タケミナカタが日本書紀の国譲りの段には登場していない所を見ると
本当は出雲の神ではなく古事記では何かしらの理由があって出雲の神という事にしていたって事なのだろうか
タケミナカタの出自(記紀の改変)
日本神話・記紀 › 国津神・天津神
神道・神社信仰 › 諏訪信仰
タケミナカタが日本書紀の国譲りに登場せず古事記のみに出ること(政治的排除の可能性)。名前の地名起源(三重県)から本来は出雲の神ではないという説。記紀成立時に為政者の意向で諏訪の神が出雲神として組み込まれた経緯。
◆ 其の弐(スレ2)>>856–869
格上げしてそれに勝った大和スゲー的な?
あとめんどいから出雲と諏訪ごっちゃにしとけー的な?
おいらは高校の時に網野さんの本を読んで衝撃を受けて
今は日本文化を専攻してます。
専門は思想史?寺子屋とか神仏とか兵法とかグダグダ勉強してる。
つまり武士スキー
妖夢可愛いよ妖夢ハァハァ(´Д`)
あとめんどいから出雲と諏訪ごっちゃにしとけー的な?
おいらは高校の時に網野さんの本を読んで衝撃を受けて
今は日本文化を専攻してます。
専門は思想史?寺子屋とか神仏とか兵法とかグダグダ勉強してる。
つまり武士スキー
妖夢可愛いよ妖夢ハァハァ(´Д`)
◆ 其の弐(スレ2)>>937–955
神話さっぱりな俺に分かりやすく教えてほしい
鹿島の土着神だったタケミカヅチさんが天津神サイドの大物として国譲りに登場するのは
それを氏神とする藤原氏の権力が強くなったから、
出雲が最終平定地なのは出雲地方の征服をもって、一応の朝廷?による日本支配が完了したから、
みたいな話を聞いたんだが……
じゃあタケミナカタさんはどうなの?
なんか諏訪一帯は朝廷の完全な支配下にはなかなか入らなくて国司の言うことも無視してたって聞いたんだけど……
「なかなか言うこと聞かないけど、それは神代にもう諏訪から出ないと誓いが立てられているから無問題なんですよ、ええ」ってこと?
鹿島の土着神だったタケミカヅチさんが天津神サイドの大物として国譲りに登場するのは
それを氏神とする藤原氏の権力が強くなったから、
出雲が最終平定地なのは出雲地方の征服をもって、一応の朝廷?による日本支配が完了したから、
みたいな話を聞いたんだが……
じゃあタケミナカタさんはどうなの?
なんか諏訪一帯は朝廷の完全な支配下にはなかなか入らなくて国司の言うことも無視してたって聞いたんだけど……
「なかなか言うこと聞かないけど、それは神代にもう諏訪から出ないと誓いが立てられているから無問題なんですよ、ええ」ってこと?
>>893
なぜ、建御名方なのかはわからないが、諏訪神の名前にうってつけだったんだろう。
ちなみに、建御名方という名前自体は三重県にそういう名前があったとか。
もう一人の八坂刀売も、諏訪では南の海から来た外来神ってことになってる。綿津見一族説があるぐらいだ。
あと、同名が天皇家にいるんだよな。それも、東国に遠征してる。
やっぱり、諏訪を侵略したリーダーが神話体型に組み込まれたのかねえ
なぜ、建御名方なのかはわからないが、諏訪神の名前にうってつけだったんだろう。
ちなみに、建御名方という名前自体は三重県にそういう名前があったとか。
もう一人の八坂刀売も、諏訪では南の海から来た外来神ってことになってる。綿津見一族説があるぐらいだ。
あと、同名が天皇家にいるんだよな。それも、東国に遠征してる。
やっぱり、諏訪を侵略したリーダーが神話体型に組み込まれたのかねえ
タケミナカタさんて日本書紀には登場しないんだっけ?
>>954
確かそうだったように思う。
古事記にのみ登場するということは
伝承としてはともかく天皇家を体系的にまとめようとした時には
排除されたってことだろう。
不比等やら、当時の為政者の意向がより強く反映されているのが
日本書紀だとも言われるが、そこらへんが関係しているのではないか
確かそうだったように思う。
古事記にのみ登場するということは
伝承としてはともかく天皇家を体系的にまとめようとした時には
排除されたってことだろう。
不比等やら、当時の為政者の意向がより強く反映されているのが
日本書紀だとも言われるが、そこらへんが関係しているのではないか
◆ 其の参(スレ3)>>560–567
流れをぶった切ってすまんが、いわゆる「諏訪大戦」は神代とか縄文弥生の太古ではなく、
実は飛鳥時代(6,7世紀)ぐらいに起きたんではなかろうかと思いついた。
主な根拠としては、
・『続日本紀』養老五年(721)六月二十八日条によると、同日付で信濃国から「諏方国」が分立されている事。
・諏訪地方で唯一の前方後円墳である青塚古墳(場所は下諏訪町、諏訪大社下社秋宮の近所)の年代が6世紀末と推定されている事。
6世紀末から8世紀というと、中央では壬申の乱が起こって天智系の近江朝が滅び、代わって天武が即位して律令国家体制が本格的に
始まった時代。ちなみに「日本」という国号が使われ始めたのも天武の頃から。
その息子が守矢氏に養子入りしたという物部守屋も大体この頃の人物。そして諏訪大社上社大祝を代々務める諏訪氏は、中世以前は「神氏(みわうじ)」
と名乗っていて、どうも大和の大神神社を司る三輪氏(みわうじ)と関係があるらしい。天武は大神神社の祭祀をかなり重要視していたらしく、
壬申の乱での天武側協力者にも「三輪子首」という三輪氏の人物が居たり、自分の宮殿も三輪山から近い飛鳥に置いていたりする。
そして663年には白村江の惨敗があり、大和王権は製鉄資源の豊富な朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、国内での鉄資源の確保を余儀なく
された。ケロちゃんのスペルや風神録のおまけテキストで語られている事からもうかがえるように、当時の諏訪は鉄の生産あるいは加工において優れた
技術力を持っていたと考えられるから、これに目を付けた大和王権が諏訪への干渉を強めようとした動機は十分にある。
諏訪側でも、大和と敵対して全面戦争やるよりは、味方に付いといて鉄関係の交易やる方がいいと判断する連中(例えば下社大祝の金刺氏とか)がいて、
こいつ等と縄文以来諏訪を治めてきた守矢氏(=洩矢神&ミシャグジさま)とが対立した。前者が擁する大和・三輪系の神(=神奈子様)と後者が擁する
洩矢神(=ケロちゃん)との間で起こったのが、「諏訪大戦」だったのではないか……
ここまで妄想して力つきた。
ちなみに「諏方国」はその後10年間存続して、731年に再び信濃国に吸収されているんだけど、これは入植してきた大和族が支配統治を安定させるために
一時的に信濃国の税制なんかから独立し、生産が軌道に乗ったのを見計らって元の体制に戻した結果じゃないかと推測。
まぁこじつけにも程があるよねってぐらいテキトーな妄想なんだけどね。
流れぶった切ってすまんかった。
実は飛鳥時代(6,7世紀)ぐらいに起きたんではなかろうかと思いついた。
主な根拠としては、
・『続日本紀』養老五年(721)六月二十八日条によると、同日付で信濃国から「諏方国」が分立されている事。
・諏訪地方で唯一の前方後円墳である青塚古墳(場所は下諏訪町、諏訪大社下社秋宮の近所)の年代が6世紀末と推定されている事。
6世紀末から8世紀というと、中央では壬申の乱が起こって天智系の近江朝が滅び、代わって天武が即位して律令国家体制が本格的に
始まった時代。ちなみに「日本」という国号が使われ始めたのも天武の頃から。
その息子が守矢氏に養子入りしたという物部守屋も大体この頃の人物。そして諏訪大社上社大祝を代々務める諏訪氏は、中世以前は「神氏(みわうじ)」
と名乗っていて、どうも大和の大神神社を司る三輪氏(みわうじ)と関係があるらしい。天武は大神神社の祭祀をかなり重要視していたらしく、
壬申の乱での天武側協力者にも「三輪子首」という三輪氏の人物が居たり、自分の宮殿も三輪山から近い飛鳥に置いていたりする。
そして663年には白村江の惨敗があり、大和王権は製鉄資源の豊富な朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、国内での鉄資源の確保を余儀なく
された。ケロちゃんのスペルや風神録のおまけテキストで語られている事からもうかがえるように、当時の諏訪は鉄の生産あるいは加工において優れた
技術力を持っていたと考えられるから、これに目を付けた大和王権が諏訪への干渉を強めようとした動機は十分にある。
諏訪側でも、大和と敵対して全面戦争やるよりは、味方に付いといて鉄関係の交易やる方がいいと判断する連中(例えば下社大祝の金刺氏とか)がいて、
こいつ等と縄文以来諏訪を治めてきた守矢氏(=洩矢神&ミシャグジさま)とが対立した。前者が擁する大和・三輪系の神(=神奈子様)と後者が擁する
洩矢神(=ケロちゃん)との間で起こったのが、「諏訪大戦」だったのではないか……
ここまで妄想して力つきた。
ちなみに「諏方国」はその後10年間存続して、731年に再び信濃国に吸収されているんだけど、これは入植してきた大和族が支配統治を安定させるために
一時的に信濃国の税制なんかから独立し、生産が軌道に乗ったのを見計らって元の体制に戻した結果じゃないかと推測。
まぁこじつけにも程があるよねってぐらいテキトーな妄想なんだけどね。
流れぶった切ってすまんかった。
唐突に済まないんだが。
諏訪の土着神話について書いてある本ってどんなのがある?
近所の本屋にはそれらしき物はないし…
…できれば解説じゃない物が良いです。
諏訪の土着神話について書いてある本ってどんなのがある?
近所の本屋にはそれらしき物はないし…
…できれば解説じゃない物が良いです。
>>560
古事記(712)が書かれたよりも後というのはさすがに無理があるかな。
ただ、6世紀~7世紀に諏訪が力を持ってた根拠にはなると思う。古事記に対してもかなりの発言権があっただろうね。
応神天皇のの朝鮮出兵 4世紀末~5世紀
ヤマトタケルにまつわる静岡の古墳 4世紀末
だから、日本で鉄が必要な時期、争ってた時期は古墳時代あたりにやっぱりなってくると思う
古事記(712)が書かれたよりも後というのはさすがに無理があるかな。
ただ、6世紀~7世紀に諏訪が力を持ってた根拠にはなると思う。古事記に対してもかなりの発言権があっただろうね。
応神天皇のの朝鮮出兵 4世紀末~5世紀
ヤマトタケルにまつわる静岡の古墳 4世紀末
だから、日本で鉄が必要な時期、争ってた時期は古墳時代あたりにやっぱりなってくると思う
>>560です。みんなレスありがとう。
>>562
蝦夷族と諏訪族の関係は、実際のところよく分からないんだよね。
蝦夷との関係が指摘されるアラハバキって神様は、ミシャグジ信仰とも繋がる説はあるんだが。
ちなみにアラハバキは、鬼だとも蛇神だとも言われてるから製鉄絡みで鬼伝説と繋がるかもしれない。
>>565
『古事記』に対する影響はどうだろう?最近は偽書説も結構強く言われてるし。
俺としては、どちらかと言うと『風土記』(713)や『日本書紀』(720)編纂の前後だというのが怪しく思えるんだ。
天武・持統の政策から方向修正が起こって平城京遷都や養老律令制定が行われる過渡期でもあるし。
ついでに仏教勢力や渡来人が政治的に発言力を増してくるのもこの時期からなんだよね。色々ありそうに見えて仕方ない。
鉄資源に関しては、大体7世紀ぐらいまではほとんど朝鮮半島から原材を輸入して、列島各地の職人集団が加工を行うって状況だったらしい。
それだけ日本の任那経営や対百済外交が安定してたって事で、逆に白村江以降はかなり深刻な鉄不足に陥った可能性もあるわけだ。
あと天武の時期は、それまで認められた「国造」を廃止したり中央主導で「八色の姓」を制定したりと、
地方豪族に対する諸改革がかなり急速に強行された時期でもある。
というわけで、やっぱり天武朝から奈良時代初頭付近に、諏訪も含めた中央VS地方のごたごたが何かあったじゃないかなと。
そういや『竹取物語』も、年代的に天武・持統・文武の辺りが舞台なんだよね。
『竹取』自体は平安前期の成立だが、やっぱこの時代は何かしら日本史上のターニングポイントと考えられたのかな。
>>562
蝦夷族と諏訪族の関係は、実際のところよく分からないんだよね。
蝦夷との関係が指摘されるアラハバキって神様は、ミシャグジ信仰とも繋がる説はあるんだが。
ちなみにアラハバキは、鬼だとも蛇神だとも言われてるから製鉄絡みで鬼伝説と繋がるかもしれない。
>>565
『古事記』に対する影響はどうだろう?最近は偽書説も結構強く言われてるし。
俺としては、どちらかと言うと『風土記』(713)や『日本書紀』(720)編纂の前後だというのが怪しく思えるんだ。
天武・持統の政策から方向修正が起こって平城京遷都や養老律令制定が行われる過渡期でもあるし。
ついでに仏教勢力や渡来人が政治的に発言力を増してくるのもこの時期からなんだよね。色々ありそうに見えて仕方ない。
鉄資源に関しては、大体7世紀ぐらいまではほとんど朝鮮半島から原材を輸入して、列島各地の職人集団が加工を行うって状況だったらしい。
それだけ日本の任那経営や対百済外交が安定してたって事で、逆に白村江以降はかなり深刻な鉄不足に陥った可能性もあるわけだ。
あと天武の時期は、それまで認められた「国造」を廃止したり中央主導で「八色の姓」を制定したりと、
地方豪族に対する諸改革がかなり急速に強行された時期でもある。
というわけで、やっぱり天武朝から奈良時代初頭付近に、諏訪も含めた中央VS地方のごたごたが何かあったじゃないかなと。
そういや『竹取物語』も、年代的に天武・持統・文武の辺りが舞台なんだよね。
『竹取』自体は平安前期の成立だが、やっぱこの時代は何かしら日本史上のターニングポイントと考えられたのかな。
>>560
大神と諏訪の関係は注目すべき点だな。
信濃国造の多氏が三輪山祭祀にかかわっていること
多氏一族の太安万侶が稗田阿礼にかわって古事記の編纂をおこなっていること
日本書紀にはなぜ建御名方神にまつわる神話の記述がないのかを
読み解くカギはその辺にあるのかも
大宝律令成立の首謀藤原不比等と稗田阿礼が同一人物という説を導入したらさらに面白い。
信憑性はわからんが
大神と諏訪の関係は注目すべき点だな。
信濃国造の多氏が三輪山祭祀にかかわっていること
多氏一族の太安万侶が稗田阿礼にかわって古事記の編纂をおこなっていること
日本書紀にはなぜ建御名方神にまつわる神話の記述がないのかを
読み解くカギはその辺にあるのかも
大宝律令成立の首謀藤原不比等と稗田阿礼が同一人物という説を導入したらさらに面白い。
信憑性はわからんが
◆ 其の十七(スレ17)>>512–530
実際東方だとどうなってるのか解釈が微妙なんだよな諏訪大明神
サークル名:諏訪明神
ペンネーム:健御名方神
侵略逸話部分が神奈子、実務のゴーストライターが諏訪子
こんなかんじか?
サークル名:諏訪明神
ペンネーム:健御名方神
侵略逸話部分が神奈子、実務のゴーストライターが諏訪子
こんなかんじか?
自体が「諏訪界隈わけわからん」ってネタだからなぁ・・・
・どうもかなり昔に健御名方が祀られたらしい
・ところが地元で調べると健御名方の名前は出ない
・代わりにミシャグジ、モリヤといったよくわからない神が出てくる
・これらは諏訪の原住神(?)であり、諏訪信仰の根底に脈々と流れているものらしい
・果たして健御名方はどこへ行ったのか、古代から居るという諏訪の現人神とは果たしてなんなのだろう?
みたいな
・どうもかなり昔に健御名方が祀られたらしい
・ところが地元で調べると健御名方の名前は出ない
・代わりにミシャグジ、モリヤといったよくわからない神が出てくる
・これらは諏訪の原住神(?)であり、諏訪信仰の根底に脈々と流れているものらしい
・果たして健御名方はどこへ行ったのか、古代から居るという諏訪の現人神とは果たしてなんなのだろう?
みたいな
風神録がああなったのも、神主自身が混乱した結果じゃないかと思えてきたわ
「さま」を付けないと祟るくらいに強力な神様の割には、実際何者なのかわかんないしな
「さま」を付けないと祟るくらいに強力な神様の割には、実際何者なのかわかんないしな
ミシャグチは精霊神だからべつにどうということはない
ふつうにお祀りしておけば、それで良い神様
御柱を建てられる神々だけでなく、石神、道祖神、ご霊木など、
あらゆるものがミシャグチさまというとっても気軽な便利さ
ふつうにお祀りしておけば、それで良い神様
御柱を建てられる神々だけでなく、石神、道祖神、ご霊木など、
あらゆるものがミシャグチさまというとっても気軽な便利さ
でも神奈子様って、記紀神話の建雷命のポジションでもあるよね中央から派遣されたんだし
と言うことを某所で発言したら糞味噌に言われた
と言うことを某所で発言したら糞味噌に言われた
そもそも、「諏訪大明神」という言葉の定義が、わりと不明確だと思うのだよね。
タケナミカタをさすのか、ヤサカトメをさすのか、コトシロヌシをさすのか。
たぶん、そのどれでもなくて「諏訪の神さま」くらいの意味しかないとおもう。
諏訪の神が三人居て云々という神話が、広く人口に膾炙してたかというと微妙だろうし。
おおよそ「中身はいろいろあるやろうけど、とにかく諏訪の神さんは”諏訪大明神”」という程度の話だったんじゃないかな。
その点で、神奈子や諏訪子を「諏訪大明神」と称するのは特に問題ないと思うのだけれどどうかな。
タケナミカタをさすのか、ヤサカトメをさすのか、コトシロヌシをさすのか。
たぶん、そのどれでもなくて「諏訪の神さま」くらいの意味しかないとおもう。
諏訪の神が三人居て云々という神話が、広く人口に膾炙してたかというと微妙だろうし。
おおよそ「中身はいろいろあるやろうけど、とにかく諏訪の神さんは”諏訪大明神”」という程度の話だったんじゃないかな。
その点で、神奈子や諏訪子を「諏訪大明神」と称するのは特に問題ないと思うのだけれどどうかな。
細かいけどたぶん中身は考えてなかったと思う
神道集や武田信玄の旗印を見るに、室町時代以降は上下同体(あるいはセット)になってたんじゃないか?
鎌倉時代の時点で既に男の武神として統一されていたようであるし
とりあえず今のとこ明らかだと言えるのは
・八坂刀売は健御名方より先に居たらしい
・健御名方は後からやってきたが信仰の実態は無いらしい
・ミシャグジ・チカト以下略さん達は上2つより古く、狩猟神としての諏訪明神は直接ここに求められる
ぐらいなんだっけ?
神道集や武田信玄の旗印を見るに、室町時代以降は上下同体(あるいはセット)になってたんじゃないか?
鎌倉時代の時点で既に男の武神として統一されていたようであるし
とりあえず今のとこ明らかだと言えるのは
・八坂刀売は健御名方より先に居たらしい
・健御名方は後からやってきたが信仰の実態は無いらしい
・ミシャグジ・チカト以下略さん達は上2つより古く、狩猟神としての諏訪明神は直接ここに求められる
ぐらいなんだっけ?
地域民話だと諏訪地方の竜神扱いで諏訪大明神がでてくるな。
タケミナカタほかとりあえず記紀神話の神々とは別物っぽいが、
>>517が言うように漠然と諏訪の神々って扱いでいいんじゃねーかな。
ただ、諏訪子はともかく設定として外来の神である神奈子を含めるのはちと違う気がする。
(赴任してきて幾星霜、今ではすっかり諏訪の神ですよーってな設定が付加されてるなら話は別だが……)
タケミナカタほかとりあえず記紀神話の神々とは別物っぽいが、
>>517が言うように漠然と諏訪の神々って扱いでいいんじゃねーかな。
ただ、諏訪子はともかく設定として外来の神である神奈子を含めるのはちと違う気がする。
(赴任してきて幾星霜、今ではすっかり諏訪の神ですよーってな設定が付加されてるなら話は別だが……)
赴任どころか追い立てられて来たような・・・
とにかく、諏訪から出なければ安堵するというのが、
妹紅の祖先神(タケミカヅチ、日本初の白星力士)の約束だったと思う
とにかく、諏訪から出なければ安堵するというのが、
妹紅の祖先神(タケミカヅチ、日本初の白星力士)の約束だったと思う
その雷神風神って、タケミカヅチやタケミナカタとは何の関係もないのかな
天神様のほうだね
>>520
その妹紅の祖先神に同行してたのが布都ちゃんの祖先神である経津主神と。
もこたん本人はあんまり人と関わり合いがないけど、
血族がやたらいろんな所にリンクしてるな
下手したら彼女が主人公になれるんじゃないかというくらい
その妹紅の祖先神に同行してたのが布都ちゃんの祖先神である経津主神と。
もこたん本人はあんまり人と関わり合いがないけど、
血族がやたらいろんな所にリンクしてるな
下手したら彼女が主人公になれるんじゃないかというくらい
フツノミタマで狂気の瞳の熊をやっつけたんだっけ
あの熊って熊野の地名の由来になった土着の神使なんだろうな
烏に信仰は乗っ取られても地名は譲らず
烏に信仰は乗っ取られても地名は譲らず
◆ 其の二十五(スレ25)>>281–282
信州には塩が出る塩泉があるんだな……
塩が出るメカニズムを調べてみたけど今のところ「分からない」としか言えないらしい 岩塩もないし
有馬温泉の熱源不明成分由来不明の源泉の謎みたいだ 明治に一回絶えて復活というのも面白い
ttp://www.yamashio.com/yamashio/shio.html
ttp://www.yamashio.com/yamashio/onsen.html
建御名方神が鹿狩りをしている時に鹿が舐めているのを見て発見したとか
南北朝時代に南朝方の後醍醐天皇の皇子がこの地に入り、南朝方の拠点にしたとか
大鹿村鹿塩の葦原神社は、元々は本諏訪社と言われていたとか
諏訪大建御名方神が出雲から諏訪に逃げる際に滞在していたとか
御頭祭の最上位の席は鹿塩だったとか何だか色々裏がありそう
何と言っても御頭祭で鹿(鹿島の仮託?)は生贄だし
塩が出るメカニズムを調べてみたけど今のところ「分からない」としか言えないらしい 岩塩もないし
有馬温泉の熱源不明成分由来不明の源泉の謎みたいだ 明治に一回絶えて復活というのも面白い
ttp://www.yamashio.com/yamashio/shio.html
ttp://www.yamashio.com/yamashio/onsen.html
建御名方神が鹿狩りをしている時に鹿が舐めているのを見て発見したとか
南北朝時代に南朝方の後醍醐天皇の皇子がこの地に入り、南朝方の拠点にしたとか
大鹿村鹿塩の葦原神社は、元々は本諏訪社と言われていたとか
諏訪大建御名方神が出雲から諏訪に逃げる際に滞在していたとか
御頭祭の最上位の席は鹿塩だったとか何だか色々裏がありそう
何と言っても御頭祭で鹿(鹿島の仮託?)は生贄だし
ttp://www.geocities.jp/gauss0jp/onindex2.htm
泉質に「食塩」を含む温泉は、長野県で五つあった
・信州八重原温泉(東御市)・白樺湖温泉(茅野市)・切明温泉(栄村)
・松川渓谷温泉(高山村)・尖石温泉(茅野市)
それを地域で分けたらこうなりそう
・飯山地方(切明・松川渓谷)・浅間山(八重原)・横岳(白樺湖・尖石)
この辺りはフォッサマグナで昔海底だったから、その塩分由来と考えられなくもないのかな
泉質に「食塩」を含む温泉は、長野県で五つあった
・信州八重原温泉(東御市)・白樺湖温泉(茅野市)・切明温泉(栄村)
・松川渓谷温泉(高山村)・尖石温泉(茅野市)
それを地域で分けたらこうなりそう
・飯山地方(切明・松川渓谷)・浅間山(八重原)・横岳(白樺湖・尖石)
この辺りはフォッサマグナで昔海底だったから、その塩分由来と考えられなくもないのかな
◆ 其の十四(スレ14)>>24–50
諏訪系の縁起、物語で登場する武器とか詳しい人いる?
ググっても出てこないんだけど少ないの?
ググっても出てこないんだけど少ないの?
諏訪の戦いは神代のことゆえ、正確な年代など不明だが、紀元1世紀のはじめ頃と伝わる
東方にも登場するケロちゃんことモレヤの鉄の輪、神奈子様ことタケミナカタの藤蔦を除けば、
両軍の他の武器は推察するしかないな
あの頃の兵士たちの武器は直刀や剣
(聖徳太子や高松塚の時代ごろ、さらに平安時代中頃まで
不比等や諸兄の肖像の刀は、反りのない直刀)
ほかには矛、弓矢ぐらいかな、槍はまだだろう
直刀や矛は鉄または銅(青銅)製、当時はまだ銅が主流だったかも
ただし金属精錬技術は出雲が上(大陸に近い、たたら製鉄法で鋼に近い鉄が作れる)
前期の古墳や古い遺跡等からの出土品から推察する限り、こんなものぐらいかなぁ
東方にも登場するケロちゃんことモレヤの鉄の輪、神奈子様ことタケミナカタの藤蔦を除けば、
両軍の他の武器は推察するしかないな
あの頃の兵士たちの武器は直刀や剣
(聖徳太子や高松塚の時代ごろ、さらに平安時代中頃まで
不比等や諸兄の肖像の刀は、反りのない直刀)
ほかには矛、弓矢ぐらいかな、槍はまだだろう
直刀や矛は鉄または銅(青銅)製、当時はまだ銅が主流だったかも
ただし金属精錬技術は出雲が上(大陸に近い、たたら製鉄法で鋼に近い鉄が作れる)
前期の古墳や古い遺跡等からの出土品から推察する限り、こんなものぐらいかなぁ
追記
他には斧かな、金属製ばかりか、ガラス質の黒曜石などを用いた
石斧がまだ現役をつとめていたかもしれない(諏訪に近い八ヶ岳大門峠付近は、
縄文時代からの日本屈指の良質な黒曜石産地とされる)
あと投石は現代でも使われる武器、単純だがコストが低く、威力は大きい
ずっと後の戦国時代でも「印地打ち」などと呼ばれて、専門に訓練された投石隊がいたし、
実は大活躍したとされる
他には斧かな、金属製ばかりか、ガラス質の黒曜石などを用いた
石斧がまだ現役をつとめていたかもしれない(諏訪に近い八ヶ岳大門峠付近は、
縄文時代からの日本屈指の良質な黒曜石産地とされる)
あと投石は現代でも使われる武器、単純だがコストが低く、威力は大きい
ずっと後の戦国時代でも「印地打ち」などと呼ばれて、専門に訓練された投石隊がいたし、
実は大活躍したとされる
印地打ちについては、中沢新一の父・中沢厚の研究が有名だね
『僕の叔父さん網野善彦』によると、いわゆる網野史観には中沢厚との交流の影響がかなりあるとか
『僕の叔父さん網野善彦』によると、いわゆる網野史観には中沢厚との交流の影響がかなりあるとか
平安時代頃には物理的に当たると痛いってのの他に
呪術的な意味があったりしたらしく>印地打ち
呪術的な意味があったりしたらしく>印地打ち
そういやこの前地元の考古学センターで圭甲試着が出来たので
試着してみたよ。
今までつけた鎧の中では段違いに動きにくかった(笑)
あと古代の武器でコネタと言えば、
日本の弓の形態って縄文から下短く、上長いらしいけど、
コレは多分自然木撓りの形にそのまま作った結果らしいよ。
試着してみたよ。
今までつけた鎧の中では段違いに動きにくかった(笑)
あと古代の武器でコネタと言えば、
日本の弓の形態って縄文から下短く、上長いらしいけど、
コレは多分自然木撓りの形にそのまま作った結果らしいよ。
古代の鉄盾の実物見たらかなり大きくて驚いたな
諏訪って狩猟のイメージあるから弓かと思ったぜ
弓矢でも良いと思うよ
紀元1世紀頃なんて、まだ良質な黒曜石を矢じりとして用いていたらしい(金属は貴重)
他にも冷山、麦草峠、霧ヶ峰などあちこちで黒曜石がとれ、
諏訪と他地域との重要な交易品だっと言われる(今の青森県にまで輸出されていた説も)
諏訪に古代勢力が栄えた理由の1つだったかもしれない
石器に代わる当時の最先端兵器だった鉄の輪をあっさり破壊されたのだから、
ケロちゃんの敗北感は大きかったろう
紀元1世紀頃なんて、まだ良質な黒曜石を矢じりとして用いていたらしい(金属は貴重)
他にも冷山、麦草峠、霧ヶ峰などあちこちで黒曜石がとれ、
諏訪と他地域との重要な交易品だっと言われる(今の青森県にまで輸出されていた説も)
諏訪に古代勢力が栄えた理由の1つだったかもしれない
石器に代わる当時の最先端兵器だった鉄の輪をあっさり破壊されたのだから、
ケロちゃんの敗北感は大きかったろう
諏訪の水質は鉄分が多く水辺の葦を引き抜くと根元に褐鉄鋼(鉄褐鋼?)が付着していると言う
不純物の多い鉄の融点は低く土器を焼く温度で解けて成形が可能だと何かの本に書いてあった
後、諏訪地方で銅で出来た銅鐸や銅矛て出てきてたっけ?
それらがないなら諏訪地方では銅より鉄の方が主流だったんじゃないかなとか
ただ>>25の通り出雲じゃ製鉄技術が高く諏訪の鉄器より強靭だったため諏訪は負けた
不純物の多い鉄の融点は低く土器を焼く温度で解けて成形が可能だと何かの本に書いてあった
後、諏訪地方で銅で出来た銅鐸や銅矛て出てきてたっけ?
それらがないなら諏訪地方では銅より鉄の方が主流だったんじゃないかなとか
ただ>>25の通り出雲じゃ製鉄技術が高く諏訪の鉄器より強靭だったため諏訪は負けた
タケミナカタは軍神として篤く信仰されてたけど、本来は狩猟の神だったようだし、
弓矢を持っててもおかしくないかも
弓矢を持っててもおかしくないかも
昔の技術事情がよく分からんところなのだが、多少技術に優劣があったとして、
実際には戦争としてどれくらいの差として表れるものなんだろう?
剣や矛がカチ合って、当たり前のように一方的にパキポキ折られるような図を想像してもよいのだろうか。
実際には戦争としてどれくらいの差として表れるものなんだろう?
剣や矛がカチ合って、当たり前のように一方的にパキポキ折られるような図を想像してもよいのだろうか。
タケミナカタが出雲から諏訪まで追い詰められた伝承の背景として
出雲から越後にわたる日本海側の交易ルートの存在が一説としてあがってるけど
東方Projectに佐渡のマミゾウが出てきたのも関係があるんだろうか
出雲から越後にわたる日本海側の交易ルートの存在が一説としてあがってるけど
東方Projectに佐渡のマミゾウが出てきたのも関係があるんだろうか
>>33
みすゞ刈る(水篶刈る)信濃とは、葦の褐鉄鉱(沼鉄鉱)を採取する地という意味らしい
銅鐸という祭祀器?があるが、諏訪大社に伝わるのは銅ではなく鉄鐸であり、
銅戈(矛)と銅剣は主に出雲ほか日本海側の古代遺跡から多く出土するという
諏訪古代勢力は交易でもってほそぼそと銅を調達するしかなかった証拠かもしれない
大和に追われ、出雲から逃げたタケミナカタらは北陸道を北上、糸魚川から姫川を遡り、
今の白馬・仁科三湖・安曇野を経て松本盆地を南下、現塩尻市の善知鳥峠から、
小野(信濃二之宮が鎮座)、辰野を経てモレヤ・諏訪勢力との決戦場に至ったとされる
しかし相手のホームで戦う訳だから、なかなか大変だったろう
しかし、たたら製鉄による鋼に近い鉄器や大量の銅器という先端武器を持ち
(出雲の銅器に関しては「荒神谷遺跡」で調べられる、
数百本もの銅の矛と銅剣がここから出土した)
さらに大和勢力との権力闘争で戦い慣れしていたであろう出雲勢力だから勝てたのかも
なお安曇野、仁科などからは銅剣など銅器が鉄器と共に出土しているが、これらはおそらく、
諏訪大戦の時代よりもずっと後世(白村江の戦い後=神霊廟の時代)に、
やはり福岡の志賀島から逃れて来た安曇族が持ち込んだものらしい
安曇族のたどったルートも日本海沿いだったと推察されている
神主の故郷も。色々な連中が通過したものだ
みすゞ刈る(水篶刈る)信濃とは、葦の褐鉄鉱(沼鉄鉱)を採取する地という意味らしい
銅鐸という祭祀器?があるが、諏訪大社に伝わるのは銅ではなく鉄鐸であり、
銅戈(矛)と銅剣は主に出雲ほか日本海側の古代遺跡から多く出土するという
諏訪古代勢力は交易でもってほそぼそと銅を調達するしかなかった証拠かもしれない
大和に追われ、出雲から逃げたタケミナカタらは北陸道を北上、糸魚川から姫川を遡り、
今の白馬・仁科三湖・安曇野を経て松本盆地を南下、現塩尻市の善知鳥峠から、
小野(信濃二之宮が鎮座)、辰野を経てモレヤ・諏訪勢力との決戦場に至ったとされる
しかし相手のホームで戦う訳だから、なかなか大変だったろう
しかし、たたら製鉄による鋼に近い鉄器や大量の銅器という先端武器を持ち
(出雲の銅器に関しては「荒神谷遺跡」で調べられる、
数百本もの銅の矛と銅剣がここから出土した)
さらに大和勢力との権力闘争で戦い慣れしていたであろう出雲勢力だから勝てたのかも
なお安曇野、仁科などからは銅剣など銅器が鉄器と共に出土しているが、これらはおそらく、
諏訪大戦の時代よりもずっと後世(白村江の戦い後=神霊廟の時代)に、
やはり福岡の志賀島から逃れて来た安曇族が持ち込んだものらしい
安曇族のたどったルートも日本海沿いだったと推察されている
神主の故郷も。色々な連中が通過したものだ
>>35
軍事的に考えると、例えば100人の鉄剣部隊と1000人の銅剣部隊が正面からかち合った場合、
おそらく1000人の銅剣部隊の方が物量的優位によって勝つと思う。
でも1000人の鉄剣部隊と1000人の銅剣部隊がかち合えば、状況にもよるが
技術的優位にある鉄剣部隊に分があると考えられる。武器の優劣が戦況に影響するのは
兵員数や兵士・指揮官の練度において双方互角程度である場合が多いから、
ある程度の物量を鉄器文明側が有していたならば、青銅器文明側は不利だろうね。
軍事的に考えると、例えば100人の鉄剣部隊と1000人の銅剣部隊が正面からかち合った場合、
おそらく1000人の銅剣部隊の方が物量的優位によって勝つと思う。
でも1000人の鉄剣部隊と1000人の銅剣部隊がかち合えば、状況にもよるが
技術的優位にある鉄剣部隊に分があると考えられる。武器の優劣が戦況に影響するのは
兵員数や兵士・指揮官の練度において双方互角程度である場合が多いから、
ある程度の物量を鉄器文明側が有していたならば、青銅器文明側は不利だろうね。
両社ともに信濃の国二之宮とされる小野・矢彦神社(並んで建ってる)は、
どちらもタケミナカタを祭神たちの1柱としている
特に小野社はタケミナカタが拠点とした地であることが縁起との伝承を持つ
ここを前線基地として、背後から迫り来るタケミカヅチ=大和勢力に脅かされつつ、
諏訪勢力と必死に戦ったのだろう
>>36の指摘される日本海交易ルートから糸魚川で分かれ、諏訪へと至るルートがあっても、
ヒスイ交易や黒曜石交易が縄文弥生の時代から行われていたのなら、不思議じゃない
たとえば出雲は新潟を目指したくても、大和側に先回りされて前後挟撃され、
やむなく内陸を目指した可能性もあるな
どちらもタケミナカタを祭神たちの1柱としている
特に小野社はタケミナカタが拠点とした地であることが縁起との伝承を持つ
ここを前線基地として、背後から迫り来るタケミカヅチ=大和勢力に脅かされつつ、
諏訪勢力と必死に戦ったのだろう
>>36の指摘される日本海交易ルートから糸魚川で分かれ、諏訪へと至るルートがあっても、
ヒスイ交易や黒曜石交易が縄文弥生の時代から行われていたのなら、不思議じゃない
たとえば出雲は新潟を目指したくても、大和側に先回りされて前後挟撃され、
やむなく内陸を目指した可能性もあるな
>>38
出雲の銅剣と言えば歴史資料館の壁一面にずらりと並べた展示が壮観だった
出雲じゃ銅鐸も出たが銅鐸は三世紀ごろにプツリと歴史から消え、
銅剣も直ぐに製鉄による鉄剣に置き換えられていくとか日本での銅の扱いが非どす
それは置いておいて戦争慣れして多量の武器を所持した集団が
突如攻め入ってきた時の諏訪子様の心境はどんなもんだったのかね?
一応地方豪族の長でありその身に御射宮司を降ろす現神人としてのモレア神といえども
異なる頭を持つ豪族たちを纏め上げ天竜川沿いに部隊を展開するのは骨が折れたんじゃないかな?
そのせいで手持ちの武器は突貫作業で作った雑な鉄剣ばかりだったので文字通りに歯が立たなかったとか
>>44
諏訪子様マジとばっちり
出雲の銅剣と言えば歴史資料館の壁一面にずらりと並べた展示が壮観だった
出雲じゃ銅鐸も出たが銅鐸は三世紀ごろにプツリと歴史から消え、
銅剣も直ぐに製鉄による鉄剣に置き換えられていくとか日本での銅の扱いが非どす
それは置いておいて戦争慣れして多量の武器を所持した集団が
突如攻め入ってきた時の諏訪子様の心境はどんなもんだったのかね?
一応地方豪族の長でありその身に御射宮司を降ろす現神人としてのモレア神といえども
異なる頭を持つ豪族たちを纏め上げ天竜川沿いに部隊を展開するのは骨が折れたんじゃないかな?
そのせいで手持ちの武器は突貫作業で作った雑な鉄剣ばかりだったので文字通りに歯が立たなかったとか
>>44
諏訪子様マジとばっちり
実は、製鉄が大規模に可能になったのは、だいぶ後の時代になってからだよね。
それまでは、鉄挺を朝鮮半島から輸入していた。朝鮮半島にヤマト王権が進出していたのも、鉄の確保だし。
だから個人的には、諏訪側が鉄の輪で、出雲が藤なのが、いまいちよくわからない。
あの神話って、いつ頃のもので、誰が伝えた伝承なのかな。
あるいは、「諏訪が先端である」ということを誇示するための神話かな、とか思わないでもなかったりするんだけど。
諏訪で原始的な製鉄が可能だったって説もあるんだけど、どの程度信憑性があるのかな、っていうのもよくわからないし。
>>46
私も、読書だね。
講談社学術文庫とかお友達。最近は専門書だけど。
あとは、耳学問が多いかな。授業も、役に立つ。
それまでは、鉄挺を朝鮮半島から輸入していた。朝鮮半島にヤマト王権が進出していたのも、鉄の確保だし。
だから個人的には、諏訪側が鉄の輪で、出雲が藤なのが、いまいちよくわからない。
あの神話って、いつ頃のもので、誰が伝えた伝承なのかな。
あるいは、「諏訪が先端である」ということを誇示するための神話かな、とか思わないでもなかったりするんだけど。
諏訪で原始的な製鉄が可能だったって説もあるんだけど、どの程度信憑性があるのかな、っていうのもよくわからないし。
>>46
私も、読書だね。
講談社学術文庫とかお友達。最近は専門書だけど。
あとは、耳学問が多いかな。授業も、役に立つ。
>>42
いい武器持ってる→近隣部族相手にも常勝→戦争慣れして軍略も向上
ということなのかね
史実上で武器の差が経験の差に勝った例と言えば
俺が真っ先に思い出すのは近代の話になるが普仏戦争
ビスマルクの編成したプロシア軍は普墺戦争が実質デビューだが
鉄道による兵員輸送、電信による命令伝達
連射性能が画期的だったドライゼ小銃というテクノロジーで大勝した
技術があっても運用が下手では悲惨なことになるんだけどね
>>46
歴史や民俗学・考古学の類は
述語や地名人名がわからんと面白さの基本が理解できないから
用語事典の類は持ってた方がよいかもな
今の世の中わからん用語はネットで調べじゃすぐわかるが
事典的なものはぱらぱらめくって
興味あるところをつまみ読みしてる内に
ばらばらな知識の蓄積に連携が生まれてくる効果がある
高校卒業して10数年も経ってから
古本屋で日本史と世界史の用語集買ったら意外なまでに重宝してるぜ
いい武器持ってる→近隣部族相手にも常勝→戦争慣れして軍略も向上
ということなのかね
史実上で武器の差が経験の差に勝った例と言えば
俺が真っ先に思い出すのは近代の話になるが普仏戦争
ビスマルクの編成したプロシア軍は普墺戦争が実質デビューだが
鉄道による兵員輸送、電信による命令伝達
連射性能が画期的だったドライゼ小銃というテクノロジーで大勝した
技術があっても運用が下手では悲惨なことになるんだけどね
>>46
歴史や民俗学・考古学の類は
述語や地名人名がわからんと面白さの基本が理解できないから
用語事典の類は持ってた方がよいかもな
今の世の中わからん用語はネットで調べじゃすぐわかるが
事典的なものはぱらぱらめくって
興味あるところをつまみ読みしてる内に
ばらばらな知識の蓄積に連携が生まれてくる効果がある
高校卒業して10数年も経ってから
古本屋で日本史と世界史の用語集買ったら意外なまでに重宝してるぜ
◆ 其の参(スレ3)>>14–14
諏訪の宮司さんが
「タケミナカタもやはり大和神話の神様。他所からもちこまれた神様であって、
諏訪の神様はやはりミシャグジ様だ」と語ってたのを思い出した。
「タケミナカタもやはり大和神話の神様。他所からもちこまれた神様であって、
諏訪の神様はやはりミシャグジ様だ」と語ってたのを思い出した。
◆ 其の二十五(スレ25)>>573–585
南方熊楠は和歌山県民で和歌山には南方性が多いそうだけど
ミナカタってやっぱタケミナカタと何か繋がりあるんかな?
タケミナカタは古事記では大国主の息子で出雲から北陸経由で諏訪入りしたことになってるけど
徳島の多祁御奈刀弥神社や>>429の金刺氏の例や諏訪地元説や完全創作説もあるように
神奈子の設定にも似てルーツや正体がハッキリしない謎の神様なわけで、
金刺氏も物部氏に伊勢から追い出されて諏訪地方に移ったようだし
御坊の熊野神社(読み:いやじんじゃ)のように出雲氏族との関係や対比も多く
長野と同様に山深い和歌山の出身だったとしても違和感はないかな?
ミナカタってやっぱタケミナカタと何か繋がりあるんかな?
タケミナカタは古事記では大国主の息子で出雲から北陸経由で諏訪入りしたことになってるけど
徳島の多祁御奈刀弥神社や>>429の金刺氏の例や諏訪地元説や完全創作説もあるように
神奈子の設定にも似てルーツや正体がハッキリしない謎の神様なわけで、
金刺氏も物部氏に伊勢から追い出されて諏訪地方に移ったようだし
御坊の熊野神社(読み:いやじんじゃ)のように出雲氏族との関係や対比も多く
長野と同様に山深い和歌山の出身だったとしても違和感はないかな?
そう考えてみると神奈子の
「昔は人間か何かだったと思われるが、もうそれが集団だったのか個人だったのかもわからない」
って設定も意味深だな
「昔は人間か何かだったと思われるが、もうそれが集団だったのか個人だったのかもわからない」
って設定も意味深だな
神奈子自身はヤサカが元
でもヤサカのエピソード調べたけどわからなかったってZUNが言ってて
だから神奈子はヤサカなのにヤサカの要素が全くないヤサカになった
でもヤサカのエピソード調べたけどわからなかったってZUNが言ってて
だから神奈子はヤサカなのにヤサカの要素が全くないヤサカになった
どうしてそこでヤサカだけがルーツみたいな言い方するんだぜ
◆ 其の弐(スレ2)>>890–893
>>888
道真公なら河童と繋がりがあるんじゃないか?
で、神話さっぱりな俺がなのでえらく基本的な質問になるんだが
タケミナカタって名前が登場するもっとも古い類の文献って何?
いつごろから信仰されてた神様なん?
道真公なら河童と繋がりがあるんじゃないか?
で、神話さっぱりな俺がなのでえらく基本的な質問になるんだが
タケミナカタって名前が登場するもっとも古い類の文献って何?
いつごろから信仰されてた神様なん?
現存するっていう意味じゃ古事記以上に遡れる文献は無いんじゃないかな。
なんで、他に文献が無いなら建御名方っていう呼称が確認できるのは712年が最古という事になるんだろうか。
その時点で名前が作られたのか、もっと古くから名前があったのかはわからんが。
ちなみに藤の枝・鉄の輪の話は『諏訪大明神縁起畫詞』が元らしい。これより奥があるかどうかは不明。
こっちに建御名方という名前があるかどうかも未確認。建御名方じゃなくて諏訪明神って書かれてるかも。
なんで、他に文献が無いなら建御名方っていう呼称が確認できるのは712年が最古という事になるんだろうか。
その時点で名前が作られたのか、もっと古くから名前があったのかはわからんが。
ちなみに藤の枝・鉄の輪の話は『諏訪大明神縁起畫詞』が元らしい。これより奥があるかどうかは不明。
こっちに建御名方という名前があるかどうかも未確認。建御名方じゃなくて諏訪明神って書かれてるかも。