数民族がかなり居てるから別に太陽神の神話があるのかも分からん。
>>215
いや、神仙思想にかぶれてた事も含めて天武は漢武帝に憧れめいたものを抱いてたんじゃないかと思うのよ。
武帝といえば泰山封禅の儀とか道士を寵愛して不老不死を求めたとか、そういう中国神話的なものに深く
関わってた人で、おそらく天武は『漢書』や『史記』を読んで理想の帝王像を武帝に見出してたんではないかと。
で、自分も武帝にならって東へ行きたいけど、そっちには蝦夷が住んでるから簡単にはいかない。
じゃあやはり武帝にならって夷狄をぶちのめしつつ東の蓬莱山を目指そう!とか考えてたんではなかろうかしら?
お誂え向きにそれっぽい山容の富士山とかあるし。
記紀以前の神武神話があったのかなかったのか、あったとしてもどういう形の物語だったかはよく分からんが、
天皇家に伝わる伝承の中に「ご先祖様は西から東へ国を広げて~」なんてのがあったとしたら完璧だと思う。
というか『宋書』の倭王武の話が本当で、これが真実天武の先祖であるなら「昔の偉大な先祖もやったんだから
俺に出来ないはずが無い!」とか天武が妄想膨らませた可能性は十分にあると思うの。
メキシコにはアステカ神話に出てくるケツアルコアトルが居るよ。名前は「羽毛を持った蛇」
という意味があるらしい。アステカ神話も日本神話と同じく色々異伝があるらしいけど、
その中の一つでは太陽神として語られる場合もあるみたい。
台湾はよく知らんなぁ。道教や仏教が盛んだからそっちの神様が担当してるだろうし、
日本統治時代にはアマテラスを祀る神社も建てられてるから、それが生き残ってるかもしれん。
ただ台湾の場合、漢族移入以前の少数民族がかなり居てるから別に太陽神の神話があるのかも分からん。
>>215
いや、神仙思想にかぶれてた事も含めて天武は漢武帝に憧れめいたものを抱いてたんじゃないかと思うのよ。
武帝といえば泰山封禅の儀とか道士を寵愛して不老不死を求めたとか、そういう中国神話的なものに深く
関わってた人で、おそらく天武は『漢書』や『史記』を読んで理想の帝王像を武帝に見出してたんではないかと。
で、自分も武帝にならって東へ行きたいけど、そっちには蝦夷が住んでるから簡単にはいかない。
じゃあやはり武帝にならって夷狄をぶちのめしつつ東の蓬莱山を目指そう!とか考えてたんではなかろうかしら?
お誂え向きにそれっぽい山容の富士山とかあるし。
記紀以前の神武神話があったのかなかったのか、あったとしてもどういう形の物語だったかはよく分からんが、
天皇家に伝わる伝承の中に「ご先祖様は西から東へ国を広げて~」なんてのがあったとしたら完璧だと思う。
というか『宋書』の倭王武の話が本当で、これが真実天武の先祖であるなら「昔の偉大な先祖もやったんだから
俺に出来ないはずが無い!」とか天武が妄想膨らませた可能性は十分にあると思うの。
信濃の安曇野、尾張の渥美、どちらも「出雲」から来る言葉だそうですからね、関連があるかと。
であれば、遷都はともかく、天武が信濃まで協力関係を持っていたと言うのは肯ける所じゃないでしょうか。
東方に絡めて言えば、諏訪勢力や神主さんの生家周辺も当然、出雲つながりで天武側についたかと。
もっとも諏訪は後に天智系の有員親王を迎えて、大祝を作らされるハメになりますが……。
まぁ、天武系が途絶えた後の話ではありますけどね。天武系儚いよ天武系。
ところで、不比等とアマテラス神の関係ってどうなんでしょかね……。
日本書紀が完成して不比等が死んだのが720年、当時は元正天皇でぎりぎり天武系ですよね。
その後は聖武天皇で天武-藤原系、孝謙天皇で物部弓削道鏡の問題、光仁天皇で天智系天皇ですから、
また、中臣(藤原)氏は壬申の乱では天智側に従いてましたし、アマテラスの原型アマテル神は尾張物部氏と関連がありますから、
仮にですが……不比等が長生きしていればアマテラスなんて神様は今頃、いなかったかもしれませんね。
ひょっとするとアメノコヤネかタケミカヅチが日本の最高神だったなんて可能性も、なんて考えると……
いや、あんま面白くないなそれ。野符「藤原不比等クライシス」ですかね。どうなんでしょう。
あ、ちなみに自分としては「アマテラス神が女性である理由=元明・元正天皇の正当化」じゃないかと思うんですが、どうでしょ。
ここ、妹紅たんのお姉さんを皇后にするためなんでしょうけど、かなり無茶苦茶なことやってますからね。不比等は。
であれば、遷都はともかく、天武が信濃まで協力関係を持っていたと言うのは肯ける所じゃないでしょうか。
東方に絡めて言えば、諏訪勢力や神主さんの生家周辺も当然、出雲つながりで天武側についたかと。
もっとも諏訪は後に天智系の有員親王を迎えて、大祝を作らされるハメになりますが……。
まぁ、天武系が途絶えた後の話ではありますけどね。天武系儚いよ天武系。
ところで、不比等とアマテラス神の関係ってどうなんでしょかね……。
日本書紀が完成して不比等が死んだのが720年、当時は元正天皇でぎりぎり天武系ですよね。
その後は聖武天皇で天武-藤原系、孝謙天皇で物部弓削道鏡の問題、光仁天皇で天智系天皇ですから、
また、中臣(藤原)氏は壬申の乱では天智側に従いてましたし、アマテラスの原型アマテル神は尾張物部氏と関連がありますから、
仮にですが……不比等が長生きしていればアマテラスなんて神様は今頃、いなかったかもしれませんね。
ひょっとするとアメノコヤネかタケミカヅチが日本の最高神だったなんて可能性も、なんて考えると……
いや、あんま面白くないなそれ。野符「藤原不比等クライシス」ですかね。どうなんでしょう。
あ、ちなみに自分としては「アマテラス神が女性である理由=元明・元正天皇の正当化」じゃないかと思うんですが、どうでしょ。
ここ、妹紅たんのお姉さんを皇后にするためなんでしょうけど、かなり無茶苦茶なことやってますからね。不比等は。
◆ 其の十二(スレ12)>>754–771
>>750
生前に聖徳太子と名乗ってたわけじゃないから
皇族厩戸王の死後結構経ってから付けられた名前でしかない
ついでに言えばそのありがたい名前と同時期にヤケクソ気味に付加された超スペックが
よく知る聖徳太子像で、その黒歴史創造に深く関わったとされるのが毎度おなじみ藤原不比等
生前に聖徳太子と名乗ってたわけじゃないから
皇族厩戸王の死後結構経ってから付けられた名前でしかない
ついでに言えばそのありがたい名前と同時期にヤケクソ気味に付加された超スペックが
よく知る聖徳太子像で、その黒歴史創造に深く関わったとされるのが毎度おなじみ藤原不比等
実在した厩戸皇子の功績+いろいろな人の功績+架空の伝説=聖徳太子
ってのが有力で、教科書もそういう書き方してるんじゃないかな
ってのが有力で、教科書もそういう書き方してるんじゃないかな
もこうのパパが聖徳太子のあることないことでっちあげたわけか
かぐや姫の求婚相手だと考えたらこれまたいとおかし
かぐや姫の求婚相手だと考えたらこれまたいとおかし
ふひと「ぼくのかんがえたさいきょうのこうぞく」
>>756
聖徳太子だけじゃないけどな
日本の神様や初期の半神的な天皇陛下像もガッツリ作ってる
というか、パパが音頭を取った日本書紀や古事記は天皇と朝廷の権威と神秘性
を創り上げるための国策なので徹底的にやっとる
聖徳太子だけじゃないけどな
日本の神様や初期の半神的な天皇陛下像もガッツリ作ってる
というか、パパが音頭を取った日本書紀や古事記は天皇と朝廷の権威と神秘性
を創り上げるための国策なので徹底的にやっとる
>>756
でもその竹取物語も不比等の猛威に嫉妬した人物が不比等を貶めるために作り出した書物と言われてるわけで
でもその竹取物語も不比等の猛威に嫉妬した人物が不比等を貶めるために作り出した書物と言われてるわけで
○○物語ってのは当時の政争の敗者を鎮魂するためのものという説があるな
聖徳太子の物語に色々な尾ひれをつけることで一番得をした氏族と
一番割りを食った氏族を考えてみればまぁ……
中臣氏(藤原氏)が一番怪しいよなぁ で、どう考えてもDisられまくってる蘇我氏
仮にもし山背大兄王(厩戸皇子の息子)の実在が怪しいとなったら
乙巳の変(大化の改新)で殺された蘇我馬子が完全に濡れ衣になっちゃう
理由のないただの暗殺と聖徳太子の息子を殺したというしっかりした理由がある暗殺じゃ
イメージが違うもの
一番割りを食った氏族を考えてみればまぁ……
中臣氏(藤原氏)が一番怪しいよなぁ で、どう考えてもDisられまくってる蘇我氏
仮にもし山背大兄王(厩戸皇子の息子)の実在が怪しいとなったら
乙巳の変(大化の改新)で殺された蘇我馬子が完全に濡れ衣になっちゃう
理由のないただの暗殺と聖徳太子の息子を殺したというしっかりした理由がある暗殺じゃ
イメージが違うもの
歴史は勝者が創るからなぁ…あと、馬子じゃなくって、蝦夷&入鹿ね。
このスレを見てると、あっきゅんがとんでもなく腹黒く思えてくる。
あっきゅんにしても直接確認出来る事実は限られたもんだろうし
シニカルな気分になることもよくありそう
シニカルな気分になることもよくありそう
東方には藤原関係のキャラも結構多いからな。色々勘ぐりたくなるね。
不比等が勝てたのは、中国の律令制(官僚制度)を熟知していたから
明治維新が黒船襲来以降の動乱の結果であるように、
白村江の敗北が日本の転機であり藤原氏のチャンスでもあったようなw
古代氏族制の日本では、島国の中で諸皇子にそれぞれ豪族が付いて派閥争いから内戦まで、
あげくには皇統が滅びかけるところまでいった
兵庫の山奥まで皇族の血を受け継ぐ兄弟を探しにゆくなど、その顛末を語ったもの
記紀は、藤原氏が自分の都合で編纂しただけでなく、大きな目で見れば中国および新羅という、
外なる脅威に怯えていた日本が必要とした書物だったかもしれない
氏族社会ではもうやっていけない、大王ではなく天皇ではなければいけない
法制度や官僚機構を整備し、祭祀と政治とを分離しなければ外圧に対抗できないという、
あの時代なりの現実主義的なグローバリゼーションだった可能性がある
妹紅のおやっさんやじいちゃんは腹黒いかもしれないけれど、たしかに政治家やで
明治維新が黒船襲来以降の動乱の結果であるように、
白村江の敗北が日本の転機であり藤原氏のチャンスでもあったようなw
古代氏族制の日本では、島国の中で諸皇子にそれぞれ豪族が付いて派閥争いから内戦まで、
あげくには皇統が滅びかけるところまでいった
兵庫の山奥まで皇族の血を受け継ぐ兄弟を探しにゆくなど、その顛末を語ったもの
記紀は、藤原氏が自分の都合で編纂しただけでなく、大きな目で見れば中国および新羅という、
外なる脅威に怯えていた日本が必要とした書物だったかもしれない
氏族社会ではもうやっていけない、大王ではなく天皇ではなければいけない
法制度や官僚機構を整備し、祭祀と政治とを分離しなければ外圧に対抗できないという、
あの時代なりの現実主義的なグローバリゼーションだった可能性がある
妹紅のおやっさんやじいちゃんは腹黒いかもしれないけれど、たしかに政治家やで
◆ 其の十三(スレ13)>>638–652
物部、蘇我、そして藤原(中臣)は、戦国の世を歌った狂歌と同じだ
「織田が搗き 羽柴が捏ねし 天下餅 座したままに 食らう徳川」
実際にはどちらも皆、それ相応のリスクと代償を支払いながらだったけれども
「織田が搗き 羽柴が捏ねし 天下餅 座したままに 食らう徳川」
実際にはどちらも皆、それ相応のリスクと代償を支払いながらだったけれども
>>640
日本書紀も藤原不比等(と、持統天皇)に都合がいいように書かれた、なんて一部で言われてるしねぇ。
斎部広成が、「中臣家は古来からの神道を自分らの都合のいいように変えやがって(※意訳)」って言ってるから、相当あちこちに手を広げてただろうね。
先代旧事本紀は物部系らしいけど、蘇我が悪く書かれていないことから、物部と蘇我の関係は良好だったと考える向きもある。
日本書紀も藤原不比等(と、持統天皇)に都合がいいように書かれた、なんて一部で言われてるしねぇ。
斎部広成が、「中臣家は古来からの神道を自分らの都合のいいように変えやがって(※意訳)」って言ってるから、相当あちこちに手を広げてただろうね。
先代旧事本紀は物部系らしいけど、蘇我が悪く書かれていないことから、物部と蘇我の関係は良好だったと考える向きもある。
元来『モノ』って言葉が『鬼』や『神』を指す言葉であり、これら『モノ』の祭祀を司る一族が物部と言うのもあるな。
そして、『神』と『鬼』を分けたのが中臣氏で、斎部広成が怒ったのはこれが原因とも言われてる。
ただ、勇儀や萃香はその『分けられた後の存在』だから、神と同一ではないかもね。
尤も、二人の元ネタ共々、霊力の強い存在としての『童子』という言葉がついてるあたり、まだ人々の意思からは完全に『神』と『鬼』が分かたれていなかったのかもしれない。
そして、『神』と『鬼』を分けたのが中臣氏で、斎部広成が怒ったのはこれが原因とも言われてる。
ただ、勇儀や萃香はその『分けられた後の存在』だから、神と同一ではないかもね。
尤も、二人の元ネタ共々、霊力の強い存在としての『童子』という言葉がついてるあたり、まだ人々の意思からは完全に『神』と『鬼』が分かたれていなかったのかもしれない。
不比等さんもすっかりここの常連さんだな
◆ 其の二十五(スレ25)>>296–300
なんかの本でみたんだが蘇我氏て渡来人の家系ではないらしいな
神霊廟発売後
俺「新キャラは聖徳太子かー。古代史苦手やけど古本屋漁って調べて見るか」
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
俺「何やコイツ…」
まぁ、面白かったからいいけど。(参考になったとは言ってない)
俺「新キャラは聖徳太子かー。古代史苦手やけど古本屋漁って調べて見るか」
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
著:関裕二
俺「何やコイツ…」
まぁ、面白かったからいいけど。(参考になったとは言ってない)
不比等による記録改竄というキーワードは
俺設定の古代史を語る上でこの上なく便利なものだと思った
俺設定の古代史を語る上でこの上なく便利なものだと思った
日本の古代史は
記紀神話からの同一人物推定をはじめ
研究や学説とはいえないレベルの妄想が多々存在するカオスワールドだからなあ…
聖徳太子イコール蘇我入鹿とか蘇我入鹿イコール天皇なんて珍説もあるし
(それもどっちかは関裕二だった気がするが)
関裕二の場合は、真偽はともかくとしてもっともらしいストーリーを並べることで
流れをつくってのみこみやすくする効果はあるので
日本古代史のキーワードをまだよく知らないビギナーが
重要単語や問題点、通史だけだとわかりづらい神社関連や海人等の部族関連などの視点など
「パーツ」を俯瞰するには便利かも
「パーツ」は手に入るけど「組み立て方」はトンデモなところがあるから
とっかかりとしては適してるが鵜呑みにすると恥ずかしい思いをする
記紀神話からの同一人物推定をはじめ
研究や学説とはいえないレベルの妄想が多々存在するカオスワールドだからなあ…
聖徳太子イコール蘇我入鹿とか蘇我入鹿イコール天皇なんて珍説もあるし
(それもどっちかは関裕二だった気がするが)
関裕二の場合は、真偽はともかくとしてもっともらしいストーリーを並べることで
流れをつくってのみこみやすくする効果はあるので
日本古代史のキーワードをまだよく知らないビギナーが
重要単語や問題点、通史だけだとわかりづらい神社関連や海人等の部族関連などの視点など
「パーツ」を俯瞰するには便利かも
「パーツ」は手に入るけど「組み立て方」はトンデモなところがあるから
とっかかりとしては適してるが鵜呑みにすると恥ずかしい思いをする
記紀が書かれた時点で銅鐸とか完全に幻想入りしてたようだし、記紀と同時代の書物も
全く幻想入りしてしまったし、まあ古代史はカオスになるわな
全く幻想入りしてしまったし、まあ古代史はカオスになるわな
◆ 其の参(スレ3)>>9–22
地元に伊豆那比売という土着の姫神様がいたから
字面や音が似てるなあと思った。
儚月抄読んでないからよく分からんけど。
字面や音が似てるなあと思った。
儚月抄読んでないからよく分からんけど。
伊豆能売は儚月抄で予想してるやついたけど、
「穢れを払う」「巫女の」神様だから呼ばれたんだろうな。
「穢れを払う」「巫女の」神様だから呼ばれたんだろうな。
伊豆能売の話でふと思ったのだが、
記紀には、(現在は)信仰の実態がない神というのがかなり多いよな。
それって、一体なぜなのだろうか。
そういう信仰の実態がない神は、真の意味で"神"であるのだろうか。
記紀が一から創造したとも思えないし……
かつては記紀神の孰れも信仰されたということか?
記紀には、(現在は)信仰の実態がない神というのがかなり多いよな。
それって、一体なぜなのだろうか。
そういう信仰の実態がない神は、真の意味で"神"であるのだろうか。
記紀が一から創造したとも思えないし……
かつては記紀神の孰れも信仰されたということか?
記紀二登場して、いまだにそれが文書としてしたしまれているなら、信仰とおなじようなものであると思うんだけどどうだろう?
記紀の考察は荒れるし、しかもたぶん有意義な結論なんて出ないよ。
記紀神話の研究に関する書籍は結構沢山出てるから
本屋か地域の図書館でまず読んでみることお勧め。
ただ記紀が日本の原神話を忠実に伝えてるなんて信じてる人は
権威ある研究者から末端のアマチュアに至るまでまずいないw
記紀神話の研究に関する書籍は結構沢山出てるから
本屋か地域の図書館でまず読んでみることお勧め。
ただ記紀が日本の原神話を忠実に伝えてるなんて信じてる人は
権威ある研究者から末端のアマチュアに至るまでまずいないw
>>11
名前が変わったか失伝したかじゃないかなぁ
信仰の主体が土地にあったりする神様は
名前が変わってもあんまり困らないんだよな
土着信仰から○○権現、○○明神になったり
なに、明治になって失伝した?
軽く文化☆大革命ですよねー
名前が変わったか失伝したかじゃないかなぁ
信仰の主体が土地にあったりする神様は
名前が変わってもあんまり困らないんだよな
土着信仰から○○権現、○○明神になったり
なに、明治になって失伝した?
軽く文化☆大革命ですよねー
明治は神社合祀やら神仏分離やら祭神変更をやらかしたせいで色々と失伝したり
風俗が変わったり南方熊楠の奮闘も虚しく鎮守の森が大量に消えたりしたからねえ・・・
風俗が変わったり南方熊楠の奮闘も虚しく鎮守の森が大量に消えたりしたからねえ・・・
◆ 其の六(スレ6)>>149–161
日本書記のスクナビコナは大国主が掌でもてあそんでたら跳ねてほっぺたに噛みついたそうな。名前を答えなかったのはへそをまげていたのかも。思兼の兄弟にあたるから、永琳と何か関係があるかもしれない。 日本書記を読んで意外だったのがニニギの扱いだな。天皇の先祖だというのに格好がよいとはいえない伝承を載せた理由がわからない。
>>149
ニニギの神話的役割は「アマテラスの命で葦原中津国に下った」事と
「国津神の代表格たるオオヤマツミの娘を妻にして子供を産ませた」事に尽きるからなぁ。
天皇家からしてみれば、天皇家の始祖はあくまでも神武天皇であって、
ニニギは天津神のトップたる天照大御神と神武を繋ぐリリーフに過ぎないんだと思う。
『古事記』『日本書紀』共に登場人物の美化が始まるのは神武天皇以降だが、
それは天皇家にとって記紀神話が、自分たちの系譜がアマテラスから始まることを
証明するための、言わば「家系図の解説」以上のものではなかったせいだと思う。
要はアマテラスと神武の血が繋がってさえいれば天皇家的には十分なわけで。
ちなみに、ニニギの兄(日本書紀一書では父)とされるアメノホアカリ(天火明命)だが、
その名から分かるように元々は太陽神だったと考えられるのね。
つまり、アメノホアカリやその血縁であるニニギは、本来は大和政権の神ではなく
別の氏族の神話に出てくる別系統の神だった可能性がある。アメノホアカリの末裔には
尾張氏や海部氏がいるけど、これらの氏族は実は大海人皇子(天武天皇)の支援者でもあり、
記紀の編纂が始まったのが天武・持統の時代である事を考慮するととても興味深いと思う。
ニニギの神話的役割は「アマテラスの命で葦原中津国に下った」事と
「国津神の代表格たるオオヤマツミの娘を妻にして子供を産ませた」事に尽きるからなぁ。
天皇家からしてみれば、天皇家の始祖はあくまでも神武天皇であって、
ニニギは天津神のトップたる天照大御神と神武を繋ぐリリーフに過ぎないんだと思う。
『古事記』『日本書紀』共に登場人物の美化が始まるのは神武天皇以降だが、
それは天皇家にとって記紀神話が、自分たちの系譜がアマテラスから始まることを
証明するための、言わば「家系図の解説」以上のものではなかったせいだと思う。
要はアマテラスと神武の血が繋がってさえいれば天皇家的には十分なわけで。
ちなみに、ニニギの兄(日本書紀一書では父)とされるアメノホアカリ(天火明命)だが、
その名から分かるように元々は太陽神だったと考えられるのね。
つまり、アメノホアカリやその血縁であるニニギは、本来は大和政権の神ではなく
別の氏族の神話に出てくる別系統の神だった可能性がある。アメノホアカリの末裔には
尾張氏や海部氏がいるけど、これらの氏族は実は大海人皇子(天武天皇)の支援者でもあり、
記紀の編纂が始まったのが天武・持統の時代である事を考慮するととても興味深いと思う。
>>149
それは恐らく
神武天皇を偉くしなければいけなかったのではないかな。
古事記の目的はそういうことだし。
時代的には女性天皇の正当性をなんとか作らなければいけなかっただろうし
元々天照大神男神だったっぽいし
そのために伊邪那美命、伊邪那岐命はとっとと穢れて退場してもらうし
三貴子のうち天照大神以外は目立たないし
天照大神も一回隠れてしまうしね
ゼウスと逆だよな~とか
あれは自分の神はゼウス直系である理論のためのエロ親父だし
とかかいてて思い出したけど
猿田毘古神どうしてあんなに詳しい容姿なんでしょうね
それは恐らく
神武天皇を偉くしなければいけなかったのではないかな。
古事記の目的はそういうことだし。
時代的には女性天皇の正当性をなんとか作らなければいけなかっただろうし
元々天照大神男神だったっぽいし
そのために伊邪那美命、伊邪那岐命はとっとと穢れて退場してもらうし
三貴子のうち天照大神以外は目立たないし
天照大神も一回隠れてしまうしね
ゼウスと逆だよな~とか
あれは自分の神はゼウス直系である理論のためのエロ親父だし
とかかいてて思い出したけど
猿田毘古神どうしてあんなに詳しい容姿なんでしょうね
◆ 其の二十(スレ20)>>472–486
前々から古事記の編纂者の一人の稗田阿礼=藤原不比等の説に違和感があった
古事記の記述に藤原氏に都合のいい記述があるというの言い分にも違和感ある
そもそも権力中枢の不比等は正史の日本書紀の編纂に介入できる立場にあるだろう
わざわざ古事記をあえて編纂する必要もない
そう思ってたら最近、「天智と天武」という連載漫画で藤原(中臣)鎌足=豊璋(百済王子)を知った
この前提だと出自を隠さず高位で大和朝廷に使えた百済等からの帰化人が多い中
なぜ鎌足は出自を隠さないといけなかったのかとの疑問はあるが個人的に衝撃的な説だった
個人的には日本書紀こそ藤原氏に都合のいい編纂がなされている認識になりつつある
特に推古天皇から大化の改新の前後が怪しい
隋書に日本の天皇が女性天皇である記述ないしな
古事記の記述に藤原氏に都合のいい記述があるというの言い分にも違和感ある
そもそも権力中枢の不比等は正史の日本書紀の編纂に介入できる立場にあるだろう
わざわざ古事記をあえて編纂する必要もない
そう思ってたら最近、「天智と天武」という連載漫画で藤原(中臣)鎌足=豊璋(百済王子)を知った
この前提だと出自を隠さず高位で大和朝廷に使えた百済等からの帰化人が多い中
なぜ鎌足は出自を隠さないといけなかったのかとの疑問はあるが個人的に衝撃的な説だった
個人的には日本書紀こそ藤原氏に都合のいい編纂がなされている認識になりつつある
特に推古天皇から大化の改新の前後が怪しい
隋書に日本の天皇が女性天皇である記述ないしな
不比等という人物がいまいち良く分からないからなぁ
日本史上、大変な功績を遺したし、私的には「今に続く日本を創った人物」だと思うのだが、
父の鎌足以上に足跡を遺していない
不思議な人物だと思うよ
日本史上、大変な功績を遺したし、私的には「今に続く日本を創った人物」だと思うのだが、
父の鎌足以上に足跡を遺していない
不思議な人物だと思うよ
稗田阿礼=藤原不比等説は梅原猛が言い出した妄想の類だから無視していいレベル
ついでに、古事記の成立年代や編纂の背景についても、最近ではその唯一の根拠である古事記序文に疑問が呈されていて
序文通りに「天武天皇の命令で稗田阿礼が暗誦した帝紀旧辞を太安万侶が筆写した」とする従来説は見直されつつある
そもそも本来別個の書物である『古事記』と『日本書紀』を同列に並べて「記紀神話」として捉える見方自体が
本居宣長以来の江戸後期~明治期の国学→国家神道のラインから出てきたものだから、これも見直しが始まってる状況
ついでに、古事記の成立年代や編纂の背景についても、最近ではその唯一の根拠である古事記序文に疑問が呈されていて
序文通りに「天武天皇の命令で稗田阿礼が暗誦した帝紀旧辞を太安万侶が筆写した」とする従来説は見直されつつある
そもそも本来別個の書物である『古事記』と『日本書紀』を同列に並べて「記紀神話」として捉える見方自体が
本居宣長以来の江戸後期~明治期の国学→国家神道のラインから出てきたものだから、これも見直しが始まってる状況
>>472
自レスだが最後の行でおかしなこと書いてしまった
古事記記載の最後の天皇に推古天皇が女帝として載っているんだから
日本書記独自の編纂にはならなかった
推古天皇のことはとりあえず保留にしたい
それを踏まえた上で天武天皇がこっそりと「本当の歴史」として古事記編纂を命じたのは実態に近いなと思った
秘密裏に行われたのだから正史にも残らなかったのだろう
天武天皇にとっても堂々とはできない血脈の事情があったのかも
後に天武の血統が途絶え天智の血統に戻ったのは偶然ではないかもしれない
自レスだが最後の行でおかしなこと書いてしまった
古事記記載の最後の天皇に推古天皇が女帝として載っているんだから
日本書記独自の編纂にはならなかった
推古天皇のことはとりあえず保留にしたい
それを踏まえた上で天武天皇がこっそりと「本当の歴史」として古事記編纂を命じたのは実態に近いなと思った
秘密裏に行われたのだから正史にも残らなかったのだろう
天武天皇にとっても堂々とはできない血脈の事情があったのかも
後に天武の血統が途絶え天智の血統に戻ったのは偶然ではないかもしれない
474追記
俺自身としては、古事記そのものは上代特殊仮名遣の存在等から7世紀末以前に編纂された書物である事は間違いないと思う
ただ序文については、812年頃に太安万侶の一族と称する多人長によって捏造・追加された"偽書"の可能性が高い
というか、あの序文はよく読むとおかしな部分が多すぎる。序文のくせに上奏文の体裁取ってるのも不自然だし、
なにより「上古の時、言意並に朴として文に敷き句を構ふること、字に於て乃ち難し」の部分は、近年の木簡史料の出土状況から
既に6世紀後半(古事記編纂の100年前頃)には万葉仮名による日本語表記が成立していた事を踏まえると、
712年当時の言語状況とは隔絶の感がある。むしろ、そういった実態を知らない後世の人間が"昔"を想像して書いた疑いが濃厚に思える
俺自身としては、古事記そのものは上代特殊仮名遣の存在等から7世紀末以前に編纂された書物である事は間違いないと思う
ただ序文については、812年頃に太安万侶の一族と称する多人長によって捏造・追加された"偽書"の可能性が高い
というか、あの序文はよく読むとおかしな部分が多すぎる。序文のくせに上奏文の体裁取ってるのも不自然だし、
なにより「上古の時、言意並に朴として文に敷き句を構ふること、字に於て乃ち難し」の部分は、近年の木簡史料の出土状況から
既に6世紀後半(古事記編纂の100年前頃)には万葉仮名による日本語表記が成立していた事を踏まえると、
712年当時の言語状況とは隔絶の感がある。むしろ、そういった実態を知らない後世の人間が"昔"を想像して書いた疑いが濃厚に思える
……あ、そう。
古事記には日本書紀に一書曰くとして引用されている異伝のひとつとよく似た記述があり
紀の編纂に際して参照された文献との関係がありそうには思える
中巻以降にも興味深い伝承が記載されてはいるのだが、豪族たちに関する記述が少ないので
通読すると皇子たちが皇位争いや個人的な感情で憎みあい殺しあっているような印象になってしまう
天皇を中心に据えた記述を心がけた結果なのだろうし読みやすくて面白いのは確かなのだけど
正史以上に持ち上げるのは単なる趣味嗜好の問題だと思う
紀の編纂に際して参照された文献との関係がありそうには思える
中巻以降にも興味深い伝承が記載されてはいるのだが、豪族たちに関する記述が少ないので
通読すると皇子たちが皇位争いや個人的な感情で憎みあい殺しあっているような印象になってしまう
天皇を中心に据えた記述を心がけた結果なのだろうし読みやすくて面白いのは確かなのだけど
正史以上に持ち上げるのは単なる趣味嗜好の問題だと思う
古事記は言ってみれば「縁起物語」だからな
信貴山や白蓮さんと同じ
ちょっと逸れるけれど、博覧会で何かひっかかるものがあったが、やっと思い出した
明朝の宋応星が著した「天工開物」だ
東洋に於ける産業技術書のはしりみたいなもので、
宋応星は「科挙官僚がもっと民間の技術に知悉しないと国は盛んにならない」と、
意気込んで作ったそうだが、
明の官僚たちは下々の技術なんてものには冷淡で、まるで売れなかったという
しかし、日本では名著として盛んに輸入され、貴重なマニュアルとしてもてはやされたそうだ
やはりウチの国はry
信貴山や白蓮さんと同じ
ちょっと逸れるけれど、博覧会で何かひっかかるものがあったが、やっと思い出した
明朝の宋応星が著した「天工開物」だ
東洋に於ける産業技術書のはしりみたいなもので、
宋応星は「科挙官僚がもっと民間の技術に知悉しないと国は盛んにならない」と、
意気込んで作ったそうだが、
明の官僚たちは下々の技術なんてものには冷淡で、まるで売れなかったという
しかし、日本では名著として盛んに輸入され、貴重なマニュアルとしてもてはやされたそうだ
やはりウチの国はry
古事記は国内向け、日本書紀は大陸への国外向けに編纂されたものと
何かの本で見た時は納得したな、それで合ってるかはわからんけど
何かの本で見た時は納得したな、それで合ってるかはわからんけど
◆ 其の十一(スレ11)>>572–574
玉依姫って結構雑多な神だから同じ玉依姫という名前でも同じ神様じゃないこと多いってどっかで読んだ気がしたけどどこだっけ
ギリシャ神話のエレクトラみたいなもので、日本神話には玉依姫が沢山出てきます
◆ 其の五(スレ5)>>454–472
皇室って綿月の血をひいているのに、儚月では全くネタにあがってないよな……やっぱり無理かネタにするの、皇室に絡んだネタで殺人事件あったからか
ミシャグジ様余裕で出したzunが今更躊躇するだろうかとも思うが
直接作品の表に出すには色々と難しいネタだろうね。
皇室といえば、それ以前に東方世界において古事記はどういった認識をされているのか。
あくまで古事記は当時の朝廷が自分達の支配を正当化する目的のために編纂された書物であって
東方に登場する神々は、その編纂される前から各地に存在した本来の日本神話の神様であるので
皇室とは関係無いってスタンスなのか
それとも幻想郷においては古事記の記述が限りなく正史という扱いなのか。
つか制作に関わった本人が幻想郷に居るけどね。
そこんとこどうなんだろ
直接作品の表に出すには色々と難しいネタだろうね。
皇室といえば、それ以前に東方世界において古事記はどういった認識をされているのか。
あくまで古事記は当時の朝廷が自分達の支配を正当化する目的のために編纂された書物であって
東方に登場する神々は、その編纂される前から各地に存在した本来の日本神話の神様であるので
皇室とは関係無いってスタンスなのか
それとも幻想郷においては古事記の記述が限りなく正史という扱いなのか。
つか制作に関わった本人が幻想郷に居るけどね。
そこんとこどうなんだろ
慧音のスペカといい皇祖の綿月といい
妹紅の藤原家といい天皇関係は他よりよっぽど優先的に描写されてんのに
これ以上だしても蛇足になるような気がする
妹紅の藤原家といい天皇関係は他よりよっぽど優先的に描写されてんのに
これ以上だしても蛇足になるような気がする
そういやニギハヤヒに随行した天津赤星って言う神がいるんだけど
この赤星って金星か火星かアンタレスかどれでもないか、何だろう。
この赤星って金星か火星かアンタレスかどれでもないか、何だろう。
>>466
宮内省のせいにすんなよ、ばかばかしい。
大天狗後白河、大魔縁崇徳、天狗にいぢめられた花山とか、
怨霊に怯える聖武・桓武・醍醐とか、
天皇家をネタにした小説・マンガは山ほどあるけど、
それらに対して宮内省が圧力をかけたなんて話、聞いたことねえぞ
459の言う通り、面白い話になんないから出してないだけだろ
宮内省のせいにすんなよ、ばかばかしい。
大天狗後白河、大魔縁崇徳、天狗にいぢめられた花山とか、
怨霊に怯える聖武・桓武・醍醐とか、
天皇家をネタにした小説・マンガは山ほどあるけど、
それらに対して宮内省が圧力をかけたなんて話、聞いたことねえぞ
459の言う通り、面白い話になんないから出してないだけだろ
>>452
昔、大学の(宗教学)研究室で誰かが言ったジョークに
『Q、なぜ、日本はアメリカやイギリスの友好国なのにイスラム系過激原理主義者のテロを受けないのか
A1、日本が非白人の非キリスト教国であるから
A2、日本がテロ支援国家の支援国家であるから
A3、日本が自分たち以上の狂信的宗教国家だと思われているから』
ってのがあったのを思い出したよ
三が日の明治神宮や成田山なんかの様子は、外国人に取ってみれば異様な光景のようだね
ウイルソンがキリスト教会の郵便局化、なんてことを言ったのは考えて見れば30年前の英国のことだし
日本人が他の先進国と比べて特に信仰心が薄いなんてことは無いと自分も思いますよ
日本人の場合、特定の教団や教義によってその信仰心が現れないだけで
昔、大学の(宗教学)研究室で誰かが言ったジョークに
『Q、なぜ、日本はアメリカやイギリスの友好国なのにイスラム系過激原理主義者のテロを受けないのか
A1、日本が非白人の非キリスト教国であるから
A2、日本がテロ支援国家の支援国家であるから
A3、日本が自分たち以上の狂信的宗教国家だと思われているから』
ってのがあったのを思い出したよ
三が日の明治神宮や成田山なんかの様子は、外国人に取ってみれば異様な光景のようだね
ウイルソンがキリスト教会の郵便局化、なんてことを言ったのは考えて見れば30年前の英国のことだし
日本人が他の先進国と比べて特に信仰心が薄いなんてことは無いと自分も思いますよ
日本人の場合、特定の教団や教義によってその信仰心が現れないだけで