お正月が近いが、タノカンサー(田の神様)をお迎えする家はあるかい?
幻想郷は多すぎて大変だろうなw
日本の宗教観と「無宗教」概念の近代性(漂着物エビス信仰・死後観の多様性)
比較宗教・哲学 › 一神教vs多神教
民間信仰・民俗 › 冥界・死後観
「宗教」という言葉自体が幕末に作られた近代概念であること。土左衛門(水死体)をエビスと呼び漂着物として丁重に扱う習俗(三界万霊・水葬の互恵観念)。「無宗教」を自認しながら初詣・賽銭・葬儀を行う日本人の宗教性の曖昧さ。木の根元に埋めてほしいという個人的死後観がアニミズムと接続する話。南アフリカの初期人類の洞窟墓と死後世界観の起源。
◆ 其の二十八(スレ28)>>80–124
じゃあなんで神社行くんだよ
信仰心が弱いのと無宗教なのは違うと思うが
賽銭は参拝者の善意とはいえさすがに無銭で参拝は…
ただでさえ初詣の頃は人でごった返すのに用もなくただの冷やかしで来ないでほしいわ正直
別に神社関係者じゃないけどさ
ただでさえ初詣の頃は人でごった返すのに用もなくただの冷やかしで来ないでほしいわ正直
別に神社関係者じゃないけどさ
亡くなったら墓に入れるなら少なくとも無宗教ではないのでは
祖母の部屋には仏壇あるわ
お札とか日蓮宗だ
お札とか日蓮宗だ
神社の賽銭はたまに会う人のお宅訪問時の手土産みたいな感覚
賽銭がなければ相応の御利益となるだけのこと
他人の宗教観(無宗教含む)に口出すなぞ無粋なだけよ
他人の宗教観(無宗教含む)に口出すなぞ無粋なだけよ
自分の所属する宗教が分からないというなんちゃって無宗教じゃなくて
宗教を否定した結果の無宗教って、死後どうするんだろうな?
墓に入るという概念はないだろうし
そもそも死後のことを考えないから、どうぞ勝手に処分してくれって感じなんだろうか
宗教を否定した結果の無宗教って、死後どうするんだろうな?
墓に入るという概念はないだろうし
そもそも死後のことを考えないから、どうぞ勝手に処分してくれって感じなんだろうか
死後があるかどうかも不明だしあったとしても信仰という形で干渉できる気もしないってとこかな?
「もし人間が神を信じないのなら、死体は生ゴミの日に出されるだろう」という言葉を思い出した
まあ実際、壊れたパソコンを我々が処分するのと同じように処分するだろう
まあ実際、壊れたパソコンを我々が処分するのと同じように処分するだろう
無法地帯ならそうなるんだろうが、
実際には「円満に死んだ」ことを示すために、死亡の公知と手続きに従った死体処理は省略できないと思う。
実際には「円満に死んだ」ことを示すために、死亡の公知と手続きに従った死体処理は省略できないと思う。
>>94
死体を忌避する習慣は、伝染病の防止でもあるね
狂牛病の人間での症例は、ニューギニア少数民族の風土病として報告されていた
家族の骨を手厚く家に飾る祭礼が原因
死体も魚に食べさせるなら安全だが、豚だとウイルスが伝染るね
死体を忌避する習慣は、伝染病の防止でもあるね
狂牛病の人間での症例は、ニューギニア少数民族の風土病として報告されていた
家族の骨を手厚く家に飾る祭礼が原因
死体も魚に食べさせるなら安全だが、豚だとウイルスが伝染るね
俺が死んだら葬式も法要もいらんけどでかい木の根本にでも埋めてほしいなあ、ってのは宗教なんだろうか。別に何の宗派にも属してるつもりはないんだが
木の根元に埋めることにどういう意味を持ってるのかわからんけど
完成された宗教っていうよりはそれよりもっと原始的というか原形のようなもん?
完成された宗教っていうよりはそれよりもっと原始的というか原形のようなもん?
自然崇拝みたいなもんかな?
自然崇拝ってほど大層なもんでもないつもりだけどそういうことになるのかなあ。お邪魔しました。
そこんとこ難しいよね宗教って
部族の慣習は宗教と言えるかもしれないけど個人の場合は
部族の慣習は宗教と言えるかもしれないけど個人の場合は
そもそも宗教という言葉が広範囲をカバーする多義的な言葉なのも話がこんがらがる一因だと思う
欲に一定以上に集団化組織化されている限定的な範囲を指して使われる場合から
個人レベルの観念や信仰をまで含めて使われる場合まで
そんで使ってる側も受け取る側もその辺の区分やニュアンスを特に分けずに扱ってるから
同じ物について話してるつもりで話がずれてたりする
欲に一定以上に集団化組織化されている限定的な範囲を指して使われる場合から
個人レベルの観念や信仰をまで含めて使われる場合まで
そんで使ってる側も受け取る側もその辺の区分やニュアンスを特に分けずに扱ってるから
同じ物について話してるつもりで話がずれてたりする
ここでは話の発端が無宗教についてだから、宗教的=無宗教でない、というもっとも広い定義の話だな
>>101が例えば、樹木の栄養にでもなれば良い、とか考えているのであれば十分に宗教的である
>>101が例えば、樹木の栄養にでもなれば良い、とか考えているのであれば十分に宗教的である
内容がどうあれ自分の死後の事まで考える時点で何かしら宗教的なのかもしれない
南アフリカで、初期人類が洞窟をお墓にしていたのが発見されたよ
生まれてきた場所=地底 という信仰があったのだろうね
ものすごく狭い洞窟に50人以上葬られており、
大変な労力だったか(当時は通りやすい通路があったのかもしれない;)
生まれてきた場所=地底 という信仰があったのだろうね
ものすごく狭い洞窟に50人以上葬られており、
大変な労力だったか(当時は通りやすい通路があったのかもしれない;)
水葬も生まれてきたところの類かな
とか考えてたら水死体を漁村だと有り難がる話を思い出した
何の本だか思い出せないけど
とか考えてたら水死体を漁村だと有り難がる話を思い出した
何の本だか思い出せないけど
木の下に埋めるって話、西行法師を崇拝していて自分も同じ高みをって話なら宗教的だと思うけど
死後は自然と一体化したいっていうのは、アニミズムよりさらに直感的な感覚の気もするね
>>111
確かに土佐衛門(水死体)をエビスって呼ぶ風習は聞いたことあるな
漁業中に網にかかった土佐衛門は嫌でも丁重に扱うべきっていうのも結構聞くし、
死者に対する怖さの場合と、仏さんを神格化する場合とがあったのかね
>>111
確かに土佐衛門(水死体)をエビスって呼ぶ風習は聞いたことあるな
漁業中に網にかかった土佐衛門は嫌でも丁重に扱うべきっていうのも結構聞くし、
死者に対する怖さの場合と、仏さんを神格化する場合とがあったのかね
えべっさんについては記紀神話にあるヒルコのエピソードからでしょ
土左衛門は白くふやけて膨らんでるから見た目で重ねたんだろう
土左衛門は白くふやけて膨らんでるから見た目で重ねたんだろう
漂着物全般をエビスと言って、水死体も例外ではないって感じだったかと思う。
漂着物は流れついた土地のものとして扱うという不文律があったようなので、流れ着いた死体も自分の家から出た死人とみなしているのではなかろうか。
漂着物は流れついた土地のものとして扱うという不文律があったようなので、流れ着いた死体も自分の家から出た死人とみなしているのではなかろうか。
自分自身の死にまつわる事を一切考えないのがほんとの無宗教なのかなとは。
でも幽霊も彼岸も地獄もきちんとある幻想郷では
外の世界で宗教的だと思われてる物事の大部分が
彼彼女らにとっては非宗教的というか現実的で即物的な物事として
取り扱われてしまっているのだろうなとも思う。
ある意味ではそれが常識非常識の境界の向こう側だという事なのだろうけど。
でも幽霊も彼岸も地獄もきちんとある幻想郷では
外の世界で宗教的だと思われてる物事の大部分が
彼彼女らにとっては非宗教的というか現実的で即物的な物事として
取り扱われてしまっているのだろうなとも思う。
ある意味ではそれが常識非常識の境界の向こう側だという事なのだろうけど。
無宗教がここまで厳密に定義されようとするのも現代だからかな
近代以前だと、反巨大宗教かつ明確な信仰を持たない=無宗教の野蛮人
ぐらいのラフで敵対的なくくりだったとか……と考えて、
そもそも無宗教って言葉がいつ頃からある言葉なのか知らないことに気付いた
近代以前だと、反巨大宗教かつ明確な信仰を持たない=無宗教の野蛮人
ぐらいのラフで敵対的なくくりだったとか……と考えて、
そもそも無宗教って言葉がいつ頃からある言葉なのか知らないことに気付いた
「宗教」という言葉自体が幕末に作られたものだしね
現在の宗教観自体、そう古いものでは無いはずだ
無宗教を意味するirreligionだが1590年にはあったとされる
現在の宗教観自体、そう古いものでは無いはずだ
無宗教を意味するirreligionだが1590年にはあったとされる
儀礼の一部というか生活習慣というか
日常に埋め込まれたみたいになってて
改めて宗教性を問われると困惑する
日常に埋め込まれたみたいになってて
改めて宗教性を問われると困惑する
まあそれなりの規模のコミュニティに共有されてて世間に通用する「宗教」や
個人の超自然的なものに対する敬意や畏怖みたいなものまで含める「宗教」など
いろんなくくりや段階があるわけで
今はどの意味合いでの「宗教」について話題にしてるのかをそれぞれが明確にしておけばいいんでない?
個人の超自然的なものに対する敬意や畏怖みたいなものまで含める「宗教」など
いろんなくくりや段階があるわけで
今はどの意味合いでの「宗教」について話題にしてるのかをそれぞれが明確にしておけばいいんでない?
海で死んでも、死体はめったに流れつかないから、
誰かの死体が流れてきたら、丁寧に葬るというのは間違っていない
それなら、うちの村の者が海で死んでも、どこかの浦で丁寧に葬られているに違いないから・・・三界万霊;
誰かの死体が流れてきたら、丁寧に葬るというのは間違っていない
それなら、うちの村の者が海で死んでも、どこかの浦で丁寧に葬られているに違いないから・・・三界万霊;
「宗教」は多様だけど、「宗教性」はそれらの根底にある共通の性質だから、そう多様なもんでもないと思うけどね
三重の漁村で、年貢が重くて経費削減のためにご神体を海に流したら、よその浦に流れ着いて、
そっちで祀られる事になったので、毎年の経費(幕代ぐらい)を払ってた村がある
海に流したモノは浄化されていて、よそに福をもたらすんだね(しかし縁は切れていない)
そういう意味で幻想郷には浄化が無い 閉じた世界
そっちで祀られる事になったので、毎年の経費(幕代ぐらい)を払ってた村がある
海に流したモノは浄化されていて、よそに福をもたらすんだね(しかし縁は切れていない)
そういう意味で幻想郷には浄化が無い 閉じた世界
川に流せば具体的な方が居られますので
◆ 其の八(スレ8)>>92–111
そうだな。
安全意識高揚の発表会で、「安全祈願祭の効果はありましたか?」という質問に
「安全意識を共有するという面で多少の効果はあったと思います」なんて答弁しなきゃならない世の中だもの。
安全意識高揚の発表会で、「安全祈願祭の効果はありましたか?」という質問に
「安全意識を共有するという面で多少の効果はあったと思います」なんて答弁しなきゃならない世の中だもの。
それを信仰が有る物として言うなら、まあそもそもだったらそんな質問来ないとも思うが、
「神が祈願を受け入れてくれたようです」ぐらいの返答が返ってくるのだろうか
「神が祈願を受け入れてくれたようです」ぐらいの返答が返ってくるのだろうか
そんな事言ったら間違い無く宗教アレルギーの人に怒られるなw
宗教は「危険」で「理解出来ない、理解するべきではない」ものだったりするからなぁ
試しに神を信じてるなんて言ったらまず頭がおかしい人と思われかねない
宗教は「危険」で「理解出来ない、理解するべきではない」ものだったりするからなぁ
試しに神を信じてるなんて言ったらまず頭がおかしい人と思われかねない
何事もほどほどがいいのに、どっちかに振り切れなきゃ許されないこんな世の中じゃ
昔から本気で神様を信じていたり、崇めているのって極少数じゃないか?
まぁそんな連中が権力握るとろくなことがないのは歴史が証明しているよ
まぁそんな連中が権力握るとろくなことがないのは歴史が証明しているよ
神社にお参りしたとこで、心から神を信じてるのかはわからないよね
俺だって習慣でお参りしてるだけで、神の存在を信じてるか自信ない……
みたいなのを今、長文で書いて書き込みボタン押そうとしたらその瞬間に停電したので吹いた
こういうのを偶然とみずに「やっぱり神様いるんじゃね?」って思っちゃう俺は、信じてるうちに入るな
俺だって習慣でお参りしてるだけで、神の存在を信じてるか自信ない……
みたいなのを今、長文で書いて書き込みボタン押そうとしたらその瞬間に停電したので吹いた
こういうのを偶然とみずに「やっぱり神様いるんじゃね?」って思っちゃう俺は、信じてるうちに入るな
>>97
神の信仰心が昔から極少数派って事は無いんじゃないか
じゃ無かったら、言っちゃ悪いけど天皇家とかとっくに滅ぼされてるような
後、
>まぁそんな連中が権力握るとろくなことがないのは歴史が証明しているよ
とあるが、信心深い人間が権力握って問題起こした事って、日本では何かあったっけ?
海外の例なら知ってるが、日本では近年の某新興宗教ぐらいしか知らないんだが
神の信仰心が昔から極少数派って事は無いんじゃないか
じゃ無かったら、言っちゃ悪いけど天皇家とかとっくに滅ぼされてるような
後、
>まぁそんな連中が権力握るとろくなことがないのは歴史が証明しているよ
とあるが、信心深い人間が権力握って問題起こした事って、日本では何かあったっけ?
海外の例なら知ってるが、日本では近年の某新興宗教ぐらいしか知らないんだが
日本史だと奈良時代の神仏の権力争い、戦国期かそれ以前の寺社勢力なんか存在感あるな。
まあキリスト・イスラム教ほどの絶対的な聖俗合わせての権力は見つからないけど。
まあキリスト・イスラム教ほどの絶対的な聖俗合わせての権力は見つからないけど。
権力握った信心深い云々で豊後の戦国大名の大友宗麟が思い浮かんだ
キリスト教に傾倒するあまり、「神仏なんぞキリシタンにとっては悪魔でしかない」とか言って、
領国内の神社仏閣を根こそぎ破却しようとしたり、キリスト教国建設のために日向に侵攻したとも言われてたり・・・
しかもその日向侵攻で大敗した際、貴重品だの武器だの置いて逃げるのはまだわかるが、
教会にあった大きな十字架だけはしっかり持って逃げてたりとなかなかの御仁
・・・あとリョウメンスクナでふと思い出したんだが、
だいぶ前にオカ板で人だか猿だかの頭を横にくっつけた首だけのミイラの画像があったんだ
しかもご丁寧に頭の後ろにも顔くっつけてんの
(<●>皿<●>皿<●>) ←前から見るとこんな感じ
( <●>トェェェイ<●> ) ←後ろから(ry
身の毛もよだつってああいうのをいうんだろうな、マジで作ったやつの気が知れねえ・・・
キリスト教に傾倒するあまり、「神仏なんぞキリシタンにとっては悪魔でしかない」とか言って、
領国内の神社仏閣を根こそぎ破却しようとしたり、キリスト教国建設のために日向に侵攻したとも言われてたり・・・
しかもその日向侵攻で大敗した際、貴重品だの武器だの置いて逃げるのはまだわかるが、
教会にあった大きな十字架だけはしっかり持って逃げてたりとなかなかの御仁
・・・あとリョウメンスクナでふと思い出したんだが、
だいぶ前にオカ板で人だか猿だかの頭を横にくっつけた首だけのミイラの画像があったんだ
しかもご丁寧に頭の後ろにも顔くっつけてんの
(<●>皿<●>皿<●>) ←前から見るとこんな感じ
( <●>トェェェイ<●> ) ←後ろから(ry
身の毛もよだつってああいうのをいうんだろうな、マジで作ったやつの気が知れねえ・・・
>>97
ここ日本においては自然崇拝、祖霊信仰が信仰形態の本質だから
あくまで日本で言う神様ってのは霊的で不可視な何かに過ぎない
日本人の神への意識なんて昔から曖昧模糊
そもそも日本人に西洋的な神観念は合わないんだよ
そして世間的には神様といえばキリストのような西洋モチーフをイメージする
だから神を信じるかと聞かれれば大抵の人はいいえと答える
風神録ED
魔理沙「信仰の意味がわからない」
神奈子「あなたが魔法に対して感じている思いですよ」
言いえて妙だと思う
ここ日本においては自然崇拝、祖霊信仰が信仰形態の本質だから
あくまで日本で言う神様ってのは霊的で不可視な何かに過ぎない
日本人の神への意識なんて昔から曖昧模糊
そもそも日本人に西洋的な神観念は合わないんだよ
そして世間的には神様といえばキリストのような西洋モチーフをイメージする
だから神を信じるかと聞かれれば大抵の人はいいえと答える
風神録ED
魔理沙「信仰の意味がわからない」
神奈子「あなたが魔法に対して感じている思いですよ」
言いえて妙だと思う
海外における信仰も誤解されやすいけど
海外における宗教って一種の道徳なんだよな。
だから、無宗教って答えると、まるで道徳のない人かのように見られてしまう
ムスリムにしてもクリスチャンにしても、生活がまっとうで、精神も安定している人らは
日本人の信仰心とそんなにかけ離れていないと思う
外国からしたら
立て箸、箸渡しが非常識とされるのも信仰心の現われに見えるだろうね
海外における宗教って一種の道徳なんだよな。
だから、無宗教って答えると、まるで道徳のない人かのように見られてしまう
ムスリムにしてもクリスチャンにしても、生活がまっとうで、精神も安定している人らは
日本人の信仰心とそんなにかけ離れていないと思う
外国からしたら
立て箸、箸渡しが非常識とされるのも信仰心の現われに見えるだろうね
日本人はキリストでもなくイスラムでもなく、祖先と自然を信仰してるでいいんでね?
◆ 其の十五(スレ15)>>760–770
信じる者がすくわれるのは足元だということだあねぇ
されど、何も信じずに進むもの、進めるものは存在するのか
いたとして、それは果たして「人間」なのか。
いたとして、それは果たして「人間」なのか。
成り行きでなんとなく進んじゃうことはある
日本人は神を信じない無宗教の民族らしいと
海外ではまことしやかにおもわれてるんやな
海外ではまことしやかにおもわれてるんやな
無宗教なら、こんなにも宗教的習慣があるはずないのにな(実際は多神教)
ただまあ身近になりすぎて、ほぼ習俗化していることは否めない
ただまあ身近になりすぎて、ほぼ習俗化していることは否めない
簡単に神神言いまくりだからなー
神回とか神曲とか
もう八百万では収まらんかもw
神回とか神曲とか
もう八百万では収まらんかもw
神はいるけど絶対ではないからなー落ちぶれたりするし
それを防ぐのに御利益をうたったりと神様もホント大変ですわ
神を否定することはその絶対性を認めてるってことにつながるような気もするし
それを防ぐのに御利益をうたったりと神様もホント大変ですわ
神を否定することはその絶対性を認めてるってことにつながるような気もするし
一神教の神は絶対だけど多神教の神は
ともすれば妖怪との境界が曖昧なくらいだもんな。
ともすれば妖怪との境界が曖昧なくらいだもんな。
元は零落した神なんて妖怪もいるしな
まあ一神教も異教の神を悪魔としてdisりながら取り込んでいるが
まあ一神教も異教の神を悪魔としてdisりながら取り込んでいるが
逆に人や妖怪が神になることもあるっていうのは一神教な人たちからは理解されがたいかもしれん
あちらは四文字のように、絶対君主は絶対であり続けるしな
この辺は君主論とか衆愚政治への嫌気から来てるのかも知れないが
方や日本は山川草木悉有仏性の世界だし、仏教伝来前も共同体内部の融和を第一にしてきた
君主に問題があれば交代だって要求するから、そもそも考え方が違うのかも知らん
この辺は君主論とか衆愚政治への嫌気から来てるのかも知れないが
方や日本は山川草木悉有仏性の世界だし、仏教伝来前も共同体内部の融和を第一にしてきた
君主に問題があれば交代だって要求するから、そもそも考え方が違うのかも知らん
◆ 其の六(スレ6)>>84–94
>>79
42はまさに内田樹の日本辺境論に影響を受けたんだろうな。
要は、日本は文化的に辺境であったからこそ、
外来文化(古くは中華、近年では欧米)を積極的に取り込まざるを得なかったが、
オリジナルをある程度無視しても何とかなる辺境にあるので、それを換骨奪胎して独自の文化と出来た。
で、そういった一種の面従腹背は、辺境だからこそ可能だった一種の戦略だと。
こういう本音と建前に代表される文化から、
「現実を認識しつつも、敢えてネタをネタとして楽しむ」佯狂的在り方が醸成された。
みたいな論だったと思う。
読み返してないからうろ覚えだが。
42はまさに内田樹の日本辺境論に影響を受けたんだろうな。
要は、日本は文化的に辺境であったからこそ、
外来文化(古くは中華、近年では欧米)を積極的に取り込まざるを得なかったが、
オリジナルをある程度無視しても何とかなる辺境にあるので、それを換骨奪胎して独自の文化と出来た。
で、そういった一種の面従腹背は、辺境だからこそ可能だった一種の戦略だと。
こういう本音と建前に代表される文化から、
「現実を認識しつつも、敢えてネタをネタとして楽しむ」佯狂的在り方が醸成された。
みたいな論だったと思う。
読み返してないからうろ覚えだが。
なんだっけな、確か我輩は猫であるで西洋人はわからないことは究明しようとするが
日本人はわからないことはそういうものだと受け入れるとかそんなことを漱石が書いてたような
日本人はわからないことはそういうものだと受け入れるとかそんなことを漱石が書いてたような
まあ。そういう良くも悪くもダブルスタンダードを維持できる能力というのは、
向こう三軒両隣を意識しなくてはいけない狭い国土では確かに有用なんだよな。
向こう三軒両隣を意識しなくてはいけない狭い国土では確かに有用なんだよな。
「あちらを立てればこちらが立たず」
ならどうするかと言うとどちらも立てる。
これが理解出来ないと日本人として生きていけないかもわからん。
アメリカ人はどちらを立てるかで、悩みそうだ。
ならどうするかと言うとどちらも立てる。
これが理解出来ないと日本人として生きていけないかもわからん。
アメリカ人はどちらを立てるかで、悩みそうだ。