>>888
京極堂の影響で、なんとか宗教≒カルトからは脱出しかけてる。あぁ言ったのは、>>889の通りね。
まぁ実際に入信してる人からすれば不快かも知れないから、その方面の人がいたらごめんなさい。
日本は宗教由来の行事・慣習が多いくせに、「自分は無宗教者だ」って意識が強いように見えるなぁ。
表面を模倣して改善していく加工貿易態勢(コピー文化体質)のなせる業なのだろうかw
科学と宗教の本質論
比較宗教・哲学 › 科学と宗教
科学を信仰することの問題・宗教の社会的役割(遺族への心理的安らぎ)・伝統宗教vsカルト(歴史的権威の有無)・原理主義者はなぜ真面目な人がなりやすいか
◆ 其の十四(スレ14)>>893–940
逆に考えるんだ
本来あらゆる宗教は元々カルトだったんだよ
新約聖書じゃイエスは「お前らの間に剣を投げ込みに来た」と言ってる
彼のやったことは官僚主義化したユダヤ教の革新だったが
古来のラビにもユダヤ教徒を支配するローマ帝国軍にも危険団体と見なされた
イスラム教団もムハンマドの時代から数世紀は中東の武力統一に走ってた
お釈迦様は脱俗主義だから自分から闘争を仕掛けないが
当時のバラモンおよびそれと結びついた王侯貴族からすれば危険な異端だったろう
現在定着している宗教はみな時代を経て大衆的なスタイルになった物
発足したばかりの教団が先行団体との差異をつけるため
過激なことを言うのは珍しくない
それをいえばソーカガッカリもかつての時代に比べりゃふぬけた団体だ
戦前には牧口常三郎も戸田城聖も治安維持法で逮捕されてる
大本教徒同じく国家神道を脅かす団体と見なされたんだな
本来あらゆる宗教は元々カルトだったんだよ
新約聖書じゃイエスは「お前らの間に剣を投げ込みに来た」と言ってる
彼のやったことは官僚主義化したユダヤ教の革新だったが
古来のラビにもユダヤ教徒を支配するローマ帝国軍にも危険団体と見なされた
イスラム教団もムハンマドの時代から数世紀は中東の武力統一に走ってた
お釈迦様は脱俗主義だから自分から闘争を仕掛けないが
当時のバラモンおよびそれと結びついた王侯貴族からすれば危険な異端だったろう
現在定着している宗教はみな時代を経て大衆的なスタイルになった物
発足したばかりの教団が先行団体との差異をつけるため
過激なことを言うのは珍しくない
それをいえばソーカガッカリもかつての時代に比べりゃふぬけた団体だ
戦前には牧口常三郎も戸田城聖も治安維持法で逮捕されてる
大本教徒同じく国家神道を脅かす団体と見なされたんだな
新しい宗教を始める・宗派を立ち上げるのは、
積極的消極的など違いはあれど、従来広まっている信仰を否定するってことだものな
そして否定した上で、他と違ったことを行うとなったらやはり多少奇抜な傾向になってしまうのは仕方ないか
そして積極的に他の教えを排撃するような宗教の場合は、やはり過激な行動に出がちになる
積極的消極的など違いはあれど、従来広まっている信仰を否定するってことだものな
そして否定した上で、他と違ったことを行うとなったらやはり多少奇抜な傾向になってしまうのは仕方ないか
そして積極的に他の教えを排撃するような宗教の場合は、やはり過激な行動に出がちになる
その段階を克服して、諸宗教独自の教義や様式は確立しつつも、
既存教団や一般社会、世俗権力との間にある種の妥協を成立させられない限り、
結局は真の異端・カルトとしてオウムのように自滅するな
神社やお寺は日蓮宗を含め、聖域・霊域や社殿内陣などを除けば、準公共的な開かれた空間だし、
我々参詣者も礼儀を弁えてさえいれば、気安く立入れる
ソーカの平和なんとか会館を、となりにある公共施設と間違えて迷い込んだ事があるが、
あの雰囲気は異様で、社寺のような聖域というよりも「閉ざされた空間」という感じが強かった
日蓮宗の諸宗派でもっとも原理主義的な分派である「不受不施」想起してしまったw
(他教義の教えは一切受け入れない、異教徒どもには法華経の功徳を一切施さないという原理
江戸時代、家康がキリスト教と共に禁教としたのが、極端に非妥協的だった彼らだった)
既存教団や一般社会、世俗権力との間にある種の妥協を成立させられない限り、
結局は真の異端・カルトとしてオウムのように自滅するな
神社やお寺は日蓮宗を含め、聖域・霊域や社殿内陣などを除けば、準公共的な開かれた空間だし、
我々参詣者も礼儀を弁えてさえいれば、気安く立入れる
ソーカの平和なんとか会館を、となりにある公共施設と間違えて迷い込んだ事があるが、
あの雰囲気は異様で、社寺のような聖域というよりも「閉ざされた空間」という感じが強かった
日蓮宗の諸宗派でもっとも原理主義的な分派である「不受不施」想起してしまったw
(他教義の教えは一切受け入れない、異教徒どもには法華経の功徳を一切施さないという原理
江戸時代、家康がキリスト教と共に禁教としたのが、極端に非妥協的だった彼らだった)
宗教ってのは宗教として独立して存在できるもんじゃなくて、なんらかの形で社会と関わらねばならない。
なんとなくありがたいだけの穀潰しをヒエラルキーの上位に置いておけるほど、今も昔も人間は寛容じゃない。
たとえば宗教施設は原始~古代は政治拠点として、中世以降は知識・物資・軍事力の集積地として利用されてきたし、
聖職者は宗教自体が政治の主体で無くなったあとも権威者の権威を認める権威としてその役割を果たしてきた。
対して新興宗教の信者ってのは孤独な老人とか病人とか貧乏人が多くて、そういった人たちが宗教を通じて
助け合っていくというのが主な社会的作用となっている。
それは既存の宗教的な集まりというよりも、互助会とか連絡会に近い。
まあ、それに宗教的情熱が加わってアレなことになりがちだが。
なんで、
大宗教の施設=市民ホール
カルトの施設=公民館
ぐらいの違いがある。口ではいろいろ行ってるが、新興宗教は基本的に外には開かれてないからね。
なんとなくありがたいだけの穀潰しをヒエラルキーの上位に置いておけるほど、今も昔も人間は寛容じゃない。
たとえば宗教施設は原始~古代は政治拠点として、中世以降は知識・物資・軍事力の集積地として利用されてきたし、
聖職者は宗教自体が政治の主体で無くなったあとも権威者の権威を認める権威としてその役割を果たしてきた。
対して新興宗教の信者ってのは孤独な老人とか病人とか貧乏人が多くて、そういった人たちが宗教を通じて
助け合っていくというのが主な社会的作用となっている。
それは既存の宗教的な集まりというよりも、互助会とか連絡会に近い。
まあ、それに宗教的情熱が加わってアレなことになりがちだが。
なんで、
大宗教の施設=市民ホール
カルトの施設=公民館
ぐらいの違いがある。口ではいろいろ行ってるが、新興宗教は基本的に外には開かれてないからね。
>>897
そういう見方も事実の一側面としては正しいし
知識・物資・軍事力の集積地という話じゃ
実際に庶民の多数が文盲だった時代には聖職者=知識人で
西欧じゃ宗教改革まで教会だけがラテン語教養で聖書を独占してたりしたが
根本的になぜ宗教が発生して今もなくならないかと言えば
人間は死ぬ
というミもフタもない物理的現象の前には文明も知識も科学も無力なわけで
結局死後の安楽とか現世での社会秩序(善悪)の根拠がないと安心できない
という人間の心理がある限り
現世にないものを拝んで安らぐという行為は
いくら俺ら知識人気取りが馬鹿にしてもなくならんだろう
実際、冠婚葬祭がこの世から消えることはないわけで
かつての時代は地域共同体が伝統宗教と結びついて冠婚葬祭を仕切ったり
孤独で不安な人間が出来ないように生産労働と村の行事に動員してたが
それが機能しなくなった結果、新興宗教が普及してきた
そういう根本的な部分で
伝統宗教と新興宗教、「安全な宗教」とカルトを一生懸命に分けたがるのは
なんか都合の良い考え方という感じがして好きになれない
毒も含めて文明だぞ!
そういう見方も事実の一側面としては正しいし
知識・物資・軍事力の集積地という話じゃ
実際に庶民の多数が文盲だった時代には聖職者=知識人で
西欧じゃ宗教改革まで教会だけがラテン語教養で聖書を独占してたりしたが
根本的になぜ宗教が発生して今もなくならないかと言えば
人間は死ぬ
というミもフタもない物理的現象の前には文明も知識も科学も無力なわけで
結局死後の安楽とか現世での社会秩序(善悪)の根拠がないと安心できない
という人間の心理がある限り
現世にないものを拝んで安らぐという行為は
いくら俺ら知識人気取りが馬鹿にしてもなくならんだろう
実際、冠婚葬祭がこの世から消えることはないわけで
かつての時代は地域共同体が伝統宗教と結びついて冠婚葬祭を仕切ったり
孤独で不安な人間が出来ないように生産労働と村の行事に動員してたが
それが機能しなくなった結果、新興宗教が普及してきた
そういう根本的な部分で
伝統宗教と新興宗教、「安全な宗教」とカルトを一生懸命に分けたがるのは
なんか都合の良い考え方という感じがして好きになれない
毒も含めて文明だぞ!
その昔ローマ教会が財産を貯め込んでるのを「キリストの教えに背いている」と批判されて
「教会は富を『所有』しているはいない、必要最低限の財を『使用』しているだけだ」と反論したそうな
不謹慎ながら人間って奴はすげえなと思ってしまった
「教会は富を『所有』しているはいない、必要最低限の財を『使用』しているだけだ」と反論したそうな
不謹慎ながら人間って奴はすげえなと思ってしまった
宗教が今も在るのは人間心理よりも寧ろ社会が原因だと思うけどなー
どーせこういうことに関しては推論と説得で物申すしかないんだろうけど
どーせこういうことに関しては推論と説得で物申すしかないんだろうけど
べつに宗教があるのは全部人間心理の問題で
社会の要素は一切ないとは言ってないw
だだまあ信仰のない社会というのは容易にない
未開社会にも原始宗教が生まれる
旧共産圏では唯物論を主張していたが
結局は指導者崇拝が成立している
多数の人間はどーしても何にか拝む物を求めてしまうんだよ
なまじ頭の良い人間には馬鹿にしか思えないことだが
社会の要素は一切ないとは言ってないw
だだまあ信仰のない社会というのは容易にない
未開社会にも原始宗教が生まれる
旧共産圏では唯物論を主張していたが
結局は指導者崇拝が成立している
多数の人間はどーしても何にか拝む物を求めてしまうんだよ
なまじ頭の良い人間には馬鹿にしか思えないことだが
自称頭の良い人間は、一般人の心に安らぎを与える手法を持ってないからな
自分の子供が医者に余命数ヶ月と言われたら、
親は一秒でも長く生きてくれるよう神様に祈りたくもなるし、
長年連れ添った仲の良い老夫婦の旦那が亡くなって、
奥さんがあの世でまた会おうねと仏壇の遺影に拝む気持ちもわかる
まあ、両方とも俺の婆様の話なんだけどね
自分の子供が医者に余命数ヶ月と言われたら、
親は一秒でも長く生きてくれるよう神様に祈りたくもなるし、
長年連れ添った仲の良い老夫婦の旦那が亡くなって、
奥さんがあの世でまた会おうねと仏壇の遺影に拝む気持ちもわかる
まあ、両方とも俺の婆様の話なんだけどね
毒はしょせん毒だから、それをどう薬として用いられるかが宗教に限らず文明の一般的な課題だろうな
一向宗が国人衆らを束ねて一揆を起こしたのも、宗教戦争というよりは戦乱に伴う収奪への抵抗だったし、
天草の乱も同じ構造 領主の無茶な搾取があの乱をもたらし、象徴に祭り上げられたのがキリスト教であり天草四郎
さらに大きな背景として、戦国の遺風がなお残り幕府は出来てもいつ出陣があるか判らない不安定な世だった事
かつそのような不安定から早く脱する為の江戸の町づくりや、江戸城惣構えの築城など、
幕藩体制のためのインフラ整備の費用負担が、徳川から容赦なく求められつつあった時代であったため
すべての負担は諸大名・旗本らに容赦なく押しつけられ、諸大名は苦役に喘ぐ反面、新たな政治体制での地位を求め、
幕府に良い顔をしておきたかったし、戦場での手柄の代わりとなる別の実績を追求した
最後のツケが回されたのは、例によって庶民だったから生じた乱という側面もある
科学も宗教も政治・思想や各種の社会運動も、たしかに文明は毒と薬の側面を持つよなぁ
一向宗が国人衆らを束ねて一揆を起こしたのも、宗教戦争というよりは戦乱に伴う収奪への抵抗だったし、
天草の乱も同じ構造 領主の無茶な搾取があの乱をもたらし、象徴に祭り上げられたのがキリスト教であり天草四郎
さらに大きな背景として、戦国の遺風がなお残り幕府は出来てもいつ出陣があるか判らない不安定な世だった事
かつそのような不安定から早く脱する為の江戸の町づくりや、江戸城惣構えの築城など、
幕藩体制のためのインフラ整備の費用負担が、徳川から容赦なく求められつつあった時代であったため
すべての負担は諸大名・旗本らに容赦なく押しつけられ、諸大名は苦役に喘ぐ反面、新たな政治体制での地位を求め、
幕府に良い顔をしておきたかったし、戦場での手柄の代わりとなる別の実績を追求した
最後のツケが回されたのは、例によって庶民だったから生じた乱という側面もある
科学も宗教も政治・思想や各種の社会運動も、たしかに文明は毒と薬の側面を持つよなぁ
狂信が必要になる時代も弾圧が必要になる時代も不幸なことだ
まともに存続してる社会は薬の面が毒の面より勝ってる状態だろう
>>904
そういうのが馬鹿に出来ないという経験は自分もありました
都会の個人主義者インテリぶって生きてると
「墓とか戒名とかくだらない制度じゃん」なんて思うが
実際に親族が亡くなって田舎に帰ると
そういう理屈で伯父叔母とか親類一同を説得するなど無理w
田舎の人もそーいうのを本気で信じてありがたがってるるわけではない
しかし結局死者に対する精神的な納得のため必要なんだろう
徹底した近代主義者なら無宗教の「故人を偲ぶ会」で済むが
多数の普通の人はそれだけでは結束力にならない
結局先祖代々の信仰とか無形の精神的理念が核になる
伝統宗教の根拠は「昔から信仰されてきた」ということ自体の価値なのか
(この点歴史の浅いカルトが異様に見えるのは
教祖のカリスマ頼りの面が強く見えるからではないかという気が)
頭のいい人は個人としては理性主義で別にいいんだけど
皆がみな理性主義者になれるわけではないからね
まともに存続してる社会は薬の面が毒の面より勝ってる状態だろう
>>904
そういうのが馬鹿に出来ないという経験は自分もありました
都会の個人主義者インテリぶって生きてると
「墓とか戒名とかくだらない制度じゃん」なんて思うが
実際に親族が亡くなって田舎に帰ると
そういう理屈で伯父叔母とか親類一同を説得するなど無理w
田舎の人もそーいうのを本気で信じてありがたがってるるわけではない
しかし結局死者に対する精神的な納得のため必要なんだろう
徹底した近代主義者なら無宗教の「故人を偲ぶ会」で済むが
多数の普通の人はそれだけでは結束力にならない
結局先祖代々の信仰とか無形の精神的理念が核になる
伝統宗教の根拠は「昔から信仰されてきた」ということ自体の価値なのか
(この点歴史の浅いカルトが異様に見えるのは
教祖のカリスマ頼りの面が強く見えるからではないかという気が)
頭のいい人は個人としては理性主義で別にいいんだけど
皆がみな理性主義者になれるわけではないからね
最近の宗教がらみの話題で痛快だったのが
高速増殖炉命名について、永平寺が懺悔ってヤツ
宗教って、基本的に自身の無謬性を前提にしなきゃ成立し得ないものだから
この機会にきちんと「反省する」って決断できたのは、尊いことだと思うよ
どんな宗教だろうが思想だろうが、人間性に背くものはその時点で嘘だ
で、無知による誤謬を認めたなら、その時点で悔悟するのは宗教や思想の真摯なあり方だ
なら、だ
過去の誤りを認識しつつ軌道修正も善後策も反省も打ち出せない
そんな国の依って立つものって、いったいなんなんだ?
高速増殖炉命名について、永平寺が懺悔ってヤツ
宗教って、基本的に自身の無謬性を前提にしなきゃ成立し得ないものだから
この機会にきちんと「反省する」って決断できたのは、尊いことだと思うよ
どんな宗教だろうが思想だろうが、人間性に背くものはその時点で嘘だ
で、無知による誤謬を認めたなら、その時点で悔悟するのは宗教や思想の真摯なあり方だ
なら、だ
過去の誤りを認識しつつ軌道修正も善後策も反省も打ち出せない
そんな国の依って立つものって、いったいなんなんだ?
>>907
仏教なんだから諸行無常という考えにたてば
増殖炉で恒常的にエネルギーが得つづけれられるというのは幻想であろうw
過去の原発政策の失敗を認識しても
軌道修正も善後策も反省も打ち出せない国というのは
「現在」と「空気」しかないということか
仏教なんだから諸行無常という考えにたてば
増殖炉で恒常的にエネルギーが得つづけれられるというのは幻想であろうw
過去の原発政策の失敗を認識しても
軌道修正も善後策も反省も打ち出せない国というのは
「現在」と「空気」しかないということか
増殖炉に文殊菩薩の名を冠してるのってかなりの皮肉に思える
>>908
いや、そういった教条主義的な判断じゃないと思うよ、今回の永平寺の懺悔は
世俗と宗教のユルい癒着関係が公然としてあったこの国の既存宗教団体だからこそ
曹洞宗っていう一大教団の本山として、宗論的にでなく、むしろ一般社会的に
「今この時に、正しい見解を示すべきだ」って、それこそ「悟った」んじゃないかと思う
あと、後段の方、「現在」と「空気」だけじゃ生温いよ
「傍観」と「諦念」と「怠惰」と「惰性」と「放漫」と「無責任」と「無自覚」と「無関心」と「想像力の欠如」と「当事者意識の欠如」と「批判精神の欠如」と
……もうね、ヤだよ……数え上げるだけムダなくらい、いっぱいあるよ、この国のダメなとこなんて……
>>909
その皮肉に気付けたことが、まさに禅宗ならではのウィットの賜物……なのかな?
……反省しようよ、一億総懺悔でさ、この機会に、ちゃんと
いや、そういった教条主義的な判断じゃないと思うよ、今回の永平寺の懺悔は
世俗と宗教のユルい癒着関係が公然としてあったこの国の既存宗教団体だからこそ
曹洞宗っていう一大教団の本山として、宗論的にでなく、むしろ一般社会的に
「今この時に、正しい見解を示すべきだ」って、それこそ「悟った」んじゃないかと思う
あと、後段の方、「現在」と「空気」だけじゃ生温いよ
「傍観」と「諦念」と「怠惰」と「惰性」と「放漫」と「無責任」と「無自覚」と「無関心」と「想像力の欠如」と「当事者意識の欠如」と「批判精神の欠如」と
……もうね、ヤだよ……数え上げるだけムダなくらい、いっぱいあるよ、この国のダメなとこなんて……
>>909
その皮肉に気付けたことが、まさに禅宗ならではのウィットの賜物……なのかな?
……反省しようよ、一億総懺悔でさ、この機会に、ちゃんと
>>907,910
日本史、世界史を勉強してきたならわかるだろ。人間自体がバカな生き物だってことをだ。
過去の誤りを認識しつつ軌道修正も善後策も反省も打ち出せないのは人間だからだ。
自分の周囲の人間をよく見回して欲しい。この人は100%完璧だと言える人が何人いる?
普通は一人もいない。仮に一人いたとしても残り99%の人は完璧ではないだろう。
それぐらい人間っていう生き物は出来が悪いんだ。
もちろん私自身もあなたも出来の悪い一人でしかない。
国が~宗教が~と唱えたところで、人間自体の出来が悪いんだから仕方がない。
出来が悪いなりにとろとろと折り合いをつけながら生きて行くだけだよ。
日本史、世界史を勉強してきたならわかるだろ。人間自体がバカな生き物だってことをだ。
過去の誤りを認識しつつ軌道修正も善後策も反省も打ち出せないのは人間だからだ。
自分の周囲の人間をよく見回して欲しい。この人は100%完璧だと言える人が何人いる?
普通は一人もいない。仮に一人いたとしても残り99%の人は完璧ではないだろう。
それぐらい人間っていう生き物は出来が悪いんだ。
もちろん私自身もあなたも出来の悪い一人でしかない。
国が~宗教が~と唱えたところで、人間自体の出来が悪いんだから仕方がない。
出来が悪いなりにとろとろと折り合いをつけながら生きて行くだけだよ。
>>910
自分の知人で日本の在来仏教ではない
東南アジアの上座部宗派で修行した人が述べていたところによると
戦後日本の仏教界の主流は割と自民党政権とべったりだった
冷戦時代に中国やベトナムでは仏教徒が弾圧されていたから
社会主義との対立上そういうなった側面はあるだろうと
あと昔の自民党は農村が支持基盤だったから
檀家制度で土着共同体と結びついた寺院が支持母体になるも道理か
無論、政治的イデオロギーでは自民党を支持したとしても
その産業政策の誤りや官界の無策を見過ごすのは別問題だと
その元インド帰りの友人も怒ってた
自分の知人で日本の在来仏教ではない
東南アジアの上座部宗派で修行した人が述べていたところによると
戦後日本の仏教界の主流は割と自民党政権とべったりだった
冷戦時代に中国やベトナムでは仏教徒が弾圧されていたから
社会主義との対立上そういうなった側面はあるだろうと
あと昔の自民党は農村が支持基盤だったから
檀家制度で土着共同体と結びついた寺院が支持母体になるも道理か
無論、政治的イデオロギーでは自民党を支持したとしても
その産業政策の誤りや官界の無策を見過ごすのは別問題だと
その元インド帰りの友人も怒ってた
ついさっき池上彰を見てたんだが、似たことを言ってたな
「ブッシュ元大統領は、イギリスがアフガンに出て失敗した本を、それこそ何冊も出ているのに読まなかったから自国の兵士を送り出してしまった
ヒトラーは、ナポレオンがロシアに出て失敗した本を、何十冊も出ているはずなのに読まなかったから出兵するような失敗を犯した
人間は失敗をする動物なのだから、先人がせっかく教訓談として残してくれた本をもっと読むべきではないか」(意訳)
いかなる聖人君主哲人思想家でも間違いは犯す(絶対という言葉は絶対にない)から、せめて過去の教訓は学ぼうぜ、と
「ブッシュ元大統領は、イギリスがアフガンに出て失敗した本を、それこそ何冊も出ているのに読まなかったから自国の兵士を送り出してしまった
ヒトラーは、ナポレオンがロシアに出て失敗した本を、何十冊も出ているはずなのに読まなかったから出兵するような失敗を犯した
人間は失敗をする動物なのだから、先人がせっかく教訓談として残してくれた本をもっと読むべきではないか」(意訳)
いかなる聖人君主哲人思想家でも間違いは犯す(絶対という言葉は絶対にない)から、せめて過去の教訓は学ぼうぜ、と
つか、アフガンの件は、カーターが、アフガン含め、中東に武器ばらまいた上に手綱捨てちゃったからじゃなかったか。
俺は池上さんじゃないんでツッコミを返しきれないんだが、過去の失敗に学べってのは真ではなかろうかと
裏
そういえばバラライカの姉御もアフガン帰還兵だったっけ
裏
裏
そういえばバラライカの姉御もアフガン帰還兵だったっけ
裏
愚者は経験に学び、賢者は歴史
学ぶってやつか
言うは易いが、実行するのは難しいよなあ
学ぶってやつか
言うは易いが、実行するのは難しいよなあ
人は忘れる生き物だからなあ
過去に囚われていたら未来に進めないからな(皮肉)
現在は地味な県筆頭の福井県の若狭、越前辺りは
一大宗教地域だよなぁ一揆も多かったし、ざっと永平寺に陰陽道の名田庄に海のある奈良、小浜に
織田家ゆかりの忌部、物部関連、東尋坊、一乗谷、三方五胡、越前大野と
まぁ越前大仏という日本一のハコモノ観光大仏を作っちゃった負の遺産もあるが
敦賀という地名の由来はツヌガアラシトという角の生えた何者かが海からやってきたという
よく分からないもの で、今は海に向かって高浜、大飯、美浜、敦賀の原発銀座になってるわけだが
福井県民の県民性はこういう歴史を踏まえた忍耐強さが培われているのサ
現在は地味な県筆頭の福井県の若狭、越前辺りは
一大宗教地域だよなぁ一揆も多かったし、ざっと永平寺に陰陽道の名田庄に海のある奈良、小浜に
織田家ゆかりの忌部、物部関連、東尋坊、一乗谷、三方五胡、越前大野と
まぁ越前大仏という日本一のハコモノ観光大仏を作っちゃった負の遺産もあるが
敦賀という地名の由来はツヌガアラシトという角の生えた何者かが海からやってきたという
よく分からないもの で、今は海に向かって高浜、大飯、美浜、敦賀の原発銀座になってるわけだが
福井県民の県民性はこういう歴史を踏まえた忍耐強さが培われているのサ
テレビの知識だが、故・植木等のお父上は僧侶だったが、ある時彼に言ったそうだ
「スーダラ節」の歌詞「わかっちゃいるけど、やめられない」は仏法からみても、この世の真理だと
お話し変わって、藤原京(=不比等の都だw)の食事を再現した模型を過日、見学出来た
【貴族の食事(ただし宴会のご馳走、おそらくは夏)】
平皿に載せられた鮎の煮物2匹、茹でた芹添え
深めの器に盛られた真鯛の和え物
フタ付きの器に盛られたアワビのウニ和え
平皿に載せられた心太(トコロテン)と酢醤(今の酢醤油に相当)
これも平皿で、茹でた枝豆
大きな器(今のラーメン丼に近い形状)に盛られたたっぷりの白米ご飯
汁物(潮汁に見える、実は若布だそうな)
奈良漬けに似た瓜漬けと、ショウガの酢漬け
清酒=上等な濁り酒(今の清酒にやや近い、半透明の白濁酒)
調味用の塩と酢(当時は各自でも好みに味付け)
季節の果物や木の実(ビワ、クルミ、ほか1種はたぶん梅かなにか)
デザートの蘇(蘇=牛乳を煮詰めた今のカッテージチーズのような乳製品)
不比等の宴席にはこういう料理が並べられ、時には鶏肉や獣肉も食べられたらしい
妹紅も別室で、時々にはこれに近いご馳走にあずかれたのかも
…ただこんなものばっかり食ってたせいで、藤原一族の何人かは後世、
糖尿などの成人病で命を落としている
「スーダラ節」の歌詞「わかっちゃいるけど、やめられない」は仏法からみても、この世の真理だと
お話し変わって、藤原京(=不比等の都だw)の食事を再現した模型を過日、見学出来た
【貴族の食事(ただし宴会のご馳走、おそらくは夏)】
平皿に載せられた鮎の煮物2匹、茹でた芹添え
深めの器に盛られた真鯛の和え物
フタ付きの器に盛られたアワビのウニ和え
平皿に載せられた心太(トコロテン)と酢醤(今の酢醤油に相当)
これも平皿で、茹でた枝豆
大きな器(今のラーメン丼に近い形状)に盛られたたっぷりの白米ご飯
汁物(潮汁に見える、実は若布だそうな)
奈良漬けに似た瓜漬けと、ショウガの酢漬け
清酒=上等な濁り酒(今の清酒にやや近い、半透明の白濁酒)
調味用の塩と酢(当時は各自でも好みに味付け)
季節の果物や木の実(ビワ、クルミ、ほか1種はたぶん梅かなにか)
デザートの蘇(蘇=牛乳を煮詰めた今のカッテージチーズのような乳製品)
不比等の宴席にはこういう料理が並べられ、時には鶏肉や獣肉も食べられたらしい
妹紅も別室で、時々にはこれに近いご馳走にあずかれたのかも
…ただこんなものばっかり食ってたせいで、藤原一族の何人かは後世、
糖尿などの成人病で命を落としている
現在の日本で(むしろ世界的に?)エコが一人歩きしてるから仕方ない
実態を知らずに雰囲気だけで持ち上げられてるのを見ると
化学が信仰と揶揄されるのもわかる
原発の議論なんて最たるもので、一般人はまだいいが
為政者までそれに踊らされているのは情けない限り
上に立つものは冷徹にリスクリターンで考えるべきだ
とか言ってみたが、科学を信仰になぞらえるのは間違いだと
昔このスレで議論になってた気がする
ぼんやり読んでるだけじゃ知識が身につかないな
実態を知らずに雰囲気だけで持ち上げられてるのを見ると
化学が信仰と揶揄されるのもわかる
原発の議論なんて最たるもので、一般人はまだいいが
為政者までそれに踊らされているのは情けない限り
上に立つものは冷徹にリスクリターンで考えるべきだ
とか言ってみたが、科学を信仰になぞらえるのは間違いだと
昔このスレで議論になってた気がする
ぼんやり読んでるだけじゃ知識が身につかないな
個人的には、ごく一般的な人々にとっての、科学と既存の宗教には決定的な一線があるように思う。
素人考えだが、いわゆる宗教は一個または複数の信仰の対象の人格に対して気を遣う必要があるが
科学にはそれがない。物理法則や化学物質に対して人格に対するような敬意は必要ないという話。
それによって、科学は人間の上に立たず、あくまで道具として使え、そう見ていられるのではないかなと。
そういった意味では、上にある占いや疑似科学についても、やはり「宗教」とは違うような気がしたり…?
科学にしても宗教にしても、その中枢や"上"にいる人達は、また別の認識があるかもとも思うけれど。
素人考えだが、いわゆる宗教は一個または複数の信仰の対象の人格に対して気を遣う必要があるが
科学にはそれがない。物理法則や化学物質に対して人格に対するような敬意は必要ないという話。
それによって、科学は人間の上に立たず、あくまで道具として使え、そう見ていられるのではないかなと。
そういった意味では、上にある占いや疑似科学についても、やはり「宗教」とは違うような気がしたり…?
科学にしても宗教にしても、その中枢や"上"にいる人達は、また別の認識があるかもとも思うけれど。
科学を信仰することもできるよ
科学と科学信仰は別なわけで
科学というのは本来この世界を理解していくための方法で
分かっている範囲を明らかにしてその外へ一歩草分けして行く方法なんだ。
それに対して宗教はそこを一足飛びにして、何かの説に信を置いて世界を丸ごと分かっちゃおうという方法だと思う
けれども科学が一般人には理解が追いつかない段階まで行っちゃうと一足飛びに最先端まで見えちゃって
科学の積み重ね自体に信を置いて世界を丸ごと分かっちゃおうとするから
結局信仰となんら変わりはなくなると思う
完全に草分けされたわけではないし、踏み分けられた草の中でもウソは隠せるから
そういったニッチを土壌にしてエセ科学なんかが蔓延するんだと思う
まあ結局そういった信仰で人々が幸せになれれば役割はある訳だし
宗教と同じで要は使いようだと思うけれど、エセの化け皮が剥がされたときに
やっぱり人は一足飛びに科学の積み重ね自体を否定してまた何かの宗教に寄り掛かる
というのは仕方のないことなのかね
科学と科学信仰は別なわけで
科学というのは本来この世界を理解していくための方法で
分かっている範囲を明らかにしてその外へ一歩草分けして行く方法なんだ。
それに対して宗教はそこを一足飛びにして、何かの説に信を置いて世界を丸ごと分かっちゃおうという方法だと思う
けれども科学が一般人には理解が追いつかない段階まで行っちゃうと一足飛びに最先端まで見えちゃって
科学の積み重ね自体に信を置いて世界を丸ごと分かっちゃおうとするから
結局信仰となんら変わりはなくなると思う
完全に草分けされたわけではないし、踏み分けられた草の中でもウソは隠せるから
そういったニッチを土壌にしてエセ科学なんかが蔓延するんだと思う
まあ結局そういった信仰で人々が幸せになれれば役割はある訳だし
宗教と同じで要は使いようだと思うけれど、エセの化け皮が剥がされたときに
やっぱり人は一足飛びに科学の積み重ね自体を否定してまた何かの宗教に寄り掛かる
というのは仕方のないことなのかね
新宗教の類は幻想入り…しなさそうだな
大本とかなw
大本とかなw
ひがしくに教が幻想入り……ないなw
創価も近いうちに幻想の彼方に消えるやもしれんなぁ、
なんせ3代目会長が1年半前から新聞に出なくなったんだよ。
ココ最近なんて「どこそこの創価の関連施設で式典」、
「アフリカの同志が躍進」、「スペインで新しい文化会館完成」
などかなりしょぼい記事しか出なくなった。
なんせ3代目会長が1年半前から新聞に出なくなったんだよ。
ココ最近なんて「どこそこの創価の関連施設で式典」、
「アフリカの同志が躍進」、「スペインで新しい文化会館完成」
などかなりしょぼい記事しか出なくなった。
>>930
どっちかというと妖怪首おいてけの居る方の世界じゃないだろうかw
出口王仁三郎は廃棄物側で出ても似合いそうだ
そういやその王仁三郎が家の近くの神社に寄進したか何かで石碑が立ってた
誰も何も言わないのはアタリマエのことなのか知らないからなのか
どっちかというと妖怪首おいてけの居る方の世界じゃないだろうかw
出口王仁三郎は廃棄物側で出ても似合いそうだ
そういやその王仁三郎が家の近くの神社に寄進したか何かで石碑が立ってた
誰も何も言わないのはアタリマエのことなのか知らないからなのか
>>928-929
一般人にはほとんど関係のない話だが学説・学派のセクト化ならあるなあ
文系学問もこれだけ分野が膨大になるとお互いツッコミ合いだ
心理学も社会学も文化人類学も言語学も民俗学も歴史学も
お互い自分らが一番文明社会をわかってると言いたがる
実際はそーやって多面的な視野を綜合してやっと輪郭がわかる程度
一般人にはほとんど関係のない話だが学説・学派のセクト化ならあるなあ
文系学問もこれだけ分野が膨大になるとお互いツッコミ合いだ
心理学も社会学も文化人類学も言語学も民俗学も歴史学も
お互い自分らが一番文明社会をわかってると言いたがる
実際はそーやって多面的な視野を綜合してやっと輪郭がわかる程度
原発話はどいつもこいつも(積極推進派も反対派も)政治的な思惑が強すぎて、まともに原子力について考えてる人はほとんどおらん
宗教状態だからなあ、原発にしろエコロジーにしろ自然動物愛護にしろ
自分の正義に凝り固まって、相手の意見も汲み上げ話し合い現実的な妥協案へと昇華するなんて思考ありゃしねえ
自分の正義に凝り固まって、相手の意見も汲み上げ話し合い現実的な妥協案へと昇華するなんて思考ありゃしねえ
政治的な思惑抜きにまともに原子力について考えたら一定の結論が出るなんて考え方こそ宗教だろ。
断言できるが「意見を汲み合って現実的に話し合ったら妥協案は自分寄りになってほしい、いやなるはずだ」と
誰もが思ってるよ。当然俺も含めてな。
それだったらまともに考えるだの現実的な妥協案だの口当たりのいい言葉は使わずに自分が世の中に
どうなって欲しいかだけ喋ってるほうがまだしも誠実だと俺は考えるがね。
断言できるが「意見を汲み合って現実的に話し合ったら妥協案は自分寄りになってほしい、いやなるはずだ」と
誰もが思ってるよ。当然俺も含めてな。
それだったらまともに考えるだの現実的な妥協案だの口当たりのいい言葉は使わずに自分が世の中に
どうなって欲しいかだけ喋ってるほうがまだしも誠実だと俺は考えるがね。
◆ 其の二十五(スレ25)>>182–191
結局人間はもちろん生物は生きてるだけでもう罪なんだよ
弱肉強食の輪からは逃れられない
これは仕方ない、どれだけオブラードに包んでも事実だからそれを
宗教はありもしない神様がどうこうで誤魔化してるだけだ
弱肉強食の輪からは逃れられない
これは仕方ない、どれだけオブラードに包んでも事実だからそれを
宗教はありもしない神様がどうこうで誤魔化してるだけだ
えっ 神様がありもしない……?
神の不在を証明できるなら君は1000年名前の残るベストセラーを書けるぞ
神の不在を証明できるなら君は1000年名前の残るベストセラーを書けるぞ
♪No saviour from on high delivers
♪No faith have we in prince or peer
♪Our own right hand the chains must shiver
♪Chains of hatred, greed and fear
19世紀になって、人はもう既に神の死亡証明してた
20世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明しようとした
21世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明もできないまま神の生存を語ろうとする
ちなみに、21世紀最初に生まれた独立国は、神の死亡証明を信じた国
♪No faith have we in prince or peer
♪Our own right hand the chains must shiver
♪Chains of hatred, greed and fear
19世紀になって、人はもう既に神の死亡証明してた
20世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明しようとした
21世紀になって、人は神の死亡証明した人の死亡証明もできないまま神の生存を語ろうとする
ちなみに、21世紀最初に生まれた独立国は、神の死亡証明を信じた国
弱肉強食の世界に罪は存在していない
それではあまりにも弱者がつらいんで、強者に勝る神を創り出し
神の教えに逆らう強者に罪を押し付けた
つまり、神も罪も人間の作り出した妄想にすぎないのだ
それではあまりにも弱者がつらいんで、強者に勝る神を創り出し
神の教えに逆らう強者に罪を押し付けた
つまり、神も罪も人間の作り出した妄想にすぎないのだ
別にこのスレは神話だけを語るスレじゃないから何も問題はない
「神は死んだ」と説いたニーチェは哲学者だし、神は必ずしも神話だけの領域でもない
「神は死んだ」と説いたニーチェは哲学者だし、神は必ずしも神話だけの領域でもない
日本人にはぴんとこないけど「神は死んだ」の台詞は欧州人にとってそれはどえらい事らしい。
存在理由というか、精神的シチューというか
神そのものが生存していないと考える合理的な人でも、必ず何かしらの影響は受けている
「神は死んだ」を日本で例えるなら、終戦後の人間宣言に近いのかな
神そのものが生存していないと考える合理的な人でも、必ず何かしらの影響は受けている
「神は死んだ」を日本で例えるなら、終戦後の人間宣言に近いのかな
小文字のgodならいくらでも創り出せるし
同時に忘れ去られて消滅した存在も数多い
同時に忘れ去られて消滅した存在も数多い