真名・呪術的名前の力(スクナビコナ・YHWH・ゲド戦記)
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スクナビコナが名乗らなかった理由(真名を知られると支配される禁忌)。アッラーの99の名前・YHWHの発音禁忌・ゲド戦記の真名体系との比較。真名は存在の本質という世界的観念。日本の神の命名論(神名が神格そのもの)。呪術的には「名を知ること=支配」という構造。
◆ 其の六(スレ6)>>108–149
神功皇后が酒をこしらえた時の歌に少名彦名の名がでてくるんだけど、酒神の側面もあったのかな。
スクナビコナは中国の新農と習合したとされる穀物神かつ薬神でもあるからなあ。
穀物と薬と言えば、まさに酒が連想されるのは自明だよね。
穀物と薬と言えば、まさに酒が連想されるのは自明だよね。
スクナビコナはオオクニヌシの相棒だな
いまだに東方にスクナビコナがモデルのキャラが出てないのは意外
いまだに東方にスクナビコナがモデルのキャラが出てないのは意外
なんで最初は尋ねられても名乗らなかったのか
恥ずかしがり屋?
恥ずかしがり屋?
名前は呪だってのはどの辺りから考えられるようになったんだろうね?
日本の場合個人の名前に対する呪というか言霊思想だと思う
名前を直接呼ぶのは恐れ多いという思想だな
それで日本では天皇のことを宮城の門を指す「御門=ミカド=帝」と
呼ぶようになったと猪瀬直樹の『ミカドの肖像』で出てきた
しかし「隠された真名に神秘の力が宿っている」とかって概念は
他の文化圏でもあるよな。エジプト神話では、イシス女神は
太陽神ラーの秘密の名前を知ってその力を得たとかなんとか
それで日本では天皇のことを宮城の門を指す「御門=ミカド=帝」と
呼ぶようになったと猪瀬直樹の『ミカドの肖像』で出てきた
しかし「隠された真名に神秘の力が宿っている」とかって概念は
他の文化圏でもあるよな。エジプト神話では、イシス女神は
太陽神ラーの秘密の名前を知ってその力を得たとかなんとか
霖之助、咲夜、永琳といい東方は偽名が多いよね
もしかしたら大半が偽名かもしれない
もしかしたら大半が偽名かもしれない
偽名というよりは忌み名みたいなもんじゃないかと思うんだけどね
月は天蓋に写ってるだけ、みたいな感じで実体を悟られないようにしている
個人的に気に入らない設定だが昔の人々はこういう発想をしていたんだろう
月は天蓋に写ってるだけ、みたいな感じで実体を悟られないようにしている
個人的に気に入らない設定だが昔の人々はこういう発想をしていたんだろう
俺は忌み名とか字とか好きだな
人名に限らず、知る→しろしめす感じは解剖とか勉強していると凄く実感できる
人名に限らず、知る→しろしめす感じは解剖とか勉強していると凄く実感できる
名前の話は海外でもあるね
何だったかな、長ったらしい名前の妖精が、7日?間のうちに俺の名前が答えられたら云々ってやつとか
何だったかな、長ったらしい名前の妖精が、7日?間のうちに俺の名前が答えられたら云々ってやつとか
ランペルスティルスキンだな。
日本にも似たような奴で鬼六の話があるね。
日本にも似たような奴で鬼六の話があるね。
>>117
是非次もこりずに書き込んで欲しい
良く分からないものを名付けることで、初めてその事象を定義出来る訳だから、
良く分からないものの名を知ることで、逆説的にその対象を掌握出来る、という呪術的な思考があったんだろうな。
是非次もこりずに書き込んで欲しい
良く分からないものを名付けることで、初めてその事象を定義出来る訳だから、
良く分からないものの名を知ることで、逆説的にその対象を掌握出来る、という呪術的な思考があったんだろうな。
オーディンさんが百個ぐらい名前持ってるのもそんな理由だったようなそうでもなかったような
長い名前なら(前略)長久命の長介さんが・・・
日本神話の神様の名前は、長かったり色々な意味が入っているけど
東方の神様は普通の人間風の名前になってるよね。
一見苗字と名前のように分かれているが
秋姉妹が秋○○なところを見ると
やっぱり苗字と名前なのかな・・・
日本神話の神様の名前は、長かったり色々な意味が入っているけど
東方の神様は普通の人間風の名前になってるよね。
一見苗字と名前のように分かれているが
秋姉妹が秋○○なところを見ると
やっぱり苗字と名前なのかな・・・
ロムスカ・パロ・秋・稔子とかな
大国主は名前が多いなぁ
それほど多面的な神様ってことかな
それほど多面的な神様ってことかな
イスラム教の「アッラー」は特殊な名前のだと聞いたことがある
そもそもイスラムでは神という種族がいない。アッラーは「神」と書いて「アッラー」とルビを振ってる感じで、
決して「神」の訳語が「アッラー」であるわけではないし、アッラーはただアッラーであるだけだという
実はこのアッラーという名前のほかに数百の名前を持っていて、「アッラー」は単に造物主という存在が
人間にもっとも呼ばれることの多い名前であるだけで、天使なんかはアッラーを何と呼んでいるかわからない
つまりアッラーは「アッラー」は人間に向けたアッラーの顔の一部を指しているのに過ぎないんだと
アッラーといくら名前を呼んでもアッラーという存在は永久に知ることは出来ない構造になっている
名前を呼ぶこととアッラーを知ることは最初から分断させられているということになるんだね
だから偽名であることは大した意味を持ってないんだね
「博麗霊夢」にしても、それは霊夢を知る誰かに向けられた霊夢の一部に過ぎないと
アッラーという単語がゲシュタルト崩壊した
そもそもイスラムでは神という種族がいない。アッラーは「神」と書いて「アッラー」とルビを振ってる感じで、
決して「神」の訳語が「アッラー」であるわけではないし、アッラーはただアッラーであるだけだという
実はこのアッラーという名前のほかに数百の名前を持っていて、「アッラー」は単に造物主という存在が
人間にもっとも呼ばれることの多い名前であるだけで、天使なんかはアッラーを何と呼んでいるかわからない
つまりアッラーは「アッラー」は人間に向けたアッラーの顔の一部を指しているのに過ぎないんだと
アッラーといくら名前を呼んでもアッラーという存在は永久に知ることは出来ない構造になっている
名前を呼ぶこととアッラーを知ることは最初から分断させられているということになるんだね
だから偽名であることは大した意味を持ってないんだね
「博麗霊夢」にしても、それは霊夢を知る誰かに向けられた霊夢の一部に過ぎないと
アッラーという単語がゲシュタルト崩壊した
アッラーゆる名前を有しているという訳か
そういやユダヤ教の「ヤハウェ(YHWH)」も正式な名じゃないんだよな
ちょっと前まで我々人間も平気で沢山の名前を持ってたものだけどね
それヤハウェ(はやべ)えな
我々無力な人間は、構造的に真理へ到達することが出来ないようになっている訳だな。
そう考えるとぬえぬえの正体不明のなんと可愛いことよ。
そう考えるとぬえぬえの正体不明のなんと可愛いことよ。
まぁそういう真理っつーのも所詮人間が生んだ概念でしかないけどな
「あなたはパチュリーですか?」
したら真名も一部に過ぎないってことにならないか・・・?
>>130
しかもYHWHは名前をみだりに呼ぶことはならんとモーセに約束までさせてるのに対し、
イスラムでは必ず礼拝のときにアッラーの名前を呼ばせる
何故かというとイスラム教は徹底的な神賛美の宗教だからだという
ユダヤやキリスト教は実は結構ココを忘れてるがイスラムだけは徹底してアッラーの御業を賛美させる
コーランを読唱させるのはコーランがイスラム最大の奇跡と呼ばれてるからだし
つまり人間が言うところのアッラーは「人間に褒められるとき用の名前」ってことだwww
スクナビコナが最初に名前を言うのを渋ったということはスクナビコナは
自分の名前を教えることでいちいち人々に賛美されたくない謙虚な神だったということなのかも知れぬ
しかもYHWHは名前をみだりに呼ぶことはならんとモーセに約束までさせてるのに対し、
イスラムでは必ず礼拝のときにアッラーの名前を呼ばせる
何故かというとイスラム教は徹底的な神賛美の宗教だからだという
ユダヤやキリスト教は実は結構ココを忘れてるがイスラムだけは徹底してアッラーの御業を賛美させる
コーランを読唱させるのはコーランがイスラム最大の奇跡と呼ばれてるからだし
つまり人間が言うところのアッラーは「人間に褒められるとき用の名前」ってことだwww
スクナビコナが最初に名前を言うのを渋ったということはスクナビコナは
自分の名前を教えることでいちいち人々に賛美されたくない謙虚な神だったということなのかも知れぬ
>>134
ちょっと勘違いしてそうだから追加しとくけど、
神を賛美することがその思想の根幹にある宗教というのは、
信仰者がどう足掻いても神と同格に立てないように構造化されている、という意味な。
多神教ってのは、そこんとこの構造が緩いのよ。
ちょっと勘違いしてそうだから追加しとくけど、
神を賛美することがその思想の根幹にある宗教というのは、
信仰者がどう足掻いても神と同格に立てないように構造化されている、という意味な。
多神教ってのは、そこんとこの構造が緩いのよ。
賛美し続けることは同時に神が人の上だと自らに再認識させ続けるって意味合いでいいのかな。
じゃあユダヤキリストは同格だと宣言は出来なくても、腹の内では絶対者を越える野望を持つことも可能ってこと?
でもそれじゃ絶対者じゃないじゃんって感じがするけど
じゃあユダヤキリストは同格だと宣言は出来なくても、腹の内では絶対者を越える野望を持つことも可能ってこと?
でもそれじゃ絶対者じゃないじゃんって感じがするけど
あ、自分も絶対者に溶けれるって考えるのかな
本名(真名)を知られる=本質を掴まれる=支配される
人であれ、神や精霊であれ、そんな怖れもあるらしいな
だから、女性の名前は夫たる人以外には告げられない
おかげで諏訪御寮人(諏訪氏の娘、武田勝頼の母)の名前はいまだ知られず
小説や大河ドラマごとにちがっていたりする
人であれ、神や精霊であれ、そんな怖れもあるらしいな
だから、女性の名前は夫たる人以外には告げられない
おかげで諏訪御寮人(諏訪氏の娘、武田勝頼の母)の名前はいまだ知られず
小説や大河ドラマごとにちがっていたりする
>賛美し続けることは同時に神が人の上だと自らに再認識させ続ける
むしろ、逆だと思うんだな。
システムの完成形というのは、「システムの中に自分が居る」というメタ視点にすら気付かせないことだから。
名前の話に戻ると、我々が対象を認識するには少なくともその対象に何らかの「名」を付ける必要がある。
ところが、その名がHNみたいな仮名である以上、その対象はハッキリしないよね。
対象がハッキリしていれば相手を越えるとか溶けるとかいう何らかの欲動を持ちうるけれども、
良く分かんないものに対してはそういう具体的な欲動すら持ちにくい。
つまり、仮名しか存在しない、という状況を作ることは、
逆説的だけど人の畏怖を得る効果的な方法論なんだよね。
むしろ、逆だと思うんだな。
システムの完成形というのは、「システムの中に自分が居る」というメタ視点にすら気付かせないことだから。
名前の話に戻ると、我々が対象を認識するには少なくともその対象に何らかの「名」を付ける必要がある。
ところが、その名がHNみたいな仮名である以上、その対象はハッキリしないよね。
対象がハッキリしていれば相手を越えるとか溶けるとかいう何らかの欲動を持ちうるけれども、
良く分かんないものに対してはそういう具体的な欲動すら持ちにくい。
つまり、仮名しか存在しない、という状況を作ることは、
逆説的だけど人の畏怖を得る効果的な方法論なんだよね。
「名前を言ってはいけないあの人」の方法論か
そう。
例えば、ラブクラフト版のクトゥルフ神話が根源的恐怖を描いていると言われるのは、
まさにそういった方法論を引用していることに起因するんだ。
例えば、ラブクラフト版のクトゥルフ神話が根源的恐怖を描いていると言われるのは、
まさにそういった方法論を引用していることに起因するんだ。
>>121
ちがうお話しだが、
トムティッテトットなる妖精のお話しなら知ってる
美しい娘をものにするため、自分の真名を賭けるが、
あと1日で娘をものにできるという喜びで、
森で焚き火を前に歌いながらつい真名を口にし、
それを木こりに聞かれてしまったというマヌケ
木こりは娘に妖精の真名を教え、
娘から真名を告げられた妖精は破滅する
ちがうお話しだが、
トムティッテトットなる妖精のお話しなら知ってる
美しい娘をものにするため、自分の真名を賭けるが、
あと1日で娘をものにできるという喜びで、
森で焚き火を前に歌いながらつい真名を口にし、
それを木こりに聞かれてしまったというマヌケ
木こりは娘に妖精の真名を教え、
娘から真名を告げられた妖精は破滅する
日本書記のスクナビコナは大国主が掌でもてあそんでたら跳ねてほっぺたに噛みついたそうな。名前を答えなかったのはへそをまげていたのかも。思兼の兄弟にあたるから、永琳と何か関係があるかもしれない。 日本書記を読んで意外だったのがニニギの扱いだな。天皇の先祖だというのに格好がよいとはいえない伝承を載せた理由がわからない。
◆ 其の六(スレ6)>>157–160
>>147
ゲド戦記の魔法の方法論はまさしくそうだったな
「相手のまことの名を知る=相手を思うがままに操れる」
なんてステキな魔法の方法論
ただし、魔法使いは道ばたの石ころひとつに至るまで、
それぞれの真名を暗記しないといけない
ゲドは本名を知られてはならず、生涯にわたって
HNである「ハイタカ」を名乗るしか無い
ゲド戦記の魔法の方法論はまさしくそうだったな
「相手のまことの名を知る=相手を思うがままに操れる」
なんてステキな魔法の方法論
ただし、魔法使いは道ばたの石ころひとつに至るまで、
それぞれの真名を暗記しないといけない
ゲドは本名を知られてはならず、生涯にわたって
HNである「ハイタカ」を名乗るしか無い
真名の話はぬーべーで見たのが最初だなあ
あれだと行動を操るだけじゃなくて、重力無視して浮かせることさえできたけど
あれはなんか出典あるのかねえ。ぬーべーはああ見えてマイナーなオカルトネタ拾ってくるから油断できん
あれだと行動を操るだけじゃなくて、重力無視して浮かせることさえできたけど
あれはなんか出典あるのかねえ。ぬーべーはああ見えてマイナーなオカルトネタ拾ってくるから油断できん