>>775
なんかの本(国語の説明文かもしれん)で
当時は西日本は凶作で西国の平家の兵は…みたいな説を読んだことがある
元寇の実態と日本の神国思想形成(神風神話・竹崎季長・モンゴル軍の戦術)
比較宗教・哲学 › 歴史的背景
竹崎季長の蒙古襲来絵詞の江戸時代加筆問題。元軍の実態(モンゴル本兵は少数で高麗・旧南宋兵が主力)。暴風雨は撤退時の台風であり勝敗に直結していなかった説。「三面包囲・逃げ道を一つ作る」モンゴル軍の戦術哲学と孫子の連関。元寇が全国の寺社の神国思想・霊験アピール競争の肥料になった経緯。諏訪明神・八幡神の手柄主張。
◆ 其の二十(スレ20)>>795–850
元寇は、日本の神国思想を育てる意味で大きな影響を与えたね
実際、武士は九州の御家人だけで主力勢力が戦ったわけじゃないけど、寺社は日本中の神官僧侶が呪詛祈祷で全力全開戦ってた
それで暴風雨が吹いたら、神風と言いたくなるのもわかる
実際、武士は九州の御家人だけで主力勢力が戦ったわけじゃないけど、寺社は日本中の神官僧侶が呪詛祈祷で全力全開戦ってた
それで暴風雨が吹いたら、神風と言いたくなるのもわかる
二回目の元寇は暴風雨が無かった?って説があったような…
撤退した元軍側の記録は残っているのかな?あと徴用された高麗側の記録はありそう。
嫌韓は韓国がまともに意識され始めた証左だと思う。それ以前はバカにされ過ぎて悪くも良くも話題にもされてなかった。
韓国人は決して無能ではないけどとても日本を支配できるような国ではないよ(劣ってる訳でなく単純な国としての力)。
陰謀論とかあるけど、こちらは乗っ取られるほどバカじゃないし、あちらがいいカモにされてるんじゃ?
嫌韓派は一度韓国を見てくれば、馬鹿馬鹿しくて構う気もなくなると思うよW
撤退した元軍側の記録は残っているのかな?あと徴用された高麗側の記録はありそう。
嫌韓は韓国がまともに意識され始めた証左だと思う。それ以前はバカにされ過ぎて悪くも良くも話題にもされてなかった。
韓国人は決して無能ではないけどとても日本を支配できるような国ではないよ(劣ってる訳でなく単純な国としての力)。
陰謀論とかあるけど、こちらは乗っ取られるほどバカじゃないし、あちらがいいカモにされてるんじゃ?
嫌韓派は一度韓国を見てくれば、馬鹿馬鹿しくて構う気もなくなると思うよW
神風は吹いたのか吹かなかったのかという話だしね
それに対して全国の寺社は何故躍起になって手柄を主張喧伝したかとか
竹崎が絵巻物を捏造しなきゃならないほど恩賞が少なくて困ってたとか
全部つながってくる みんなお金に困っていたわけで
それに対して全国の寺社は何故躍起になって手柄を主張喧伝したかとか
竹崎が絵巻物を捏造しなきゃならないほど恩賞が少なくて困ってたとか
全部つながってくる みんなお金に困っていたわけで
便乗して嫌韓の話題してるのがスレ違い
ドジこいたのが日蓮で、
「自分以外のあらゆる社寺は失敗するはず」
そう思い込み、時代劇の用心棒よろしく、
「先生、どうぞ!」
「どおれ……」
を狙っていたら、元軍大敗北
「自分以外のあらゆる社寺は失敗するはず」
そう思い込み、時代劇の用心棒よろしく、
「先生、どうぞ!」
「どおれ……」
を狙っていたら、元軍大敗北
>>804
侵略戦じゃなくて防衛戦だったからね
勝っても何も得るものはない、海の向こうだから勢いに乗って逆に攻め返すのも無理
つまり褒賞を与えるどころか掛かった戦費分丸損なわけで
そのせいで御恩と奉公の信頼関係が崩れて幕府が揺らぎ、後醍醐天皇が野心を実行に移して倒壊する羽目に
侵略戦じゃなくて防衛戦だったからね
勝っても何も得るものはない、海の向こうだから勢いに乗って逆に攻め返すのも無理
つまり褒賞を与えるどころか掛かった戦費分丸損なわけで
そのせいで御恩と奉公の信頼関係が崩れて幕府が揺らぎ、後醍醐天皇が野心を実行に移して倒壊する羽目に
外国の侵略は想定してなかったんだろうかねぇ
外国とは長いこと戦争しなかったからやっぱり想定してなかったのかもな
外国とは長いこと戦争しなかったからやっぱり想定してなかったのかもな
元軍ほどの戦上手が、どうして攻勢終末点を見誤ったのか興味深いな
白村江の時の大唐帝国と新羅でさえ、日本本土までは攻め込めないと見切ったのにね
白村江の時の大唐帝国と新羅でさえ、日本本土までは攻め込めないと見切ったのにね
陸上戦の兵を無理やり船に乗せちゃったとか
そもそも攻め入って領土にした周辺国の先端から
召し抱えた奴隷同然の役立たずを先陣の兵にして
士気が上がらなかったとか色々説はあるみたいね
そもそも攻め入って領土にした周辺国の先端から
召し抱えた奴隷同然の役立たずを先陣の兵にして
士気が上がらなかったとか色々説はあるみたいね
>>809
元軍自体は後発でそれも北回りで北方領土付近に行ってたからな。
日本に来てたのはお前ら行って来いと送り出された周辺諸国の軍。
お陰でその辺りは日、露、中やらなんやらが入り混じったカオスな文化持ってるし。
それに目を付けた外務省が調査隊送り込んだのは割と最近の話。
元軍自体は後発でそれも北回りで北方領土付近に行ってたからな。
日本に来てたのはお前ら行って来いと送り出された周辺諸国の軍。
お陰でその辺りは日、露、中やらなんやらが入り混じったカオスな文化持ってるし。
それに目を付けた外務省が調査隊送り込んだのは割と最近の話。
日本に接触してきたのは「南宋攻めるから水軍貸してくれ」
という思惑もあったかも…とか
という思惑もあったかも…とか
>804
竹崎君は捏造なんかしてないぞ。
いやちょっと話を盛ったかもしれんが。
上で言われてる「捏造」は江戸時代あたりで誰が絵を描き足しちゃった事。
竹崎君は捏造なんかしてないぞ。
いやちょっと話を盛ったかもしれんが。
上で言われてる「捏造」は江戸時代あたりで誰が絵を描き足しちゃった事。
手柄をアピールしようと必死だったんだよな
元軍はサハリン進攻作戦を2度やってアイヌ軍に撃退されてるんだよね。
網走のアイヌからも応援(武器の毒矢)が出たとか。
しかし馬の飼えないツンドラではモンゴル軍も征服しがいがなかったか?…
もし北海道に進攻してきたらえらいことになってたかも?
網走のアイヌからも応援(武器の毒矢)が出たとか。
しかし馬の飼えないツンドラではモンゴル軍も征服しがいがなかったか?…
もし北海道に進攻してきたらえらいことになってたかも?
元寇の前後で九州の地名が結構変わってんだよね
恩賞のために、幕府も色々努力したんだと思う
恩賞のために、幕府も色々努力したんだと思う
仮に本土を征服しても、平原が少なく山や森だらけで馬を育てるだけの広大な土地はないんだよなぁ
騎馬民族が、よくもこんなうま味のない土地に進軍したなぁと思う
騎馬民族が、よくもこんなうま味のない土地に進軍したなぁと思う
この島国はあまり広くもなく平原も少ないとか、向こうさんは知ってたのだろうか
実利は抜きにして単なる面子の問題だったんじゃない?
小国の島国と聞いて一応臣従させとくかと思って、お前をそこの王と認めてやるからありがたく思え
とりあえず礼儀として朝貢品持って来いって書面送ったら、ふざけるなと激怒して断ってきたんで放置したら他の占領国への示しがつかないっていう
だから直轄軍じゃなくて使い捨てても惜しくない諸国軍を回したって感じで
小国の島国と聞いて一応臣従させとくかと思って、お前をそこの王と認めてやるからありがたく思え
とりあえず礼儀として朝貢品持って来いって書面送ったら、ふざけるなと激怒して断ってきたんで放置したら他の占領国への示しがつかないっていう
だから直轄軍じゃなくて使い捨てても惜しくない諸国軍を回したって感じで
モンゴルも13世紀後半ともなると慣れぬ戦場が多いせいか日本・サハリン
・ベトナム(陳朝)・チャンパ・ジャワ(シンガサリ・マジャパヒト)・
ビルマ(パガン朝)・インド(奴隷王朝)・エジプト(マムルーク朝)とか
失敗したり何度も攻めた割りにすぐに支配が崩れたりといった事例が
多いな。14世紀前半となるとリトアニアに削られたりするし
・ベトナム(陳朝)・チャンパ・ジャワ(シンガサリ・マジャパヒト)・
ビルマ(パガン朝)・インド(奴隷王朝)・エジプト(マムルーク朝)とか
失敗したり何度も攻めた割りにすぐに支配が崩れたりといった事例が
多いな。14世紀前半となるとリトアニアに削られたりするし
草原生まれじゃない息子や孫へ代替わりしているせいもあるかもね
統治したばかりの異民族も抱えてるからなぁ
後は当時日本が金の産地だったってのもあるんじゃないか?
後は当時日本が金の産地だったってのもあるんじゃないか?
弘安の役の最後は船を失って鷹島に立て篭もった元軍十数万をほぼ殲滅してるんだよな。
さぞかし凄惨な光景だったんだろうなぁ…。
さぞかし凄惨な光景だったんだろうなぁ…。
しかもモンゴルに従属させられた連中が大半だったから、なんでこんなところで死ななくちゃいけないんだとさぞかし無念だったろうなぁ
もちろんいくらかは降伏して捕虜なってるけど
でも元寇の元軍も日本側もいくらかは誇張あるかもしれないとはいえ動員兵力すごいよね
普段は西洋史やってるから「はぁ!?制限戦争でこの兵力!?」ってなる。っていうかそもそも元寇って制限戦争なのか絶対戦争がどっちなの?
日本史よく分らないから教えて偉い人!
もちろんいくらかは降伏して捕虜なってるけど
でも元寇の元軍も日本側もいくらかは誇張あるかもしれないとはいえ動員兵力すごいよね
普段は西洋史やってるから「はぁ!?制限戦争でこの兵力!?」ってなる。っていうかそもそも元寇って制限戦争なのか絶対戦争がどっちなの?
日本史よく分らないから教えて偉い人!
上陸した時に割とやりたい放題やってたし、
殺されても文句は言えないと思うけどね。
地元の住民も一緒に残党殲滅に参加してたくらいだし。
殺されても文句は言えないと思うけどね。
地元の住民も一緒に残党殲滅に参加してたくらいだし。
まぁ日本側にしたら侵略者以外の何者でもないからその通りだと思います
先に元軍が壊滅したんで間に合わなかったけど、
記録では六波羅探題が京都周辺から掻き集めた6万余騎を追加兵力として派遣してて、
下関くらいまで来てたんだよな。
人口が西に偏ってた時代なんだろうが、
それでもこの時代に本当にそんな兵力が動員出来たんだろうか。
記録では六波羅探題が京都周辺から掻き集めた6万余騎を追加兵力として派遣してて、
下関くらいまで来てたんだよな。
人口が西に偏ってた時代なんだろうが、
それでもこの時代に本当にそんな兵力が動員出来たんだろうか。
壱岐対馬でかなり時間稼ぎが出来たのも評価されるべき
6万騎だと、人や馬の兵糧の確保だけでも大変だな
当時、進軍中にどんなものを食べていたのか気になる
屯食(おにぎり)、粥などだろうか
瀬戸内沿いだから魚には恵まれただろうけど
当時、進軍中にどんなものを食べていたのか気になる
屯食(おにぎり)、粥などだろうか
瀬戸内沿いだから魚には恵まれただろうけど
暴風雨は勝敗に寄与してなくて、撤退時に台風にあったって話らしいな
ところで元寇といえば「集団戦、てつはうなどの新兵器に苦戦」って話だが
集団戦がどうのこうのはともかくとしててつはうってどうだったんだ
調べたら砲丸投げの玉よりでかくて重い手榴弾みたいなものらしいが
火をつけてガン逃げかハンマー投げするしか使えなくないか
ところで元寇といえば「集団戦、てつはうなどの新兵器に苦戦」って話だが
集団戦がどうのこうのはともかくとしててつはうってどうだったんだ
調べたら砲丸投げの玉よりでかくて重い手榴弾みたいなものらしいが
火をつけてガン逃げかハンマー投げするしか使えなくないか
てつはうは実利っていうより、
日本の兵士たちへの精神的な動揺とか馬がビビって使い物にならなくなるとかのがデカかったんかな
日本の兵士たちへの精神的な動揺とか馬がビビって使い物にならなくなるとかのがデカかったんかな
そうそう、中世の大砲だって所詮は鉄球なんだから攻撃範囲なんて高が知れてた
あれらは直接的な殺傷力じゃなくて爆音や破壊力を見せ付けることによる威圧効果が主だったからな
大阪の陣で和議に応じたのだってガンガン撃ち込まれたせいで精神的に参ったせいだし
あれらは直接的な殺傷力じゃなくて爆音や破壊力を見せ付けることによる威圧効果が主だったからな
大阪の陣で和議に応じたのだってガンガン撃ち込まれたせいで精神的に参ったせいだし
鉄砲も初期はそんな利用法だったな。久米田の戦い以降、それなりに使える攻撃方法として認知されたようだけど
モンゴル(元)は騎馬戦だけでなく、
攻城戦用に火薬を用いた兵器を良く用いたとされる
城壁破壊のための回々砲(ふいふいほう)と呼ばれるアラビアの大砲
同じく震天雷(しんてんらい)という最古のロケットランチャー
そしててつはう
回々砲や震天雷は、使用する際に太鼓や銅鑼を鳴らし、
目標地点の敵味方を退避させたという説もある
攻城戦用に火薬を用いた兵器を良く用いたとされる
城壁破壊のための回々砲(ふいふいほう)と呼ばれるアラビアの大砲
同じく震天雷(しんてんらい)という最古のロケットランチャー
そしててつはう
回々砲や震天雷は、使用する際に太鼓や銅鑼を鳴らし、
目標地点の敵味方を退避させたという説もある
>>834
爆発して燃えあがるワケのわからないものが降ってくるんだし、まず当たらないとわかってても中々に恐いんじゃないかな
万一直撃した姿なんかそれこそトラウマ物だろうし
来客の度に庭に大きな花火が何発も撃ち込まれると思うとかなりストレスになる気がする
爆発して燃えあがるワケのわからないものが降ってくるんだし、まず当たらないとわかってても中々に恐いんじゃないかな
万一直撃した姿なんかそれこそトラウマ物だろうし
来客の度に庭に大きな花火が何発も撃ち込まれると思うとかなりストレスになる気がする
兵糧の件を調べたら、元軍の侵攻に備えてかなり以前から日本各地から米を集めていたそうだ
補給は万全、6万の増援も心配なかったのだろう
補給は万全、6万の増援も心配なかったのだろう
>>839
回々砲は火薬式大砲じゃなくて投石器(弩-イシユミ-のでっかいやつ)だった?とも
チンギスハーンも攻城戦は苦手でカネに糸目を着けず技術者やらアイディアマンをかき集めて攻め落とし、さらにある城(城塞都市)は皆殺し、ある城は開城したら優遇、とアメムチ心理作戦で相手の戦意を喪失、そうやって中央アジアを制圧したとか。
(モンゴル軍陣営に出入りする商人たちの噂ネットワークを活用したらしい)
回々砲は火薬式大砲じゃなくて投石器(弩-イシユミ-のでっかいやつ)だった?とも
チンギスハーンも攻城戦は苦手でカネに糸目を着けず技術者やらアイディアマンをかき集めて攻め落とし、さらにある城(城塞都市)は皆殺し、ある城は開城したら優遇、とアメムチ心理作戦で相手の戦意を喪失、そうやって中央アジアを制圧したとか。
(モンゴル軍陣営に出入りする商人たちの噂ネットワークを活用したらしい)
>841
いやしかし当時の人口なんてそれほど居ないだろうし、
地域編成程度で6万も動員できるかなぁ?
いやしかし当時の人口なんてそれほど居ないだろうし、
地域編成程度で6万も動員できるかなぁ?
推計だと1150年で畿内+畿内周辺に125万人くらいの人口らしい
武士の割合がわからんが江戸時代と同じ程度だとすると9万人弱くらいか
武士の割合がわからんが江戸時代と同じ程度だとすると9万人弱くらいか
畿内兵力のありったけを動員した可能性はあるな、もちろん行軍中に瀬戸内でも徴集したろう
何年もかけて兵糧を徴発したり(一国平均役)、堡塁・防壁を築いたり念入りな事だ
しかし、この時代の行軍中のメニューがなかなか出てこない
戦国時代でも行軍中は屯食に丸めて焼いた味噌、梅干や漬物、あと粥や湯漬けが普通だったようだ
江戸城構築中の家康の日常の食事もこの程度であったというから、多分、大差無いだろう
ただ、戦国だと徴集された雑兵たちの士気を高める工夫もされていたとはいう
(白米中心にする、味噌を上質の大豆味噌にするなど)
何年もかけて兵糧を徴発したり(一国平均役)、堡塁・防壁を築いたり念入りな事だ
しかし、この時代の行軍中のメニューがなかなか出てこない
戦国時代でも行軍中は屯食に丸めて焼いた味噌、梅干や漬物、あと粥や湯漬けが普通だったようだ
江戸城構築中の家康の日常の食事もこの程度であったというから、多分、大差無いだろう
ただ、戦国だと徴集された雑兵たちの士気を高める工夫もされていたとはいう
(白米中心にする、味噌を上質の大豆味噌にするなど)
海に沈んでた未使用のてつはう見つかって調べたら
内部に鉄片が仕込まれてて殺傷能力がそれなりにあったと判明したとかなんとか
内部に鉄片が仕込まれてて殺傷能力がそれなりにあったと判明したとかなんとか
日本以外にてつはうの使用例はあるんだろうか?
イマイチ有効性が信用できない
イマイチ有効性が信用できない
モンゴル軍の常套手段と言ったら、敵の目の前でさっと引き返して、
戦意を喪失したと思わせて相手が油断して深追いしてきたところを囲んで袋叩きにするってイメージだけど
海に囲まれてる日本攻略にはその手が使えなかったろうな
戦意を喪失したと思わせて相手が油断して深追いしてきたところを囲んで袋叩きにするってイメージだけど
海に囲まれてる日本攻略にはその手が使えなかったろうな
船といえば沈んでる奴を世界遺産に登録しようとしたけど、
外務省に横槍入れられて駄目になったんだったか。
外務省に横槍入れられて駄目になったんだったか。
モンゴル軍の戦術は、三面包囲だったとも言われている
敵に逃げる道を敢えて与える事で、捨て鉢の「死兵」と化させないよう工夫したという
古い中国の軍学でも「囲者は周せず(包囲戦を謀る者は、完全包囲をしない)」とあるそうだ
敵に逃げる道を敢えて与える事で、捨て鉢の「死兵」と化させないよう工夫したという
古い中国の軍学でも「囲者は周せず(包囲戦を謀る者は、完全包囲をしない)」とあるそうだ
◆ 其の二十四(スレ24)>>569–600
誘導されたのでこっちへ
軍艦の艦内神社と東方キャラの関連調べてみたけど・・・
霊烏路空(八咫烏)=熊野那智大社:那智
綿月豊姫=霧島神宮(相殿神):霧島、鹿児島神宮:川内
綿月依姫=霧島神宮(相殿神):霧島、宮崎神宮:日向、大淀
kikuri=白山比竎神社:加賀
物部布都=物部神社(祖神の宇摩志麻遅命):石見
住吉三神=住吉神社:長門、衣笠神社:衣笠、香椎宮(配祀):香椎
愛宕様(火産霊)=愛宕神社:愛宕、榛名神社:榛名
祇園様(素戔嗚尊)=矢作神社:矢矧、氷川神社:武蔵、関山神社:妙高
天照大御神=伊勢、新月、三笠、五十鈴、扶桑、足柄
月夜見=月山神社:最上
大綿津見=五十鈴神社:五十鈴
鵜葦草葦不合命=潮神社:潮
大国主=大和、武蔵、比叡、赤城、多摩、那珂
諏訪大社って大きいのに艦内神社で使われてる軍艦が無いのが珍しいなと
他の艦内神社や御諏訪様が祀られてる軍艦など詳しい方います?
軍艦の艦内神社と東方キャラの関連調べてみたけど・・・
霊烏路空(八咫烏)=熊野那智大社:那智
綿月豊姫=霧島神宮(相殿神):霧島、鹿児島神宮:川内
綿月依姫=霧島神宮(相殿神):霧島、宮崎神宮:日向、大淀
kikuri=白山比竎神社:加賀
物部布都=物部神社(祖神の宇摩志麻遅命):石見
住吉三神=住吉神社:長門、衣笠神社:衣笠、香椎宮(配祀):香椎
愛宕様(火産霊)=愛宕神社:愛宕、榛名神社:榛名
祇園様(素戔嗚尊)=矢作神社:矢矧、氷川神社:武蔵、関山神社:妙高
天照大御神=伊勢、新月、三笠、五十鈴、扶桑、足柄
月夜見=月山神社:最上
大綿津見=五十鈴神社:五十鈴
鵜葦草葦不合命=潮神社:潮
大国主=大和、武蔵、比叡、赤城、多摩、那珂
諏訪大社って大きいのに艦内神社で使われてる軍艦が無いのが珍しいなと
他の艦内神社や御諏訪様が祀られてる軍艦など詳しい方います?
もしかして信州は海ないからとか?>諏訪大社がない
>>571
でも白山馬場のある越前と加賀は海あるし、白山自体も海での目印にされてたって言われてるよね
でも白山馬場のある越前と加賀は海あるし、白山自体も海での目印にされてたって言われてるよね
そんなこと知らねってな
海軍の方の白根がどの白根山から名付けられたか分かれば、
艦内神社も特定しやすいかも
俺もそれは知らね
艦内神社も特定しやすいかも
俺もそれは知らね
護衛艦の方は白峰三山らしいからなぁ
俺も巡洋艦の方は知らね
>>572
確かに白山と海じゃ完全に無関係じゃないかw
とは言え、海が艦内神社とする絶対条件ではないんじゃないかな
・榛名(榛名神社=カグツチ、群馬県(上野国)高崎市)
・赤城(赤城神社=大国主、群馬県(上野国)前橋市)
・比叡(日吉大社=大国主、滋賀県(近江国)大津市)
・山城(石清水八幡宮=八幡神、京都府(山城国)八幡市)
国土が細長いから内陸国も少ないけどなw
俺も巡洋艦の方は知らね
>>572
確かに白山と海じゃ完全に無関係じゃないかw
とは言え、海が艦内神社とする絶対条件ではないんじゃないかな
・榛名(榛名神社=カグツチ、群馬県(上野国)高崎市)
・赤城(赤城神社=大国主、群馬県(上野国)前橋市)
・比叡(日吉大社=大国主、滋賀県(近江国)大津市)
・山城(石清水八幡宮=八幡神、京都府(山城国)八幡市)
国土が細長いから内陸国も少ないけどなw
武蔵や多摩で大国主が祀られてるのは、
武蔵国総社・大國魂神社の祭神が大国主神だからかねぇ
また、氷川神社は武蔵国一之宮(三之宮説も)で祭神は素戔嗚尊だからか
武蔵国総社・大國魂神社の祭神が大国主神だからかねぇ
また、氷川神社は武蔵国一之宮(三之宮説も)で祭神は素戔嗚尊だからか
記念艦三笠の艦内にある神棚には福岡の八坂神社の御札があった。
蒙古襲来(元寇)の際にも、ご利益があったとか。
こっちはなんか神奈子さまっぽいね
蒙古襲来(元寇)の際にも、ご利益があったとか。
こっちはなんか神奈子さまっぽいね
福岡と言えば博多駅の屋上に鉄道神社っていう住吉さんの分社があるんだっけ?
スペースの半分使って結構ちゃんとしたつくりになってるって聞いたような
スペースの半分使って結構ちゃんとしたつくりになってるって聞いたような
長野県内の神社で海関係だと穂高社でも良い気がするなー
穂高神社にほど近い、有明山神社は駆逐艦有明に分祀
有明山神社は東方登場では八意思兼、天細女、天照、大国主か
>>580
元寇って台風がなくても日本が勝利したんだ。
事前に情報収集を行って相手を調べ防塁を作り日本軍も集団戦で対抗して
元軍得意の地上戦に持ってこさせないようにしたり
あと海戦でダメージを増やしたして元軍をボロボロにしたところを
台風が襲来したから元軍にとって泣きっ面に蜂みたいなもの
元寇って台風がなくても日本が勝利したんだ。
事前に情報収集を行って相手を調べ防塁を作り日本軍も集団戦で対抗して
元軍得意の地上戦に持ってこさせないようにしたり
あと海戦でダメージを増やしたして元軍をボロボロにしたところを
台風が襲来したから元軍にとって泣きっ面に蜂みたいなもの
「信濃」には何が祀られていたんだろう
信濃國一之宮の諏訪社じゃないか?
穂高神社は海洋民族安曇族祭祀の本拠なのだが、こちらがどうかは不明
そもそも信濃は上層部命令で未完成のまま横須賀から呉へ向けて出航し、
おまけに昼間に潜水艦が追えないスピードで瀬戸内海へと回航した方が良いという、
第十七駆逐隊(浜風、磯風、雪風)の意見具申を退け、
夜間低速航行を強行さ、アメリカ潜水艦に撃沈されたので、
ちゃんとした神棚があったのかさえも不明
艦名に直接ゆかりがないと、天照大神や出雲大社や住吉様などを祀るのが多かったらしい
しかし駆逐艦は気象条件などだから難しかったという、有明はマイ神社を持てて幸せな方
今も有明山神社境内には、有名な艦隊派軍人加藤寛治揮毫の石碑が残されている
穂高神社は海洋民族安曇族祭祀の本拠なのだが、こちらがどうかは不明
そもそも信濃は上層部命令で未完成のまま横須賀から呉へ向けて出航し、
おまけに昼間に潜水艦が追えないスピードで瀬戸内海へと回航した方が良いという、
第十七駆逐隊(浜風、磯風、雪風)の意見具申を退け、
夜間低速航行を強行さ、アメリカ潜水艦に撃沈されたので、
ちゃんとした神棚があったのかさえも不明
艦名に直接ゆかりがないと、天照大神や出雲大社や住吉様などを祀るのが多かったらしい
しかし駆逐艦は気象条件などだから難しかったという、有明はマイ神社を持てて幸せな方
今も有明山神社境内には、有名な艦隊派軍人加藤寛治揮毫の石碑が残されている
>>588
ttps://ついった.com/u556_A140F6/statuses/333418973179834369
ソースは確かじゃないけどここで信濃の艦内神社は信濃神社と言ってるので
信濃がお諏訪様の可能性は高いですね
ttp://sapporo-jouhoukan.jp/sapporo-siryoukan/jinja/025.html
札幌にある信濃神社の祭神も
建御名方富命
八坂刀売命
でドンピシャなので
ttps://ついった.com/u556_A140F6/statuses/333418973179834369
ソースは確かじゃないけどここで信濃の艦内神社は信濃神社と言ってるので
信濃がお諏訪様の可能性は高いですね
ttp://sapporo-jouhoukan.jp/sapporo-siryoukan/jinja/025.html
札幌にある信濃神社の祭神も
建御名方富命
八坂刀売命
でドンピシャなので
そもそも中央部分の攻撃してる蒙古兵は明らかに絵のタッチが違うし江戸時代に加筆されたものじゃないかって説が有力だったり
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E7%B5%B5%E8%A9%9E
「普通に武士の力だけで勝てた」事になると御利益を喧伝して勢力を拡大したい宗教団体にとっては都合が悪かったからかもね
戦場は住民が皆殺しにされてしまった対馬や住民避難済みの九州北部沿岸だから真相を知る者は極めて少なく
更に敵は異国の兵だからどれだけ被害が出たか確認も困難と事実を捻じ曲げた都合のいい噂を民に吹き込むにはもってこいな状況だったわけで
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E7%B5%B5%E8%A9%9E
「普通に武士の力だけで勝てた」事になると御利益を喧伝して勢力を拡大したい宗教団体にとっては都合が悪かったからかもね
戦場は住民が皆殺しにされてしまった対馬や住民避難済みの九州北部沿岸だから真相を知る者は極めて少なく
更に敵は異国の兵だからどれだけ被害が出たか確認も困難と事実を捻じ曲げた都合のいい噂を民に吹き込むにはもってこいな状況だったわけで
元寇に関しては、戦前の「日本はこんなに強いし、みな愛国心バリバリだった」という議論と、その反動の「日本人は平和な民族で、台風のおかげでなんとかなりました」という議論と、二つの議論の狭間で状況がわかりにくくなってしまってるよね。
特に弘安の役においては、石塁による奮戦で元軍を海上へ半年釘付けし、台風が来て当然の状況に追い込んだというのは確かにある。
一方で、「二回だからなんとかなった」という側面もあって、二度の戦闘ですでに鎌倉方の動員武士が経済的に限界に達していたのも事実。
この後、1586年の九州征伐まで九州が修羅の国になるのも、元寇による地域秩序の変化・崩壊が主因なくらいだし。
高麗みたいに7回来てたら確実に負けてた。
だから「日本しょぼい」とか「日本すげぇ」とかいう次元ではないね、話として。
ちなみに、元寇以来、東アジアでの日本人認識は「超好戦的で野蛮で考えてることわからない首狩り族」である。
特に弘安の役においては、石塁による奮戦で元軍を海上へ半年釘付けし、台風が来て当然の状況に追い込んだというのは確かにある。
一方で、「二回だからなんとかなった」という側面もあって、二度の戦闘ですでに鎌倉方の動員武士が経済的に限界に達していたのも事実。
この後、1586年の九州征伐まで九州が修羅の国になるのも、元寇による地域秩序の変化・崩壊が主因なくらいだし。
高麗みたいに7回来てたら確実に負けてた。
だから「日本しょぼい」とか「日本すげぇ」とかいう次元ではないね、話として。
ちなみに、元寇以来、東アジアでの日本人認識は「超好戦的で野蛮で考えてることわからない首狩り族」である。
あと、宗教側のおかげで勝った、ってのは別に都合だとかそういう話じゃなくて、当時の社会認識。
かなり多くの人々が本当に「神のおかげで勝った」と思ってて、そのとおりに神領興行令が行われてる。
武士だって神は信じてるわけだしね。
今からしたら「ありえない」かもしれないけど、当時はそれこそが「真実」だったわけで。
かなり多くの人々が本当に「神のおかげで勝った」と思ってて、そのとおりに神領興行令が行われてる。
武士だって神は信じてるわけだしね。
今からしたら「ありえない」かもしれないけど、当時はそれこそが「真実」だったわけで。
敵を討った証拠が「首級を挙げる」だからしょうがない>首狩り族
戦った相手は武士って専業軍人階級だから超好戦的なのも当然だし
そもそも中華思想的に東夷より遠くにいる連中が野蛮じゃないわけがないし
風習が違う上に言葉も通じない相手が何考えてるかなんてわかるかw
>>594
平家物語の那須与一の扇の矢なんか見事な神頼みっぷりだよな
波間に揺れる船の上に立ててある扇を射落とせなんて実力だけじゃどうにもならない無理ゲーだからしょうがないけど
「俺ならできる!アイキャンショット!」って自己暗示や決意じゃなくて
「もし失敗したらこの弓圧し折って自害してやるからな!
そしたらもう二度と故郷にあるお前の神社に参拝できなくなるぞ!
敬虔な信者が一人減るぞ!それでもいいのか!
それが嫌ならこの矢をあの扇に当てさせてお願い神様!」(超意訳)ってw
戦った相手は武士って専業軍人階級だから超好戦的なのも当然だし
そもそも中華思想的に東夷より遠くにいる連中が野蛮じゃないわけがないし
風習が違う上に言葉も通じない相手が何考えてるかなんてわかるかw
>>594
平家物語の那須与一の扇の矢なんか見事な神頼みっぷりだよな
波間に揺れる船の上に立ててある扇を射落とせなんて実力だけじゃどうにもならない無理ゲーだからしょうがないけど
「俺ならできる!アイキャンショット!」って自己暗示や決意じゃなくて
「もし失敗したらこの弓圧し折って自害してやるからな!
そしたらもう二度と故郷にあるお前の神社に参拝できなくなるぞ!
敬虔な信者が一人減るぞ!それでもいいのか!
それが嫌ならこの矢をあの扇に当てさせてお願い神様!」(超意訳)ってw
そういえば、元寇のも”神風”だったな。
昔からそういうのを信じる素養・慣習があったために、
逆に当時の武士の活躍が喧伝されなくなったってことか。
昔からそういうのを信じる素養・慣習があったために、
逆に当時の武士の活躍が喧伝されなくなったってことか。
偉そうに何様のつもりだ?
――と見捨てられる可能性を微塵だに思わない辺り、
普段から敬虔な参拝者だった様子が伺えるな。
そういった背景があるからこそ「神風は俺らが吹かせた!」と、
社寺が声高に述べてもそれなりに受け入れられちゃった可能性は高そうだな。
――と見捨てられる可能性を微塵だに思わない辺り、
普段から敬虔な参拝者だった様子が伺えるな。
そういった背景があるからこそ「神風は俺らが吹かせた!」と、
社寺が声高に述べてもそれなりに受け入れられちゃった可能性は高そうだな。
>>590
ありがとう、やはり一之宮は強いなぁ、当時は「日本一大軍神」とされていたそうだし
大和型3隻はぜんぶ諏訪と何らかの関係があるのだな(祭神や艦長たちで)
元寇に関しては予想外、いきなりの大勝利を、加持祈祷を行っていた神社の神官、
叡山や奈良の僧侶たちが、自分たちの手柄という吹聴した為も確かにありそう
お祝いムードの中、1人ガックリ来ていたのが日蓮だったとか
彼は自分以外は全員失敗すると思い込み、ライバルどもが失墜し、
元軍が猛威を振るう頃合いを見て颯爽と登場するつもりだったが、
完全に裏目に出てしまったという訳
「なんにもしなかったヤツ」、国難を布教に利用しちゃダメだよね
ありがとう、やはり一之宮は強いなぁ、当時は「日本一大軍神」とされていたそうだし
大和型3隻はぜんぶ諏訪と何らかの関係があるのだな(祭神や艦長たちで)
元寇に関しては予想外、いきなりの大勝利を、加持祈祷を行っていた神社の神官、
叡山や奈良の僧侶たちが、自分たちの手柄という吹聴した為も確かにありそう
お祝いムードの中、1人ガックリ来ていたのが日蓮だったとか
彼は自分以外は全員失敗すると思い込み、ライバルどもが失墜し、
元軍が猛威を振るう頃合いを見て颯爽と登場するつもりだったが、
完全に裏目に出てしまったという訳
「なんにもしなかったヤツ」、国難を布教に利用しちゃダメだよね
諏訪社の伝承が元ネタスペカの奇跡「弘安の神風」もあるけど
諏訪社以外でも各地の寺社で祈願をしているから
やはり自分が崇敬している神仏が力になって奇跡が起きたと思う方が
寺社側にしても崇敬者側にしても良い事だったのだと思う
諏訪社以外でも各地の寺社で祈願をしているから
やはり自分が崇敬している神仏が力になって奇跡が起きたと思う方が
寺社側にしても崇敬者側にしても良い事だったのだと思う
武士の活躍が喧伝されなかったわけじゃないと思うのよね。
そうじゃなくて、武家も寺社も頑張ったね、という話。
俗の武家権門も聖の寺社権門も懸命に戦って勝利した、というのが当時の図式。
RPGで魔法使いと剣士とのパーティーで敵を倒して、王様から宝物をもらう。
そんな感じだと思うよ。
現代の「台風のおかげで勝った」は近代の歴史学史の絡みだから、また別問題。
もともと元寇の史料が少ないせいで、いまいち史実が確定してこないという問題もあったり。
そうじゃなくて、武家も寺社も頑張ったね、という話。
俗の武家権門も聖の寺社権門も懸命に戦って勝利した、というのが当時の図式。
RPGで魔法使いと剣士とのパーティーで敵を倒して、王様から宝物をもらう。
そんな感じだと思うよ。
現代の「台風のおかげで勝った」は近代の歴史学史の絡みだから、また別問題。
もともと元寇の史料が少ないせいで、いまいち史実が確定してこないという問題もあったり。