日本書紀に書かれてないんだから、
過去の歴史より古事記と日本書紀の作られた事情にどちらかといえばキーがあるんじゃない
>>572
咲夜は関係ありそうだったけど、儚月抄でコノハナサクヤヒメもイワナガヒメも登場しちゃったからねえ
名前の一致がどれだけの意味があるのかわからなくなってしまった
石上神宮・物部氏・古代史考察
日本神話・記紀 › 歴史的背景
石上神宮(物部氏の武器庫)が古代朝廷で重要視された理由。藤原不比等と石上麻呂の対立関係。大和国造・多氏と大神神社・太安万侶による古事記編纂の繋がり。日本書紀が稲荷(藤原氏の守護)を重用した政治的背景。
◆ 其の参(スレ3)>>575–590
>>574
およそ藤原氏がそのまま中臣氏の後継と考えられがちだけど実は違う。
藤原鎌足死後、中臣=藤原氏を継承したのは中臣金(なかとみのかね)。
彼は鎌足の従兄弟にあたる人物だけど、天智天皇と大友皇子に重用されている。
で、壬申の乱で大友皇子側について敗北。処刑。
これに際して中臣氏も大半が壬申の乱で没落したと考えられる。
そもそも、壬申の乱自体が旧豪族vs天皇側近みたいな様相を呈していたから、
旧豪族である中臣氏も当然大友皇子側だった。
ちなみに、蘇我氏没落最大の原因も壬申の乱。
乙巳の変はトップが消されただけで、以後も蘇我氏はそれなりの勢力を保っていたから。
そこで、没落した中から不比等は才で這い上がってきて藤原氏総帥となり、
その結果として鎌足─不比等の子孫しか藤原氏が名乗れなくなった。
こういう経緯があるから、藤原氏は実質的に不比等によって作られた氏族と言うことができる。
中臣と藤原を連続した存在と捉えることはできないのではないかと思っている。
あくまで壬申の乱前後で断絶があると考えるべきではないかなぁ。
古代史は思想によって変化してしまうから難しい……
およそ藤原氏がそのまま中臣氏の後継と考えられがちだけど実は違う。
藤原鎌足死後、中臣=藤原氏を継承したのは中臣金(なかとみのかね)。
彼は鎌足の従兄弟にあたる人物だけど、天智天皇と大友皇子に重用されている。
で、壬申の乱で大友皇子側について敗北。処刑。
これに際して中臣氏も大半が壬申の乱で没落したと考えられる。
そもそも、壬申の乱自体が旧豪族vs天皇側近みたいな様相を呈していたから、
旧豪族である中臣氏も当然大友皇子側だった。
ちなみに、蘇我氏没落最大の原因も壬申の乱。
乙巳の変はトップが消されただけで、以後も蘇我氏はそれなりの勢力を保っていたから。
そこで、没落した中から不比等は才で這い上がってきて藤原氏総帥となり、
その結果として鎌足─不比等の子孫しか藤原氏が名乗れなくなった。
こういう経緯があるから、藤原氏は実質的に不比等によって作られた氏族と言うことができる。
中臣と藤原を連続した存在と捉えることはできないのではないかと思っている。
あくまで壬申の乱前後で断絶があると考えるべきではないかなぁ。
古代史は思想によって変化してしまうから難しい……
>>576
古代史はとにかく史料が少ないからねぇ。
主なところは日本書紀以下の六国史、古事記、風土記、古語拾遺、先代旧事本紀、万葉集、懐風藻くらいか。
最近は木簡なんかもだいぶ数は出てるけど、整理分析はまだまだ遅れてるし。畿内でそんな感じだから、まして東国の諏訪は……
あとは民俗学と考古学の成果に賭けるしかないけど、こっちはこっちで裏付けがねぇ……
古代史はとにかく史料が少ないからねぇ。
主なところは日本書紀以下の六国史、古事記、風土記、古語拾遺、先代旧事本紀、万葉集、懐風藻くらいか。
最近は木簡なんかもだいぶ数は出てるけど、整理分析はまだまだ遅れてるし。畿内でそんな感じだから、まして東国の諏訪は……
あとは民俗学と考古学の成果に賭けるしかないけど、こっちはこっちで裏付けがねぇ……
>>576
いや、実はつい先日その資料は読んだんだ。
ただ、前半部分はおぼろげだったので勉強になった。ありがとう。
神社といえば
石上神宮と鹿島神宮、香取神宮の勢力が無視できないが
何故不比等の日本書紀において、石上神宮こそが重く扱われたのか
というのもちょっと気になっている。
いや、実はつい先日その資料は読んだんだ。
ただ、前半部分はおぼろげだったので勉強になった。ありがとう。
神社といえば
石上神宮と鹿島神宮、香取神宮の勢力が無視できないが
何故不比等の日本書紀において、石上神宮こそが重く扱われたのか
というのもちょっと気になっている。
いやいや、あくまで私の歴史観の入ったものだから、詳しくは様々な史料で調べてくれ。
私なりの歴史観が全て通用するかどうかもわからないから。ここは一次史料を全く当たってないので、推測混じってるし。
で、石上神宮の重用された理由だけど、これは石上麻呂の存在が大きいのではないかな?
石上神宮といえば物部氏の神社として有名だけど、物部氏本宗家は蘇我氏によって誅殺された。
でも分家が生き残っていて、その子孫が麻呂。彼は近江朝側に居ながら異例の出世を遂げている。
なにせ不比等より上の位に居る。
そういうわけで、麻呂と関係の深い石上神宮も重用されるようになったのだろう。
さらにいうと、元来物部氏と中臣氏はともに斥仏派として蘇我氏と共闘していた過去もある。
共に連(むらじ)の家でもあるし、関係は深かったのではないだろうか?
麻呂は不比等と一緒に、輝夜に求婚に行っているしね。
私なりの歴史観が全て通用するかどうかもわからないから。ここは一次史料を全く当たってないので、推測混じってるし。
で、石上神宮の重用された理由だけど、これは石上麻呂の存在が大きいのではないかな?
石上神宮といえば物部氏の神社として有名だけど、物部氏本宗家は蘇我氏によって誅殺された。
でも分家が生き残っていて、その子孫が麻呂。彼は近江朝側に居ながら異例の出世を遂げている。
なにせ不比等より上の位に居る。
そういうわけで、麻呂と関係の深い石上神宮も重用されるようになったのだろう。
さらにいうと、元来物部氏と中臣氏はともに斥仏派として蘇我氏と共闘していた過去もある。
共に連(むらじ)の家でもあるし、関係は深かったのではないだろうか?
麻呂は不比等と一緒に、輝夜に求婚に行っているしね。
歴史学的にいうならば、応神朝~雄略朝期ではなかろうか >諏訪大戦
古事記・日本書紀によれば、この時期に豪族の討伐が行われている。
また、倭五王の武(=雄略?)の宋への書簡に各地を討伐を行ったとある。
さらに言うと、埼玉県稲荷山古墳・熊本県江田船山古墳の「ワカタケル」銘武具出土から、ヤマト王権の拡大が考古学的にもわかる。
以上の事から、この時期にヤマト王権が各地の豪族を制圧、傘下に収めていったということが考えられている。
諏訪の攻略もこの時期に行われたのではないだろうか?
傘下に収めながらも地方の統治はあくまで豪族にゆだねられ、余りヤマトが介入できなかったと推測されることも、
諏訪子と神奈子の関係と丁度マッチしているような気もするし。
上社に私も行ったよ。良い所だし東方的には聖地なのかもしれないけれど、やっぱり諏訪大明神は諏訪大明神。
いくらモチーフであるとはいえ、あれだけの痛絵馬はちょっといかがなものか、と思ったり。
割と神様を信じているだけに。
余談申し訳ない。
古事記・日本書紀によれば、この時期に豪族の討伐が行われている。
また、倭五王の武(=雄略?)の宋への書簡に各地を討伐を行ったとある。
さらに言うと、埼玉県稲荷山古墳・熊本県江田船山古墳の「ワカタケル」銘武具出土から、ヤマト王権の拡大が考古学的にもわかる。
以上の事から、この時期にヤマト王権が各地の豪族を制圧、傘下に収めていったということが考えられている。
諏訪の攻略もこの時期に行われたのではないだろうか?
傘下に収めながらも地方の統治はあくまで豪族にゆだねられ、余りヤマトが介入できなかったと推測されることも、
諏訪子と神奈子の関係と丁度マッチしているような気もするし。
上社に私も行ったよ。良い所だし東方的には聖地なのかもしれないけれど、やっぱり諏訪大明神は諏訪大明神。
いくらモチーフであるとはいえ、あれだけの痛絵馬はちょっといかがなものか、と思ったり。
割と神様を信じているだけに。
余談申し訳ない。
>>579
だがちょっと待ってほしい
後期の藤原不比等と石上麻呂の関係は良好とは言い難かったのではないかな
文武天皇の崩御で元明天皇が急遽即位したウラには不比等の存在を感じる。
元明といえば天皇系譜でも異例の皇后経験なしの女帝。
それを押し通したのには首皇子をどうしても天皇の地位に据えたい
という不比等の思惑があったんだろう。
(首皇子の母は不比等の娘。当然首皇子が即位すれば藤原家の影響力は鰻登り)
麻呂は反対派の一人だったが結局不比等のシナリオ通りに
藤原京から平城京に遷都するときも推進派だった不比等に対し、反対していたのは麻呂。
遷都後麻呂は藤原京の留守番役に(事実上の左遷)
立場上は左大臣だった麻呂が上位にいたがこの時すでに右大臣不比等が権限を掌握。
躍進を重ねる後輩に対して麻呂がいい感情を持ってたとは思えない。
だがちょっと待ってほしい
後期の藤原不比等と石上麻呂の関係は良好とは言い難かったのではないかな
文武天皇の崩御で元明天皇が急遽即位したウラには不比等の存在を感じる。
元明といえば天皇系譜でも異例の皇后経験なしの女帝。
それを押し通したのには首皇子をどうしても天皇の地位に据えたい
という不比等の思惑があったんだろう。
(首皇子の母は不比等の娘。当然首皇子が即位すれば藤原家の影響力は鰻登り)
麻呂は反対派の一人だったが結局不比等のシナリオ通りに
藤原京から平城京に遷都するときも推進派だった不比等に対し、反対していたのは麻呂。
遷都後麻呂は藤原京の留守番役に(事実上の左遷)
立場上は左大臣だった麻呂が上位にいたがこの時すでに右大臣不比等が権限を掌握。
躍進を重ねる後輩に対して麻呂がいい感情を持ってたとは思えない。
麻呂と不比等の関係については全くそちらが正しい。こちらの勉強不足でした。
その上で、710年ごろ編纂された諸史で石上神宮が優遇される理由にはやはり麻呂が欠かせないと考える。
朝廷内の権力は実質的に不比等によって握られていたとはいえ、麻呂は形式的にトップだった。
不比等がトップにたたなかったのはおそらく石上氏と麻呂の勢力の大きさを鑑みたからと考えられる。
とすれば、いくら不比等にとって麻呂がジャマとはいえ、彼の傘下で行われている歴史編纂において石上氏を全く放置するわけにはいかなかったのではないだろうか。
そういう勢力バランスの統制に長けた不比等が、仮にも朝廷総帥であり大きな力を持つ石上氏を歴史編纂で重用し、石上氏の不満反らしに使ったと考えることもできると思う。
詳しくは原史料を一言一句逐一読まなければ不比等の意図なんてわからないけれど。
その上で、710年ごろ編纂された諸史で石上神宮が優遇される理由にはやはり麻呂が欠かせないと考える。
朝廷内の権力は実質的に不比等によって握られていたとはいえ、麻呂は形式的にトップだった。
不比等がトップにたたなかったのはおそらく石上氏と麻呂の勢力の大きさを鑑みたからと考えられる。
とすれば、いくら不比等にとって麻呂がジャマとはいえ、彼の傘下で行われている歴史編纂において石上氏を全く放置するわけにはいかなかったのではないだろうか。
そういう勢力バランスの統制に長けた不比等が、仮にも朝廷総帥であり大きな力を持つ石上氏を歴史編纂で重用し、石上氏の不満反らしに使ったと考えることもできると思う。
詳しくは原史料を一言一句逐一読まなければ不比等の意図なんてわからないけれど。
石上重用の背景はその辺りにおさまるだろうね
また石上神宮といえば神剣神宝の管理が行われてきた云わば朝廷の武器庫
祭祀を担当していた物部氏が朝廷の軍事をも担当する程に重要な性質をもってたことからも
すでに石上神宮の存在感は相当大きかったということもあるのかも
また石上神宮といえば神剣神宝の管理が行われてきた云わば朝廷の武器庫
祭祀を担当していた物部氏が朝廷の軍事をも担当する程に重要な性質をもってたことからも
すでに石上神宮の存在感は相当大きかったということもあるのかも
建御名方神と御穂須須美神の関係を調べれば調べるほど頭がおかしくなって死ぬ。
まず御穂須須美神が男神か女神かはっきりしてくれと…。
まず御穂須須美神が男神か女神かはっきりしてくれと…。
石上神宮といえばフツノミタマってマジで現存してんのかな
◆ 其の二十三(スレ23)>>869–883
廃仏派とされてた物部氏が建立した寺院があったらしく、
蘇我氏と物部氏の対立は仏教の受容か排斥かの争いというより
仏教の主導権はどちらが握るかという争いだったんじゃないか
って説を最近見たんだけど(どこで見たか忘れちゃった)
そうなると布都ちゃんの存在が根本から揺らいでしまうことに…
まぁ元ネタの人物はいるが架空の存在だけど
蘇我氏と物部氏の対立は仏教の受容か排斥かの争いというより
仏教の主導権はどちらが握るかという争いだったんじゃないか
って説を最近見たんだけど(どこで見たか忘れちゃった)
そうなると布都ちゃんの存在が根本から揺らいでしまうことに…
まぁ元ネタの人物はいるが架空の存在だけど
「むしろそれ故に幻想の存在となったのだ」(ドヤァ
アマテラスは男神か女神かという話がたまにでるけど
多分男の天照(アマテル)と女の天照(アマテラス)大御神の両方がいたんだろうな
両方同じ漢字だし多分意図的に混同させようとした勢力がいたせいでややこしくなってる
豊受大御神にも男の豊受と女の豊受大御神がいるくらいだしな
天照神社で調べて一番上に出て来る神社、粒坐天照神社の主祭神を調べてみると
天照国照彦火明神、アメノホアカリ つまり男の方の天照はホアカリのことを言ってるんだろーなと
福岡の天照神社はニギハヤヒ(物部の祖神)を祀っているしこれも男神
元伊勢の籠神社でも主祭神は天照国照彦火明命で 天照大御神は相殿神にいるから
この二人の神は完全に別人なのよね
多分男の天照(アマテル)と女の天照(アマテラス)大御神の両方がいたんだろうな
両方同じ漢字だし多分意図的に混同させようとした勢力がいたせいでややこしくなってる
豊受大御神にも男の豊受と女の豊受大御神がいるくらいだしな
天照神社で調べて一番上に出て来る神社、粒坐天照神社の主祭神を調べてみると
天照国照彦火明神、アメノホアカリ つまり男の方の天照はホアカリのことを言ってるんだろーなと
福岡の天照神社はニギハヤヒ(物部の祖神)を祀っているしこれも男神
元伊勢の籠神社でも主祭神は天照国照彦火明命で 天照大御神は相殿神にいるから
この二人の神は完全に別人なのよね
男の豊受神は初耳だな
そういえば宇迦之御魂神や月読神は男女どちらかいまいちはっきりしないな
そういえば宇迦之御魂神や月読神は男女どちらかいまいちはっきりしないな
>>869
例えば、物部氏が建立した寺院は蘇我氏が仏罰を恐れて、
族滅させた物部氏の庶流を担ぎ上げただけの形式的な寺院である。
という異説をでっちあげてもすぐには否定できないのが古代史だからな〜
藤原不比等は歴史の改竄をしただろうけど、改竄された側も
正しい歴史を伝えようとしていたわけじゃないってことは常に頭に入れておかないとね
例えば、物部氏が建立した寺院は蘇我氏が仏罰を恐れて、
族滅させた物部氏の庶流を担ぎ上げただけの形式的な寺院である。
という異説をでっちあげてもすぐには否定できないのが古代史だからな〜
藤原不比等は歴史の改竄をしただろうけど、改竄された側も
正しい歴史を伝えようとしていたわけじゃないってことは常に頭に入れておかないとね
>>869
日本書紀に、物部尾興が「外国の神(仏)を拝むと、日本の神が怒ります」と天皇に奏上するくだりがある。これを信用するなら、それは無いと思うけどなあ…
廃仏派だった物部や中臣は、祖先が神であり、神事を司る面があった。仏教が国教的な扱いになれば、祖先が神であるという自分達の立場やそれを元にした影響力が低下し、自分達の職掌も脅かされる。それを恐れた、ってのが自然じゃないかと個人的には思う。
ただ東方の布都は仏教派を装ってた筈だから、物部仏教派説で考えても「根本から揺らぐ」って程でも無いと思うよ。
日本書紀に、物部尾興が「外国の神(仏)を拝むと、日本の神が怒ります」と天皇に奏上するくだりがある。これを信用するなら、それは無いと思うけどなあ…
廃仏派だった物部や中臣は、祖先が神であり、神事を司る面があった。仏教が国教的な扱いになれば、祖先が神であるという自分達の立場やそれを元にした影響力が低下し、自分達の職掌も脅かされる。それを恐れた、ってのが自然じゃないかと個人的には思う。
ただ東方の布都は仏教派を装ってた筈だから、物部仏教派説で考えても「根本から揺らぐ」って程でも無いと思うよ。
>>871
ギリシャ神話のクロノスなんかも農耕の神と時間の神とで別々に存在するな(綴りは違う)
東方とかでも八坂神社関係者として八坂神菜子とかいう似た名前なキャラが出てきても別におかしくないかも
逆にナンナは北欧神話とメソポタミア神話とで綴りも同じ同名がいたりするな(Nanna)
ちなみに北欧神話だと(フォルじゃない)セティという息子が、メソポタミア神話だと(死の女神じゃない)イシュタルという娘がいる
ギリシャ神話のクロノスなんかも農耕の神と時間の神とで別々に存在するな(綴りは違う)
東方とかでも八坂神社関係者として八坂神菜子とかいう似た名前なキャラが出てきても別におかしくないかも
逆にナンナは北欧神話とメソポタミア神話とで綴りも同じ同名がいたりするな(Nanna)
ちなみに北欧神話だと(フォルじゃない)セティという息子が、メソポタミア神話だと(死の女神じゃない)イシュタルという娘がいる
シンとかエアとかエンリルとかティアマトとかイシュタルとか、
メソポタミア神話は厨二心をくすぐられる
メソポタミア神話は厨二心をくすぐられる