寿司の歴史
民間信仰・民俗 › 生活習俗・禁忌
熟れ寿司から江戸前握り寿司の成立・ファーストフード化・食文化の変遷
◆ 其の十二(スレ12)>>968–980
寿司研究の君へ
ふつうに「名飯部類」っていう本にすしの作り方書いてることなんだが
一応書いとく(意訳)
<巻寿司、また海苔巻き寿司とも>
浅草海苔をを板状に広げて、こけら寿司の飯を置き、
材料には鯛・鮑・椎茸・ミツバ・紫蘇などを用い、硬く巻く。
布巾で湿らしてから暫くして斬る。
<茶巾寿司>
鶏卵の殻から、黄身と白身を分かち、鉢に入れ、よく掻き混ぜ溶き、
薄焼きにして、飯具を置き、包むこと、茶巾餅の如くす。
こんだけwwヽ(・ω・)/ズコー
考察も何もねえよう
とりあえず「名飯部類」ならどっか大学の図書館には余裕であるので一読をお勧めする。
名飯部類は1802年刊行
世は江戸時代。東海道中膝栗毛が最初に出た年
まぁ寿司くらいあるわな
世は江戸時代。東海道中膝栗毛が最初に出た年
まぁ寿司くらいあるわな
今のような、にぎり寿司が出来たのは田沼時代(1772~)よりもあとだったと
だいたい1800年代以降かな
鬼平犯科帳で知られる御加役(火付盗賊改の正式呼称 盗賊追捕などとも)長谷川平蔵宣以は、
にぎり寿司以前の人物だったとされる
だいたい1800年代以降かな
鬼平犯科帳で知られる御加役(火付盗賊改の正式呼称 盗賊追捕などとも)長谷川平蔵宣以は、
にぎり寿司以前の人物だったとされる
寿司自体古くからあるようだが歴史的にいろいろな段階があるようだしな
富士浅間本宮の御朱印貰うついでに寄った清水のすしミュージアムで見た気がする
富士浅間本宮の御朱印貰うついでに寄った清水のすしミュージアムで見た気がする
関西の鮒寿司やバッテラのような発酵型の寿司や押し寿司が19世紀までは江戸でも主流だった
しかし食に対する需要の高まりのため、素早く作れる「早寿司」として、
今のような酢飯を用いた握り寿司が考案されたらしい
「守定漫槁」なる当時の風俗書に依れば。握り寿司が流行ると江戸では押し寿司はたちまち廃れたという
しかし食に対する需要の高まりのため、素早く作れる「早寿司」として、
今のような酢飯を用いた握り寿司が考案されたらしい
「守定漫槁」なる当時の風俗書に依れば。握り寿司が流行ると江戸では押し寿司はたちまち廃れたという
江戸時代の握り寿司は、現代における高級料理のイメージと違って
庶民が小腹を満たすために屋台で食べる、言わばファーストフードだったとか
そういう意味で、最近の全皿100円均回転寿司とかは割りと由緒正しい寿司の在り方なのかも
庶民が小腹を満たすために屋台で食べる、言わばファーストフードだったとか
そういう意味で、最近の全皿100円均回転寿司とかは割りと由緒正しい寿司の在り方なのかも
だけど流行り始めはべらぼうに高かったとか
フランス料理のフルコース=寿司2・3個だそうな
あとかなり大きかったらしい、今の寿司一貫分が一個くらい
フランス料理のフルコース=寿司2・3個だそうな
あとかなり大きかったらしい、今の寿司一貫分が一個くらい
絵では確か、底の浅い直方体のお櫃型容器に握り寿司を並べてた感じだったかな
だから今まで、コンビニのおにぎりみたいな感覚で江戸前の握りを考えてたよ
だから今まで、コンビニのおにぎりみたいな感覚で江戸前の握りを考えてたよ
海の無いという幻想郷なら、その手の江戸前寿司は絶望的だな。
やっぱ熟れ寿司や押し寿司が主流なんだろうか。
いや、ゆかりんが毎朝築地から大量に仕入れたりしてたら・・・
やっぱ熟れ寿司や押し寿司が主流なんだろうか。
いや、ゆかりんが毎朝築地から大量に仕入れたりしてたら・・・
源流でとれたイワナやヤマメならジストマやサナダムシのリスクは低くて生食も可って聞いたが
「魚を生で食う?焼いたほうが美味いだろ」ってのが多いんじゃないかな
幻想郷の寿司=稲荷寿司かもしれないね
油揚げは藍さまが買いに来るぐらいだから、普通に作れるみたいだし
幻想郷の寿司=稲荷寿司かもしれないね
油揚げは藍さまが買いに来るぐらいだから、普通に作れるみたいだし