紫スレ
421 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 18:24:11
>いずれ幻想郷にもダークマターやゼロのような邪悪な存在が来るのだろうか。
仏教的習俗を憎むあまり第六天魔王と化した神霊ATUTANE
日本国より異端を完全に抹消するため
ついに信奉者を率いて幻想郷へ降臨(ry
平田篤胤の国学思想(幽界論・民俗学への影響)
神道・神社信仰 › 神道論
比較宗教・哲学 › 比較神話学
平田篤胤の多方面学問(鎖国中の聖書分析・仏道大意・易学)と「電波的側面」の分離。幽界=現世遍在論(大国主が主宰する幽界は遠くにあるのでなく今ここにある)。出雲教学の創始と神道系新宗教への多大な影響。日本民俗学の先駆としての再評価。師・本居宣長の死後入門の「夢でのお告げ」と電波扱いの問題。国家神道の思想的背景としての批判と、それに留まらない学術的貢献。
◆ 其の五(スレ5)>>262–265
>>262
気吹屋先生はイメージされるほど仏教や外来文化を嫌ってなかったみたいけどね。
若い頃は『仏道大意』とか書いたり、あの時代に極秘入手した聖書の分析やってみたり、
晩年には易学にも凝ってみたりとホント色々やってる人だから。
昔に篤胤の著書目録なんてものを作ってみたが、手を付けてないジャンルあるのかってぐらいカオスだった。
電波とか何とか言われてるけど、あれだけ多種多様な学問を修めた人って日本史上に居ないんじゃないか?
どちらかと言うと、その師匠筋の鈴屋先生とか真淵先生の方がよっぽど過激だったりする。
詳しい経緯は忘れたけど、篤胤は宣長門下から一度破門されてるんだよね。主に死後の世界の捉え方で。
気吹屋先生はイメージされるほど仏教や外来文化を嫌ってなかったみたいけどね。
若い頃は『仏道大意』とか書いたり、あの時代に極秘入手した聖書の分析やってみたり、
晩年には易学にも凝ってみたりとホント色々やってる人だから。
昔に篤胤の著書目録なんてものを作ってみたが、手を付けてないジャンルあるのかってぐらいカオスだった。
電波とか何とか言われてるけど、あれだけ多種多様な学問を修めた人って日本史上に居ないんじゃないか?
どちらかと言うと、その師匠筋の鈴屋先生とか真淵先生の方がよっぽど過激だったりする。
詳しい経緯は忘れたけど、篤胤は宣長門下から一度破門されてるんだよね。主に死後の世界の捉え方で。
>>263
「夢で死んだ鈴屋大人の魂にお会いして弟子入りを認められた」では電波扱いも仕方がないかなぁ、とか(笑)
とまあ冗談は置いておくとしても
大国主を幽界の主宰神とし、また幽界とは遠く離れた世界ではなく、現世に遍在するものだとした篤胤の死生観は
民俗学の進んだ今日では兎も角、当時としてはかなり進んだ思想ではなかったかと
いわゆる国家神道の思想的背景の一人として、今日では批判されることも多い方ですが
出雲教学を生み、神道系新宗教に与えた影響、また日本民俗学の祖としてもっと評価されても
良いのではないかなと思っています
「夢で死んだ鈴屋大人の魂にお会いして弟子入りを認められた」では電波扱いも仕方がないかなぁ、とか(笑)
とまあ冗談は置いておくとしても
大国主を幽界の主宰神とし、また幽界とは遠く離れた世界ではなく、現世に遍在するものだとした篤胤の死生観は
民俗学の進んだ今日では兎も角、当時としてはかなり進んだ思想ではなかったかと
いわゆる国家神道の思想的背景の一人として、今日では批判されることも多い方ですが
出雲教学を生み、神道系新宗教に与えた影響、また日本民俗学の祖としてもっと評価されても
良いのではないかなと思っています
篤胤は神道以外の宗教を嫌っていたというわけではなく、
全ての宗教の基本に神道(かむながらの道)があり、
それゆえ神道が伝わる日本が最も優れた神国だと考えていたんじゃないかな。
アダムとイブはイザナギとイザナミが誤って西洋に伝わったものだとか
外国の神は全て大国主とスクナヒコナのことだとか言っちゃうし。
そういう、考えようによってはただ外来宗教を嫌うよりいやらしい、
神道至上主義的思想が国家神道に影響を与えたのは確実だろう。
しかし鎖国中になんでそんな発想ができたのか謎だ……
いざ対外戦争をしようという気運になっているときや、眼前に外国が脅威として存在しているときならわかるが、
比較的平和な江戸期に、わざわざ聖書を入手したりまでして外国の思想を研究し、
日本文化の優位性を主張するという執念じみたものは一体どこから出ているんだろう。
全ての宗教の基本に神道(かむながらの道)があり、
それゆえ神道が伝わる日本が最も優れた神国だと考えていたんじゃないかな。
アダムとイブはイザナギとイザナミが誤って西洋に伝わったものだとか
外国の神は全て大国主とスクナヒコナのことだとか言っちゃうし。
そういう、考えようによってはただ外来宗教を嫌うよりいやらしい、
神道至上主義的思想が国家神道に影響を与えたのは確実だろう。
しかし鎖国中になんでそんな発想ができたのか謎だ……
いざ対外戦争をしようという気運になっているときや、眼前に外国が脅威として存在しているときならわかるが、
比較的平和な江戸期に、わざわざ聖書を入手したりまでして外国の思想を研究し、
日本文化の優位性を主張するという執念じみたものは一体どこから出ているんだろう。