ずいぶん前にここのスレに文化人類学専門の人がいた気がするんだが、「文化相対主義の欠点」ってなんなんだ?
いままで文化相対主義っていいものだと思ってたから、あまりいいものじゃないって話を聞いて困惑してるんだが…
ググってもあんま良い文出てこないから聞いてみた。その人じゃなくても、知ってる人がいたら教えてくれるとありがたいよ。
スレチ気味スマソ
文化相対主義とその限界
比較宗教・哲学 › 一神教vs多神教
サティ(ヒンドゥー教の寡婦殉死)・文化相対主義の欠点(習慣の過剰肯定)・アフリカのエイズ迷信・人権普遍主義との矛盾
◆ 其の十四(スレ14)>>305–316
「一部の人間が不当に利益を得る」あるいは「不利益を被る」ような社会を
「独自の伝統文化」「歴史的な経緯がある」といって肯定しちゃうのはどうなの?
みたいな話かしら
「独自の伝統文化」「歴史的な経緯がある」といって肯定しちゃうのはどうなの?
みたいな話かしら
>>305-306
俺が昔どこかで見かけた文章では
欧米文化中心主義に偏らず各地域の現地文化を尊重するという立場が
結果的に例えば
インドの一部では妻は夫の所有物と見なすから
夫が亡くなったときに妻が生きてたら殺して一緒に埋葬時する
とかいった習慣を肯定してしまうから云々かんぬんとかそんな話だった
社会主義による伝統文化破壊とか問題視されるけど
中国の纏足とかなくなったのは合理
結果的に日本より働いてる女性が出世しやすい社会にもなってるし
でもそれと同じノリでチベットとかウイグルとか弾圧されてもなあ…という
俺が昔どこかで見かけた文章では
欧米文化中心主義に偏らず各地域の現地文化を尊重するという立場が
結果的に例えば
インドの一部では妻は夫の所有物と見なすから
夫が亡くなったときに妻が生きてたら殺して一緒に埋葬時する
とかいった習慣を肯定してしまうから云々かんぬんとかそんな話だった
社会主義による伝統文化破壊とか問題視されるけど
中国の纏足とかなくなったのは合理
結果的に日本より働いてる女性が出世しやすい社会にもなってるし
でもそれと同じノリでチベットとかウイグルとか弾圧されてもなあ…という
>>305
文化相対主義じゃないけれどたとえば「正義」の定義として、こんなのがあるよ
(あくまでも道徳哲学上におけるひとつの定義例)
「ある社会Sが、Sであるのは、条件(条件群)sが成立している場合だとされるとき、
このsをSにとっての「正義」と呼ぶ」のだそうだ
社会学や文化人類学など、外部の他者による研究観察の価値中立性を担保することに重点を置いた定義だ
ある閉じた社会とその因習や弊害をも「それぞれの正義」として無限に肯定してしまう欠点もある
(極端なまでの不介入・不干渉という、他者の独善や過剰介入とは正反対の「やりすぎ」)
>>308
寡婦殉死(殉葬)、サティーと呼ばれたヒンドゥー教の慣習だっけな
夫が焼かれている火葬の薪山に、寡婦も飛び込んで生きながら焼かれるという習慣で、
イギリス総督により禁止された後も、地方などでは比較的近年まで行われていたとか
文化相対主義じゃないけれどたとえば「正義」の定義として、こんなのがあるよ
(あくまでも道徳哲学上におけるひとつの定義例)
「ある社会Sが、Sであるのは、条件(条件群)sが成立している場合だとされるとき、
このsをSにとっての「正義」と呼ぶ」のだそうだ
社会学や文化人類学など、外部の他者による研究観察の価値中立性を担保することに重点を置いた定義だ
ある閉じた社会とその因習や弊害をも「それぞれの正義」として無限に肯定してしまう欠点もある
(極端なまでの不介入・不干渉という、他者の独善や過剰介入とは正反対の「やりすぎ」)
>>308
寡婦殉死(殉葬)、サティーと呼ばれたヒンドゥー教の慣習だっけな
夫が焼かれている火葬の薪山に、寡婦も飛び込んで生きながら焼かれるという習慣で、
イギリス総督により禁止された後も、地方などでは比較的近年まで行われていたとか
>>305
めっちゃ極端な話、処女とセクロスしたら性病が治るって俗信があったとするっしょ
それも文化だから残すべきだって主張するのが文化相対主義の欠点
この場合、性病患者による幼女のレイポゥとかが文化レベルで認められる可能性がある
めっちゃ極端な話、処女とセクロスしたら性病が治るって俗信があったとするっしょ
それも文化だから残すべきだって主張するのが文化相対主義の欠点
この場合、性病患者による幼女のレイポゥとかが文化レベルで認められる可能性がある
サティは現在でも行われてるとこがあるっぽいしなぁ…
日本でやると単なる心中か
後追い自殺じゃね?
心中ならほぼ同時に死なないと
心中ならほぼ同時に死なないと
普通に殉死じゃないですかーやだー
日本だと埴輪の仕事だぜ
日本だと埴輪の仕事だぜ
◆ 其の十(スレ10)>>44–62
話それるが最近本気で吃驚したのが、昔は『こども』は存在しなかったって声高に論じてる教師が身近にいたんだよね
発達心理学に置いて子供というものが定義されて初めて子供は子供と認識されるようになったのだ、とか厚顔無恥なこと言ってたな
エリクソンだっけ?学者が始めて子供と大人の「違い」に着目して研究し、このとき『初めて違う事が解った』と言う話
それ以前は子供は人間とすら認められていなかったようだみたいな事も言ってたな、その教師は
なんだかなぁ…と、言う気持ちになったよ。理論としてはある種の視点・意味では通っているんだけど…
子供に限らず「ソレ」の「概念」が無かったから昔の人々は「ソレ」を認識出来なかったって言うのは若干に暴論じゃないかな
時代が変わり新たな概念が付加されただけで「ソレ」はそのまま「ソレ」と認識していたんじゃないかと思うんよ
発達心理学に置いて子供というものが定義されて初めて子供は子供と認識されるようになったのだ、とか厚顔無恥なこと言ってたな
エリクソンだっけ?学者が始めて子供と大人の「違い」に着目して研究し、このとき『初めて違う事が解った』と言う話
それ以前は子供は人間とすら認められていなかったようだみたいな事も言ってたな、その教師は
なんだかなぁ…と、言う気持ちになったよ。理論としてはある種の視点・意味では通っているんだけど…
子供に限らず「ソレ」の「概念」が無かったから昔の人々は「ソレ」を認識出来なかったって言うのは若干に暴論じゃないかな
時代が変わり新たな概念が付加されただけで「ソレ」はそのまま「ソレ」と認識していたんじゃないかと思うんよ
フィリップ・アリエス
という名前をぐぐってみてくれ
という名前をぐぐってみてくれ
残念ながらその論説は厚顔無恥でも暴論でも無いんだ
もう手垢が付くぐらい論じられた論説だから今では語られる事も減ったけどね
ある分野での一種の常識になってるし
もう手垢が付くぐらい論じられた論説だから今では語られる事も減ったけどね
ある分野での一種の常識になってるし
>>44
貴方がそれを厚顔無恥だと感じたのは何故?
西洋だと、近代に入っての子供用衣服の開発が、大人と子供の分離の象徴と言われることも。
日本だとどうなんだろう。やっぱり明治の学制あたりかねえ。
師弟関係だと大人と子供の境界は曖昧だし・・・
貴方がそれを厚顔無恥だと感じたのは何故?
西洋だと、近代に入っての子供用衣服の開発が、大人と子供の分離の象徴と言われることも。
日本だとどうなんだろう。やっぱり明治の学制あたりかねえ。
師弟関係だと大人と子供の境界は曖昧だし・・・
明治時代のお雇い外人のの子した書物だと、日本での子供の扱いが静養のそれと
おおきく異なるような記述があったけどねぇ。
おおきく異なるような記述があったけどねぇ。
七五三とかの8歳頃より下が大人の人間とはちょっと異なる動物だってのは東西共通の認識だろ
むしろ七五三~元服(第二次性徴期)までの少年期における児童労働と
初等教育・モラトリアムの話なんじゃないのか
むしろ七五三~元服(第二次性徴期)までの少年期における児童労働と
初等教育・モラトリアムの話なんじゃないのか
現代でも、胎児は人間じゃなくて物として扱われることが多いんだし(堕胎とか)
その年齢が昔はちょっと上だったってだけじゃないかね
その年齢が昔はちょっと上だったってだけじゃないかね
>>44
概念が無いから認識できないということはありえる。
例えば、現代の日本人は虹の色は7色というが、地域や時代によっては
それ以下だったりそれ以上だったりする。
昔の沖縄では赤と青の2色といった。
この場合、「虹は7色」という概念がなかったため、
同じ現象なのに、現代日本人は認識できる赤青以外の5色が認識できなかったということになる。
これは、「虹は7色」というのが現代日本人が持っている概念であって、
「1+1=2」のような科学的事実、あるいは普遍の真理というわけではないからだ。
同じように「こども」というものも、>>44を含め、現代日本人が持っている概念であって、
普遍の真理ではないから、昔の人間が持っていなくても不思議ではない。
もちろん、真理ではなくとも昔の人が現代人とほぼ同じ「こども」という概念を持っていたという可能性もある。
>>44がその可能性の方を信じるなら、資料にあたってそういうことをちゃんと調べればいい。
否定する根拠が「なんだかなぁ…と、言う気持ちになった」、「じゃないかと思う」ではその教師にも学者にも失礼だろう。
概念が無いから認識できないということはありえる。
例えば、現代の日本人は虹の色は7色というが、地域や時代によっては
それ以下だったりそれ以上だったりする。
昔の沖縄では赤と青の2色といった。
この場合、「虹は7色」という概念がなかったため、
同じ現象なのに、現代日本人は認識できる赤青以外の5色が認識できなかったということになる。
これは、「虹は7色」というのが現代日本人が持っている概念であって、
「1+1=2」のような科学的事実、あるいは普遍の真理というわけではないからだ。
同じように「こども」というものも、>>44を含め、現代日本人が持っている概念であって、
普遍の真理ではないから、昔の人間が持っていなくても不思議ではない。
もちろん、真理ではなくとも昔の人が現代人とほぼ同じ「こども」という概念を持っていたという可能性もある。
>>44がその可能性の方を信じるなら、資料にあたってそういうことをちゃんと調べればいい。
否定する根拠が「なんだかなぁ…と、言う気持ちになった」、「じゃないかと思う」ではその教師にも学者にも失礼だろう。
近代以前、ないし近代的な教育や社会制度が普及する以前の土地では
現在なら子供扱いされる年齢でも大人と同等に扱われた
という話なら、結婚年齢というファクターもあるな
源氏物語の主人公の光源氏は確か初体験が11歳とかそのぐらい(ヲイ)
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のジュリエットは確か14歳
20世紀の話だがインドではガンジーは13歳のとき結婚してる(嫁は18歳)
『乙嫁語り』とかそのへんの事情ゆえ成立するお話w
現在なら子供扱いされる年齢でも大人と同等に扱われた
という話なら、結婚年齢というファクターもあるな
源氏物語の主人公の光源氏は確か初体験が11歳とかそのぐらい(ヲイ)
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のジュリエットは確か14歳
20世紀の話だがインドではガンジーは13歳のとき結婚してる(嫁は18歳)
『乙嫁語り』とかそのへんの事情ゆえ成立するお話w
>>44
産業革命期のイギリス(だったと思う)では子供が鉱山掘ってたとか聞いたことないのか?
厚顔無恥ではなくて、教員免許持ってる奴なら灯台だの創価だの関係なく多分常識だぞ
(特に)農村では子供も労働力としてカウントされるから今風な【大人⇔子供】っていう関係は意識されないだろうな。
まぁ資本主義の進展よりかは国民国家、福祉国家への進展の中で、つまり兵隊に出来るかどうか、の境界線決めの際に
現代的「子供」が形成(認識)されたんじゃないかと思ってる。
(徴兵制とか、国民の権利と義務、みたいな観念の(多分)ない幻想郷では
【子供⇔大人】の、概念は現代の様な体は持ち合わせていないのかもな
(書籍になんか書いてあったらごめん))
まぁ少女臭のするばb…おねえさんがいる位だし大人と子供の境界なんて無いんだろうな
産業革命期のイギリス(だったと思う)では子供が鉱山掘ってたとか聞いたことないのか?
厚顔無恥ではなくて、教員免許持ってる奴なら灯台だの創価だの関係なく多分常識だぞ
(特に)農村では子供も労働力としてカウントされるから今風な【大人⇔子供】っていう関係は意識されないだろうな。
まぁ資本主義の進展よりかは国民国家、福祉国家への進展の中で、つまり兵隊に出来るかどうか、の境界線決めの際に
現代的「子供」が形成(認識)されたんじゃないかと思ってる。
(徴兵制とか、国民の権利と義務、みたいな観念の(多分)ない幻想郷では
【子供⇔大人】の、概念は現代の様な体は持ち合わせていないのかもな
(書籍になんか書いてあったらごめん))
まぁ少女臭のするばb…おねえさんがいる位だし大人と子供の境界なんて無いんだろうな
>>44じゃないけどフィリップ・アリエスについてググってみたが、
近代以前のヨーロッパでの人の分類は「子供」と「大人」じゃなくて、「物」と「人間」って感じなんだな。
自分の子供が死んで親が悲しむのが異例扱いとか、驚いたわ。
近代以前のヨーロッパでの人の分類は「子供」と「大人」じゃなくて、「物」と「人間」って感じなんだな。
自分の子供が死んで親が悲しむのが異例扱いとか、驚いたわ。
まぁ死んでも珍しいことじゃなかったから、
ある程度はしょうがない、って感じだったんだろうね
命は地球より重い(キリッなんて言うような輩もいなかったろうし
人の命の価値なんて時代と階級、その他諸々の事情によって変わる、所詮そんなもんですよ
ある程度はしょうがない、って感じだったんだろうね
命は地球より重い(キリッなんて言うような輩もいなかったろうし
人の命の価値なんて時代と階級、その他諸々の事情によって変わる、所詮そんなもんですよ
今60代とか70代の人の親だと、子供が6人とか普通だから
子供が一人死んでも親は、今ほど悲しまなかったけど、
今は3人でも多い状況だから、親の受け止め方はかなり世代で違ってきてる筈だ
って昔親が言ってた
子供が一人死んでも親は、今ほど悲しまなかったけど、
今は3人でも多い状況だから、親の受け止め方はかなり世代で違ってきてる筈だ
って昔親が言ってた
>>56
人里はともかく、妖怪連中の子どもとか大人という観念はだいぶ怪しいよなあ
生死の周期が長すぎるから人間とものさしが違う、でfixしそうではあるんだが
男性と違って女性は出産=大人って境界はいかな時代でも揺るがない…はず
そう考えるとおば確定の永琳とか、子孫持ちの諏訪子とかはやっぱどうなのと
現実の40代女子にあたる価値観があるんだろうか
それとも少女は仮の姿説が近いんだろうか
人里はともかく、妖怪連中の子どもとか大人という観念はだいぶ怪しいよなあ
生死の周期が長すぎるから人間とものさしが違う、でfixしそうではあるんだが
男性と違って女性は出産=大人って境界はいかな時代でも揺るがない…はず
そう考えるとおば確定の永琳とか、子孫持ちの諏訪子とかはやっぱどうなのと
現実の40代女子にあたる価値観があるんだろうか
それとも少女は仮の姿説が近いんだろうか
◆ 其の二十五(スレ25)>>116–130
この話題が出たことあるかもしれないが書いてしまおう
最近ファミマのフォアグラ弁当が愛護団体などのクレームで発売中止になったが
実は諏訪大社の蛙狩り神事も愛護団体などのやり玉に挙げられている
まあ、地元でも騒がれているとはあまり知られていないが
(もしかして弁当クレームの団体も神事の事を書いてないかなと調べたら書いてあったw)
数年前から騒ぎ始める→ネット上で拡散希望&電凸→同調するものも現れる→youtubeに動画が上がるなど
検索すれば拡散希望とかクレームの電凸記録の書き起こしも見れる
最近神事を見学したことがある人は分かるかもしれないが
これのせいでカメラ撮影と取材の規制が厳しくなったのだろうと言われている
今年もマナーが悪い人(愛護団体か?)がいたようなのでもっと厳しくなるかも
神事までいちゃもんつけるとは・・・賛同者のコメントとか見ていると頭が痛くなってくるぜ
最近ファミマのフォアグラ弁当が愛護団体などのクレームで発売中止になったが
実は諏訪大社の蛙狩り神事も愛護団体などのやり玉に挙げられている
まあ、地元でも騒がれているとはあまり知られていないが
(もしかして弁当クレームの団体も神事の事を書いてないかなと調べたら書いてあったw)
数年前から騒ぎ始める→ネット上で拡散希望&電凸→同調するものも現れる→youtubeに動画が上がるなど
検索すれば拡散希望とかクレームの電凸記録の書き起こしも見れる
最近神事を見学したことがある人は分かるかもしれないが
これのせいでカメラ撮影と取材の規制が厳しくなったのだろうと言われている
今年もマナーが悪い人(愛護団体か?)がいたようなのでもっと厳しくなるかも
神事までいちゃもんつけるとは・・・賛同者のコメントとか見ていると頭が痛くなってくるぜ
俺達は伝統だと思っているが向こうからすれば因習だろうからな
実際この二つを明確に分けるのは難しい
実際この二つを明確に分けるのは難しい
何処で線引きするか、ってのは感覚の問題だしな。
個人的にもマララ襲撃とか引くわ…、と思うけど…と言うような話で。
人間とそれ以外で線を引く、
と言うのが個人的には一番妥当な線だと思うけど、
思想・宗教(と金)が絡むとどうしてもな。
ここの諸兄は何をいまさらだろうけど。
個人的にもマララ襲撃とか引くわ…、と思うけど…と言うような話で。
人間とそれ以外で線を引く、
と言うのが個人的には一番妥当な線だと思うけど、
思想・宗教(と金)が絡むとどうしてもな。
ここの諸兄は何をいまさらだろうけど。
食べるわけでもない生き物を殺しているのは事実だし
伝統(昔からやってるから)という主張だけでは何も説得力がない
問題はその伝統を地域住民がどれだけ日常の一部として受け入れ、精神の安寧に貢献しているか。それが蛙を殺すに足るものか。
神事の意義を、幻想の消える科学の世紀でどこまで主張できるか。
伝統(昔からやってるから)という主張だけでは何も説得力がない
問題はその伝統を地域住民がどれだけ日常の一部として受け入れ、精神の安寧に貢献しているか。それが蛙を殺すに足るものか。
神事の意義を、幻想の消える科学の世紀でどこまで主張できるか。
試しにゴムの蛙で神事をしてみたら…守屋山が崩れて、八ヶ岳が噴火したら愛護団体さんも黙るかも?
まあ愛護団体の主張が一般に受け入れられてるんだったら「幻想の消える科学の世紀」とやらになったと言えるんだろうけど
現実においては少数の戯言に過ぎない
現実においては少数の戯言に過ぎない
正直な話、イルカ漁に関してはそこまで海外から批判を受けても続けるべきものなのか?いっそやめてもいいんじゃないか?
と思ってしまうのに、
蛙神事にいちゃもんをつけられるのはなんか許せない
うーん、なんだろうこの矛盾したエゴ
と思ってしまうのに、
蛙神事にいちゃもんをつけられるのはなんか許せない
うーん、なんだろうこの矛盾したエゴ
フォアグラはまぁ捕鯨が是か非かみたいなもんでしょ
可愛いと思う人が昔に比べて増えたのだろう
蛙はそこまで可愛くはない気がする
フォアグラ文化も捕鯨文化と同じようにこうしていつか廃れるんだろうな
可愛いと思う人が昔に比べて増えたのだろう
蛙はそこまで可愛くはない気がする
フォアグラ文化も捕鯨文化と同じようにこうしていつか廃れるんだろうな
>>121
そうは言ってもね
フォアグラの件だって数では少数派だったろう
それに蛙愛護派が少数だとしても、イコール神事存続派が多数というわけでもない
最大多数は「やるなら参加する」「どうでもいい」「知らない」という人たちなのだから
そうは言ってもね
フォアグラの件だって数では少数派だったろう
それに蛙愛護派が少数だとしても、イコール神事存続派が多数というわけでもない
最大多数は「やるなら参加する」「どうでもいい」「知らない」という人たちなのだから
>>122
イルカが可愛いからじゃね?(適当)
というか、あれはイルカが伝統になったからイルカだっただけで、
サメとかメカジキとかマンボウとかが伝統だったらそうやっただろうし。
一応、イルカを維持すれば、
次の矢(サンマでもマグロでもシカでもイノシシでも何でも良いけど)で射られるリスクは下がるという価値はあるよ。
伝統風習で言えば、幻想郷にも多分いるであろうマタギ的な人間は、
オコゼの代わりに何を持って行ってるんだろうか。
海無いけど。
イルカが可愛いからじゃね?(適当)
というか、あれはイルカが伝統になったからイルカだっただけで、
サメとかメカジキとかマンボウとかが伝統だったらそうやっただろうし。
一応、イルカを維持すれば、
次の矢(サンマでもマグロでもシカでもイノシシでも何でも良いけど)で射られるリスクは下がるという価値はあるよ。
伝統風習で言えば、幻想郷にも多分いるであろうマタギ的な人間は、
オコゼの代わりに何を持って行ってるんだろうか。
海無いけど。
イルカは可愛いってのはでかいわな
イルカは賢いからって言うやつもいるけどそれこそオコゼみたいな見た目だったらお前保護した?っていう
イルカは賢いからって言うやつもいるけどそれこそオコゼみたいな見た目だったらお前保護した?っていう
同じ国内でも熊本の天草や伊豆七島の御蔵島みたいに伝統的にイルカを捕らないとこがある。
それが今、イルカウォッチングで漁業より収益をあげているのだからわからない。
それが今、イルカウォッチングで漁業より収益をあげているのだからわからない。
逆に伝統の誇大解釈ってのもあらーな。
確かに捕鯨は古くからある我が国の伝統だが、
南氷洋にまで繰り出す現状でそれを主張するのは違うんじゃねーかと。
確かに捕鯨は古くからある我が国の伝統だが、
南氷洋にまで繰り出す現状でそれを主張するのは違うんじゃねーかと。
>128
捕鯨行為について愛護でイっちゃってる連中とまともな議論のし様がない現状で、
本当の意味での伝統とは別に、原住民生存捕鯨枠や伝統文化保護的側面と絡めて
ひとつの交渉材料として伝統捕鯨が日本にも存在すると主張する必要があるんだと思うが。
あと南氷洋での調査捕鯨については、
日本はそれが伝統捕鯨と主張した事はないし、
むしろそれとは明確に区別した別の論陣を張ってるはず。
捕鯨行為について愛護でイっちゃってる連中とまともな議論のし様がない現状で、
本当の意味での伝統とは別に、原住民生存捕鯨枠や伝統文化保護的側面と絡めて
ひとつの交渉材料として伝統捕鯨が日本にも存在すると主張する必要があるんだと思うが。
あと南氷洋での調査捕鯨については、
日本はそれが伝統捕鯨と主張した事はないし、
むしろそれとは明確に区別した別の論陣を張ってるはず。
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/38232
これはちょっと偏った記事だけど、捕鯨国は現在ノルウェー・アイスランド・日本の三カ国のみ
人の文化へ土足で踏み入って破壊したために、当時の文化を再現するのに苦労してるマヤ・アステカの事を忘れてるんじゃねぇの?
百歩譲ってその過程が残虐と言うなら、牛とかの畜肉処理過程はどうなのと思うわ
結局これは、日本式の「いただきます」と基督教の「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」の違いなんだと思う(それこそ文化の違い)
前者は食物・自然への感謝が前提にあって、後者は神と神による被造物への渇望が下敷きになってる
でも旧約聖書の創世記には、こうあるんだけどなぁ
地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、
海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、
すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。
しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。(GEN 9:2-4)
これはちょっと偏った記事だけど、捕鯨国は現在ノルウェー・アイスランド・日本の三カ国のみ
人の文化へ土足で踏み入って破壊したために、当時の文化を再現するのに苦労してるマヤ・アステカの事を忘れてるんじゃねぇの?
百歩譲ってその過程が残虐と言うなら、牛とかの畜肉処理過程はどうなのと思うわ
結局これは、日本式の「いただきます」と基督教の「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」の違いなんだと思う(それこそ文化の違い)
前者は食物・自然への感謝が前提にあって、後者は神と神による被造物への渇望が下敷きになってる
でも旧約聖書の創世記には、こうあるんだけどなぁ
地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、
海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、
すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。
しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。(GEN 9:2-4)