長野の正月の話だと歳取り魚が鮭圏と鰤圏なんてのがあるね。
新潟から魚が来る地方、というかダムが出来る前は普通に鮭が
遡上してきた地方が鮭で、西の方から魚と文化が来た地方が鰤だとか。
もっとも昔は鮭・鰤なんてなくて鯉が歳取り魚だった、なんてところも
多かったとか。
日本の地域食文化論(マグロの格付け変遷・フグ・鯖街道・山の食習慣)
民間信仰・民俗 › 生活習俗・禁忌
年越しそばは江戸・大坂の商家慣習で信州農村には無かった話。「お歳取り」の信州独自慣習。鮭圏vs鰤圏の正月魚分布。マグロがかつて下魚だった理由(腐敗の速さ)とトロを捨てていた時代。フグの江戸期武士禁止令と「鉄砲」の呼称。鯖街道など魚の道と山間部の食文化(海産物がハレの御馳走だった時代)。
◆ 其の二十(スレ20)>>920–975
ちなみに「お歳取り」は昔の話じゃなくて現在でも行っているよ
魚と言えば、某県の瀬戸内に面した市から関東に越して何年か経つが、
何でこっちはあんな狂ったようにマグロマグロと血相変えて有り難がるのか未だにわからん。
刺身は色々有ってもっと美味しいの沢山有ると思うんだがなぁ。
マグロも不味いとは言わんし好みもあるんだろうけど、
割と大味で、特にいい場所以外は筋張ってるとこも多いし、
騒ぎ立ててる割に扱い悪くて酸っぱくなっちゃってるのよくあるし…。
スーパーとかの特売に殺到してる光景とか有るけど、
みんな本当に美味しいと思って食ってるんだろうか?
旬のブリやヒラメや、新鮮な青魚に生姜きかしたのなんかの方が
よっぽどご飯も酒も進むと思うんだがなぁ。
あ、あと「おにぎりせんべい」が売ってない事にも衝撃受けた。
何でこっちはあんな狂ったようにマグロマグロと血相変えて有り難がるのか未だにわからん。
刺身は色々有ってもっと美味しいの沢山有ると思うんだがなぁ。
マグロも不味いとは言わんし好みもあるんだろうけど、
割と大味で、特にいい場所以外は筋張ってるとこも多いし、
騒ぎ立ててる割に扱い悪くて酸っぱくなっちゃってるのよくあるし…。
スーパーとかの特売に殺到してる光景とか有るけど、
みんな本当に美味しいと思って食ってるんだろうか?
旬のブリやヒラメや、新鮮な青魚に生姜きかしたのなんかの方が
よっぽどご飯も酒も進むと思うんだがなぁ。
あ、あと「おにぎりせんべい」が売ってない事にも衝撃受けた。
鮭の話も聞いたよ
かっては普通の用水路で鮭がとれたそうだ
ダムの構造がバカすぎると怒っていた
(完全に水路を遮断してしまう)
夢があるよなあ……幅2メートルに満たない用水路に、
遡上してくる鮭
かっては普通の用水路で鮭がとれたそうだ
ダムの構造がバカすぎると怒っていた
(完全に水路を遮断してしまう)
夢があるよなあ……幅2メートルに満たない用水路に、
遡上してくる鮭
海に面してない我が北関東の某県にとっては、新鮮な海の幸なんてそれはもう貴重な存在なのです
東京あたりではマグロは刺身・寿司・ツナの三択になるね
鍋や汁物にしてさっぱりと食うマグロ料理はだいぶ廃れたな
現代では「ねぎま」と言えば焼き鳥だ
鍋や汁物にしてさっぱりと食うマグロ料理はだいぶ廃れたな
現代では「ねぎま」と言えば焼き鳥だ
あ…、ああ、連載終了して久しいもんな……
そっちのほうかよw
紫尾(しび)ことマグロは下魚だったと聞いた事がある
回遊性で大型の外洋魚が、なんで下魚なのかわからん
作家の故・吉村昭のエッセイで、昭和の下町では大トロは売り物ではなく、
魚屋に行けばいくらでも分けてもらえたとあった
タダ同然でもらったトロでねぎまを……そんな時代があったらしい
紫尾(しび)ことマグロは下魚だったと聞いた事がある
回遊性で大型の外洋魚が、なんで下魚なのかわからん
作家の故・吉村昭のエッセイで、昭和の下町では大トロは売り物ではなく、
魚屋に行けばいくらでも分けてもらえたとあった
タダ同然でもらったトロでねぎまを……そんな時代があったらしい
マグロは腐敗が早いんだよ
だからヅケみたいな加工が必要だった(今なら冷凍船など輸送技術の発達で問題ないが)
それでもマグロと言えば赤身が一般的で、トロの部分は別に珍重して食べなかった
確か広告戦略だったと思うが、それまで捨てるしかなかった脂身の部分を何とかできないかと
業界が手を打って、その結果が「トロは旨い!」となったのが現在
トロをことさらありがたがるのは、日本人に多いブランド志向の結果だな
裏
だからと言う訳でもないが、俺は普通に赤身の方が好きだ
貧乏舌だから、質より量なのよ
裏
だからヅケみたいな加工が必要だった(今なら冷凍船など輸送技術の発達で問題ないが)
それでもマグロと言えば赤身が一般的で、トロの部分は別に珍重して食べなかった
確か広告戦略だったと思うが、それまで捨てるしかなかった脂身の部分を何とかできないかと
業界が手を打って、その結果が「トロは旨い!」となったのが現在
トロをことさらありがたがるのは、日本人に多いブランド志向の結果だな
裏
だからと言う訳でもないが、俺は普通に赤身の方が好きだ
貧乏舌だから、質より量なのよ
裏
魚だけでなく肉もだよね
何が霜降りだ脂の味ばかりで肝心の身がふよんふよんじゃねえか
俺は肉食いたいんだよ噛み切った歯応えや溢れ出す肉汁をガッツリ味わいたいんだよ
そんなに美味い美味いって脂をありがたがるんならスーパーでただで配ってる牛脂でも舐めてろ
でも近所の肉屋の大将、馬刺し買いに来た客にお勧め聞かれて迷いなく「下から三番目の値段の赤身が一番美味い」と即答するのは商売人としてどうなんだw
何が霜降りだ脂の味ばかりで肝心の身がふよんふよんじゃねえか
俺は肉食いたいんだよ噛み切った歯応えや溢れ出す肉汁をガッツリ味わいたいんだよ
そんなに美味い美味いって脂をありがたがるんならスーパーでただで配ってる牛脂でも舐めてろ
でも近所の肉屋の大将、馬刺し買いに来た客にお勧め聞かれて迷いなく「下から三番目の値段の赤身が一番美味い」と即答するのは商売人としてどうなんだw
他の肉と合わせてたまに食うくらいでちょうどいい、霜降りやトロはな
志賀直哉の「小僧の神様」にあるように、
寿司の正統は、今は回転寿司なのかもしれない
屋台の寿司は廃れたが、本来の握り鮨は、
屋台のものだったし(早寿司)
寿司の正統は、今は回転寿司なのかもしれない
屋台の寿司は廃れたが、本来の握り鮨は、
屋台のものだったし(早寿司)
カウンター越しに対面しながら注文して握っている姿を眺め直接受け取るなんてのもその名残だろうしな
寿司にしろ歌舞伎にしろ、元は大衆の卑俗なものだったけど長く続けば伝統として格式が生まれるわけだ
梨園は男の世界で女子禁制なんてのも江戸幕府が風俗の乱れを理由に女役者を禁じたからってのが変質したわけだし
相撲みたいに神事から興行になり敷居が下がっていったタイプもあるけど
寿司にしろ歌舞伎にしろ、元は大衆の卑俗なものだったけど長く続けば伝統として格式が生まれるわけだ
梨園は男の世界で女子禁制なんてのも江戸幕府が風俗の乱れを理由に女役者を禁じたからってのが変質したわけだし
相撲みたいに神事から興行になり敷居が下がっていったタイプもあるけど
氷だけで運搬できたというのは本当だろうか?
鯖街道などがあちこちに残ってるが、あれは塩蔵してるからこそ保ってるんだが
>>933
"江戸前"寿司の正統なら、確かに回転寿司かもしれないな
江戸湾で捕れた魚を、鮮度がいい内に頂くんだから(中には加工したネタもあるが)
しかし寿司には、握り寿司(江戸前寿司)・押し寿司(箱寿司)・なれ鮨(発酵食品)と
三系統あるんだぜ?
鯖街道などがあちこちに残ってるが、あれは塩蔵してるからこそ保ってるんだが
>>933
"江戸前"寿司の正統なら、確かに回転寿司かもしれないな
江戸湾で捕れた魚を、鮮度がいい内に頂くんだから(中には加工したネタもあるが)
しかし寿司には、握り寿司(江戸前寿司)・押し寿司(箱寿司)・なれ鮨(発酵食品)と
三系統あるんだぜ?
実際、東から西に越してきて
刺身や魚料理に対する価値観が変わるくらいの衝撃は有ったかも。
東京や埼玉だって新鮮な魚が築地や産地から
じゃんじゃん運ばれてるはずなんだが
何なんだろうなこの違いは。
刺身や魚料理に対する価値観が変わるくらいの衝撃は有ったかも。
東京や埼玉だって新鮮な魚が築地や産地から
じゃんじゃん運ばれてるはずなんだが
何なんだろうなこの違いは。
>>936
かって国鉄に存在した保冷貨車(レム5000など)だな
氷ではなくドライアイスだったらしいけれど
敦賀あたりでとれた鯖に塩をまぶして鯖街道を京都へと運ぶと、
ちょうど良い塩加減になったそうだ
鯖は生き腐れと言われるほど足が早いけれど、沢山とれて安価なので、
京都や大阪などでは重宝されたとされる
千六本にした大根などの野菜と昆布とアラを共に煮た船場汁は庶民・丁稚の味だとか
かって国鉄に存在した保冷貨車(レム5000など)だな
氷ではなくドライアイスだったらしいけれど
敦賀あたりでとれた鯖に塩をまぶして鯖街道を京都へと運ぶと、
ちょうど良い塩加減になったそうだ
鯖は生き腐れと言われるほど足が早いけれど、沢山とれて安価なので、
京都や大阪などでは重宝されたとされる
千六本にした大根などの野菜と昆布とアラを共に煮た船場汁は庶民・丁稚の味だとか
寒ブリの季節だなぁ 正月も近いし それ以外にも美味しい魚はとれるが
基本地元でこっそり消費し切るから知名度はない
知名度で言えば鱒の寿し(押し寿司系統)が圧倒的だが鱒は余りとれなくなった
流通してるのは大抵偽物だし まぁ似たようなものは作れるわな
あと別に昆布の産地じゃないのに やたら昆布を使う 昆布パンなるものまである
これはどうやら北前船の影響らしい 北海道との結びつきも強くなったために
北海道に移民した人のルーツとして結構多かったりもするらしい
魚や雑煮、えびす(ゆべし)、おせちの話は地域性が出るから資料的に使える
基本地元でこっそり消費し切るから知名度はない
知名度で言えば鱒の寿し(押し寿司系統)が圧倒的だが鱒は余りとれなくなった
流通してるのは大抵偽物だし まぁ似たようなものは作れるわな
あと別に昆布の産地じゃないのに やたら昆布を使う 昆布パンなるものまである
これはどうやら北前船の影響らしい 北海道との結びつきも強くなったために
北海道に移民した人のルーツとして結構多かったりもするらしい
魚や雑煮、えびす(ゆべし)、おせちの話は地域性が出るから資料的に使える
>>937
産地と関東のスーパーで比較すると、魚の運送保管費+店員人件費+家賃が
単純に上乗せされるうえ、関東の方が金持ちが多いから高くても売れる
さらに、産地スーパーには強力なライバルがいて高値にできない。浜売りと振り売りね
浜売りは港での直売で安くて当然。軽自動車で買い物にくるおばちゃん多数
振り売りは軽トラで巡回販売してくれる魚屋さん。うちのかあちゃんは週1でこれを利用している
市場の売れ残り品なのでどんな魚を持ってくるかはわからんけど、安くて新鮮なのは間違いない
ほんと瀬戸内の港の近くだと魚には困らんな~とつくづく思う
産地と関東のスーパーで比較すると、魚の運送保管費+店員人件費+家賃が
単純に上乗せされるうえ、関東の方が金持ちが多いから高くても売れる
さらに、産地スーパーには強力なライバルがいて高値にできない。浜売りと振り売りね
浜売りは港での直売で安くて当然。軽自動車で買い物にくるおばちゃん多数
振り売りは軽トラで巡回販売してくれる魚屋さん。うちのかあちゃんは週1でこれを利用している
市場の売れ残り品なのでどんな魚を持ってくるかはわからんけど、安くて新鮮なのは間違いない
ほんと瀬戸内の港の近くだと魚には困らんな~とつくづく思う
>941
そうそう。
家の近くの浜通りにも軽トラやリヤカーで売り歩いてるお婆さんとかいるよ。
頼んだらその場でちゃっちゃとさばいてくれる。
あと釣れたばかりの新鮮な太刀魚を持って帰って焼いたら、
こんなに美味しいものかと思ったなぁ。
そうそう。
家の近くの浜通りにも軽トラやリヤカーで売り歩いてるお婆さんとかいるよ。
頼んだらその場でちゃっちゃとさばいてくれる。
あと釣れたばかりの新鮮な太刀魚を持って帰って焼いたら、
こんなに美味しいものかと思ったなぁ。
北海道から東京に出てきてまず驚いたのは牛乳と魚の高さだったな……ホッケ小さすぎワロタ
魚と言えばとある小説で
「山奥の田舎の家では魚が貴重だから、客人には近所でとれる新鮮な山菜(雑草扱い)ではなく
山向こうの町のスーパーで買ったしなびた刺身を出す。悪気はない」
というくだりがあったんだが本当なのか
魚と言えばとある小説で
「山奥の田舎の家では魚が貴重だから、客人には近所でとれる新鮮な山菜(雑草扱い)ではなく
山向こうの町のスーパーで買ったしなびた刺身を出す。悪気はない」
というくだりがあったんだが本当なのか
>>943
本当だよ、山奥ではかってお刺身はお盆の寄り合いとかのご馳走扱いだった
スーパーそのものが少なくて、6キロ歩いて買い出しに行った思い出がある
いまでは巨大SCが2つもあって、まったく違うw
でも寄り合いになるとお刺身やフライのセットが売れるねぇ
今でも縄でぐるぐる巻きにした塩ブリってあるのかな、巻ブリと呼ぶそうだが
長野の山奥ではあれが重宝された
本当だよ、山奥ではかってお刺身はお盆の寄り合いとかのご馳走扱いだった
スーパーそのものが少なくて、6キロ歩いて買い出しに行った思い出がある
いまでは巨大SCが2つもあって、まったく違うw
でも寄り合いになるとお刺身やフライのセットが売れるねぇ
今でも縄でぐるぐる巻きにした塩ブリってあるのかな、巻ブリと呼ぶそうだが
長野の山奥ではあれが重宝された
山奥の旅館で海の幸が出た時のソレジャナイ感
山で採れる新鮮な山の幸の方が嬉しいかな…
山で採れる新鮮な山の幸の方が嬉しいかな…
川魚なん文字通り雑魚だし、蕎麦も米の代用品未満の不味い穀物だしな。
これでもか!と塩まみれのイカやサケなんかを盆暮れ正月の御馳走として饗すわけだ。
――が、昨今は価値観(値段も)が逆転してやがる。
三昔前の貧乏人は麦を喰えが、今じゃあ貧乏だから米を喰う世の中だ。
これでもか!と塩まみれのイカやサケなんかを盆暮れ正月の御馳走として饗すわけだ。
――が、昨今は価値観(値段も)が逆転してやがる。
三昔前の貧乏人は麦を喰えが、今じゃあ貧乏だから米を喰う世の中だ。
>>947
むかし読んだ釣り雑誌であったな
正月用にウグイ(ハヤ)で甘露煮を作る為に、伊豆の狩野川水系に寒バヤ釣りに赴いたという紀行だったが、
宿に泊ったら「何にもないですけれど」ととれたての肉厚シイタケと、地場の名物の本ワサビを1本出され、
囲炉裏で焼いておろしたてのワサビ醤油で食べたそうだ……美味そう
むかし読んだ釣り雑誌であったな
正月用にウグイ(ハヤ)で甘露煮を作る為に、伊豆の狩野川水系に寒バヤ釣りに赴いたという紀行だったが、
宿に泊ったら「何にもないですけれど」ととれたての肉厚シイタケと、地場の名物の本ワサビを1本出され、
囲炉裏で焼いておろしたてのワサビ醤油で食べたそうだ……美味そう
ふぐの消費量は大きな差があるな
何故食べない
あんなに美味しいのに
やっぱり産地が西に集中してるせい?
あと太刀魚とかも西高東低か
何故食べない
あんなに美味しいのに
やっぱり産地が西に集中してるせい?
あと太刀魚とかも西高東低か
なかなか山菜でおもてなし料理というのに思いいたらないんだろうね
あれは普通に毎日食べるものでいわば「ケ」の料理だから
「ハレ」の料理となると滅多に食べないもの、作るのに手間がかかるもの、
見た目が豪勢で量が多いもの、になっちゃう
山菜美味しいけどね
あれは普通に毎日食べるものでいわば「ケ」の料理だから
「ハレ」の料理となると滅多に食べないもの、作るのに手間がかかるもの、
見た目が豪勢で量が多いもの、になっちゃう
山菜美味しいけどね
最近、海無しであるうちの県が温泉でフグの養殖に成功して
話題になってるなそういや
毒がないっていうし一度食べてみたいもんだ
話題になってるなそういや
毒がないっていうし一度食べてみたいもんだ
>>952
そもそもふぐなんて滅多に店に並んでないから食べたいと思ってもそうそう食べられるもんじゃない
そもそもふぐなんて滅多に店に並んでないから食べたいと思ってもそうそう食べられるもんじゃない
>>952
以前漁業の歴史を調べた事があるんだけど、
やはり文化的に西日本の方が漁業が発達していたみたいなので、
その辺の影響があるのかもしれない。
江戸時代になって西日本の先進的な漁業が東日本にも伝播するんだけど、
それまではかなり原始的な漁法が中心だったよう。
以前漁業の歴史を調べた事があるんだけど、
やはり文化的に西日本の方が漁業が発達していたみたいなので、
その辺の影響があるのかもしれない。
江戸時代になって西日本の先進的な漁業が東日本にも伝播するんだけど、
それまではかなり原始的な漁法が中心だったよう。
地方の味わいを求めるのも結構なことだが、
夏休み頃や年末年始辺りに信州にやって来て山の幸だのなんだの言われても、
時節柄「あるわけねぇ」んで求める側の感覚にも問題大ありだわな。
まぁ、苺の旬が1~2月なんておかしな事がまかり通ってる世の中じゃしかたあるまい。
夏休み頃や年末年始辺りに信州にやって来て山の幸だのなんだの言われても、
時節柄「あるわけねぇ」んで求める側の感覚にも問題大ありだわな。
まぁ、苺の旬が1~2月なんておかしな事がまかり通ってる世の中じゃしかたあるまい。
伊香保温泉に泊まったときカニが出た。
こんな山奥でカニかよ…と食べてみたら新鮮でびっくり。ズワイの刺身だった。
聞いたら新潟から朝どりを直送して貰ってるとか。
高崎の回転寿司には生タラが出る。
時代は変わった…。
こんな山奥でカニかよ…と食べてみたら新鮮でびっくり。ズワイの刺身だった。
聞いたら新潟から朝どりを直送して貰ってるとか。
高崎の回転寿司には生タラが出る。
時代は変わった…。
不況で競争も厳しいから、どこも努力しているんだろうな
夏の京都の名物はハモだが、なんでハモかと思っていたら、
海の魚で唯一生きたまま、神戸や明石の漁場から運べるのが、
生命力の強いハモだからと知った、京都にとっては貴重な新鮮な魚
それで調理法が発達したのだそうだ
夏の京都の名物はハモだが、なんでハモかと思っていたら、
海の魚で唯一生きたまま、神戸や明石の漁場から運べるのが、
生命力の強いハモだからと知った、京都にとっては貴重な新鮮な魚
それで調理法が発達したのだそうだ
アンモニアで腐らないから陸に運べるサメがワニ料理になるようなものか。
まぁわざわざ何十キロも運んでまで食べるとか、
昔から食に対する要求って高いもんだな。
まぁわざわざ何十キロも運んでまで食べるとか、
昔から食に対する要求って高いもんだな。
福島で獲れた鮫を栃木まで運ぶための街道ができて発展したんだっけな
鮫食って中国地方(ワニ料理)だけかと思ったら栃木でも食べる習慣があるのか!
山口県の海沿いの某市に越してきたら、
ちょっと釣りに行けばアジは当たり前、太刀もチヌもキスゴもその他もろもろ釣れるわ、
カキは岩場で採れるわ、少し山の方に上がれば鮎も釣れるし山菜も季節ごとに採れるし、
フグも釣れるんだけどこれは怖いんでリリースするが、
そもそも普通のスーパーで鯛よりちょっといいくらいの価格で刺身を売ってるし、
もうここは天国かと思ったが、いかんせん仕事がなかなか無かった…
でもそうやって暮らしてて趣味程度の畑をこさえると、
実はあんまり現金使わなくても暮らせてるんだよな…。
ただ車が無いと途端に地獄のような不便さになるが。
ちょっと釣りに行けばアジは当たり前、太刀もチヌもキスゴもその他もろもろ釣れるわ、
カキは岩場で採れるわ、少し山の方に上がれば鮎も釣れるし山菜も季節ごとに採れるし、
フグも釣れるんだけどこれは怖いんでリリースするが、
そもそも普通のスーパーで鯛よりちょっといいくらいの価格で刺身を売ってるし、
もうここは天国かと思ったが、いかんせん仕事がなかなか無かった…
でもそうやって暮らしてて趣味程度の畑をこさえると、
実はあんまり現金使わなくても暮らせてるんだよな…。
ただ車が無いと途端に地獄のような不便さになるが。
京都や奈良に都が置かれたことは、魚のランクにも影響している
日本料理に於いて、魚のトップはコイと定められている
さらにコイの中でもランクがあり、琵琶湖や淀川のような「大湖、大河」のコイが、
ベストで、池や用水路、田んぼなどのコイはランクがすごく下がるという
海の魚ではタイ、次いでヒラメで、内湾の水質汚染が進んだ今ではほとんど食用にされないボラも、
かってはそれに次ぐ高級魚扱いで、しかもたくさんとれるから庶民の口にも入りやすかったという
「鸚鵡籠中記」でも宿直の際、ボラ二本を焼いて弁当に添え同僚や足軽たちと食べ、そして大いに飲んだとか
どういう勤務をやっていたのか……
日本料理に於いて、魚のトップはコイと定められている
さらにコイの中でもランクがあり、琵琶湖や淀川のような「大湖、大河」のコイが、
ベストで、池や用水路、田んぼなどのコイはランクがすごく下がるという
海の魚ではタイ、次いでヒラメで、内湾の水質汚染が進んだ今ではほとんど食用にされないボラも、
かってはそれに次ぐ高級魚扱いで、しかもたくさんとれるから庶民の口にも入りやすかったという
「鸚鵡籠中記」でも宿直の際、ボラ二本を焼いて弁当に添え同僚や足軽たちと食べ、そして大いに飲んだとか
どういう勤務をやっていたのか……
京は遠ても十八里
魚で道というと、鯖街道は外せない
閑話休題
ちょっと、ふぐについて調べてきたが
元々ふぐのことを鉄砲と呼んでいたのは関東の人達だっただとさ
天下のお膝元で禁止されてるふぐを食べるなんて、大っぴらには言えなかったから
隠語としてテッポウが使われるようになった
それと小林一茶が河豚を絶賛する歌を遺してる
河豚食わぬ奴には見せなふじの山
五十にて河豚の味を知る夜かな
関東でも食べられてたようなのに何故こんなに廃れたのやら
魚で道というと、鯖街道は外せない
閑話休題
ちょっと、ふぐについて調べてきたが
元々ふぐのことを鉄砲と呼んでいたのは関東の人達だっただとさ
天下のお膝元で禁止されてるふぐを食べるなんて、大っぴらには言えなかったから
隠語としてテッポウが使われるようになった
それと小林一茶が河豚を絶賛する歌を遺してる
河豚食わぬ奴には見せなふじの山
五十にて河豚の味を知る夜かな
関東でも食べられてたようなのに何故こんなに廃れたのやら
関東の海だとろくなフグがいないから
ショウサイフグのように肉にまで弱毒があったりね
(成人で体重60kgだと肉100~150グラムが限度だとか)
サバフグなんて三浦半島に押し寄せて来るけれど猛毒だし
トラフグやマフグはやはり山口はじめ西の方のもの
フグよりは近縁のカワハギやウマヅラハギの方がなじみ深い
ショウサイフグのように肉にまで弱毒があったりね
(成人で体重60kgだと肉100~150グラムが限度だとか)
サバフグなんて三浦半島に押し寄せて来るけれど猛毒だし
トラフグやマフグはやはり山口はじめ西の方のもの
フグよりは近縁のカワハギやウマヅラハギの方がなじみ深い
×サバフグ
○クサフグ
○クサフグ
江戸時代には冬場になるとフグの売り歩きやフグ汁の屋台も出たが
下魚というわりには結構な高値で売られていたらしい
多くの藩では武士のフグ食を禁じていて違反すると家名断絶もあったとか
明治以降は免許制と高級化で庶民の食生活から遠ざかってしまったのだろうね
死者が出たりするとニュースで報道されてしまうことも影響しているのかもしれない
歌舞伎役者や力士がフグにあたって死んだ時は顕著に売れ行きが落ちこんだという
下魚というわりには結構な高値で売られていたらしい
多くの藩では武士のフグ食を禁じていて違反すると家名断絶もあったとか
明治以降は免許制と高級化で庶民の食生活から遠ざかってしまったのだろうね
死者が出たりするとニュースで報道されてしまうことも影響しているのかもしれない
歌舞伎役者や力士がフグにあたって死んだ時は顕著に売れ行きが落ちこんだという
◆ 其の二十二(スレ22)>>703–720
昔の農家は忙しい農繁期には毎日が漬け物と、あと旬の野菜の煮付けが普通
今日もニンジン、明日もニンジン、あさってもryという具合
でもみんなそんなもんだと普通に受け止めていたという
動物性タンパク質の魚は内陸だと川や池、田んぼでとれたフナやコイ、ハヤやドジョウなど
不思議なのは、昭和初期の岡山の中級の農村(稲作やイグサ)も農繁期は川魚ばかりで、
瀬戸内が近いのに海魚は買わなかったという、しかし1日5食! 幽々子さま…よだれよだれ
海魚は秋の収穫と、お祭りの時期のご馳走だったそうで、その時期だけあきれるほど買われ、
盛んに食べられたそうだが、祭礼が終わるとまた買わなくなったという
人里の農家の食生活が垣間見えそう
今日もニンジン、明日もニンジン、あさってもryという具合
でもみんなそんなもんだと普通に受け止めていたという
動物性タンパク質の魚は内陸だと川や池、田んぼでとれたフナやコイ、ハヤやドジョウなど
不思議なのは、昭和初期の岡山の中級の農村(稲作やイグサ)も農繁期は川魚ばかりで、
瀬戸内が近いのに海魚は買わなかったという、しかし1日5食! 幽々子さま…よだれよだれ
海魚は秋の収穫と、お祭りの時期のご馳走だったそうで、その時期だけあきれるほど買われ、
盛んに食べられたそうだが、祭礼が終わるとまた買わなくなったという
人里の農家の食生活が垣間見えそう
東方がらみで諏訪地方の食慣習を、ハレの日を中心にして紹介
正月には餅をたくさんついて神々や先祖にお供えする、餅つきは12月28日から30日の間の行事
元旦には歳神にお供えしたお酒を一口づつちょうだいし、色々な野菜や豆を入れた雑煮を作る
1月2日、炊き初めといい、その年初めてのご飯を炊いてとろろ汁にして食べる
1月3日、恵比寿さまの年取りと呼ばれ、小豆ごはんを食べる
1月6日、カニの年取りと呼ばれ、サワガニをとってきて焼いて食べ、煮物やイワシも食べる
1月7日、七草、ただし野草ではなくて、各家庭の畑で作られた冬野菜を使う
1月11日、お蔵開き その年はじめて土蔵を開ける、お供え餅をこの日に砕いて食べる
13〜14日、小正月で、餅をふたたびお供えし、ねずみの年取りと呼ばれる14日には柳の枝のお箸を使う 料理は正月に準じる
1月20日、正月のお供え(稲穂で作った正月飾りの花その他)で雑煮を作る
2月3日、節分、鬼の年取りとも呼ぶ 豆まきの豆で豆茶を作り飲む 野菜や凍み豆腐(高野豆腐)の具沢山煮物を作り、イワシを食べる
2月8日、事八日 農家にとり民俗学上、全国的に重要な日 事始めの日かつ忌み日 厄を払うために臭気の強い事えぶし(燻し)を玄関で燃やす
ぼたもちを作って道祖神にお供えする
★ソフト不安定につき、スレを分割させていただきます ごめんなさい、諸兄
正月には餅をたくさんついて神々や先祖にお供えする、餅つきは12月28日から30日の間の行事
元旦には歳神にお供えしたお酒を一口づつちょうだいし、色々な野菜や豆を入れた雑煮を作る
1月2日、炊き初めといい、その年初めてのご飯を炊いてとろろ汁にして食べる
1月3日、恵比寿さまの年取りと呼ばれ、小豆ごはんを食べる
1月6日、カニの年取りと呼ばれ、サワガニをとってきて焼いて食べ、煮物やイワシも食べる
1月7日、七草、ただし野草ではなくて、各家庭の畑で作られた冬野菜を使う
1月11日、お蔵開き その年はじめて土蔵を開ける、お供え餅をこの日に砕いて食べる
13〜14日、小正月で、餅をふたたびお供えし、ねずみの年取りと呼ばれる14日には柳の枝のお箸を使う 料理は正月に準じる
1月20日、正月のお供え(稲穂で作った正月飾りの花その他)で雑煮を作る
2月3日、節分、鬼の年取りとも呼ぶ 豆まきの豆で豆茶を作り飲む 野菜や凍み豆腐(高野豆腐)の具沢山煮物を作り、イワシを食べる
2月8日、事八日 農家にとり民俗学上、全国的に重要な日 事始めの日かつ忌み日 厄を払うために臭気の強い事えぶし(燻し)を玄関で燃やす
ぼたもちを作って道祖神にお供えする
★ソフト不安定につき、スレを分割させていただきます ごめんなさい、諸兄
×スレ
○レス
諏訪の食慣習その2〜春〜
3月3日、桃の節句、お供えは菱餅や洗ったお米、のこんめりと呼ばれる砂糖をまぶした炒り豆
女の子の初節句の家では、菱餅を余分に作ってご近所や親類に配る
彼岸過ぎに野良仕事が始まると、1日4食とされる
4月18日、あきわさま(秋葉さまか?)の祭りで、甘酒が振る舞われる
5月2日、八十八夜、カイコの神様にぼたもちを捧げる 畑仕事がはじまる
5月5日、菖蒲の節句(端午)、菖蒲とヨモギを軒に吊るす
男の子が生まれると三日前から親類一同が集まり、鯉のぼりなどで祝う
6月上旬ごろ、田植え 養蚕も兼業する農家なら、人を雇い入れ、1日で田植えを済ませる
餅、ごはん、ホタルイカの塩漬け、フキや凍み豆腐などの煮物、和え物などのご馳走で、
働いてくれた人々をねぎらい、夕食にはお酒もつける
初夏〜夏、食卓にワカサギ、タニシ、シジミなど諏訪湖の幸がのぼるようになる
暑い日にはひやむぎが食される
お盆(旧盆)、8月7日の御魂迎えから始まり、お墓から祖霊を松明をかざして導く
これが迎え火を兼ねる
8月13日、お盆の棚を飾り付ける、お墓に行くのはこの日の晩の場合も
14日、柏の葉にのせたご飯を盆棚にお供え、野菜等の天ぷらや根菜の煮物も供える
15日、餅をつき、めえだまもち(目玉餅)なる目玉の様に丸い団子をつくり供える
16日、送り火、お墓参りの後、家の門口で送り火を燃やす(信州では一般にシラカバの樹皮)
諏訪湖の魚が夕食に供されたりもする
18日、羅漢さまの日、甘茶が振る舞われ、盆踊りをする
8月27日、東方には一番関係しそうな「御射山さま=ミシャグジさま」の日
二歳の子供たちをお参りさせ、無病息災を祈り、ウナギやドジョウを放流する
この日をすぎると、イナゴ、秋の作物を食べることが許される
二百十日は風祭り、若者たちは村のお堂で宴会をし、村の子供たちはシジミ汁を食べる
加奈子さまの日とも考えられるね
9月15日、十五夜 団子、ぼたもち、枝豆などを一斗枡に入れ、ススキとともにお供えする
10月13夜、十三夜 おなじく団子、ぼたもち、野菜などを一升枡や箕に入れて、月光のあたる縁側などに供える
11月10日、とうかんや(10日夜)、山の神さまにお礼をする日、米粉の団子(ただし蒸さない、茹でる?)を、
藁苞(わらづと)に入れて持っていき、お供えする
かかしを田んぼから上げる日でもあり、役目を終えたかかしに野菜やぼたもちをお供えして労う
12月8日、事八日 2月8日と並ぶ農事上の重要な日で、事納めの日、そして厄日
おはぎを作り、カボチャを食べて病気を払う
以上、長くなりましたが、諏訪地方(諏訪市豊田地区)で採取された昔の慣習です
諏訪盆地も広いので、若干異なる習慣もあるかと思われますが、ケロちゃんや加奈子さまたち、
あと現代っ子とは言え早苗さんが生まれ育った土地の風習の一例として
長くなりすぎるので、四季の普段食は割愛しました
出典:「聞き書き 長野の食事」農文社刊
○レス
諏訪の食慣習その2〜春〜
3月3日、桃の節句、お供えは菱餅や洗ったお米、のこんめりと呼ばれる砂糖をまぶした炒り豆
女の子の初節句の家では、菱餅を余分に作ってご近所や親類に配る
彼岸過ぎに野良仕事が始まると、1日4食とされる
4月18日、あきわさま(秋葉さまか?)の祭りで、甘酒が振る舞われる
5月2日、八十八夜、カイコの神様にぼたもちを捧げる 畑仕事がはじまる
5月5日、菖蒲の節句(端午)、菖蒲とヨモギを軒に吊るす
男の子が生まれると三日前から親類一同が集まり、鯉のぼりなどで祝う
6月上旬ごろ、田植え 養蚕も兼業する農家なら、人を雇い入れ、1日で田植えを済ませる
餅、ごはん、ホタルイカの塩漬け、フキや凍み豆腐などの煮物、和え物などのご馳走で、
働いてくれた人々をねぎらい、夕食にはお酒もつける
初夏〜夏、食卓にワカサギ、タニシ、シジミなど諏訪湖の幸がのぼるようになる
暑い日にはひやむぎが食される
お盆(旧盆)、8月7日の御魂迎えから始まり、お墓から祖霊を松明をかざして導く
これが迎え火を兼ねる
8月13日、お盆の棚を飾り付ける、お墓に行くのはこの日の晩の場合も
14日、柏の葉にのせたご飯を盆棚にお供え、野菜等の天ぷらや根菜の煮物も供える
15日、餅をつき、めえだまもち(目玉餅)なる目玉の様に丸い団子をつくり供える
16日、送り火、お墓参りの後、家の門口で送り火を燃やす(信州では一般にシラカバの樹皮)
諏訪湖の魚が夕食に供されたりもする
18日、羅漢さまの日、甘茶が振る舞われ、盆踊りをする
8月27日、東方には一番関係しそうな「御射山さま=ミシャグジさま」の日
二歳の子供たちをお参りさせ、無病息災を祈り、ウナギやドジョウを放流する
この日をすぎると、イナゴ、秋の作物を食べることが許される
二百十日は風祭り、若者たちは村のお堂で宴会をし、村の子供たちはシジミ汁を食べる
加奈子さまの日とも考えられるね
9月15日、十五夜 団子、ぼたもち、枝豆などを一斗枡に入れ、ススキとともにお供えする
10月13夜、十三夜 おなじく団子、ぼたもち、野菜などを一升枡や箕に入れて、月光のあたる縁側などに供える
11月10日、とうかんや(10日夜)、山の神さまにお礼をする日、米粉の団子(ただし蒸さない、茹でる?)を、
藁苞(わらづと)に入れて持っていき、お供えする
かかしを田んぼから上げる日でもあり、役目を終えたかかしに野菜やぼたもちをお供えして労う
12月8日、事八日 2月8日と並ぶ農事上の重要な日で、事納めの日、そして厄日
おはぎを作り、カボチャを食べて病気を払う
以上、長くなりましたが、諏訪地方(諏訪市豊田地区)で採取された昔の慣習です
諏訪盆地も広いので、若干異なる習慣もあるかと思われますが、ケロちゃんや加奈子さまたち、
あと現代っ子とは言え早苗さんが生まれ育った土地の風習の一例として
長くなりすぎるので、四季の普段食は割愛しました
出典:「聞き書き 長野の食事」農文社刊
地元民だがいろいろあるねー、補足として食べることと言えば
小正月だと歳神様に繭玉(米粉のお団子)を枝につけた「稲の花」(別の地方の呼称は餅花かな?)
を供えてどんど焼きで焼いて食べて無病息災を祈る、ちなみに仏様に供える同様の物は「ズボウバナ」
実際見ないと分からないであろう「カニの歳取り」と事八日の「ぼた餅を塗られた道祖神」は消えつつあるね
お盆の迎え火と送り火は諏訪地域でやり方がいろいろあって混在しているみたい
あと「御射山さま=ミシャグジさま」には異論があるだろう
小正月だと歳神様に繭玉(米粉のお団子)を枝につけた「稲の花」(別の地方の呼称は餅花かな?)
を供えてどんど焼きで焼いて食べて無病息災を祈る、ちなみに仏様に供える同様の物は「ズボウバナ」
実際見ないと分からないであろう「カニの歳取り」と事八日の「ぼた餅を塗られた道祖神」は消えつつあるね
お盆の迎え火と送り火は諏訪地域でやり方がいろいろあって混在しているみたい
あと「御射山さま=ミシャグジさま」には異論があるだろう
>>706
ありがとうございます
諏訪でもどんど焼きは盛んなのですね、自分は安曇野〜大町ほかの関係者です
繭の豊作を祈って繭玉を作り、木の枝に刺して焼いて食べる慣習はこちらでもかって盛んだったそうです
都市化により農業、とりわけ養蚕が廃れたことで消えつつありますが、古老たちの間では記憶されています
ミシャグジさまは得体の知れない神様ですが、松本盆地では御射山、三才山、ミサヤマさまなどと呼ばれ、
どうやら自然の神様であるのは確かみたいです(祀り方は色々らしいです、自分はかって、関係する東筑郡の村では、
毎月、縁日があったと聞かされていますが、それが何日かまではすでに古老からも忘れられていました)
ありがとうございます
諏訪でもどんど焼きは盛んなのですね、自分は安曇野〜大町ほかの関係者です
繭の豊作を祈って繭玉を作り、木の枝に刺して焼いて食べる慣習はこちらでもかって盛んだったそうです
都市化により農業、とりわけ養蚕が廃れたことで消えつつありますが、古老たちの間では記憶されています
ミシャグジさまは得体の知れない神様ですが、松本盆地では御射山、三才山、ミサヤマさまなどと呼ばれ、
どうやら自然の神様であるのは確かみたいです(祀り方は色々らしいです、自分はかって、関係する東筑郡の村では、
毎月、縁日があったと聞かされていますが、それが何日かまではすでに古老からも忘れられていました)
イワシを結構食べるのね。
たぶん干しイワシか塩イワシと思うけどご馳走だったんだな…。
諏訪は塩イカは食べないのかな?
たぶん干しイワシか塩イワシと思うけどご馳走だったんだな…。
諏訪は塩イカは食べないのかな?
塩イカに関しては、以下のPDFがあるようです 「聞き取り 信州の食事」には出てきません
(この著書が対象としている年代は、大正〜昭和初期です 料理や慣習もその時代のもの)
塩イカがいつ頃から庶民に広まったにせよ、けっこう、贅沢品だったのかも
ちなみに自分は岡谷市内のスーパーでまるごとの現物を初めて見て、入手しました
(この著書が対象としている年代は、大正〜昭和初期です 料理や慣習もその時代のもの)
塩イカがいつ頃から庶民に広まったにせよ、けっこう、贅沢品だったのかも
ちなみに自分は岡谷市内のスーパーでまるごとの現物を初めて見て、入手しました
ありゃ、やはり調整がおかしい
塩イカの貴重な研究のPDF
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1987/55/2/55_2_167/_pdf
すみませんでした
ちなみに東筑郡の親族の村では、塩イカは見た事なく、
塩マスとかサンマやイワシの干物や塩漬け、縄で巻いた塩ブリ(正月のご馳走)など
松本や諏訪方面との流通ルートの違いかもしれません
(たぶん、新潟〜長野方面と、糸魚川方面から海産物を入荷、
だから日本海の産物がご馳走)
塩イカの貴重な研究のPDF
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1987/55/2/55_2_167/_pdf
すみませんでした
ちなみに東筑郡の親族の村では、塩イカは見た事なく、
塩マスとかサンマやイワシの干物や塩漬け、縄で巻いた塩ブリ(正月のご馳走)など
松本や諏訪方面との流通ルートの違いかもしれません
(たぶん、新潟〜長野方面と、糸魚川方面から海産物を入荷、
だから日本海の産物がご馳走)
内陸だと海産物はやはり乾物主体になっちゃうのかしら
塩漬け。
塩鰤とか塩引きの鮭とか。
小型のものは身欠きニシンみたいな乾物になって流通してる。
近世だと缶詰とかも出てくるが……。
で、信州における歳取り魚の鰤と鮭の境界線がどこなんだかよくわからんな。
諏訪辺りは鮭が主流っぽいが、それは親が南信の出だからの可能性が高いのでなんとも……。
つーか、蚕糸業やら精密業で人の出入りが激しくて、もはやそれがどこの習慣だったのか訳の分からん状態になってるよーなw
塩鰤とか塩引きの鮭とか。
小型のものは身欠きニシンみたいな乾物になって流通してる。
近世だと缶詰とかも出てくるが……。
で、信州における歳取り魚の鰤と鮭の境界線がどこなんだかよくわからんな。
諏訪辺りは鮭が主流っぽいが、それは親が南信の出だからの可能性が高いのでなんとも……。
つーか、蚕糸業やら精密業で人の出入りが激しくて、もはやそれがどこの習慣だったのか訳の分からん状態になってるよーなw
松本平を東西に流れる梓川に境目がありそう、行商人の縄張りで多少の錯綜はあっても
梓川左岸より北は安曇野、安曇族の地
右岸より南は松本〜善知鳥峠(うとうとうげ)を経て諏訪の地
(東方的には、加奈子さまの諏訪侵攻ルート)
お祭りの主体、フネと御柱の境でもありますしね、ひとつの推測として
同じ三宮格でも、北の穂高神社は船、南の沙田神社は御柱ですし
あのあたりにひとつの境界がありそうです、既知の食材では海藻を用いたエゴは、
梓川から北、旧豊科町(現安曇野市)付近から北の食材ですし、日本海の産物です
神主に塩ブリだったか、エゴを知っているか聞ければねぇ
梓川左岸より北は安曇野、安曇族の地
右岸より南は松本〜善知鳥峠(うとうとうげ)を経て諏訪の地
(東方的には、加奈子さまの諏訪侵攻ルート)
お祭りの主体、フネと御柱の境でもありますしね、ひとつの推測として
同じ三宮格でも、北の穂高神社は船、南の沙田神社は御柱ですし
あのあたりにひとつの境界がありそうです、既知の食材では海藻を用いたエゴは、
梓川から北、旧豊科町(現安曇野市)付近から北の食材ですし、日本海の産物です
神主に塩ブリだったか、エゴを知っているか聞ければねぇ
我が道を行くという点では、霊夢は信州人気質だな、神主も
上の方でトマトの受容に関してあったけれども、
明治前半は観賞用で、明治42年でさえ民間では「一般の嗜好に向かず、庭の眺めに添えるもの」
そんな評価だったが、西欧料理家や海軍では評価されていた、同年、海軍ではトマトは用途が広いとしている
「ホオヅキに似た味がして、たちまち嘔吐を催す」という人々の評価も、
明治末期から大正期を通じるうちに次第に変化し、
「トマト畑なんか見たくもないと背を向ける人も、慣れてしまえば病み付きになる味」
と受容が進んでゆき、最初は白いご飯を具と炒めたものだった海軍オムライスにも、トマトソースないし、
ケチャップが色付けに用いられるようになり、
昭和3年、民間で発行されたレシピ本では、トマトソースでご飯に色をつけると記された
江戸時代から庶民レベルの受容にこれほど長くかかったらしい
もちろん、洋食なんてものがある都市部でだが
上の方でトマトの受容に関してあったけれども、
明治前半は観賞用で、明治42年でさえ民間では「一般の嗜好に向かず、庭の眺めに添えるもの」
そんな評価だったが、西欧料理家や海軍では評価されていた、同年、海軍ではトマトは用途が広いとしている
「ホオヅキに似た味がして、たちまち嘔吐を催す」という人々の評価も、
明治末期から大正期を通じるうちに次第に変化し、
「トマト畑なんか見たくもないと背を向ける人も、慣れてしまえば病み付きになる味」
と受容が進んでゆき、最初は白いご飯を具と炒めたものだった海軍オムライスにも、トマトソースないし、
ケチャップが色付けに用いられるようになり、
昭和3年、民間で発行されたレシピ本では、トマトソースでご飯に色をつけると記された
江戸時代から庶民レベルの受容にこれほど長くかかったらしい
もちろん、洋食なんてものがある都市部でだが
年期は不明だが昭和一桁ぐらいと思われる高等女学校4年次(今の高1ぐらい)の「割烹」の教科書が手元にあるんだが、
カタカナ表記野菜だとキャベツ、トマト、グリンピースあたりは頻繁に実習レシピに出てくる。
もちろん、全部のメニューを調理実習したというよりその土地の流通事情に合ったものを使ったんだろうけど、
この頃になるとそれなりには普及してたみたい。
参考レシピ:筍と鶏肉の西洋てんぷらトマトソース
鶏200グラム 筍一本 バター大匙一 卵白5ヶ めりけん粉大匙三 葛大匙一 うど四本 牛乳200cc 塩 胡椒 ラード
トマトソース [トマト300グラム 塩小匙一 砂糖一つまみ 牛乳200cc 葛中匙一]
鶏はよく叩きミンチに。卵白は硬く泡立てること。卵白を二等分し半分を鶏とめりけん粉大匙二を加えあえる。
筍は銀杏切り、茹で上げ水切りのちバター炒め。
塩胡椒して鶏に混合せ玉子型に丸め残りのめりけん粉をつけ泡立て卵白をつけ浮いて狐色に至るまで油揚げ。
材料を煮て火より下したトマトソースをかける。
うどは長切り、皮むき、茹で上げバター炒めのち塩胡椒。筍と同時に行うが出来上がりの時間の差に注意すること
※余った卵黄を用いてプリン等を作る場合別途牛乳、砂糖を用意し蒸し鍋を準備すること。
ちなみに高等女学校4年次だと週2時間この割烹調理実習があったらしく(卒業年度である5年次には週4時間になる)
本膳料理の組み方とかスープストックのとり方、茶席や晩餐会での調理&給仕&テーブルマナー実習など色々と興味深い。
三学期にある紀元節にあわせて二日がかりでパーティー準備をして
下級生や保護者をゲスト役にしてふるまうのが一年の仕上げだったらしい。
当時のそれなりの女学生なら紅魔館のメイド採用余裕っぽいな。
カタカナ表記野菜だとキャベツ、トマト、グリンピースあたりは頻繁に実習レシピに出てくる。
もちろん、全部のメニューを調理実習したというよりその土地の流通事情に合ったものを使ったんだろうけど、
この頃になるとそれなりには普及してたみたい。
参考レシピ:筍と鶏肉の西洋てんぷらトマトソース
鶏200グラム 筍一本 バター大匙一 卵白5ヶ めりけん粉大匙三 葛大匙一 うど四本 牛乳200cc 塩 胡椒 ラード
トマトソース [トマト300グラム 塩小匙一 砂糖一つまみ 牛乳200cc 葛中匙一]
鶏はよく叩きミンチに。卵白は硬く泡立てること。卵白を二等分し半分を鶏とめりけん粉大匙二を加えあえる。
筍は銀杏切り、茹で上げ水切りのちバター炒め。
塩胡椒して鶏に混合せ玉子型に丸め残りのめりけん粉をつけ泡立て卵白をつけ浮いて狐色に至るまで油揚げ。
材料を煮て火より下したトマトソースをかける。
うどは長切り、皮むき、茹で上げバター炒めのち塩胡椒。筍と同時に行うが出来上がりの時間の差に注意すること
※余った卵黄を用いてプリン等を作る場合別途牛乳、砂糖を用意し蒸し鍋を準備すること。
ちなみに高等女学校4年次だと週2時間この割烹調理実習があったらしく(卒業年度である5年次には週4時間になる)
本膳料理の組み方とかスープストックのとり方、茶席や晩餐会での調理&給仕&テーブルマナー実習など色々と興味深い。
三学期にある紀元節にあわせて二日がかりでパーティー準備をして
下級生や保護者をゲスト役にしてふるまうのが一年の仕上げだったらしい。
当時のそれなりの女学生なら紅魔館のメイド採用余裕っぽいな。
トマトソースについては知らないが、
ケチャップは長く輸入品主体で、国産品が登場したのは大正8年、
「食品工業」なる会社が設立と同時に販売を開始し、
西洋料理店や上流階級のお屋敷、海軍などからの需要が主だったという
トマトについて調べるとやたら海軍が出てくるが、仕事の性質上、
政治家や外交官らと同様、外国の文化や味に触れる機会が多いためと考えられる
実際、公式のレシピ集「海軍料理指南書(明42刊・昭17改訂)」でもたくさん出てくる
ただオムライスは士官たちの料理、一度食べて見たかったという兵士の証言もある
まあ何千人もいる兵士たちの分を作ったら、調理場を預かる主計課の要員は死ぬな
チキンライスもオムライスも西洋料理をまねた日本発祥の料理なので、
紅魔館のメニューにあるかどうかは怪しい、今のそれらは血の色をしているから、
おぜうが喜びそうなのだけれども
ケチャップは長く輸入品主体で、国産品が登場したのは大正8年、
「食品工業」なる会社が設立と同時に販売を開始し、
西洋料理店や上流階級のお屋敷、海軍などからの需要が主だったという
トマトについて調べるとやたら海軍が出てくるが、仕事の性質上、
政治家や外交官らと同様、外国の文化や味に触れる機会が多いためと考えられる
実際、公式のレシピ集「海軍料理指南書(明42刊・昭17改訂)」でもたくさん出てくる
ただオムライスは士官たちの料理、一度食べて見たかったという兵士の証言もある
まあ何千人もいる兵士たちの分を作ったら、調理場を預かる主計課の要員は死ぬな
チキンライスもオムライスも西洋料理をまねた日本発祥の料理なので、
紅魔館のメニューにあるかどうかは怪しい、今のそれらは血の色をしているから、
おぜうが喜びそうなのだけれども
>>717
西洋天ぷらという呼び方がいいな
13.5で人里背景の画面が出てくるけれど、やはりカツとかフライとかよりも、
明治〜昭和初期ぐらいの建物ばかり
オムレツでなくオムレットとか、スープじゃなくてソップとか今でも呼んでいそう
明治18年の里人たちにはそれがハイカラだったんだろうなぁ
西洋天ぷらという呼び方がいいな
13.5で人里背景の画面が出てくるけれど、やはりカツとかフライとかよりも、
明治〜昭和初期ぐらいの建物ばかり
オムレツでなくオムレットとか、スープじゃなくてソップとか今でも呼んでいそう
明治18年の里人たちにはそれがハイカラだったんだろうなぁ
>当時のそれなりの女学生なら
その年齢の女の就学率ってどんくらいだろう
あとそういう実習やる女学校の生徒の階層
>おぜう
は少食だから食う分よりこぼして服を赤くする分の方が多いかもな
ケチャップにもいろいろあるらしいが
バナナケチャップやキノコケチャップってのも食してみたい
その年齢の女の就学率ってどんくらいだろう
あとそういう実習やる女学校の生徒の階層
>おぜう
は少食だから食う分よりこぼして服を赤くする分の方が多いかもな
ケチャップにもいろいろあるらしいが
バナナケチャップやキノコケチャップってのも食してみたい